第41話 輔弼近衛の1日は続く ~ラース、大笑いする~
ラースさん・・・・信じていたのに。
――終わった、と思っていた。
控えの間を出たとき、膝が勝手に笑って、肩の力が抜けた。あれだけ濃密な時間を乗り越えたんだ。今日はこれで終わりだろう、と。
……甘かった。現実はまだ続いていた。
城の食堂に戻ると、パンとスープの匂いが鼻をくすぐる。煮込まれた根菜の香りに、肉の脂の温かい匂い。普段ならそれだけで腹が鳴るところなのに、今は胃がどんよりと重い。
とにかく座って落ち着こうと足を進めると、背後に人の気配がした。
「ラースさん」
「お、音を聞き分けるってのを、もう覚えたのか」
「知り合い少ないですから」
「……まあ、そのうち増えてくるさ」
気の毒そうな顔をした……気のせいじゃないと思う。
「顔色は……まあ、生きてるな」
昨日初めて会ったばかりの人だが、俺にとってはすでに「唯一の頼みの綱」だ。近侍近衛としての立ち居振る舞いや心得を教えてくれたのは、彼だけだった。正直、今の俺が頼れる人間は、この人しかいない。
「……なんとか、です」
横並びで席に腰を下ろすと、ラースさんは軽く聞いてきた。
「で、“初拝見”は、どうだった?」
「どうだった、って言われても……」
(軽いなぁ……俺、今しがた胃が裏返るような場面から帰ってきたばかりなんですけど)
まだ耳の奥では、“外から量れ”だの“三徳”だの“線を引け”だのという言葉がぐるぐる回っている。どれも重すぎて、形にもできない。
それでも、今のうちに聞いておかなければならないことがあると思った。
「あの……ラースさん、ひとつ教えてください」
「ん?」
「陛下に声をかけられたときって、何て答えるのが正解なんですか?」
「は?」
「“はい”とか“かしこまりました”とか“承知いたしました”とか……違う気がして。どれが正しいんでしょうか」
真剣に聞いたつもりなのに、ラースさんは一瞬目を瞬かせたあと、いきなり吹き出した。
「お前、そこ迷ったのかよ!」
「迷いますよ! 間違えたら不敬って言われるかもしれないじゃないですか!」
「ぶはははははっ!」
笑いすぎだ。涙出して笑ってるし。
「いいか、新米。“近衛”の返事は二つだけだ」
ラースさんは指を二本立てて見せた。
「“承りました”と“すぐに”だ」
「……すぐに?」
「何かやれって言われたら“承りました”だ。不機嫌そうな顔をしてきたら“すぐに”だ。近衛に『いいえ』って返事はねぇ」
「……え、無茶振りされてもですか?難易度高くないです?」
「それが仕事だ。仕方ない」
軽く言うけど、できる気がしない。
◇
俺が頭を抱えていると、ラースさんはパンをちぎりながら、ふと真顔になった。
「で、今日は何があった?」
「えっと……王族全員に、紹介されました」
その瞬間、ラースさんの動きが止まった。
「…………は?」
「陛下と王妃様と、王子殿下と王女殿下、全員です」
沈黙。パンを持った手が空中で止まる。
「……マジで?」
「マジです。全員揃った状態で、俺、ソファの端に座ってました」
「王族の前で『ソファ』に座った?」
やがてラースさんは天井を仰ぎ、大きなため息をついた。
「卒業だな」
「え、え? 卒業って何です?」
「俺が教えられること、もう何もねぇってことだよ……」
冗談っぽい口調なのに、どこか本気だった。
「“王族全員と対面”ってな、普通は年単位で信任を積んで、ようやく一人ずつ会えるもんなんだぞ。それを初日でまとめてって、聞いたこともねぇ」
「え、そうなんですか?」
「そうなんです、じゃねぇ。初陣で敵の本陣に単騎突入したみたいな話だぞ、それ」
「……本陣」
「近衛初任務ってのは、たいていが“王子殿下の書簡を届けろ”とか、“王女殿下の外出に付き添え”とか、その程度だ。……それがいきなり“王族一堂に会す儀”だと? お前、もう別の舞台に立ってんだよ」
(……いや、そんなつもりはまったくなかったんですけど)
◇
戸惑っている俺を見て、ラースさんは肩をすくめた。
「よし、決めた。今日から俺は“先輩”じゃねぇ。“野次馬”だ。あとは勝手にやれ」
「いやいやいや、それ無責任すぎません?」
「無責任じゃねぇ。もう教えようがねぇんだよ、マジで。お前が踏み込んだのは、俺らの知らねぇ領分だ」
「……そんな“場違いな場所”に突っ込む羽目になるだなんて、思ってませんでした」
「そりゃそうだろ。“秤”なんての、誰もやったことがない仕事だ。俺だって何をすればいいのかわからん」
「……はい。今すでに胃が痛いです」
「“志”とか“理想”だけで務まるもんじゃねぇ。肝が据わってねぇと潰れる」
それはあまりに正直な言葉だった。あまりにも正直すぎて少し腹が立ったのは内緒だが、むしろ――少しだけ、救われた気がした。
ラースさんはパンの欠片を指でいじりながら、ぼそりとつぶやいた。
「……ま、同情はしてるよ」
「え?」
「昨日近衛になったばかりの新入りが、“秤”だろ? どんな巡り合わせだよ。……やってらんねぇって思って当然だ」
その声には、茶化すでも突き放すでもない、静かな温度があった。
「俺の初めての任は、第一王子殿下の背後に立つだけだったが、それでも一週間はビビってたよ。それが、お前は初日で“王族全員と対面”だ。……そりゃ、胃も痛ぇよな」
「……はい。痛いです。すごく」
「けどな」
ラースさんは笑った。さっきまでの軽口とは違う、少しだけ本音の混じった笑みだった。
「痛いってことは、ちゃんと背負ってるってことだ。逃げてる奴は痛くもねぇ」
「……そんなもんですかね」
「そんなもんだ。だから、痛ぇならそれでいい」
そう言って、ラースさんは立ち上がり、俺の肩を軽く叩いた。
「明日から“初務”なんだろ? 王子女たちと行動を共にしろって言われたんだろ?」
「……はい。でも、何をすればいいのかまるでわかりません」
「それでいいんだよ。“秤”ってのは、最初からわかってる奴がやるもんじゃねぇ。“わからねぇ”なりに立って、見て、聞いて、考えるんだ」
そう言い残して、ラースさんは去っていった。
残された俺は、冷めかけたスープを見つめながら、深く息をついた。
(……終わってないんですね)
今日が「終わり」ではなく「始まり」だった。
それに気づいた瞬間、食堂のざわめきが少しだけ違って聞こえた。
パンの匂いも、鍋の湯気も、さっきよりずっと現実味を帯びている。
(……母上は「逃げて生き残りなさい」って言っていたんだけどなぁ)
胃のあたりが、じわっと重くなる。
けれど、逃げる場所はどこにもない。
(……逃げられないんだよな)
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(狂喜乱舞しておりますw)
【次話予告】
典型的な田舎貴族の子弟だと思っていたが、意外と大物だったらしい。
俺にできることは見守ることと巻き込まれないようにすること。
次回の投稿は明日21時頃の予定です。
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