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第59話 輔弼近衛は勉強する。 ~やることはやろう~

勉強しているだけなのに、女官長からは「三回ノックしても出てこない常習犯」と認識されつつある。

……とばっちりにもほどがある。


「王子の親征に随行せよ」――って、どういう経緯でそうなるの。

俺、ただの護衛兼近衛なんですけど?

“随行”ってつまり“同行”で、“同行”ってつまり“戦場”。

誰がそんな危険業務を……あ、俺だ。言っちゃったんだ、「承知しました」って。

あの目で言われたら断れない。あれは反則だ。


(……いや本音を言えば、殿下には本気で逃げてほしいんですけどね)



そんなわけで、今夜の俺は図書室にこもっている。

机の上には地図と戦史の山。紙の厚みで城壁が築けそうだ。

防御力は高いが、攻撃力はゼロ。まあ、俺らしい。

情報を知らなければ、量るも何もできない。何より、俺の命が危ない。


(“やることはやろう”。生き残るための準備、それが俺の仕事だ)


今回の親征先――北境霜丘しもおか方面。

地図を広げると、谷と丘が複雑に絡み合っている。

ぱっと見は一本道だが、実際は迷路みたいな地形。

狭い。細い。退路は取りづらい。

つまり――「前に出るしかない」タイプの戦場だ。


(……いや、俺は出なくていいんです。後方の木陰とかで旗を見守る係でいいんです)


とはいえ、地形を見てるとつい考えてしまう。

「もし俺が敵だったら、どう攻める?」


地図を回して、逆側――つまり敵の立場で眺める。

正面突破は狭すぎて無理。なら、どうするか。


(……うん、回り込むな)


北東の稜線に薄く一本、道のような線が走っている。

ほとんど潰れた筆跡。地図を描いた人も迷ったみたいな形だ。


(これ、もし敵が使ったら――後ろを突かれる。王子の旗、囲まれるな)


嫌な想像が浮かぶ。

親征って、つまり“王子が旗を掲げる”ってことだ。

旗は士気の象徴、同時に敵の目印でもある。

……いやな場所に立つなぁ、あの人。

(……まあ、そこに立てって言ったのは俺なんだけど)


「じゃあ、俺たちはどう退く?」

そう呟いて、再び地図をなぞったとき――

紙の端、国境線の近くに、髪の毛みたいな細い線が目に入った。


「……これ、なんだ?」


国境沿いを並走するように、線が一本。

獣道か、昔の軍路の跡か。とにかく微妙すぎて、地図に載せる意味があるのか疑わしい。


(ま、今は関係ないか。問題はこっちだ。北東林道)


指先でその細い線をなぞり、

俺はまた北東の稜線へと視線を戻した。



時間を忘れる。

戦史を読み、筆記し、地図に印をつけていく。

『北境戦役録』『王暦軍実録』『辺境戦略誌』――

どれも古く、紙の端がめくるたびに音を立てた。


《北境之戦》

王暦九百十五年、ヴァルスト帝国の軍、夜陰と霧を頼みて後背を襲ふ。

王国軍、備へ及ばずして陣乱る。指揮絶え、旗散じ、兵多く倒る。

然れども一隊のみ生還せしと伝ふ。後世、これを「霜丘の敗」と曰ふ。

と、史書には記されていた。


……やっぱり。

地形も、戦場も、今と同じだ。

前例あり。しかも、負けてる。参考にならない。


(なんでこの部隊だけ助かったんだ……?)


続きを探しても、記述は途切れていた。

“生還者少数、報告不明”。――不明、か。

あまり語られたくなかった敗戦の一節。

地図に目を戻すと、国境線の手前、あの細い線が再び目に入った。


(まさか……な)



外はすっかり夜だった。

蝋燭の灯が地図の谷を照らし、影が動く。

まるでそこに、すでに敵が潜んでいるみたいだ。


「……まあ、でも王子は後方の旗役だし、考えすぎか」


紙の上で指が止まった。

北の稜線。風の抜け道。獣が通るなら、人も通る。

それを“道”と呼ぶかどうかは、使う人次第だ。



軽く二度ノックの音が聞こえた。

「輔弼近衛殿。――まだご在室ですか?」


扉越しの女官長の声に、筆の音が止まる。短く「どうぞ」と返すと、蝶番がかすかに鳴って扉が開いた。

灯に縁どられた横顔は、目だけが働きすぎて、他の筋肉が休んでいる。

「お疲れさまでございます。もう夜も更けております」

「……アルフォード殿、まだお調べですか?」


声に振り向くと、レリアさんが立っていた。

銀盆に軽食。パンとスープ。

この人、ほんと天使だと思う。


「お疲れさまです。もうこんな時間ですよ」

「ええと、はい……ちょっと地形が気になって」

「まさか戦略を立てておられるのですか?」

「いえ、命の守り方を勉強してるだけです」

「……正直でよろしいですね」


レリアさんが小さく笑う。

あの笑顔、ほんとずるい。血圧が正常値に戻る。


「学校の試験を思い出します」

「騎士学校の時からこれほど勉強を?」

「いや、真面目っていうか、落第したら母上に鍬で追われるんで」

「子爵婦人が鍬とか、アルフォード殿は冗談がお上手ですこと」

実話ですとは言えなかった。


「アルフォード殿。思い詰めすぎてはいけません。

戦は王子殿下のお導きのもとで行われます」

「……そうですね。でも、護衛って、そういうとき逃げられない立場なんですよね」

「護衛とは、主を守る者のことです。ご自分を責める必要はありません」

(……うわ、ナチュラルに追い詰めて来るよ、この人)


レリアさんは静かに笑って、スープを置き、去っていった。



再び静かな図書室。

パンをかじりながら、地図に目を戻す。


北東林道――敵が回るとすれば、あそこだ。

もしそうなったら、王子は逃げ場を失う。

けれど、あの細い線……あれが本当に道なら。


(……秤って、こういう時に何を量るんだろう)


勝ち負け? 名誉? 犠牲?

――いや、違う。

どこが崩れ、どこが残るか。

その“傾き”を先に見つけること。


俺は“秤”だなんて立派なもんじゃないけど、

せめて、針が動く瞬間くらいは見ておきたい。

その針が、殿下の旗を折らないように。


(……やることだけは、やっておこう)


小さく息を吐いて、地図の端に印をつけた。

“北東林道”。そして――国境沿いの、細い線にも。


蝋燭の火が揺れた。

夜の王城は、嵐の前みたいに静かだった。



お読みいただきありがとうございます。


【次話予告】

我慢しろだの、顔色を読むなだの、好き勝手言われた挙げ句にさ。

結局、上の連中との“お話の場”に俺が呼び出される流れ、これもう確定だよな?

次はきっと、笑ってごまかせない種類の話を、真正面から聞かされる羽目になるんだろうなあ


次回の投稿は明日21時頃の予定です。


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