第25話 輔弼近衛は御前に召される(王妃オーレリア視点) ~祈りは風となりて~
同情される立場なのに、誰より前に出る役回りはいつも俺。
「妃よ、輔弼近衛が決まったぞ」
近衛騎士団長レオニードより届いた書簡を示しながら、陛下は私にそう仰られた。封蝋は丁寧に割られ、端正な筆致の数行が、長く動かなかった歯車の音を――たしかに告げている。
「……ついに、なのですね」
「ああ。長かったがな」
陛下は短く応じ、書簡を机に戻して窓辺へ視線を投げた。夜の都は黒い絹のように沈み、幾つかの灯だけが息をしている。背に宿るのは安堵と決意、そしてわずかな疲れ――この数年の逡巡の影だ。
「輔弼近衛」を置く話は、一度きりではない。王族の剣であり盾、理を量る秤。そうした存在が必要だと、陛下は折に触れて語り、たびたび団長に打診してこられた。だが、そのたびに返ってきた文言は「適任者なし」。表向きは人選だが、実際には宮廷の力学ゆえだ。
輔弼近衛は、王族と政のはざまに立ち、時に両者を律する“異物”である。一介の近衛であっても、王族に諫言し、民の声を王へ直に届け得る。ゆえにその存在は、派閥にも重臣にも、そして王族自身にとっても、時々に“都合の悪い重さ”となる。だから団長は頑として首を縦に振らなかった――これまでは。
私は机の上の書簡を手に取り、末尾の追記に目を落とす。
――アルフォード子爵の三男を推挙いたします。
指先がわずかに止まった。辺境、三男。派閥に絡まず、宮廷の均衡にも囚われず、誰にも借りのない者。だから秤を振るえる。ゆえに庇うものは誰もいない。
胸の奥に細い棘が刺さる。王族は、ときに身勝手だ。息子たちは己の信ずる道へ奔り、娘たちは思うままに振る舞う。奔放さは王家の強さであり、同時に周囲に負担を強いてきた。
……その揺れを受け止める役目を、この若者は知らずに歩み出そうとしている。
「……同情しますね」
私の独白に、陛下は目のみをこちらへ運ばれた。言葉はない。ただ、静かな頷きが一度。
◇
そして、朝が来た。
高窓から白光が落ち、玉座の間の柱は淡く光を返す。空気は澄んで、よく研がれた刃の静けさを湛えていた。私は王の右手、王妃として定められた席に着き、深紅の絨毯が扉まで伸びる直線を見すえる。今日、その線を一人が歩む。
扉の向こうで足音が止み、蝶番が息を吸う。重厚に開かれた口から冷気が流れ込み、儀典官が扉の内側に一歩出る。杖の石突きを一打、空気が沈む。
「――アルフォード子爵家三男、アレン・アルフォード、御前に謁す!」
音が天井を渡ったのち、静寂がいっそう濃くなる。視線が一斉に扉へ集まり、青年が姿を現した。思っていたより若い。礼服は肩で浮き、喉許に緊張が揺れる。それでも、足は止まらない。震えながら、正面を選ぶ足取り。
……逃げていない。
中央に至り、青年は深く膝を折った。動きはぎこちないが、卑屈ではない。膝は折れても、背は曲げないという意志が、布の皺と肩の線に残っている。
「頭を上げよ、アラン・アルフォード」
陛下の声が広間を満たす。“アラン”ではなく“アレン”だが、王の言は、この場の真実だ。
瞳がこちらを掠めた。恐れはある。だが、それだけではない。諦めぬ光が、奥で細く燃えている。
「アルフォード」
陛下が名を呼ばれる。石がわずかに共鳴する。
「近衛騎士団長より聞いておろうが、汝を“輔弼近衛”として、王の親任をもって任ずる。汝は王族の剣にして盾。王族と政のはざまに立ち、秤のごとく理を量れ。己が身をもって王家を支え、民の声を我らに届けよ。――この重き務め、受ける覚悟はあるか?」
「……は、はい! 命を賭して拝命いたします!」
声は少し裏返ったが、逃げ腰の響きではない。恐れを知りながら踏み出す者は、恐れを知らぬ者より強い。列の端から宰相が進み出て、深く一礼した。
「陛下、僭越ながら。若き一人に委ねるは重すぎるかと――」
尤もだ。私の内にも同じ逡巡がある。だが陛下は静かに口角を上げられた。
「前例なき時代には、前例なき人材こそ要る」
私は青年へ視線を戻す。膝を折ったままの背はまだ細い。けれど、その線には不思議な静けさが宿っていた。そこで、私はもう一度、昨夜の書簡を思う。――団長が、なぜ今回だけ推したのか。
派閥に借りがなく、均衡に絡まず、誰の言葉も代弁しない者。だからこそ秤になれる。だからこそ、誰からも守られない。
政治の算盤の果てに選ばれた「辺境の三男」という異質。そこに、団長の諦念と誠実が同居しているのを感じる。断り切れなくなったのだ。いや、断らぬと決めたのだ――この国のために。
……ごめんなさい。
音にならない言葉が、胸の裏で崩れては結ばれる。私は知っている。これから彼が立つ場所の風を。王族の光と影、気まぐれと矛盾、祝祭と倦怠。
――その揺れを受け止める役目を、この若者は知らずに歩み出そうとしている。
それでも、願わずにはいられない。
この若者がこの若者が道を違えませんように。
膝は折れても、背だけは曲げずに。
やがて、王家そのものを釣り合わせる秤となりますように。
◇
陛下の声が続く。
「よいか、輔弼とは、ただ剣を抜き盾となるのみではない。揺れを揺れのままに量り、釣り合わせ、王国を進ませる務めである。人の声と王の意、理と情、その両方を秤にかけ――」
言葉が一段と低く沈み、広間の静謐は最も脆く、最も強い刹那に至る。誰も息を荒げず、誰も視線を逸らさない。絨毯の赤が、朝の光でわずかに濃さを変えた。
厚い扉の向こうで、鈍い音がした。
一度。短い間。もう一度。
空気が薄く震え、柱の影がわずかに揺れる。私は目を閉じ、ため息をついた。風が……動き出している。
青年はまだ膝を折り、背を伸ばしている。よい。倒れず座すこと、それが第一歩だ。
儀は続く。言葉も、針も、まだ止まらない。
私の膝の上で、組んだ指が静かにほどけた。
同情は消えない。後ろめたさも消えない。だが、そのどちらも、いまは希望の縁へ寄り添っている。
……どうか、この若者が秤の理を見失いませんように。
そう心中で結び、私は再び目を開けた。朝の光は、先ほどよりも少しだけ強い。
本日もお読みいただきありがとうございます。
次回は21時頃投稿の予定です。
★★★★★★★★★
【皆様へのお願い】
面白い/続きが気になると思っていただけたら、応援のつもりでちょこっと押していただけると大変励みになります。
皆さまの声援だけが心の支えです。
★★★★★★★★★




