第16話 輔弼近衛は登城する(侍従長アーガスト視点)② ~影を見守る影~
成果報告はたった一行。「本日、何も起きず」。……これが満点って、ここの採点基準は渋い。
昼前、小広間の点検に同行した。
私は廊下の奥から様子を見ていたが、アレンは実に真面目に場を読み取っていた。
扉の蝶番の音を確かめ、死角を洗い出し、視線の線を意識する――少なくとも、“見る”ということはできている。
「悪くない」とラースが呟いたのを聞いて、私は口元をわずかに緩めた。
確かに、今の彼は“悪くない”。
(……だが、ここから先が長いのだ。折れるな)
自分でも驚いた。
この年になって若者に同情するなど、久しくなかったからだ。
だが、この若者だけは、折れてほしくなかった。
この役目が、報われぬ役であることを、本人はまだ知らない。
だからこそ、彼はいまも信じている。王を護るという言葉を、まっすぐに。
――そのまっすぐさは、脆くて、すぐ折れる。
だからこそ、折れぬよう“在り方”を示さねばならない。
◇
夕刻、詰所を訪ねて声をかけた。
「近衛は王族の傍に侍るのが常。だが輔弼近衛は、傍に立つだけでは足りぬ。御方々の歩みに躓きがあるなら、見えぬところでそれをどけよ。言葉が過ぎれば受け止め、足りなければ添えよ。守るのは命ばかりではない。名と未来だ」
彼は静かに一礼し、「肝に銘じます」と答えた。
その声には、重みを測りかねているような戸惑いがあった。
当然だ。“未来を守れ”なんて言われて、すぐ納得できる人間がいるわけがない。
それでも彼は背筋を伸ばしていた。
その姿に、私はかつての自分を重ねていたのかもしれない。
◇
夜が更け、王宮は深い静寂に包まれる。
それでも“理”は流れている。どこかの部屋では王族が詩を詠み、どこかの廊では侍女が走っている。
静寂の中にもざわめきがあり、ざわめきの奥にも沈黙がある――それが王宮という場所だ。
私は窓辺に立ち、暗い庭を眺めながら小さく息を吐いた。
(……アレン・アルフォード。お前は、知らずに災厄の只中に足を踏み入れた)
だが、これはお前だけの戦いではない。
私もまた、侍従として王族の「理に背く奔放さ」と対峙してきた。
ラースもまた、剣を抜く前に幾度も自分の信念を呑み込んできた。
そして、カシウスは――“選んだ”という罪を負っている。
お前一人にすべてを背負わせはしない。
たとえ“影”であっても、影を見守る影がいる。
夜の空気がひんやりと肌を撫でた。
それは、これから待ち受ける嵐の予感のようにも感じられた。
(……せめて、初日は乗り越えたな。あとは――明日だ)
明朝、陛下の親任を仰ぐ儀が控えている。
その場こそが、本当の始まり。王族という“理”の前に、初めて彼は立つ。
そしてその瞬間から、彼はもう戻れない。
剣でも盾でもない“秤”として、この国の“影”――すなわち、王族の理と現実のはざまに立ち続けることになる。
――それでも願う。この若者が、折れずに立ち続けられるように。
私は窓を閉ざし、灯を落とした。
静寂が戻る中、遠くの鐘がゆっくりと二度鳴った。
――一日の終わりを告げる音。だが、彼にとっては“始まり”の合図だ。
(ここからが本番だ、アレン・アルフォード。明日、お前は王族という“理”と正面から向き合う。その時こそ、本当の影としての歩みが始まる)
お読みいただきありがとうございます。
【次話予告】
朝の王宮は“静かじゃない静けさ”――石も扉も足音も、全部しゃべる。
半開きの扉一本で、秩序の線が引けるって言われて、ちょっと痺れた。
(素直すぎは傷になる? なら、素直に三呼吸置いてから傷を避ける)
次回の投稿は21時頃の予定です。
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