第24話 輔弼近衛は御前に召される(宰相アルフレッド視点) ~理の鐘、まだ鳴らず~
王命一発、秤の運命――理はひとりで担うもの。
鐘は鳴っておらぬ。だが胸の奥で、細く張った糸がふるりと震える。――この「鐘」とは、宮廷のどこかで実際に鳴る鐘ではない。均衡が次の形を求めるときにだけ響く、儂だけに聞こえる「政の音」、警鐘と言ってもいい。
重い扉が内へ引かれ、儀典官の杖が石を叩く。
「――アルフォード子爵家三男、アレン・アルフォード、御前に謁す!」
名が告げられた瞬間、玉座の間の空気がわずかに張り詰めた。
赤い絨毯の端に一人の若者が現れる。最初の一歩はおずおずとしていたが、次の一歩は確かに石を踏んだ。迷いはある。だが、進んでいる。
先導するのは侍従長アーガスト。廊下を渡り扉をくぐるまではその背を追っていた若者は、式の線に入ると同時に一人で前へと進む。ここからは己の足で――それが今日の取り決めだ。
背は真っすぐのまま。
若者はぎこちなくも中央に進み、膝を地につける。膝はわずかに震えておった。肩のこわばりも隠せぬ。だが、それでも背は曲げぬ。恐れを押し殺し、それでもなお進み出る――その意志だけが、この場に立たせているのだ。
この数年、儂と王は「輔弼近衛」の必要性を何度も語ってきた。
王家の揺れは、もはや気まぐれの域を越え、制度そのものを軋ませている。揺れを抑え込むのではなく、受け止めて釣り合わせる秤が要る――そこまでは王と儂の見解は同じであった。
問題は、その秤に誰を座らせるかだ。
高位貴族も中央の名門も、この現実を知っておるがゆえに、「輔弼」という役を忌避した。栄誉を約しても袖を通そうとせぬ。笑ってはぐらかすか、沈黙で返すばかりだった。
ゆえに、儂には対案がなかった。
そして王は、派閥の外から石を拾われた。辺境の三男、アレン・アルフォード――無名、借りも盾も持たぬ異質な存在。血筋も地位も軽く、王都の人間からすれば風のような存在だろう。だが王は、その“軽さ”こそが、重くなりすぎた秤を揺らすと見抜かれたのだ。
だが、それだけではない。
王がこの若者を選んだのは、政治的な事情だけではなかった。
アレンは王立騎士学校を主席で卒業した男だ。剣技だけでなく、戦略学や政務論、倫理史に至るまで群を抜く成績を収め、その名はむしろ士官の間で密かに知られている。
儂も報告書でその名を目にしていたが、まさかこの場に呼ばれるとは思ってもいなかった。
異端であると同時に、実力がある――それが、王が最後にこの若者を選んだ最大の理由であろう。
それでも、儂の胸には苦いものが残る。宮廷の毒も風も重さも知らぬ、無垢な眼。その清さを、この場に引きずり込むのは酷ではないか――そう思い、一度だけ「再考を」と進言した。
王は静かに言われた。
「それでも、他に道はないだろう?」
返す言葉はなかった。否定には対案がいる。儂には、その片割れがなかったのだ。
王の声が静けさを裂く。
「頭を上げよ、アラン・アルフォード」
若者の顎がゆっくりと上がる。瞳は揺れているが、逸らしてはいない。
王は淡々と続けられた。
「近衛騎士団長より聞いておろうが、汝を“輔弼近衛”として、王の親任をもって任ずる。汝は王族の剣にして盾。王族と政のはざまに立ち、秤のごとく理を量れ。己が身をもって王家を支え、民の声を我らに届けよ。――この重き務めを、受ける覚悟はあるか?」
王の言葉は静かだが、深く響いた。強者ではなく、恐れを知る者を選ぶ――それが王の答えであった。
若者は膝をついたまま、震える声を絞り出す。
「は、はい!命を賭してその任を拝命いたします」
声は若く、かすかに裏返った。膝に置いた手が一瞬震えたが、すぐに止まる。
拙くとも、逃げずに応えている。それだけで、今はよい。
儂の胸にはなおざらりとした罪悪感が残る。
――無垢を秤に座らせることは、もはや欺きと呼んでもよいのではないか。
