第33話 輔弼近衛は王族と相まみえる(王族視点) ~王族も秤を知る~
まず“アラン”って誰です?……いや、座れって言われても
その日の王城は、いつにも増して静まり返っていた。
鐘が鳴ったわけでもない。政の大きな決定が下される日でもない。玉座の間に隣接する控えの間――王族が客人を迎えるために設けられた半ば私的な空間には、いつもとは質の異なる緊張が満ちていた。
磨き上げられた大理石の床は冬の光を映して眩しく、深紅の絨毯は音を吸い込むように沈黙している。装飾は控えめだが格式は高く、どこか居心地の悪さを覚えるほど秩序が張り詰めていた。そこに集っているのは、この国の“核”ともいえる者たち――国王と王妃、そして五人の王子女である。
この空間に他者が通されることは滅多にない。しかも今日迎えるのは、臣下でも使者でもない。王が“傍らに立つ者”として呼び寄せた存在だった。
重い扉が開かれたのは、予定よりわずかに遅い刻だった。
一人の青年が、緊張を隠しきれぬ面持ちで姿を現す。質素な服装、慎ましい立ち居振る舞い――“ただの臣”なら空気に溶けて消えるはずの控えめさが、逆に際立って見えた。いや、それだけではない。あまりにも若い。この空気と混ざり合わぬ“時間の差”そのものが、ひと目でわかるほど鮮烈だった。
青年は一歩踏み入れると、深く膝をつき、頭を垂れた。形式としては正しい。だが、その背にまとわりつく空気は“ただの臣”のものではなかった。場違いなほど怯えた気配と、それでも踏み込もうとする意志――二つがせめぎ合っていた。まるで、自分が踏み込んではいけない領域に足を踏み入れてしまったのではないかと、自分にそう言い聞かせているようにも見えた。
国王はその姿を静かに見据え、威厳をもって告げた。
「アランよ。汝も腰掛けるが良い」
青年は頭を垂れたまま震えるような声で答えた。
「臣アレン・アルフォード。身の程をわきまえず、このような席に腰掛けるなど、おそれ多いことでございます」
……どうやら、“アラン”ではなく“アレン”というのが正しい名らしい。
その事実に気づいたのは、王を除く全員――いや、陛下もおそらく、気づいておられた。
だが、誰ひとりとして口にはしなかった。
「そなたは、もはや臣としてこの場に身を置くのみの者ではない――この国の歴史に未だなかった『輔弼近衛』として、王族の傍らにあって立つ者として召したのだ。ならば、その座を辞する理由などあるまい」
国王の声音は穏やかだったが、言葉には重みがあった。
その言葉に、青年の背がわずかに沈んだ。まるで、自分の立っていた足場が音もなく崩れたかのように。
その様子を見て、王妃が柔らかく微笑んだ。
「――恐れは要りませんよ、アレン。“傍らに立つ”とは、こうして並んで座ることも含まれるのです。さあ、お掛けなさい」
その声は、厳格な空気をほんのわずかに解いた。
青年はわずかに逡巡し、それからゆっくりと立ち上がると、おずおずと歩みを進めた。やがて、王族の並ぶソファーの端――最も端の端、まるで“余白”のような場所に腰を下ろす。姿勢は硬く、まるで――“ここにいてはならない”という声が、内側から滲み出ているのが見えるようなこわばりだった。だが、それでも彼は座った――“傍らに立て”という言葉に抗えず、あるいは、抗いたくなかったのかもしれない。 そして、“並んだ”。それは、歴史上初めて「臣下」が“王族と並ぶ”という瞬間だった。
◇
国王は一人ひとりの顔を見渡し、改めて口を開いた。
「紹介しよう。王子女たちだ」
静まり返った空気の中、最初に口を開いたのは第一王子だった。
「初めまして、アレン殿。……父上が“傍ら”と呼ばれた方が、まさか我らと同じ年頃とはな。失礼を承知で言えば――想像の外だ。だが、どうかよろしく頼む」
その声音には驚きと、わずかな警戒が滲んでいた。王族として当然のことだ。この場に呼ばれた者が、自分たちと年齢の変わらぬ青年だとは想像していなかったのだろう。
次いで第二王子が口を開く。
「ようこそ、アレン殿。私は詩をもって理を編み上げ、魔術を言葉に織る者です。剣も法も届かぬ場所にこそ、言葉は届く――あなたが来た理由も、そこにあるのでしょうか?」
彼らしい詩的な言葉に、青年は戸惑いを隠せない様子だった。その表情が、彼の素朴さと、この場での“場違いさ”を際立たせていた。
第一王女は、柔らかな微笑みを浮かべながら問うた。
「……“殿”とお呼びしても、ご無礼ではございませんの? “友”と呼ぶにはまだ遠く、“臣”と呼ぶには違う気がいたしますの」
彼女は、相手との距離を慎重に測っていた。呼び名ひとつにも、この国の礼節と政治の重みが宿ることを知っているのだ。
場の空気を一変させたのは第三王子だった。
「やあ、アレン! 父上も“よく知らない”って言ってたけど……そんなの関係ないさ。今度、一緒に厨房のケーキを狙いに行こうぜ!」
その奔放な言葉に、場の空気がわずかに緩んだ。真剣さに覆われていた空間に、初めてかすかな笑いの気配が灯った。
そして、最後に第二王女が問いかけた。
「初めまして、アレン様。……父上が“傍ら”とまで呼ばれた方と伺いました。私たちの知らぬ“何か”を担っておられるのでしょうか?」
その問いは、この場の全員が心の底で抱いていた疑問そのものだった。
――この青年は、いったい何者なのか。王が“傍ら”と呼んだ存在とは、こんなにも不安げな肩をした若者なのか。
――なぜ、“王族の隣”という席が、この青年に与えられたのか。長くこの国をかたちづくってきた線引きが、音もなく――しかし確実に――いま、塗り替えられつつある。
◇
青年の存在は、その問いを全員に突きつける。年齢も、出自も、何もかもが“自分たちの秩序”から外れていた。だが、その彼が「傍らに立て」と呼ばれた。それは、この国の秩序が“変わる”という予感そのものだった。静かに、しかし確実に――この青年を境に、“内”と“外”を隔ててきた線そのものが、いま、書き換えられようとしている。
言葉が消え、沈黙だけが場を支配した。
「――さて、まずは『輔弼近衛』とは何か――そこから話そうか」
その瞬間、場の空気がわずかに――いや、確かに変わった。胸の奥底で、なにかが“動き始めた”と誰もが感じた。
その場にいた王子女の誰一人として、その名がどれほどの重みと帰結を孕んでいるのか、まだ知らなかった。
お読みいただきありがとうございます。
「輔弼近衛」の名前がどんどん肩に重くなる……逃げ出したい。
【次話予告】
場は円卓の間。五卿が勢揃いで“輔弼近衛とは何者か”ディベート開始。
詔だの制度だの、超重量ワードが飛び交っている……俺の責任じゃなくね?
次回の投稿は明日21時頃の予定です。
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