第63話 輔弼近衛は算段を読む ~秤は利を量る~
悪い予感ほどよく当たる。
抜きなくないけど抜かなきゃいけない「輔弼近衛の剣」・・・
雪原を渡る音は、遠くよりも、近くの静けさでわかる。
風が止んだとき、戦場は耳で測るものになる。
王太子旗が掲げられた瞬間、空気が変わった。
歓声、槍の軋み、踏み鳴らす雪の音――すべてが一度に生き返る。
沈んでいた前線が息を吹き返し、押されていた陣がじりじりと前へ進む。
(さすが、殿下……)
俺は少し下がった位置から戦況を見ていた。
だが、視線は自然と北東――林道の方へ向かう。
さっきから、耳の端で何かが引っかかっていた。
最初は風のせいだと思った。だが、違う。
風に混じって、かすかな金属の噛み合う音がする。
前線からではない。……背後からだ。
(……え、音の向き?いや待て、それ逆だろ。後ろ?は?)
雪の丘に反響する音は遠く曖昧だが、それでもわかる。
槍と槍がかち合う硬い響きが、こちらの背中側から伝わってくる。
ただのこだまではない。風では流れぬ、連続した打音。
(後方……いや、林道のほうだな。待てよ。本当にあの林道使ったのか?)
胸の奥が冷える。
俺たちが通ってきたその道――冬は閉ざされているはずの雪の坂。
だが、丘の影でうっすらと雪煙が上がっていた。
静かに、確実に、近づいてきている。
「殿下」
声が自然に出た。
殿下がこちらを向く。
雪の光を受けたその横顔は、まだ勝ちを信じている。
(……殿下を引っ張り出したのは失敗でしたじゃ済まないよね、これ)
「どうした」
「敵です」
その一言で、空気が変わった。
殿下はすぐに振り向き、雪の向こうを見据える。
俺たちの通ってきた林道。その先で、黒い帯が揺れていた。
槍と旗――あれは、敵。
(……当たってほしくない予感ほどよく当たるっていうけど、ここでかよ)
「……後ろだと?」
副官が息を呑む。
「北東林道を渡ってきたものと思われます!
前線は囮、敵は最初から挟撃を狙っていたかと!」
殿下の拳が震える。
敵の策に落ちた――それだけで、王家の恥。
だが、このまま背を突かれれば、旗ごと沈む。
「全軍、抜剣して反転!親衛隊、続け!」
即断。見事な速さだ。
だが、速さと正しさは、常に並ぶとは限らない。
俺は馬を進めた。
(……いやいや、ちょっと待って。それって全滅コースだって)
「殿下、理が……いや、利がございません」
俺は必死で引き止めた。
殿下が眉をひそめる。
「この後に及んで理だの利だのと言っている場合か。我らが止めねば、前線の兵が全滅する」
(……そりゃそうだけど、殿下に死なれちゃ俺の首が本当に飛んじゃうんですって)
「敵の策に嵌ったのは後で詫びれば済みます。
今は御身こそが要です。旗が折れれば、兵は散ります」
「俺一人だけ逃げよと申すか!」
(……そうです。俺の命のために)
「そうです、と言いたいところですが――お一人では危険です。
親衛隊ごと退却なさいませ」
「退く道など、もう塞がれておる!」
殿下の声が雪を割る。
だが、俺は首を振った。
「後ろが本体なら、前面は囮。
いま、我軍は押しております。
――正面に退却を」
その時、俺は昨日頭に焼きつくほど見た地図の細道を思い出していた。あれが本当に道ならばなんとか逃げられるかも知れない。
その言葉に、殿下の表情が変わる。
怒りと困惑が混じった、王太子としての顔だった。
「正面に退く?そんな策、聞いたことがない」
(……いや、俺も無理だと思うんですよ。でも、それしか方法がないんです)
「殿下、万が一陛下がお倒れになれば、
敵を滅ぼしてもこの戦は敗北です。
秤として申し上げます――前線への退却を」
沈黙。
雪の音すら止んだように感じた。
殿下の視線が俺に刺さる。
それでも、退けない。
だから――剣を抜いた。
「ご無礼いたします。詔に曰く、
『王族に直言して其の過を糺し、時に刃を抜きて其の暴を止むべし』。
秤の務め、果たさせていただきます」
刃先が殿下の喉元で止まる。
旗が鳴り、風が止んだ。
(……ああ、これ生き残ってもダメな奴だ)
でも、こうするしか方法はなかったのだ。
「俺にここまでするのだ。勝機はあるんだろうな」
「敵の本隊と戦うよりは、まだ理があります」
「言え」
「敵の前線の少し向こうに、国境に沿って砦まで続く道がございます。
親衛隊を二列縦隊にして突破、殿下はその間を抜けてください」
言ってる自分が一番、残酷なのは分かってる。まあ、言い出した責任として俺も残って戦うよ。
――陛下と一緒に脱出しても、首が飛ぶことは確定だしな。
「聞きたいことは色々あるが、今は聞かん。副長、聞いたな」
「了解いたしました。親衛隊を二隊に分け、楔陣にて敵中央を突破いたします。
殿下の前に四騎、殿に四騎。先導は輔弼近衛殿、貴殿が努めよ」
(……えっ、残って戦う覚悟決めたところなんですけど)
「……承知しました」
そういうしかなかった。
言い出しっぺの責任って奴だ。
◇
号令が轟き、親衛隊が吶喊した。
雪を蹴り、槍が閃く。
自らが進言した“前への退却”――常道を外れた策。
もし誤れば、王の旗ごと沈む。
それでも、あの瞬間、他に道はなかった。
(……罪悪感が半端ないんですけど)
楔陣が敵を裂き、狭い通り道が生まれる。
吹雪の中、その裂け目が白く光った。
「殿下、今です!」
「露払い、先行!」
四騎が前に出る。
一騎が矢を受け、もう一騎が槍に貫かれる。
雪が跳ね、血が散る。
残る二騎が馬を躍らせ、道を開いた。
俺と殿下が続く。
後ろでは殿の四騎が敵を引きつけている。
二騎が落馬し、残る二騎が盾となった。
(……いや、死ぬ。これ、死ぬって)
丘を下り、林の影が近づく。
雪の中に、かすかに踏み固められた筋。
それが、砦への細道だった。
「この先です!」
本当に道があったことにホッとした。
なかったら「ごめんなさい」では済まされない所だった。
枝が肩鎧を叩き、馬の吐息が白く絡む。
雪が頬を打ち、音が吸い込まれていく。
振り返ると、戦場はもう丘の向こう。
旗も叫びも見えない。ただ、風だけが吹いている。
「……本当に、離れたな」
殿下が息を整え、言った。
「さきほどの剣――怖かったぞ」
「恐れながら、私もです」
(……帰ってからは、もっと怖いんですけど)
短い沈黙。
互いの息が霜に混じる。
丘を越えると、砦の塔が氷を光らせていた。
「もう少しだ――急げ!」
六騎が雪煙を上げて駆け抜ける。
背後の空が赤く揺れた。
遠く、まだ戦線が燃えている。
その炎の下に――旗と秤が共に在ることを信じて。
(……理が生きてるうちは、まだ負けじゃない)
お読みいただきありがとうございます。
【次話予告】
次は殿下視点で、さっきの一幕を「王家の目」から見直してもらいます。
こちらとしては計算と胃痛で手一杯でも、殿下からすると別の意味で理不尽な光景らしい。
「理」と「感情」が、雪の上で綱引きしている感じを楽しんでいただければ。
次回の投稿は明日21時頃の予定です。
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