宮廷の重さは、口で教えたところで骨には落ちぬ。落ちるのはいつも、痛みと時間のあとだ。
それでも、座らせねばならぬ位がある。誰も袖を通さぬまま空いている秤がある。ならば、今日という日は避けられなかったのだ。
儂は儀礼の呼吸で一歩進み、宰相と義務として形式通りの言葉を置く。
「「輔弼近衛」という役、その前例は王国の歴史にございません。王族と政のはざまに立つなど、若き一人に委ねるのはあまりにも重責かと。
再考なされるならば、まだ遅くはございませぬ。別の者を――あるいは組織を――立てることも可能かと愚考いたします」
無垢な眼をこの場へ引きずり込むのは酷ではないか――その思いが、儂の胸を離れぬ。毒も風も重さも知らぬ若者が、この秤に潰されはせぬかと。
王は微動だにせず答えられた。
「前例なき時代には、前例なき人材こそが要る。血筋でも地位でもなく、ただ心のままに民を見つめる者。枠にとらわれぬ者こそが、真に新たな秤足りえるのだ。ゆえに――余はこの男を選んだのだ」
王の声は玉座の間に深く沈み、誰一人として言葉を返さなかった。
儂はそれ以上、言葉を継がぬ。今日ここは、王族と民と政のあわいに立ち、耳となり、口となる者――剣にも盾にもなれる“秤”を据える場だ。制度の構えや負担の配分は、その先の話である。
若者は膝をついたまま静止している。王は縋るような眼で見つめ、王妃は母が子を抱くような慈愛の眼差しを向けていた。重臣らは、まるで嵐の前の苗を案じるような、不憫と憂慮の混じった目をしている。
「アラン・アルフォード。汝の務めは、ただ王命を遂行することではない。王族の目となり、耳となり、口となることだ。民の声を拾い、王族の理を諫め、時に盾となり、時に刃を抜け。――「輔弼」とは、王族を支え、王族を諫め、王族の傍に立つ者にこそ与えられる称号なのだ」
陛下の言葉はなおも続く……
「この任は孤独である。支える者も、頼る者もいない。それでも――」
佳境に差し掛かったそのとき――
――バァン!
陛下の言葉を遮るように、玉座の間の扉が盛大な音を立てて開いた。
衛兵たちも動かぬ。止めようとする意志そのものが、空気に呑まれていたのだ。もはやこの場は、人の意志ではなく、空気そのものに支配されている。
冷たい空気が細く流れ込み、広間の空気が変わる。今日がただの儀礼で終わらぬことを、場の空気が告げている。
若者よ――ここからが本番だ。
ここまではただ、秤を据えただけ。本番はまだ始まってすらいない。
儂は裾を整え、王の斜め後ろという定位置に戻った。
今はまだ、使う時ではない。ただ、見極める時である。
この若者が本当に秤となり得るのか、それとも砕けて消えるのか。――答えは今日では出ぬ。だが、それを見届けるのが儂の役目だ。
鐘はまだ鳴らない。よい。鳴るのは次――その音がどの響きを帯びるか、儂はこの眼で量るつもりでいる。
そしてその響きは、扉の向こうですでに蠢いている。嵐は、すぐそこまで迫っている。まもなくこの場は掻き乱され、若者は最初の風圧に晒されるだろう。
だが、嵐の中では、ただ秤として揺れを量るだけでは足りぬ。――自らの手で秩序のかたちを刻み、この国の在り方そのものを変えうる器となれるか。そこまでを見極めてこそ、儂が量るべき真の本質だ。
次回は王妃オーレリアさま視点――「近衛騎士団長レオニードより届いた書簡」を前に場が動くらしい。(動くって、俺の胃も一緒に、ですよね)
「……ついに、なのですね」と王妃さまが呟く場面、そこで“秤”の席に座る名前がはっきり出るとか。
同情しますね、って言われるの、ありがたいけど重たいんです;背は曲げるな、って言われてるのに。
――とりあえず、膝は折れても礼は崩さない。うん、理は後で噛みしめます。
・・・・「理」ってなんだろう?
次回は明日13時頃投稿の予定です。
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