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第55話 王家の剣(ユリウス視点) ~側近の信仰~

王子を全肯定できる側近って凄いと思う。

灯の揺れがわずかに弱まり、部屋の冷たさが戻る。私は扉を静かに閉めた。廊下の風が、仕合の余韻をさらっていく。胸の棘はまだ残る。だが、その小さな痛みは、旗をまっすぐに保つための針でもあった。


回廊に出て足を止める。石壁に掌を当てると、冷えが胸のざわつきを沈めていく。殿下の問いは、勝敗の痛みからこぼれた独り言ではない。――「王家とは何だ」「剣とは何だ」。あの方は、ただ強くなりたいのではない。自分の剣が王家のために振るわれる限りにおいてのみ、強さに意味があると信じておられる。そのことを、私は疑ったことがない。


幼いころから、殿下はいつも武に向かっていた。誰より早く稽古場に現れ、誰より遅くまで木剣を握りしめていた。その背中を見上げながら、私は何度も思った――この方は、王族であることを決して享楽と結びつけられぬお方だ、と。剣を好まれるのも、血筋の証としてではなく、「王家の務めを果たすために自分に許された唯一の形」だと受け止めておられるからだ。


侍講は繰り返した――「王は迷いを見せぬ」。それは冠の内側だけに響く音だ。私は王族ではない。それでもその規矩は、王のそばに仕える者にも叩き込まれた。だが殿下は、その規矩から逃げるために剣に傾いているのではない。迷いを胸の奥に押し込み、その重みごと刃に通そうとしておられる。冠の重さを他人に預けるのではなく、自分の筋肉と骨で支えようとしておられるのだ。


だからこそ、殿下の武への傾倒を、私は好ましく思っている。王子である以前に、一人の武人として立とうとされるその在り方は、王族としての自覚の証そのものだ。もし剣以外のもの――酒や遊興や噂話――に没頭されるお方であれば、私の務めは殿下を戦場から遠ざけることになっていただろう。だが殿下が求められるのは、常に「王家の剣」としてのあり方であって、自ら一人の男としての安楽ではない。私は、その偏りを信じている。


剣に自分を縛る王は、ときにそれ以外の力を借りることを忘れる、と人は言う。だが殿下に限っては、その心配を真正面から抱く気にはなれない。あの方は、刃を研ぎ澄ませるほどに、「この剣は誰のためか」を確かめようとされるお方だ。武へ沈み込むほど、むしろ王家としての輪郭を、自らに刻み直しておられる。


殿下はいま、見落とさぬための迷いを手にしておられる。剣を手放すための迷いではなく、剣を王家の剣として持ち切るための迷いだ。あの呼吸は弱さではない。「自分の傾倒は、本当に王族として筋が通っているか」と確かめるための一拍だ。殿下は、必ずそこから正しい歩を選ばれる――そう信じて疑わぬこと、それが私の信仰だ。


廊下の先に目をやり、侍従に短く告げる。

「今夜の来訪は断て。明朝の報告は要点三行に絞れ。文官の具申は正午まで止めよ」

問いの芽は雑音で潰させない。殿下がご自身の中に順序を組まれるまで、外から言葉を重ねさせぬ――それが、今できる最も具体の護りだ。


側近の務めは、答えを教えることではない。問いの形を壊させないことだ。外から投げつけられる正論は、しばしば未熟な問いを粉砕する。粉々になった破片を集める余裕を、王は持てない。ならば、そもそも余計な石を投げ込ませぬよう、庭の塀を一晩だけ高くしておけばいい。


机の書類を思い起こす。戦後処理、褒賞、捕虜の扱い。途中まで整えた起案の余白に、私は小さく記す――「選は殿下、拍は私」。答えは用意しない。だが段取りは整える。筋があれば殿下の自問は散らずに進む。なければ問いは人心に広がって乱れる。


王家の歴史には、剣だけが語られる夜が幾度もあった。先王が若き日、近衛の進言を退けて突撃を選び、結果として敵将の首を刎ねた戦がある。年代記は、その決断を英断と記す。だが、古い記録庫の片隅には、あの夜、進言を退けられた近衛が書き付けた覚書が残っている。――「王は迷い、しかし迷いを外へ出さなかった。そのかわり、我らにすべてを出された」。


