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第42話 輔弼近衛の1日は続く(ラース視点) ~秤を測る者~

こいつは大物なのか、ただのマヌケなのか・・・どっちでも変わらない気がするが。

足音でだいたい見当はつく。石床の上で、まだ靴が場に馴染んでいない音。軽いのに、力が抜けすぎて膝が笑ってる。


城の食堂の扉が押し開くたび、煮込んだ根菜と肉脂の匂いが一段濃くなり、ざわめきが寄せては引く。そこへ、青い顔の新入り――昨日近衛になったばかりの小僧が戻ってきた。俺は気配を消して新入りの後ろに回り込んだ。


「ラースさん」


よしよし、教えたことはちゃんと理解しているようだ。

俺は顎で向かいの椅子を示して、肩の力を抜かせるように、まずは軽口から入る。


「お、音を聞き分けるってのを、もう覚えたのか」

「知り合い少ないですから」

「……まあ、そのうち増えてくるさ」


そのうちってのは、味方が増えることもあれば、敵が増えることもある。どっちに転ぶかは、今日の立ち方次第だ。

腰を下ろした小僧は、背もたれとの間に微妙な距離を空ける。逃げ道を残す座り方。騎士の基本は身にしみているようだ。


    ◇


俺はパンを割り、湯気で指を温めながら顔色を見てやる。


「顔色は……まあ、生きてるな」

小僧の肩がわずかに落ちた。生きて帰ったと他人に言ってもらえるだけで、救われる夜もある。


「……なんとか、です」

座らせたら、肝心の話を引き出す。重い荷物は、座ってるうちに口の端からこぼれる。


「で、“初拝見”は、どうだった?」

「どうだった、って言われても……」

言葉が出ねぇ顔してやがる。上で何か重てぇことでも言われたんだろ、まだ飲み込みきれてねぇって面だ。


「あの……ラースさん、ひとつ教えてください」

「ん?」

「陛下に声をかけられたときって、何て答えるのが正解なんですか?」

「は?」

「“はい”とか“かしこまりました”とか“承知いたしました”とか……違う気がして。どれが正しいんでしょうか」


――そこを迷えるのは、良い。礼を軽く見る奴は礼を間違える。


でも、先に笑いが出た。悪いな、笑わせろ。


「お前、そこ迷ったのかよ!」

「迷いますよ! 間違えたら不敬って言われるかもしれないじゃないですか!」

「ぶはははははっ!」


手が震えてやがる。……まだ折れちゃいねぇな。

よし、ここはひとつ、先輩らしく一言くれてやるか。


「いいか、新米。“近衛”の返事は二つだけだ」


指を二本立てる。


「“承りました”と“すぐに”だ」

「……すぐに?」

「何かやれって言われたら“承りました”だ。不機嫌そうな顔をしてきたら“すぐに”だ。近衛に『いいえ』って返事はねぇ」

「……え、無茶振りされてもですか? 難易度高くないです?」

「それが仕事だ。仕方ない」


ここまでが“いつもの新入り”なら、今日の俺の役は終わり。パンとスープで締めて、それぞれの夜勤に散っていく。


    ◇


だが――今日は、その先があった。

パンをちぎる手を止めて、問い直す。


「で、今日は何があった?」

「えっと……王族全員に、紹介されました」


危うくスープを吹き出すところだった。


「…………は?」

「陛下と王妃様と、王子殿下と王女殿下、全員です」


……王族はときどき平然と無茶をする。


「……マジで?」

「マジです。全員揃った状態で、俺、ソファの端に座ってました」

「王族の前で『ソファ』に座った?」


座らせたってことは、“場所を与えた”ってことだ。それも王族と並ぶ席をな。

天井の梁を一度見上げて、息を吐く。



「卒業だな」

「え、え? 卒業って何です?」

「俺が教えられること、もう何もねぇってことだよ……」

からかい半分、本気半分。いや、八割は本気だ。


“王族全員と対面”ってのは、本来は年単位で信任を積んで、ひとりずつ順番にやっと会える類いのもんだ。それを初日にまとめて、席まで用意される。前例がない。あるなら俺が知ってる。


