第57話 秤は戦を量る(王子視点) ~旗の重さ~
殿下の覚悟を真正面から聞かされてしまい、「ずっと逃げ方を考えていました」とは言えなかったんだが。
冬の鐘が三つ、王城の高みに鳴り渡る。
回廊の窓は白く曇り、冷えた空気が石床を這う。
足音だけが静かに響いて、私の中で同じ問いが繰り返されていた。
――剣とは、何か。
王族の剣は、意志の象徴だ。
抜けば道が開き、収めれば民が安らぐ。
父も祖父も、そうして国を保ってきた。
私もまた、その血の理を疑いなく信じていた。
◇
円卓の間は、冷たい沈黙に包まれていた。
父上と母上、宰相アルフレッド殿、軍務卿ラグナ卿、そして私。
北境の報せを前に、誰もが思考を刻んでいた。
やがて扉が開き、侍従の先導で一人の男が入ってくる。
アレン・アルフォード――“秤”と呼ばれる者。
昨日、私と剣を交え、胸に棘のような言葉を残していった男だ。
彼が席につくと、父上が口を開いた。
「北境にて、ヴァルスト帝国との間に小競り合いが起きておる」
息を整える。やはり――と胸の奥で呟いた。
父上は淡々と続ける。
「今年は向こうの布陣が厚い。雪解けを待たず兵糧を運び込んでおる」
宰相が文書をめくり、軍務卿が腕を組む。
そして父上の視線が私に向けられた。
「レオン。そなたの意見は」
場の空気が動く。
私は姿勢を正し、言葉を選んで告げた。
「……この戦、私と親衛隊が参じるべきと考えます」
それが王族の責務――旗印として立ち、兵を鼓舞すること。
信じて疑わなかった理屈を、私は静かに口にした。
「殿下がご臨陣なされば、兵の士気は上がりましょう」
軍務卿が力強く頷き、空気が賛同へと傾く。
ただ一人、沈黙している者を除いて。
――アレン。
父上が問う。
「アルフォード。“秤”としての見立てを」
彼は一拍の間を置き、静かに答えた。
「よきご判断かと」
……何だと?
昨日――お前は“抜く時と意味を量れ”と言ったはずだ。
王族の剣に踏み込み、私の迷いを露わにしたくせに。
それが今になって“よき判断”とは。陛下に迎合したか。
抑えきれず、声が出た。
「貴様、昨日“戦場に出るな”と言わんばかりの口をしていたではないか」
苛立ちが滲んだが、彼は落ち着いたままだ。
「誤解なきよう、殿下。私は“王族の剣を止める”とは申しておりません」
その声は低く、静かに響く。
「申したのは、“剣を抜く時と意味を量らねばならぬ”という一点のみ。
王族が戦場に立つこと自体を、否とは申しません」
――“時と意味を量る”。
その言葉が、昨日と同じ重さで胸に沈む。
「つまり、行くべき時なら行けと」
「……我が務めは量ることのみ。判断は高き方々がなされるべきかと」
量る――決めるのではなく。
ならば決めるのは誰だ。王族だ。
「出陣すべきか否かを、お前が言うのか」
「価値があるならば、殿下は出陣すべきです。危険は否めませんが……それでも、と」
“出陣すべき”。
五文字が、熱となって胸腔を打つ。
辺境の三男坊が、王族の剣に口を挟む。
怒りが喉を焦がす――だが、分かっていた。
それは怒りではなく、痛みだ。
私自身が、剣の意味に揺らいでいたから。
宰相が口を開く。
「しかしアルフォード殿、前線は押されておる。殿下の御臨陣は危険――」
「危険は否めません」
アレンは即答した。
「ゆえに量ります。効果と危険を。……軍務卿閣下、前線は崩壊しているのでしょうか」
「いや、そこまでは。押されている程度だ」
「ならば押し返す好機です。殿下のご出征は、価値を持つ」
宰相が眉をひそめる。
「それでも、危険は変わらん」
「後方に本陣を構え、“旗”としてお立ちになるのがよいでしょう。
殿下が刃を交えずとも、旗の威は戦場を動かします」
“旗”――その一語が胸を打った。
王族は剣を抜いてこそ意味を持つと、そう信じてきた。
だが、旗もまた、戦を動かすのか。
軍務卿が頷く。
「なるほど、それなら危険は少なかろう。崩れれば退けばよい」
宰相が低く問う。
「それが秤の裁定か」
「……量るのみ、にございます」
秤は決めない。だが、決めさせる。
その沈黙の重さを、私は初めて理解した。
父上が私に視線を戻す。
「――レオンよ。秤の針をどう見る」
場の空気が一点に凝る。
昨日までなら、即答していた。「前線に立つ」と。
だが今は、胸の奥で針が揺れている。
“剣を抜く意味を量れ”――。
ならば、王族として果たすべきは何か。
剣を振るうことか、それとも旗を掲げることか。
……いや。
どちらかではない。
旗の下に剣を置く、それが今の私の答えだ。
「……わかった。前線には立たぬ。後方に本陣を置き、兵の顔を見、旗と声で支えよう」
その言葉が自然に口をついた。
静かで、確かな声だった。
「兵たちと話す場を設けてくれ。糧秣、寒さ、具足の不備――現場の声を聞きたい」
「承知いたしました」
宰相が立ち上がる。
「三日後に出る。殿下は前線一歩後ろ――旗の場所に立つ」
それだけで、十分だった。
父上が頷き、一言で締めた。
「よかろう。そう決する」
母上の睫毛がわずかに震えるのが見えた。
ふとアレンを見る。
表情は静かだ。
だが、眼差しの奥に微かな安堵が見えた気がした。
――まったく、憎らしいほどに平然としている。
会議が散じるとき、父上の声が再び響いた。
「――レオンよ。アレンも随行させよ」
「こやつも、ですか」
「うむ。戦場でのお前の振る舞い、秤として量らねばなるまい」
アレンがわずかに目を瞬かせた。
私もまた、内心で同じ反応をしていた。
――秤は、剣の側に立つのか。
◇
廊下に出ると、冬の光が石床に薄く流れていた。
歩きながら、私は掌を見つめる。
剣を握るための手。
そこに残るはずの熱は、いま、静かに形を変えつつある。
刃を抜かずとも、威は届く。
旗が翻れば兵は進み、王の意志は隅々にまで及ぶ。
それは、斬る力ではなく、動かす力だ。
剣は速く、深く届く。
旗は広く、遠く届く。
今日、私は初めてその違いを自分の血で理解した。
――剣とは何か。
――旗とは何か。
――秤とは、何を測るのか。
問いは尽きない。
だが、問い続けることこそが秤の針を見つめることだと、今は分かる。
三日後、私は旗を立てる。
その下に、抜かれぬ剣の意味を刻む。
そして、“秤”を傍らに置く。
怒りの棘はまだ残る。
だが、針を見る眼は必要だ。
私の剣が、私の旗が、どこを向くべきか――それを量るために。
冬の光が、少しだけ強くなった気がした。
私は掌を握り直し、歩みを進めた。
剣と旗、その両方を携えて。
王族の務めを、もう一度、自らの言葉で結び直すために。
お読みいただきありがとうございます。
【次話予告】
「前線じゃなく旗の場所に立つ」と聞かされて、こっちは本気で“退き方”の勉強を始めました。
次回は王妃陛下視点で、五百年ぶりに動き出した“秤”を歴史と母親目線で眺めてもらいます。
当人の自覚はまだ「とばっちりで戦場行きになった人」くらいなので、そのズレも含めてお楽しみください。
次回の投稿は明日21時頃の予定です。
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