第59話 輔弼近衛は勉強する。 ~やることはやろう~
勉強しているだけなのに、女官長からは「三回ノックしても出てこない常習犯」と認識されつつある。
……とばっちりにもほどがある。
「王子の親征に随行せよ」――って、どういう経緯でそうなるの。
俺、ただの護衛兼近衛なんですけど?
“随行”ってつまり“同行”で、“同行”ってつまり“戦場”。
誰がそんな危険業務を……あ、俺だ。言っちゃったんだ、「承知しました」って。
あの目で言われたら断れない。あれは反則だ。
(……いや本音を言えば、殿下には本気で逃げてほしいんですけどね)
◇
そんなわけで、今夜の俺は図書室にこもっている。
机の上には地図と戦史の山。紙の厚みで城壁が築けそうだ。
防御力は高いが、攻撃力はゼロ。まあ、俺らしい。
情報を知らなければ、量るも何もできない。何より、俺の命が危ない。
(“やることはやろう”。生き残るための準備、それが俺の仕事だ)
今回の親征先――北境霜丘方面。
地図を広げると、谷と丘が複雑に絡み合っている。
ぱっと見は一本道だが、実際は迷路みたいな地形。
狭い。細い。退路は取りづらい。
つまり――「前に出るしかない」タイプの戦場だ。
(……いや、俺は出なくていいんです。後方の木陰とかで旗を見守る係でいいんです)
とはいえ、地形を見てるとつい考えてしまう。
「もし俺が敵だったら、どう攻める?」
地図を回して、逆側――つまり敵の立場で眺める。
正面突破は狭すぎて無理。なら、どうするか。
(……うん、回り込むな)
北東の稜線に薄く一本、道のような線が走っている。
ほとんど潰れた筆跡。地図を描いた人も迷ったみたいな形だ。
(これ、もし敵が使ったら――後ろを突かれる。王子の旗、囲まれるな)
嫌な想像が浮かぶ。
親征って、つまり“王子が旗を掲げる”ってことだ。
旗は士気の象徴、同時に敵の目印でもある。
……いやな場所に立つなぁ、あの人。
(……まあ、そこに立てって言ったのは俺なんだけど)
「じゃあ、俺たちはどう退く?」
そう呟いて、再び地図をなぞったとき――
紙の端、国境線の近くに、髪の毛みたいな細い線が目に入った。
「……これ、なんだ?」
国境沿いを並走するように、線が一本。
獣道か、昔の軍路の跡か。とにかく微妙すぎて、地図に載せる意味があるのか疑わしい。
(ま、今は関係ないか。問題はこっちだ。北東林道)
指先でその細い線をなぞり、
俺はまた北東の稜線へと視線を戻した。
◇
時間を忘れる。
戦史を読み、筆記し、地図に印をつけていく。
『北境戦役録』『王暦軍実録』『辺境戦略誌』――
どれも古く、紙の端がめくるたびに音を立てた。
《北境之戦》
王暦九百十五年、ヴァルスト帝国の軍、夜陰と霧を頼みて後背を襲ふ。
王国軍、備へ及ばずして陣乱る。指揮絶え、旗散じ、兵多く倒る。
然れども一隊のみ生還せしと伝ふ。後世、これを「霜丘の敗」と曰ふ。
と、史書には記されていた。
……やっぱり。
地形も、戦場も、今と同じだ。
前例あり。しかも、負けてる。参考にならない。
(なんでこの部隊だけ助かったんだ……?)
続きを探しても、記述は途切れていた。
“生還者少数、報告不明”。――不明、か。
あまり語られたくなかった敗戦の一節。
地図に目を戻すと、国境線の手前、あの細い線が再び目に入った。
(まさか……な)
◇
外はすっかり夜だった。
蝋燭の灯が地図の谷を照らし、影が動く。
まるでそこに、すでに敵が潜んでいるみたいだ。
「……まあ、でも王子は後方の旗役だし、考えすぎか」
紙の上で指が止まった。
北の稜線。風の抜け道。獣が通るなら、人も通る。
それを“道”と呼ぶかどうかは、使う人次第だ。
◇
軽く二度ノックの音が聞こえた。
「輔弼近衛殿。――まだご在室ですか?」
扉越しの女官長の声に、筆の音が止まる。短く「どうぞ」と返すと、蝶番がかすかに鳴って扉が開いた。
灯に縁どられた横顔は、目だけが働きすぎて、他の筋肉が休んでいる。
「お疲れさまでございます。もう夜も更けております」
「……アルフォード殿、まだお調べですか?」
声に振り向くと、レリアさんが立っていた。
銀盆に軽食。パンとスープ。
この人、ほんと天使だと思う。
「お疲れさまです。もうこんな時間ですよ」
「ええと、はい……ちょっと地形が気になって」
「まさか戦略を立てておられるのですか?」
「いえ、命の守り方を勉強してるだけです」
「……正直でよろしいですね」
レリアさんが小さく笑う。
あの笑顔、ほんとずるい。血圧が正常値に戻る。
「学校の試験を思い出します」
「騎士学校の時からこれほど勉強を?」
「いや、真面目っていうか、落第したら母上に鍬で追われるんで」
「子爵婦人が鍬とか、アルフォード殿は冗談がお上手ですこと」
実話ですとは言えなかった。
「アルフォード殿。思い詰めすぎてはいけません。
戦は王子殿下のお導きのもとで行われます」
「……そうですね。でも、護衛って、そういうとき逃げられない立場なんですよね」
「護衛とは、主を守る者のことです。ご自分を責める必要はありません」
(……うわ、ナチュラルに追い詰めて来るよ、この人)
レリアさんは静かに笑って、スープを置き、去っていった。
◇
再び静かな図書室。
パンをかじりながら、地図に目を戻す。
北東林道――敵が回るとすれば、あそこだ。
もしそうなったら、王子は逃げ場を失う。
けれど、あの細い線……あれが本当に道なら。
(……秤って、こういう時に何を量るんだろう)
勝ち負け? 名誉? 犠牲?
――いや、違う。
どこが崩れ、どこが残るか。
その“傾き”を先に見つけること。
俺は“秤”だなんて立派なもんじゃないけど、
せめて、針が動く瞬間くらいは見ておきたい。
その針が、殿下の旗を折らないように。
(……やることだけは、やっておこう)
小さく息を吐いて、地図の端に印をつけた。
“北東林道”。そして――国境沿いの、細い線にも。
蝋燭の火が揺れた。
夜の王城は、嵐の前みたいに静かだった。
お読みいただきありがとうございます。
【次話予告】
我慢しろだの、顔色を読むなだの、好き勝手言われた挙げ句にさ。
結局、上の連中との“お話の場”に俺が呼び出される流れ、これもう確定だよな?
次はきっと、笑ってごまかせない種類の話を、真正面から聞かされる羽目になるんだろうなあ
次回の投稿は明日21時頃の予定です。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【皆様へのお願い】
面白い/続きが気になると思っていただけたら、
『ブックマーク』、『☆☆☆☆☆』、『感想』、『誤字報告』をいただけると大変励みになります。
(ついでにとても喜びます)
皆さまの声援だけが心の支えです。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★