「王族ってのはな、普通は年単位で信任を積んで、ようやく一人ずつ会えるもんなんだぞ。それを初日でまとめてって、聞いたこともねぇ」

「え、そうなんですか?」

「そうなんです、じゃねぇ。初陣で敵の本陣に単騎突入したみたいな話だぞ、それ」

「……本陣」

「近衛初任務ってのは、たいていが“王子殿下の書簡を届けろ”とか、“王女殿下の外出に付き添え”とか、その程度だ。……それがいきなり“王族一堂に会す儀”だと? お前、もう別の舞台に立ってんだよ」


小僧の喉がひくつく。ちゃんと怖がれ。怖がれたら、越える準備が始まる。


「よし、決めた。今日から俺は“先輩”じゃねぇ。“野次馬”だ。あとは勝手にやれ」

「いやいやいや、それ無責任すぎません?」

「無責任じゃねぇ。もう教えようがねぇんだよ、マジで。お前が踏み込んだのは、俺らの知らねぇ領分だ」


「知らねぇ」と認めるのは、年長者の役目だ。何でも知ってるふりをすると、若いのが死ぬ。


「……そんな場違いな場所に突っ込む羽目になるだなんて、思ってませんでした」


……ちゃんと、自分の立ち位置ってもんをわかってやがる。

ここで甘やかすのは違うだろう。正直に、必要なだけの重さを渡す。


「そりゃそうだろ。“秤”なんての、誰もやったことがねぇ仕事だ。……正直、俺だって何すりゃいいのかなんて、わかっちゃいねぇ」

「……はい。今すでに胃が痛いです」

「“志”とか“理想”だけじゃ務まらねぇ。肝が据わってねぇ奴は、あっさりと潰れる」



     ◇


言いながら、自分の初任の夜を思い出す。第一王子の背に立つだけで、一週間は毎晩、胃が焼けた。

パン屑を指先で弄びながら、ほんの一滴だけ情を垂らす。


「……ま、同情はしてるよ」

「え?」

「昨日近衛になったばかりの新入りが、“秤”だろ? どんな巡り合わせだよ。……やってらんねぇって思って当然だ」


茶化しでも突き放しでもない温度で言う。

ちゃんと痛がってるやつには、ちゃんと届く温度がある。


「俺の初めての任は、第一王子殿下の背後に立つだけだったが、それでも一週間はビビってたよ。それが、お前は初日で“王族全員と対面”だ。……そりゃ、胃も痛ぇよな」

「……はい。痛いです。すごく」

「けどな」


ここは決める。言葉は軽く、芯は重く。


「痛いってことは、ちゃんと背負ってるってことだ。逃げてる奴は痛みなんざ感じねぇ」

「……そんなもんですかね」

「そんなもんだ。だから、痛ぇならそれでいい」


立ち上がって、肩を軽く叩く。線は細いが筋肉はついている騎士の体だ。折れやすいが、しなりもある。折るのも伸ばすのも、これからの立ち方次第だ。


「明日から“初務”なんだろ? 王子女たちと行動を共にしろって言われたんだろ?」

「……はい。でも、何をすればいいのかまるでわかりません」

「それでいいんだよ。“秤”ってのは、最初からわかってる奴がやるもんじゃねぇ。“わからねぇ”なりに立って、見て、聞いて、考えるんだ」


言うべきことは言った。あとは見物――“野次馬”の仕事だ。

食堂のざわめきが、いつもの距離に戻る。俺は振り返らずに歩き出す。背中は見せる、手は出さない。必要なときには忠告くらいはしてやるさ。それで十分だ。


明日、こいつは王子女たちのそばに立つ。

“秤”の仕事は、理想だけじゃ立てねぇし、理想なしでも立てねぇ。肝を据えた理想ってやつは、面倒で、重ぇ。それを、この新米がどうやって自分の体に納めるのか。


見たいとは思う。巻き込まれたくはないが。

野次馬の特等席は、たいてい、半歩うしろだ。


お読みいただきありがとうございます。

ブクマと評価いただきました。本当に嬉しいです。


【次話予告】

ラースの独り言

輔弼近衛ってのは大変な役回りらしい。逃げ出して正解だった。

しかし折れていないこいつも凄い。

アドバイスできることはないが、背中くらいは見守ってやる。

……だから俺を巻き込んでくれるなよ。


次回の投稿は明日21時頃の予定です。


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