第29話 輔弼近衛は王子女を知る(アーガスト視点) ~秩序は静寂を求む~
礼儀作法より、まずメンタルの鍛錬が必要な気がするわ――俺
厚い扉が静かに開いた瞬間、張りつめていた空気がわずかに震えた。
ここからは儀の場ではない。揺揺れが始まる――そう告げたい衝動を、幾度も抑え込む。
最初に走り込んできたのは、背の高い青年だった。堂々とした歩幅で進み出ると、その声は広間を揺らす。
「陛下! 工房で特級の剣が打てました! 炉を新調すれば、希少級も夢ではありません!」
アレンの肩が一瞬強張ったのを、私は見逃さない。――そうか、顔も名も知らぬのだな。
場の目が彼へ向いた隙をついて、私は静かにアレンの傍へ歩み寄った。顔を前に向けたまま、唇だけを微かに動かす。
「――第一王子、レオン殿下」
続いて響くのは、扇の音とともに現れた麗しい声だ。
「ごきげんよう、お父さま。昨日の晩餐、あれを“王家の食卓”と呼ぶのは……ねぇ?」
「――第一王女、セレナ殿下」
「剣でも税でもない、言葉です! 詩は意を運び、人を動かし、国を変えるんです!」
「――第二王子、フェリクス殿下」
「陛下ー! 新作の『三層焦がし蜂蜜パイ』が完成したよ! 一緒に食べよう!」
「――第三王子、エリアス殿下」
「お父さま、お城はピンクがかわいいの!」
「――第二王女、アリシア殿下」
五つの声が一斉に玉座の間へ流れ込み、秩序は意図的にほどかれる。私は半歩下がってアレンの横に立ち、声は使わず、呼吸の深さだけを合わせる。肩が浮きすぎない角度に自らを調整し、「そばに在る」という形で支える。
やがて王妃――オーレリアが扇をひと打ちし、場の空気を整える。
「皆さま。ここは陛下の御前です。順をお守りなさい」
拍が揃い、流れは一段落する。
王が立ち上がる。声は厳かで、同時に温かさを帯びていた。
「よいか、皆の者。お前たちがさらに遠くを目指すために、影もまた要る。――ゆえに、余は輔弼近衛を置いた」
「この若者、アラン・アルフォードを、その任に就ける。王子女の影となり、耳となり、目となれ。理を量り、過ちを諫め、未来を導け」
膝をついたままのアレンの肩が、少しだけ下がる。視線は泳がず、床に落ちない高さで留まる。よい。膝は折れても、背は曲げるな――それが臣下の型だ。
私は声を使わず、呼吸のリズムだけで「倒れるな、座して受けろ」と伝える。騒ぎの中でも届くのは、そうした“目に見えぬ誘導”だ。
◇
宰相閣下が定石どおりの異議を唱え、王が「前例なき人材」と結ぶ。儀は形式を終え、場は現実へと移ろうとしている。書記が筆を構え、宣名官の杖が静まる。王妃の扇は角度を収めた。
私はなおアレンの傍らに立ち続ける。言葉は要らない。存在そのものが支えになるときがある。若者の視界の端に、崩れぬ輪郭が映っている。それでよい、今は。
――この先、彼は揺れの中に立たねばならない。
熱は炉に収めて剣となし、
艶は規律に整えて礼となし、
言葉は型に刻んで力となし、
甘やかさは量って癒やしとなし、
夢は編み込んで風となす。
――それらを、揺れたまま釣り合わせる。
それが、秤というものだ。
私は胸の奥で短く誓い直す。
折れる音など、決して聞かせはしない。砕ける前に、支える目と手で受ける。
朝の光が一段と強まり、若者の影が私の影と静かに重なった――それは、秤が初めてこの場に据えられたことを示す光景だった。
それでいい。言葉などいらぬ。ただこの瞬間から、この秤は揺れのただ中で試され続けてゆくのだ。
すいません。前回は投稿は月水金にすると予告しましたが、それでは1章が終わるまで時間がかかりすぎるということがわかりましたので、1章が終わるまでは平日21時頃の毎日投稿とさせていただきます。
(初投稿で慣れていないため、色々とご迷惑をおかけいたします)
お読みいただきありがとうございます。
【次話予告】
場所は控えの間。よりによって「座れ」って上座の向かいで言われたんですが。
“傍らに立つ”って、物理的に並んで座ることも含むんですか? 端っこでも聞こえますから。
王族紹介ラッシュ、いよいよ始まります。
次回の投稿は明日21時頃の予定です。
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