第23話 輔弼近衛は御前に召される(侍従長アーガスト視点) ~静謐の儀~
恥はかくもの、勇気は振り絞るもの――それが王都流
朝の鐘が一つ鳴る前、王城はもう人の息づかいで満ちていた。
侍女は石床を磨き、衛兵は紋章旗の埃を払い、書記官の詠唱が低く回廊に響く。厨房では湯が鳴り、銀器が澄んだ音を立てる。――今日は“ただの日”ではない。王国が針を刻み直す日だ。
詰所の扉を開けると、若い男が一本の杭のように立っていた。アレン・アルフォード。辺境の小領主の三男。昨日、近衛の列に加わったばかりの新米である。
着慣れぬ礼装は肩で浮き、目の奥には眠れぬ夜の跡が滲んでいた。
「王宮の寝心地はどうだったか」
「……おかげさまで、よく休めました」
嘘を繕うな。震えをごまかすな。震えたまま歩み出せ――その方が、宮廷では役に立つ。
「準備はできているな。陛下がお待ちだ。――これより御前だ」
「……はいっ?」
「貴殿は“輔弼近衛”であろう。任は陛下の“親任”をもって拝す。遅れるな」
血の気が引くのがわかった。膝もわずかに揺れている。よし、そのままついて来い。揺れながら歩を出せる者だけが、王族のそばに立てる。
回廊に出る。朝の光が赤い絨毯を撫で、壁に並ぶ甲冑は沈黙のまま睨みを利かせている。歩きながら、私は必要なことだけを伝えた。
「アルフォード殿、ここからは臣下の心得だ。耳で聞いて、足で覚えよ」
「は、はい」
「まず歩だ。大股は“反発”、小股は“卑屈”に見える。絨毯の中央を踏み、土踏まずで受け、肩は揺らすな。呼吸は浅く、腰の高さを揃えよ。“儀礼は“無言の合図”だ。――余計な文を、所作に書き込むな。ただ、儀礼を通せ」
「……余計な意味」
「そうだ。宮廷では仕草ひとつが文になり、文は解釈を生む。次に視線。王の額と目のあいだ、息ひとつ分だけ上。直視は“挑み”、俯きは“逃げ”。間を保て」
「承知しました」
「沈黙――玉座が黙する間、言葉は陛下一人にのみ許される。沈黙を破ることは、秩序を壊すに等しい。息すら音にするな。」
歩幅が揃い始めた。硬さは残るが、硬さは折れなければ美徳だ。
「膝を折るとき、臣下は地を拝むのではない。王の重みを受け止めるために折る。頭を垂れるのは服従の証ではない。王と民のあいだに橋を架ける礎と心得よ。――膝は折れても、背だけは曲げるな。それが臣下の型だ」
喉がごくりと鳴る。よい。緊張の中でしか形にならぬものがある。
巨大な扉の前で足を止めた。近衛兵が取手に手をかける。私は青年の肩越しに、最後の釘を刺す。
「部屋までは私が先導する。だが中央へ進み、臣下の礼を取るのは、貴殿ただひとりだ。合図は出さん。己の足でやれ。」
「……一人で?」
「王の前では、誰も手を貸さぬ」
目が一瞬泳いだが、足は止まらない。よし。扉がゆっくりと開かれる。空気が変わった。硬く、澄み、刃のような静けさが広間を満たす。深紅の絨毯が玉座へ真一文字に伸び、列柱のあいだに重臣と貴族が整列している。沈黙の視線が、新しい者を値踏みした。
扉の内側に控えていた典儀官が、静かに一歩前へ出た。
石床に杖を一度打ちつけ、場の空気を鎮める。玉座に向けて、よく通る声が響かせる。
「――アルフォード子爵家三男、アレン・アルフォード、御前に謁す!」
その宣言が天井を渡り、玉座の間に静寂が落ちる。
私は一歩先に出て、すぐ脇へ退いた。ここからは彼の場だ。
アレンは一人で歩き出す。歩は小さすぎず大きすぎず、肩の揺れを抑え、視線は教えた高さへ。中央に達すると、深く膝を折り、静かに頭を垂れた。――よし。震えは消えないが、型は崩していない。
「頭を上げよ、アラン・アルフォード」
陛下、半拍だけ名が違います。だが訂すまい。玉座の言は、この場の真実だ。
青年が顔を上げると、視線が一斉に集まった。
陛下の目には縋るような希望、王妃の瞳には母の慈しみ、重臣たちの眼差しには不憫と警戒。どれも本物だ。――この国の重みは、こうして分配される。
「アルフォード」
陛下の声が石を震わせた。
「近衛騎士団長より聞いておろうが、汝を“輔弼近衛”として、王の親任をもって任ずる。汝は王族の剣にして盾。王族と政のはざまに立ち、秤のごとく理を量れ。己が身をもって王家を支え、民の声を我らに届けよ。――この重き務め、受ける覚悟はあるか?」
「……は、はい!命を賭して拝命いたします!」
声がわずかに裏返った。よい。恐れは恥ではない。恐れを知る者だけが、痛みに寄り添える。
列の一角から宰相が進み出て、深く一礼する。
「陛下、僭越ながら。若き一人に委ねるは重すぎるかと――」
尤もだ。私も内心は同意見だ。だが陛下は静かに笑まれる。
「前例なき時代には、前例なき人材こそ要る」
――らしい。均衡を揺らして均衡を得る御方だ。その手を支えるのが、我らの務めである。
私は周囲の空気を測る。場の空気は静まり返り、列柱の影には、姿を現さぬ王家の気配がじっと滲んでいる。名も顔も見せずとも、まずその重みだけが場を満たす。アレンにはまだ届いていないが、やがて正面から向き合う時が来る。
陛下は続ける。
「よいか、輔弼とは、ただ剣を抜き盾となるのみではない。揺れを揺れのままに量り、釣り合わせ、王国を進ませる務めである。人の声と王の意、理と情、その両方を秤にかけ――」
言葉が広間に積み上がっていく。誰も息をつかず、誰も視線を逸らさない。
私は背後の空気を読む。儀は、最も脆く、最も強い刹那に入っている。静謐は、いつだって嵐の縁に立つ。
そのとき――。
厚い扉の向こうから、鈍く重い音が響いた。
一度。間を置いて、もう一度。
私は一瞬だけ目を細める。嵐はまだ見えないが、風は確かに動き始めている。
――儀は続く。針は止まらない。
この静けさも、やがて訪れる揺れのための間にすぎぬ。
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