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第69話 王都は報を受ける② ~退進の謎~

現場の泥と雪が、王都に届くころにはきれいな言葉に磨かれているはずで、そのぶん現場の皺は増えている。

王は沈黙し、やがて低く言う。


「――レオンは退かぬ。何が彼を止めた?」


ラグナが答えた。


「戦況は挟撃の形。砦へ退くは理。……ただ、殿下ならば進まれたやもしれぬところを」


宰相が紙の角を軽く叩く。朱の花印が灯に揺れた。


「――“秤”が止めたのでしょう、陛下」


王が顔を上げる。

オーレリアは微笑まず、静かに頷いた。


「秤は、王家の足をいったん止めるためにある」


王は短く息を吐き、言葉を整える。


「……それがレオンを止めた、そういうことだな」


宰相が続ける。


「退きが恐れなら敗、理なら手。今次の退進は“手”です。砦で呼吸を整え、援軍と噛み合わせる一手――国の息を切らさぬために」


王は深く息を吐いた。父の情と王の理が一瞬、重なる。


「……しかし、“秤”の言い回し一つで、あの子が剣を納めるか」


オーレリアは両手を重ね、静かに応えた。


「陛下。わたくしは彼を“秤”として見ています。剣が前を見るなら、秤は後ろを量る――それが均衡の理です」


軍務卿が頷く。

「すでに国軍は動いております。夜明け前には先行の騎が霜丘へ。それまで砦が息をしていれば――」


王は一同を見渡し、最後に王妃を見る。


「――レオンは、秤に止められて退進した。そういうことだな」


オーレリアは静かに頷く。瞳の奥に、一点の灯が宿った。


「ええ。あの子の剣は折れていません。ただ今は鞘に戻されたのです。秤が“今はそうせよ”と量ったのでしょう」


宰相が封を閉じ、朱を押す。朱は血と火のあいだで、灯のごとく揺れた。


「陛下、王妃陛下。――“退いたのはアレンのせいではないか”と朝廷は囁きましょう。ですがその“せい”とは“責”であり“役”でもある。彼の“せい”で国は呼吸できる。そう申し上げます」


王は窓辺へ歩く。雪が斜めに降り、塔の灯が遠く瞬く。


「では、そう伝えよ。――秤の裁定により退進、軍はこれを受けて援軍を発す。退きは、次のための一手なり、と」


「御意」


軍務卿が胸に拳を当て、宰相が封書を侍従へ渡す。

足音が遠ざかり、室内に冬の音だけが残った。


王は窓を見つめたまま、低く呟く。


「……あの若い秤に、国の片側を預ける時がきたのだな」


オーレリアが王の傍らに立つ。肩がそっと触れ、灯が二人の横顔を淡く染める。


「もう預けています、陛下。――この一行が、その証です」


彼女は燭の角度をわずかに正し、一行に光を落とした。朱が、火のように微かに艶めく。


『王子殿下、ご健在。霜丘楔砦に退進す。』


焚火が小さく爆ぜ、遠く南門の方角で蹄の音が連なった。


夜風が窓の框を鳴らす。雪は降り続くが、火は消えない。

王は小さく呟く。

「レオン……よくぞ退進したな」


オーレリアも目を閉じ、同じように言葉を落とす。

「アレン……よく止めたわ」


その二つの名は冬の夜に溶けた。だが理は残る。灯の高さも、息の深さも、先ほどより均されている。


王都は動き、砦は待つ――

秤はそのあいだに立ち、前と後ろ、進みと退きを量っている。


退進は敗ではない――理のための一手である。


やがて廊下で、鐘が一打、のち三打。

合図は『開路』。

夜はまだ長い。だが、国はもう目を覚ましていた。


お読みいただきありがとうございます。


【次話予告】

王都の立派な部屋で、俺の一行メモがああも大ごとになるとは思ってませんでした。

次回は、その「報せ」がもう少し先まで歩いていって、別の誰かの机を叩きます。

現場の泥とインクのしみが、まだちょっとだけ王都の白い机を汚しに行く感じです。


次回の投稿は明日21時頃の予定です。


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