第38話 輔弼近衛は信任される(国王視点) ~王は善く誤解する~
俺の困惑が陛下には“感激の震え”に翻訳されたらしい……ポジティブなお方
――控えの間に、静けさが戻ってきたのは、茶器が卓に触れた小さな音のあとだった。
先ほどまでの張り詰めた空気が、少しずつほぐれていく。
……いや、正確には、まだ一人だけ呼吸が整っていないようだ。
ソファの端で背を丸めている若者――アレン・アルフォード。
辺境の子爵家の三男として育った彼にとって、この王宮の奥、王族と並んで座るというのは想像もしなかった光景だろう。
それも無理はない。今日、彼はこの国で五百年も空席のままだった重職「輔弼近衛」に任じられるのだから。
――嬉しさのあまり、体が硬直してしまっているのだろう。
そう思うと、なんとも微笑ましく、胸が温かくなる。
「続きを話そう」
私は声を落とす。低く、しかし確かに届くように。
アレンの背がぴくりと跳ねる。うむ、よほど緊張しているのだな。――よい。大任を前にした者の証だ。
「かつて我が国は、三度滅亡の淵に立たされた」
私は指を三本、ゆっくりと立ててみせる。彼の目がそれを追っている。
そう、まずはこの国の歴史を知ってもらわねばならない。そこに己の歩む道があるのだから。
「一つ、『南原之乱』。王弟が王統の正を唱え、王都へ兵を向けた内乱だ。王権と法が裂け、誰一人、その裂け目を縫おうとする者はいなかった」
彼の目が丸くなる。
――ほう、よほど感動しているのだな。「この国のために、自分がその裂け目を縫うのか」と、もう心の準備を始めているのかもしれない。
「二つ、『飢歳之禍』。天は雨を惜しみ、倉は空になり、民は飢えて道に倒れた。王族の中には宴を張り穀を秘す者も現れたが、誰もそれを止めなかった。止むべきを止めず、断つべきを断たず、秩序は崩れ、十七の邑がそれぞれに政を行った」
眉が寄る。
――うむ、その顔は「二度とそんなことを起こしてはならない」という覚悟の表れに違いない。頼もしい。
「三つ、『夢宮の衰』。王族は理を尚びて情を退け、法を積んで志を語らなくなった。政は乱れず整っていたのに、夢を語る者は笑われ、詩を唱える者は退けられた。魂は痩せ、学びは衰え、文は絶え、商は外へ流れ、兵も集まらなくなった」
……唇がわずかに動いた。「夢」という言葉に、何か感じ入ったようだ。
きっと、彼の胸の中にもあるのだろう。まだ名も形もないが、国家の夢を支えるという“芽”が。
「この三つに共通して欠けていたのは、“外から量る者”だ」
目が伏せられた。
うむ、考えているな。「その役を自分が担うのか」と。いい、すでに歩みは始まっている。
子らの顔が視界に入る。レオンは腕を組み、セレナは静かに視線を移す。フェリクスは湯気を見つめ、エリアスは菓子皿を押し出す。アリシアは……舟を漕いでいる。まあ、よい。
「そして十五代アウレリオン・ヴァルディス陛下の御代――『輔弼近衛創設之詔』が発せられました」
王妃陛下が静かに口を開く。
歴史が、ここで静かに動き出したのだ。
「“是を省みるに、天下の政を治むるの道は、君の力のみにあらず。三徳備わる侍史を得てこそ本と為す。侍史正しければ道は自ら定まり、道定まれば社稷また安んず。”――これは、その詔の一節です」
アレンの目が瞬く。おそらく学生時代の記憶が蘇ったのだろう。……いい、いまその言葉が、彼の人生と重なろうとしている。
「だが、その詔はついぞ実を結ばなかった。『輔弼近衛』という役は創られたが――その席に座る者は現れず、以来五百年、空位のままだったのだ」
呼吸が少し浅くなる。緊張しているな。
だが、五百年の空白を埋めるには、おまえのような新しい風こそふさわしい。
「――ですが本日、その空白は終わります。アレン・アルフォード。あなたを、輔弼近衛に任じます」
そのとき、彼の瞳が大きく揺れた。
「はぁ?」
……喜びがあふれて言葉が追いつかないのだろう。わかるぞ、アレン。私も若い頃、そうだった。
「“秤”として量る者なら、どこに立つのです?軍にも属さず、法にも属さず、王権の外に……この若造が、か?」
レオンが問う。
アレンが一瞬たじろいだ。
「若造」と言われて心が折れかけているのではない。――これはきっと、自分が“若さ”を超えて務めを果たせるかを考えている表情だ。
フェリクスの詩のような言葉に、彼は少し首を傾げた。……ああ、感動して言葉が出ないのだな。そういう顔だ。
「史家コルネリウス・レンティヌスは『秤三徳論』の中でこう記している。――『三事はいずれも時を異にし、由を異にすと雖も、皆侍史の徳を欠きたるがゆゑに敗るるなり』」
その言葉に、彼は目を細めた。深く頷いているようにも見える。……そうだろう、時代を越えて“秤”が必要だと、もう心で理解しているのだ。
「また別の章にはこうある。『口・意・身を以て道を量る者、是を「秤」と曰ふ』と」
肩がわずかに上下する。おそらく、感極まっているのだろう。うむ、よい兆しだ。
「難しく考えなくていいのです。あなたは王子女たちのそばに在りなさい。そばに立ち、そばで見る。必要なときに、そっと手を出す。それでよいのです」
王妃陛下の言葉に、彼は少し目を見開いた。……そうだろう、心が少し楽になったのだろう。誰でも最初は迷うものだ。
「初務は明朝。まずは王子女と行動を共にして知れ――王子王女らが何を考え、何を企もう…為そうとしているのか。それを知ることから始めよ」
いかんいかん、うっかりと本音が出るところだった。
静寂が訪れ、やがて――アレンは立ち上がり、膝をつき、額を床につけた。
「……臣アレン・アルフォード、浅学菲才ながら『輔弼近衛』の任、拝命いたします」
その声は震えていなかった。いや、胸の奥は震えているのだろう。
喜びと覚悟が交じり合った声――そう聞こえた。
「よろしい」
思わず微笑んでいた。五百年の空白が、今、埋まったのだ。
「そうだ、もう一つ。コルネリウス・レンティヌスは、こうも書いている。“三徳倶に備はれば、侍史は道を量り、國の均を支ふ。故に『秤』と称す”。忘れるな」
彼は深く頷いた。もう覚悟は決まったのだろう。
――アレン・アルフォード。
この瞬間から、おまえの名はこの国の歴史とともに語られる。
そして私は信じている。おまえはこの役を「重荷」ではなく「幸運」として歩んでいく、と。
お読みいただきありがとうございます。
【次話予告】
今度は王妃様視点。優しい声で、内容は容赦なく重たい。
三つの危機に“外から量る者”が欠けていた――つまり俺の仕事は、その穴埋め。
そして、とうとう名前が呼ばれる瞬間まで行きます。
次回の投稿は明日21時頃の予定です。
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