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第58話 秤は戦を量る(王妃視点) ~器の価値~

王妃陛下にまで本気で“秤”扱いされいるようなんだけど。

……なんか激しく勘違いされているような気がしてならない。

――春にはまだ遠く、風が鋭さを帯びはじめている。

北の空を渡る風が、王城の白い石壁を抜けて頬を打ったとき、季節の巡りとは別の何かが動き出している気配を感じた。


その朝、侍従が告げたのは「御前会議の刻」という言葉だった。

私は静かに衣を整え、王と並ぶ席へ向かう。

玉座の奥、円卓の間――国が進むべき道を量る場。


宰相アルフレッド、軍務卿ラグナ、そして第一王子レオン。

彼らがすでに席に着いていた。

“輔弼近衛”――アレン・アルフォードが姿を現したのは、その直後だった。


まだ王城には馴染んでいない。

だが、その異質さこそが秤の本質なのだと、私は思っている。


――私は、あの詔を何度読み返しただろう。

王妃教育のなかで、私は王国史のすべてを叩き込まれた。

興味があったこともあり、学ぶことは苦ではなかった。

むしろ、夜ごと古い竹簡や年代記を読み解く時間は楽しみですらあった。


「秤三徳論」も、「輔弼近衛創設の詔」も、言葉としてではなく血肉として自らの内に沈めてきた。

“秤”とは、剣でも盾でもなく、「口・意・身をもって道を量るもの」。

王権と法の裂け目に手を差し挟み、均衡を取り戻す者。


けれど、五百年もの間、その職は空席のままだった。

貴族はその責務の重さを恐れ、王族の傍らに立つことを避けた。

――この国が秤を得る日は、本当に来るのだろうか。

私はずっとそう思っていた。


そして今、ようやく“器”が現れた。



王が口を開いた。

「北境にて、ヴァルスト帝国との間に小競り合いが起きておる」


予兆はあった。

雪解けを待たず布陣を厚くする――それは、ただの衝突では終わらぬ兆し。

「今年は向こうの動きが早い。兵糧も早くに運び込んでおるという」


宰相が書簡を繰り、軍務卿が顎に手を当てる。

王は息子を見た。

「レオン。そなたの意見は」


息が詰まる。

母として、王族として、よく知っている。

あの子は剣を信じている。剣こそ王族の証、剣こそ道を切り開くものと。


「……この戦、私と親衛隊が参じるべきと考えます」


予想通りの言葉だった。

だがその声には、ほんのわずか、思索の影が差していた。


「殿下がご尊顔をお見せになるだけで兵の士気はあがりますな」

軍務卿が笑い、空気は賛同へと傾く。

だが、宰相アルフレッドは表情を崩さない。


彼は昔から、レオンの“剣”への傾倒を危ういと見ていた。

剣だけでは国は動かぬと知っている。

制度は器であり、人は魂――その信念が彼の根にある。


王が問う。

「アルフォード。“秤”としての見立てを」


呼ばれた青年は、わずかに息を呑み、静かに言葉を置いた。

「よきご判断かと……」


レオンの眉が跳ねた。

「貴様、昨日“戦場に出るな”と言わんばかりの口をしていたではないか」


アレンは怯えず、ただ淡々と答える。

「誤解なきよう。私は“王族の剣を止める”とは申しておりません。“抜く時と意味を量らねばならぬ”と申し上げたのみです」


――睫毛が、微かに震えた。

あの少年が、言葉を“量る”ようになっている。


宰相が口を開く。

「しかしアルフォード殿、前線は押されていると報告されておる。殿下の御臨陣は危険――」

「危険は否めません」


即答。若さも怯えもない。

そこにはただ、針を量る者の声があった。


「ゆえに量ります。効果と危険を……軍務卿閣下、前線は崩壊しているのでしょうか?」

「いや、それほどではない。押されているという程度と聞いている」

「ならば、押し返さねばなりませんね。そのためにはレオン殿下のご出征は価値があるかと」


宰相が低く問う。

「それでも危険なのは変わらん」

「前線から一段下げた位置に後方本陣を構え、全軍の視線が集まる“旗”としてお立ちになるのがよいと考えます。兵は前へ進む力を得、敵は王家の旗に足を鈍らせる。殿下が刃を交えずとも、“剣”の威は戦場に届きます」


――ああ、この言葉だ。

この国が五百年待ち続けた“秤”の声。

剣を止めるのではなく、剣を“量る”声。


私は思い出していた。

「口・意・身を以て道を量る者、是を秤と曰ふ」――。

力を奪うのではなく、正しく働かせるための秤。


王が再び問う。

「――レオンよ。秤の針をどう見る」


沈黙が落ちた。

かつてなら即座に「前線に立つ」と答えたであろう少年が、今は考えている。

唇を結び、目を伏せ、やがて確かな光を宿して顔を上げた。


「……わかった。前線には立たぬ。我が陣を後方に置き、兵の顔を見、旗と声で支えよう」


短く、しかし明確な答え。

あの子の“剣”が初めて別の形を得た瞬間だった。


「兵たちと話す場を設けてくれ。糧秣、寒さ、具足の不備――現場の声を聞きたい」


その言葉に、宰相の瞳がわずかに和らぐのを見た。


やがて会議は段取りへと移る。

「三日後に出る。殿下は前線一歩後ろ――旗の場所に立つ」

陛下の声が響き、場を締めた。


「わかったな、アレン」

「決めるのはお方々のお役目だと存じております」

「いや、お前も随行するのだ」

アレンの表情が一瞬止まり、陛下が頷く。

「うむ、戦場でのレオンの振る舞い。秤として量らねばなるまい」


――やはり、そうなるのだ。


制度は器、人はその魂。

器だけでは空しく、魂だけでは散る。

秤という器が、いま初めて“人”という魂を得た。


その針はまだ迷い、量る手も確かではない。

けれど、器が現れたという事実こそ、この国の五百年来の希望だった。



会議が終わるや、王城はざわめいた。

侍女たちが寒地装束を倉から引き出し、宰相府は山間の町へ徴発令を飛ばす。

軍務省では護衛名簿の石板が音を立てて差し替わる。


その喧噪の中、私は窓辺に立った。

白く霞む北の空。その向こうに広がる雪原と風。

そこに立つ息子と、その傍らに立つ“秤”。


――あの詔の言葉が、胸の奥に蘇る。

「秤は法の内には有らず、ゆゑに権の手はこれを縛ること能はず。

されども秤は理の内に在り、ゆゑに道の外に出ず。」


あの言葉を、書の上ではなく現実の人の姿として見る日が来るとは思わなかった。

まだ未熟な器。

だが確かに、ここにある。


そしてその器が、王族という血を、制度という器を、どのように変えていくのか――

私は、それを見届けよう。


――秤よ。

そなたが量るものを、この国は受け止める覚悟がある。

どうか、その手で、この国の未来を量ってみせて。


お読みいただきありがとうございます。


【次話予告】

王妃陛下にまで正式に“秤”として認識されていると知り、「いや、とばっちりでは?」と机に額をつけています。

次回は、命惜しさ全開の輔弼近衛が、戦史と地図に齧りつく『勉強する』回です。

仕事についてまで勉強しなければならないって、社会人はツライ。


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