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第44話 輔弼近衛の1日は続く (アーガスト・レリア視点) ~見守る視線~

アレンが無事に戻ってきた・・・私たちにできることは場を整えることのみ。

夕餉前の食堂は、いつもと変わらず湯気と香草の匂いに包まれていた。皿の重なる音も、下働きたちの歩みも、毎日と同じだ。けれど今夜、その同じ風景の奥に、薄く張り詰めた糸のような気配が漂っている。


――“内”に呼ばれた者が、初めて“外”へ戻ってくる夜だ。


私は入口近くの位置に立ち、皿の往来や通り道の余白、人と人の間合いの取り方を無意識に計りながら、場の様子を見渡していた。隣に立つレリアは、鍋の蓋から上がる湯気の具合や、給仕の手の動き、卓を囲む人々の呼吸の浅さを目で追っている。


扉が開く。少年が現れた。膝にはまだ硬さが残り、顔には疲労の影が差している。それでも、足は一歩も退いていなかった。たとえ細い歩幅でも、彼は“前”へ進んでいる。


「……ちゃんと戻ってきたわね」


レリアが吐息のような声で言った。

声音には安堵と、胸の奥に沈む小さな震えが混じっている。


「ああ。そして、もう“戻る前”のあの子ではない」


私の言葉は、事実の確認に近い。

彼は今日、“秤”として王族の前に立った。呼称や肩書だけでなく、立つ位置そのものが変わったのだ。


卓の手前で彼は一度立ち止まる。周囲の笑い声や器の音が、彼にだけ遠く感じられているのがわかる。


「居場所を探している顔ね」


レリアが呟く。彼女の目は人の内側の揺れに敏感だ。肩の動きや呼吸の速さ、視線のさまよいから、迷いや戸惑いの輪郭を読み取っている。


「どこに立てばいいのか、まだ掴めていない」


私も同じことを感じていた。だが、それは“内”に足を踏み入れた者が必ず通る段階だ。居場所を探しているということは、まだ“立つ”ことを諦めていない証拠でもある。


      ◇


「で、初謁はどうだった?」


声をかけたのはラースだった。彼の軽口は、この場に差し込む風のような役割を果たす。アレンはわずかに息を呑み、「どうだった、って言われても……」と答えを濁した。


――それでいい。あの場は言葉で整理できるものではない。言葉にすれば、重さが軽くなってしまう種類の出来事なのだ。


私たちは会話の細部すべてに耳を傾けようとはしなかった。

外側にいる者が踏み込めない領域があることを、私もレリアもよく知っている。

だが、それでも耳が自然と向いてしまう言葉があった。


「……王族全員に、紹介されました」


その瞬間、私もレリアも同時に動きを止めた。


「全員?」

私の口から、思わず声が漏れる。


「“全員”なんて、普通は何季節もかけて一人ずつ会っていくものよ」

レリアの声は驚きとともに、心の奥に沈む“冷え”の色を帯びていた。

経験のある者だけが知っている。順序というものが、人の心に与える安定の大きさを。


全員と対面した――その一言は、少年が “外”の庇護から外れ、“内”の秩序の中に置かれたことを意味する。儀礼は形を与え、形は位置を定め、位置はやがて権限を示す。


「卒業だな」


ラースの声が届く。囲いは外れた。囲いの外に出た者には、もはや囲いの風は届かない。


「……痛いです。すごく」

少年の声が落ちる。

「痛いってことは、ちゃんと背負ってるってことだ。逃げてる奴は痛みなんざ感じねぇ」


内側の者は「痛み」と呼ぶ。だが外から見れば、それは圧の存在を自覚した証でもある。

圧を感じなくなった秤は、もはや測れない。


「消してあげられないものって、あるのね」

レリアが囁く。


「ああ。こちら側から手を出せば、均衡そのものが歪む」

私は冷静に応じる。

外の者が“内”の圧に直接介入すれば、針は本来の位置からずれてしまう。それでも外の仕事は残る。圧そのものを消せなくても、圧を受ける場を整えることはできるのだ。


      ◇


「明日から“初務”なんだろ?」

「……はい。でも、何をすればいいのかまるでわかりません」

「それでいい。“秤”ってのは、最初からわかってる奴がやるもんじゃねぇ。“わからねぇ”なりに立って、見て、聞いて、考えるんだ」


“わからないまま立つ”――それは、秤の初手として正しい。

だが、その“立つ”という行為は、地面が安定していなければ続かない。

私は、足場がどこで揺れるかを無意識に数え始めた。

器の配置、通る人の間隔、耳に届く声の高さ――どれもが微妙な揺らぎになり得る。


レリアも静かに動き始める。湯気の厚さをわずかに調整し、注ぎ足す音を抑え、視線がまっすぐ刺さらないよう椅子の向きをほんの数度だけ変える。


――まっすぐな視線は刃になるけれど、少し斜めならそれはただの風。

彼女はそう言葉にしない。ただ、その動きが“守り”の言葉だった。


私も、胸の内で“明日の段取り”を描き始めていた。


――まず、王族の出入りと少年の行き先がぶつからぬよう、時刻を半刻ずらす。

――次に、周囲に立つ者たちの配置を見直し、視線と声の粗さが揃うようにする。

――そして、不要な待機や空白を減らし、少年の呼吸が乱れる余地を与えない。


これらは些細な調整だ。

だが、それこそが外の仕事であり、器の姿勢を保つ術でもある。


机が傾けば、どれほど正確な秤でも針は狂う。ならば、机を傾けないようにするのが私の責務だ。



お読みいただきありがとうございます。


【次話予告】

最初の一歩が崩れない地面、余計な視線が走らない廊下、短い息継ぎの場、長く保つ空気。

アレンが“内”で均衡を量るなら、私たちは“外”で器を支える。



次回の投稿は明日21時頃の予定です。


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