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第57話 秤は戦を量る(王子視点) ~旗の重さ~

殿下の覚悟を真正面から聞かされてしまい、「ずっと逃げ方を考えていました」とは言えなかったんだが。

冬の鐘が三つ、王城の高みに鳴り渡る。

回廊の窓は白く曇り、冷えた空気が石床を這う。

足音だけが静かに響いて、私の中で同じ問いが繰り返されていた。


――剣とは、何か。


王族の剣は、意志の象徴だ。

抜けば道が開き、収めれば民が安らぐ。

父も祖父も、そうして国を保ってきた。

私もまた、その血の理を疑いなく信じていた。



円卓の間は、冷たい沈黙に包まれていた。

父上と母上、宰相アルフレッド殿、軍務卿ラグナ卿、そして私。

北境の報せを前に、誰もが思考を刻んでいた。


やがて扉が開き、侍従の先導で一人の男が入ってくる。

アレン・アルフォード――“秤”と呼ばれる者。

昨日、私と剣を交え、胸に棘のような言葉を残していった男だ。


彼が席につくと、父上が口を開いた。

「北境にて、ヴァルスト帝国との間に小競り合いが起きておる」


息を整える。やはり――と胸の奥で呟いた。

父上は淡々と続ける。


「今年は向こうの布陣が厚い。雪解けを待たず兵糧を運び込んでおる」

宰相が文書をめくり、軍務卿が腕を組む。

そして父上の視線が私に向けられた。


「レオン。そなたの意見は」


場の空気が動く。

私は姿勢を正し、言葉を選んで告げた。


「……この戦、私と親衛隊が参じるべきと考えます」


それが王族の責務――旗印として立ち、兵を鼓舞すること。

信じて疑わなかった理屈を、私は静かに口にした。


「殿下がご臨陣なされば、兵の士気は上がりましょう」

軍務卿が力強く頷き、空気が賛同へと傾く。


ただ一人、沈黙している者を除いて。

――アレン。


父上が問う。

「アルフォード。“秤”としての見立てを」


彼は一拍の間を置き、静かに答えた。

「よきご判断かと」


……何だと?


昨日――お前は“抜く時と意味を量れ”と言ったはずだ。

王族の剣に踏み込み、私の迷いを露わにしたくせに。

それが今になって“よき判断”とは。陛下に迎合したか。


抑えきれず、声が出た。

「貴様、昨日“戦場に出るな”と言わんばかりの口をしていたではないか」


苛立ちが滲んだが、彼は落ち着いたままだ。


「誤解なきよう、殿下。私は“王族の剣を止める”とは申しておりません」


その声は低く、静かに響く。


「申したのは、“剣を抜く時と意味を量らねばならぬ”という一点のみ。

 王族が戦場に立つこと自体を、否とは申しません」


――“時と意味を量る”。

その言葉が、昨日と同じ重さで胸に沈む。


「つまり、行くべき時なら行けと」

「……我が務めは量ることのみ。判断は高き方々がなされるべきかと」


量る――決めるのではなく。

ならば決めるのは誰だ。王族だ。


「出陣すべきか否かを、お前が言うのか」

「価値があるならば、殿下は出陣すべきです。危険は否めませんが……それでも、と」


“出陣すべき”。

五文字が、熱となって胸腔を打つ。


辺境の三男坊が、王族の剣に口を挟む。

怒りが喉を焦がす――だが、分かっていた。

それは怒りではなく、痛みだ。

私自身が、剣の意味に揺らいでいたから。


宰相が口を開く。

「しかしアルフォード殿、前線は押されておる。殿下の御臨陣は危険――」

「危険は否めません」


アレンは即答した。


「ゆえに量ります。効果と危険を。……軍務卿閣下、前線は崩壊しているのでしょうか」

「いや、そこまでは。押されている程度だ」

「ならば押し返す好機です。殿下のご出征は、価値を持つ」


宰相が眉をひそめる。

「それでも、危険は変わらん」

「後方に本陣を構え、“旗”としてお立ちになるのがよいでしょう。

 殿下が刃を交えずとも、旗の威は戦場を動かします」


“旗”――その一語が胸を打った。

王族は剣を抜いてこそ意味を持つと、そう信じてきた。

だが、旗もまた、戦を動かすのか。


軍務卿が頷く。

「なるほど、それなら危険は少なかろう。崩れれば退けばよい」


宰相が低く問う。

「それが秤の裁定か」

「……量るのみ、にございます」


秤は決めない。だが、決めさせる。

その沈黙の重さを、私は初めて理解した。


父上が私に視線を戻す。

「――レオンよ。秤の針をどう見る」


場の空気が一点に凝る。

昨日までなら、即答していた。「前線に立つ」と。

だが今は、胸の奥で針が揺れている。


“剣を抜く意味を量れ”――。

ならば、王族として果たすべきは何か。

剣を振るうことか、それとも旗を掲げることか。


……いや。


どちらかではない。

旗の下に剣を置く、それが今の私の答えだ。


「……わかった。前線には立たぬ。後方に本陣を置き、兵の顔を見、旗と声で支えよう」


その言葉が自然に口をついた。

静かで、確かな声だった。


「兵たちと話す場を設けてくれ。糧秣、寒さ、具足の不備――現場の声を聞きたい」

「承知いたしました」


宰相が立ち上がる。

「三日後に出る。殿下は前線一歩後ろ――旗の場所に立つ」

それだけで、十分だった。


父上が頷き、一言で締めた。

「よかろう。そう決する」


母上の睫毛がわずかに震えるのが見えた。


ふとアレンを見る。

表情は静かだ。

だが、眼差しの奥に微かな安堵が見えた気がした。

――まったく、憎らしいほどに平然としている。


会議が散じるとき、父上の声が再び響いた。

「――レオンよ。アレンも随行させよ」

「こやつも、ですか」

「うむ。戦場でのお前の振る舞い、秤として量らねばなるまい」


アレンがわずかに目を瞬かせた。

私もまた、内心で同じ反応をしていた。


――秤は、剣の側に立つのか。



廊下に出ると、冬の光が石床に薄く流れていた。

歩きながら、私は掌を見つめる。

剣を握るための手。

そこに残るはずの熱は、いま、静かに形を変えつつある。


刃を抜かずとも、威は届く。

旗が翻れば兵は進み、王の意志は隅々にまで及ぶ。

それは、斬る力ではなく、動かす力だ。


剣は速く、深く届く。

旗は広く、遠く届く。

今日、私は初めてその違いを自分の血で理解した。


――剣とは何か。

――旗とは何か。

――秤とは、何を測るのか。


問いは尽きない。

だが、問い続けることこそが秤の針を見つめることだと、今は分かる。


三日後、私は旗を立てる。

その下に、抜かれぬ剣の意味を刻む。

そして、“秤”を傍らに置く。


怒りの棘はまだ残る。

だが、針を見る眼は必要だ。

私の剣が、私の旗が、どこを向くべきか――それを量るために。


冬の光が、少しだけ強くなった気がした。

私は掌を握り直し、歩みを進めた。


剣と旗、その両方を携えて。

王族の務めを、もう一度、自らの言葉で結び直すために。


お読みいただきありがとうございます。


【次話予告】

「前線じゃなく旗の場所に立つ」と聞かされて、こっちは本気で“退き方”の勉強を始めました。

次回は王妃陛下視点で、五百年ぶりに動き出した“秤”を歴史と母親目線で眺めてもらいます。

当人の自覚はまだ「とばっちりで戦場行きになった人」くらいなので、そのズレも含めてお楽しみください。


次回の投稿は明日21時頃の予定です。


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