剣だけを見れば、それは王の勝利だ。だが、拍を知る者には、あれは王と側近の共同の一太刀だった。王が迷いを外に漏らさず、内側で燃やし尽くすかわりに、その熱を受け止める鞘が必要だった。鞘が焼け焦げても、刃が保たれるなら、それでよいと信じる者が。


窓外に目を遣る。中庭の焚き籠は消え、夜番が二十歩ごとに踵を返す。折り返す靴音が同じ拍で戻る。私はその律に呼吸を合わせ、歩み出す。明朝は問いを広げぬ。伺いは一度だけ、急要のみ上げる。残余は正午まで退ける。剣を鈍らせるのは迷いではない。場違いの議論と段取りの遅れだ。


私が初めて殿下の側近に任ぜられた夜、先王は短く言われた。――「この子は王家の剣だ。お前たちは鞘であり、吊り紐であり、油であり、砥石だ。だが刃ではない」。そのときはまだ、その言葉の意味を半分も理解していなかった。剣を守るなら、自分も刃にならねばならないと信じていたからだ。


今は違う。刃は一振りでよい。刃が二本あれば、いつか交わる。王と側近が互いに刃を抜き合うとき、その音は必ず王国のどこかを割る。だからこそ、側近は刃になってはならない。鈍く、地味で、折り捨てられても惜しまれぬ部位であるほうがよい。


私は自分の務めを言葉にして確かめる。――側近は刃ではない。刃の鞘だ。抜く時は遅らせも早めもせず、戻す時は傷つけない。殿下が自問を携えたまま歩けるよう、路を片づけ、雑音を止め、拍だけを残す。誉を掲げるとは、列の先頭に立って振りかざすことではない。誉を濁らせず、殿下の時間を守ることだ。


私は歩を速める。侍医に休息の段取りを命じ、近衛には夜番の交代を一刻早めさせる。明朝の剣稽古は一度白紙にする。代わりに簡潔な報告と静かな朝食を置く。殿下の胸中で組まれつつある順序が壊れぬように。


廊下の角を曲がる手前で、ふと足を止める。壁にかかった古い絵画に目が留まった。戴冠式の場面。王冠と並んで捧げられる一振りの剣。その傍らには、名も記されぬ近衛の影が描かれている。剣を支える手だけが、薄く金で縁取られている。絵師は知っていたのだろうか。王家の剣は、王一人では掲げられないことを。


私はその影に、少しだけ自分の姿を重ねる。もしも殿下が「王家とは何だ」と問われるなら、私の答えは一つだ。王家とは、この国が「まだ続いてよい」と信じるための一つの形だ。そして王家の剣とは、その信じる形を、必要なときだけ具体の力に変える道具だ。


だが、その答えを殿下に渡すつもりはない。王家の意味は、王自身が決めるべきだ。側近の信仰は、その決断に先回りして形を与えることではない。ただ、その決断が撓まず届くよう、周囲を整えることだ。殿下がどのような答えを選ばれても、その拍を乱さぬように支えることだ。殿下が誤たれる日がもし来るとしても、その誤りごと背負う覚悟を、私はすでに持っている。


扉の前で一度だけ振り返る。灯は低く、部屋は静かだ。外から見れば、敗北後の王子が膝を抱いているだけかもしれない。だが私は知っている。あの静けさの奥で、言葉にならぬ問いが何度も形を変え、王家の内側に新しい線を引こうとしていることを。


私は心の中で短く礼を取る。――殿下、問いを持たれるがよい。答えは急がれますな。拍は私が保ちます。たとえこの身が磨り減り、鞘としての形を失う日が来ようとも、そのとき王家の剣が鈍らずにいれば、それで十分だ。




お読みいただきありがとうございます。


【次話予告】

王子の迷いに一拍分の間をくれる大人たちを見てしまい、秤も気軽にサボれなくなりました。

次回はいきなり御前会議、北境だの親征だの物騒な単語の真ん中に座らされます。

あの円卓の椅子、出世席というよりデスゲームの参加証に見えているのは内緒です。


次回の投稿は明日21時頃の予定です。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★

【皆様へのお願い】


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