第47話 輔弼近衛は呼び出される(宰相視点) ~秤を置く者~
秤は斃れなかった。次は重しを載せる番だ・・・折れてくれるなよ。
――「王族の傍らに立ち、その歩を支え、護る。誤ればその場で諫め、なお止まらぬなら剣の鈍で押し留める」。
第十五代アウレリオン王が遺した『輔弼近衛創設之詔』の一節が、いまさらながら脳裏を離れぬ。六卿会議で繰り返し口にした言葉だ。埃をかぶっていた古詔を、五百年の空白を経て、机の上に引きずり出した。
予想どおりに諸卿は反発した。近侍で足りる、王を止める臣など王威の否定だ、費用は誰が負担する、儀礼が崩れる――四方から矢が飛んだ。
だが、それは矢ではなく、自らの車輪の外に、誰の指揮にも従わぬ者が立つことへの怯えにすぎぬ。表に出す言葉は違っても、腹の底で恐れているのは同じだ。いずれその手が、王だけでなく自分たちの歩も量るのではないかと。
儂は言った。「その手は、王族のための手だ」と。「王権を削ぐためではなく、守るための秤だ」と。
秤は内政に干渉せぬ。政庁の車輪に指一本触れぬ。だが王族が暴れ出したときだけ、その腕を取り、道を遮る。独断専行を許す。線を踏めば責は王宮が負う――その条件で、諸卿は最後には首を縦に振った。
儂は言った。「その手は、王族のための手だ」と。「王権を削ぐためではなく、守るための秤だ」と。
秤は内政に干渉せぬ。財も法も軍も、いずれの車輪にも指一本触れぬ。ただ王族直属の手として、王族が暴れ出したその瞬間だけ、袖を掴み、腕を取る。独断専行を許す。
線を踏めば責は王族が負う――そこまで言い切って、ようやく諸卿は首を縦に振った。
――王の忠には秤の重さを添え、諸卿の牙には鈴の響きを。
それが、この制度の本質であり、儂の狙いでもある。
王族の歩を留める手であると同時に、諸卿の足をも正す響き。
それが鳴れば、王も臣も均衡を踏み外せぬ。だが、制度を定めただけでは秤は動かぬ。器がなければ、量ることもできぬ。
その若者が、昨日、玉座の前で跪いた。アレン・アルフォード。
辺境の三男坊でありながら騎士学校を首席で卒業した者だ。膝をつく角度も息を飲む回数も粗削りで、決して完成された姿ではない。
だが、潰れず、逃げず、立っていた――それだけは確かだった。
五百年、竹簡の内に眠っていた詔が、ようやく「人」という形を得た。空位であった座は、今まさに血と骨を伴おうとしている。
あとは、その身に初めての試練を与えるだけだ。
――初務は軽くない。いや、最初から軽い務めなど与えるつもりはない。
◇
≪宰相府執務室≫
扉が軽く叩かれた。入室を許すと、若者が姿を現す。背筋はまっすぐだが、足取りはわずかに固い。緊張と怯えが混ざっているのが、遠目にもわかる。だが、それでよい。最初から揺るがぬ秤などありはせぬ。揺れて、迷って、それでも倒れずに立つ――その繰り返しの果てにこそ、形を得る。
「――よく来たな、アルフォード殿」
「は、はい」
声が上ずっている。無理もない。先日までは騎士学校の生徒、今日からは初の「輔弼近衛」だ。
「“秤”の初務として頼みがある」
儂は机上の地図に指先を這わせた。国境線をなぞりながら、脳裏には一人の王子の姿が浮かんでいる。この線の向こうへ踏み出そうとしているのが、ほかでもないあの方だからだ。
この国の歩みを量るということは、いつだって人の歩を量ることだ――王族の歩を、だ。
「第一王子、レオン殿下のことだ」
「はっ?……第一殿下、ですか?」
「殿下は近年、武に傾きすぎておられる。自ら親衛隊を組織し、軍事訓練に歳費を投じ、さらに隣国との戦場に自ら赴くと仰せられた」
「戦場……に、ですか」
武勇は王族の美徳であろう。――だが、王族が出ればそれは『親征』だ。小競り合いでは済まん。場合によっては、全面戦争になる」
