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第61話 輔弼近衛は出陣する ~やっぱり俺も行くんですか~

まあ、覚悟はしていたけどね。

でも少しくらい「お留守番しとけ」って言われるんじゃないかって期待持ってもいいだろ。

……寒い。眠い。帰りたい。


王都の門が開く音って、こんなに重かったっけ。

石がぎいって鳴って、空気がべりっと剥がれるみたいだ。

その合図で、行軍の列がゆっくり動き出す。


(……はいはい、出陣ですね、知ってます)


蹄の音と鎧のきしみ、あとは兵の息。

王子の馬が先頭で朝日を反射して、背中がやけに遠い。

あの背中だけ、別世界の生き物みたいに、しゃんと立っている。


(……あの背中、“覚悟”って二文字を実体化したみたいでやめてほしい)


こっちは覚悟どころか、「今日こそは出陣中止のお知らせが出るんじゃないか」とか、本気で期待してたんだぞ。

そんなお知らせは一度も来たことがないんだけど。


俺は三列目。護衛兼近衛。

つまり「殿下が倒れたら最初に盾になる係」。


(……聞こえは立派だけど、意訳すると“真っ先に死ぬ可能性が高い席”ってことだよね)


左のほうで、一緒の列の騎士が小さく息を吐いた。

たぶん緊張のため息だ。

俺のは、「布団と別れてまだそんなに経ってないのに、なんでこんなところにいるんだ」という嘆きのため息だ。

外から見たら、まとめて「出陣前の緊張」に分類されるのが、ちょっと納得いかない。


(そうだよな、皆怖いよな……怖くないやつって友達にはなれないな……)


     ◇


馬が丘を登るたび、足の裏まで冷える。

風が皮膚の下に入り込んでくる。

地図で見た「霜丘」って名前、あれ、詩的でも何でもなかった。


(“霜”の宣伝に嘘偽りなし。むしろ過剰にサービス)


鼻の奥が痛い。

息を吸うたびに、胸の内側までじんじんしてくる。

寒いのは嫌いじゃないけど、「凍死と隣り合わせですよ」というタイプの寒さは話が違う。


(……ここで風邪ひいたら、「お前は帰れ」とか言ってくれないかな……無理ですよね)


森沿いを抜けかけたとき、視界の端に、細い影が見えた。

枝と雪の間に沈むような、曲がりくねった道――いや、筋。


「……あれ、林道か?」


思わず身を乗り出す。北東に向かって延びている。思っていたより狭い。けど、人も馬も通れそうだ。

雪に埋もれて目立たないけれど、「自然のままです」という顔はしていない。


(これ、敵が知ってたら笑えないやつだ)


前方の斥候がちらりと視線を向けたが、報告はしなかった。

雪に埋もれて、使われてないと思ったんだろう。


(でも、あの踏み固まり方……最近、誰か通ってる)


雪って、嫌になるくらい正直だ。

何も通ってなければ、もっとふわっとしている。

あの沈み方は、「何か重たいものが何回か通りました」という跡だ。


胸の奥が、じわりと冷えた。地図で線を引いたときは、ただの仮説だった。

紙の上の線は、こっちを睨んでこないし、夜中にうなされる原因にもならない。


けど、現物を見ちまうと――途端に、胃のあたりがきゅっとなる。


(……もしかして、最近誰かが通ったのか?誰が)


頭の中で、地図の線と目の前の筋が重なる。

講義で何度も聞かされた、「敵に使われると厄介な通路」という言葉が、やけに鮮明に蘇る。


(……知りたくなかったなぁ、現物。知らないままのほうが、ぜんぜん寝つきがいい)


     ◇


昼を過ぎるころ、風が強くなり、雪が舞った。

兵たちは顔を覆って黙りこみ、列だけが淡々と進む。


(……“士気”って、どうやって保つんだろうな。俺の士気はとっくに切れてるんだけど)


さっきから「寒い」「帰りたい」「あの道やだ」の三語しか頭にない。

秤だの理だの言う前に、まず人間としての基本性能が下がっている気がする。


王子は振り向かない。

馬上で姿勢が崩れず、旗のように立っている。


(……殿下、まぶしい。精神的に直視ダメージくる)


あの人だって怖くないはずがない。

怖くない人間なんて、よっぽど鈍いか、狂戦士のどっちかだ。

違うのは、「怖い」が顔の表面に出るかどうかだけだ。


(……俺は、わりと顔に出てる自覚はあるんだが、秤としてどうなんですかね)


だから、秤なんて役目を押しつけられたときは、本当に耳を疑った。

もっとこう、顔に何も書いてない人とか、冷血そうな人とか、候補いなかったのか。でも、「じゃあ他に誰がいますか」と聞き返されたら、たぶん黙るしかなかったと思う。


(……「経験豊富なラース先輩」って言ってやりゃ良かった)


     ◇


丘陵地に入って、ようやく停止の号令。


「ここを後方本陣とする!」


槌が鳴り、杭が打たれ、帆布が張られていく。金属みたいな音が冬の地に響く。

俺も馬を降りて、あたりを見渡した。風上は北東――さっき見た林道の方向だ。

木立が濃く、斜面の奥は見えない。


(……見えないってことは、何かいても気づけないってことだよな。嫌な条件ばかりがそろっていく)


見えない敵ほど、脳内で勝手に強くなる。

実物より、想像のほうがだいたい強い。困る。


副官が近づいてきた。

「輔弼近衛殿、陣形のご確認を」

「え、あ、はい……俺、いや、私がですか?」

「“秤としてのご判断を”、とのことです」


(……秤って、軍師でも使い走りでもないんですけど。肩書き便利に使われすぎでは?)


口では「承知しました」とか言いながら、心の中では地団太を踏んでいる。

秤は本来、「量れと言われたものだけ量る」道具じゃない。

「そもそも量るべきかどうか」から考えろと言われた、めんどくさい役目だ。


(でもまあ、“殿下直々のご指名”ってやつなんだろうな。断りづらさは倍だ)


王子の本陣を見やる。

旗が、風を切ってはためく。――あの方向、やっぱり北東だ。


(嫌な符合だな。旗って目印なんですよ、敵から見ても。こっちから見えるってことは、あっちからも見える)


唇を噛む。

多分、いまの俺は真面目な顔をしてる。しているはずだ。

でも、心の中はずっとこうだ。


(……もうちょっと前線寄りのほうがいいと思うんだよね、本陣。後ろから来られたら終わりじゃない?)


後方本陣って言葉は、安全そうな響きをしているけど、

さっき見た林道が「後ろ」から牙を剥いたら、ここが一番の当たり枠になる。

前も嫌だが、後ろも嫌だ。どこにいても嫌だ。


(秤って、どこに立っても針が揺れる職業なんだな……今さら理解が深まっただけで、何の救いにもならないけど)


     ◇


日が傾き、陣が形を成す。焚き火が点り、煙が夜空に吸い込まれていく。

風の音と兵の息が混ざって、静かすぎて怖い。


俺は地図を広げた。

“北東林道”――たしかにある。

あれを敵に使われたら、後背を突かれる。


(……秤って、どっちの皿を支えるべきなんだろう)


勝つ側か、守る側か、それとも、生き残る側か。

講義では、「国益」「王家」「民」の三つをうまく両立させましょう、みたいな綺麗な図を見せてくれたけど、現実は、だいたいどれかが皿から落ちる。


(……勝つために、誰かを置いていけって、俺に言えるのか?)


秤としては、「最小の損失で最大の利を」考えるべきだろうが、人としては、「誰も死んでほしくない」と思っている。

この二つが、胸の中でずっと喧嘩している。


(……俺は、“正しい秤”でいたいのか、“卑怯な人間”でいたくないのか、どっちなんだろうな)


正しい判断をすれば、誰かが死ぬ。

間違った判断をすれば、もっと多くが死ぬ。

どちらにせよ、誰かの死に、自分の針が関わる。


(……帰りたくなる理由が一つ増えたよ)


答えは出ない。

ただ、あの林道の影が、焚き火の向こうで揺れている。

あそこから敵が来るかもしれないと知っているのは、今のところ俺だけだ。


(……知っちゃった以上、黙ってたら、多分、あとで一番自分を嫌いになる)


秤としての義務と、ただの一人の臆病な人間としての本音と。

どっちも自分で、どっちか片方だけ捨てるなんて器用なことはできない。


(……あの道、明日も静かでありますように)


祈りながら、同時に「でも静かじゃなかったときのことも考えろよ」と、自分で自分にツッコミを入れる。

火がぱち、と弾けた。俺は息を吐いて、もう一度、地図を折った。


――出陣初日。やることはやった。

やるべきこと全部かどうかは、正直自信がない。

けど、今の俺にはここまでが限界だ。


あとは、秤が傾かないことを祈るだけだ。


(……やっぱり、帰りたい)


お読みいただきありがとうございます。


【次話予告】

次は殿下視点で、あの「背中だけやたら落ち着いてる近衛」の内情が少しバレます。

こっちは寒さと腹痛と人員表で手一杯なのに、王家は王家でメンタルが戦場。

林道のフラグ立てちゃったのかなぁ。


次回の投稿は明日21時頃の予定です。


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