「王統の血が剣を執るという事実は、敵にも味方にも『開戦』と受け取られる。一度歯車が回り出せば、それを止める手は今の王国にはない」
若者の顔が一瞬でこわばった。名だけの言葉が、ようやく現実の重さを伴って胸の内に沈んだのだろう。
「“秤”とは、ただ理を量るだけの存在ではない。時に、王族すら量り、止める役でもある」
「………………」
「初務として、貴殿に頼みたい――殿下を止めていただきたい」
「……止める、ですか。俺が?」
「そうだ。剣ではなく、理で。力ではなく、“秤”としての言葉と姿勢でだ」
奴の瞳に迷いが浮かび、やがて深く沈んでいく。蒼ざめた頬の奥で、何かが形を取りはじめていた。。
「勘違いするな、アルフォード殿。貴殿は儂の配下ではない。これは命令ではない――“依頼”だ。いや、“懇願”でもある」
一拍の沈黙ののち、若者は静かに口を開いた。
「……承りました」
その言葉に、儂は深く頷いた。よい。これで秤は歩き出す。
「よい。殿下には、今日これから“秤”を紹介する場を設けてある。共に来てもらおう」
顔は蒼白だが、足は震えていない。細くとも、芯はまだ折れていない。
◇
≪王太子府控えの間≫
第一王子レオンはすでに控えていた。背筋は槍のように伸び、瞳はまっすぐ前を射抜いている。あれは王家に連なる者の矜持であり、時に、王権そのものを揺るがす刃を孕む。
「殿下、既にご存知でしょうが、こちらが輔弼近衛――アレン・アルフォード殿です」
空気がわずかに張りつめた。王族が臣を『量る』視線――これを受け止められなければ、“均衡”を支える資格はない。
「……こいつが、“秤”とやらか」
「ずいぶんと細いな。護衛も任と聞く“輔弼近衛”にしては、貧相だ」
儂は口を開かなかった。守らぬと決めていた。量られる痛みを知らねば、“均衡を測る手”にはなれぬ。
「俺は武を尊ぶ。剣こそが王の証であり、王家の誉れだ」
「“秤”が王族を止めるというなら――剣を持って止めてみろ」
それは挑発ではない。“宣戦布告”だった。儂はただ、若者を見た。ここから先は、他の誰の手も届かぬ領分――“秤”が己で歩む場だ。
◇
≪宰相府執務室(その夜)≫
――青年は、思ったよりも静かに立った。
怯えも迷いもあったが、「承りました」と口にした。逃げなかった。それで十分だ。
務めというのは、初めから出来上がっているものではない。量り続け、揺れながら、やがて“秤”へと育っていく。
次は“重し”を載せる番だ。
殿下は必ず剣で量ろうとする。ならば、こちらも剣で応じさせる。均衡を担う者に、最初の試しとして刃の重みを与えてみせる。
それで潰れるなら、それまでのこと――礎が足りなかったというだけだ。
だが、それでもなお立つのなら。あの若者は、きっと折れぬ。
五百年、空席であった座が、ようやく人と噛み合おうとしている。制度は形だけでは動かぬ。魂を得てこそ、血肉となって歩き出す。
王族の歩を止める手が立つのか。
それとも、その手が折れて、再び空白が続くのか。。
答えは、剣の一閃の先にある。
――“秤”が初めて王族を量る日が、すぐそこまで迫っている。
剣と理とが相まみえる刻は、すでに遠くの地平に姿を現している。
お読みいただきありがとうございます。
【次話予告】
皆様いかがお過ごしでしょうか、アレンです。
俺はといえば……気がついたらなぜか演習場で第一王子殿下と剣の仕合をすることになりました。
「護衛の剣をお見せします」って豪語しておきながら……やらかしちゃったかも知れません。
次回の投稿は明日21時頃の予定です。
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