102話 第一部補遺 王朝秘史演義①
――秤三徳論と「輔弼近衛設立之詔」をゆるく読み解く外伝――
※本編は101話でひと区切りついています。この話は「秤三徳論って結局なんだったの?」を歴史読み物風に振り返る補講回です。本筋の重大ネタバレにはなりません。
――王朝秘史演義 第一巻 三つの時代――
【一.南原の乱】
王暦二百七十六年。王国はまだ若く、王都の城壁には、新しい石の匂いがわずかに残っていた。
その年、南方で旗が翻る。
王弟オルダヌスが「自らこそ正統の王」と名乗り、南原の諸侯を味方につけて兵を挙げたのである。掲げられた旗は王家の紋とほとんど同じで、縁取りの一本だけが違っていた。その違いを見分けられる者は、王都においてすらごくわずかだった。
王宮には、「影守」と呼ばれる役目があった。
王の左右に侍り、その行いの跡を補い、過ちをただし、言葉によって諫める。影のように寄り添い、風向きを測る役目――それが影守である。
影守セリオン・ヴァルハウスもまた、その一人であった。
彼は南方から上がる不穏な噂、租税の滞り、宮廷の空気のわずかな変化から、王弟の動きをいち早く察していた。
それでも、最後まで王に強く諫めることはなかった。
「自分の務めは、ただ理を映す鏡にすぎない」
親しい書記官が「進言すべきでは」と問うたとき、セリオンは静かにそう答えたという。
映すことはしても、舵を切るのは王の役目――影守はそう思い込んでいた。
その結果、声は王の耳に届かず、忠義は広い道へ出ていかなかった。
政治は空回りし、税は滞り、民は迷い始める。わずか三か月のうちに五つの州が王命を聞かなくなり、南原の乱は一気に王都の喉元まで迫った。
やがて反乱は、数多の犠牲と、いくばくかの幸運の積み重ねによって、どうにか鎮圧された。
王統はかろうじて保たれた。だが失われたものは大きい。落ちた威信が戻るまで、租税が元の水準に復するまで、十年を要したと記録には残っている。
後の史家は、この事件の余白に短く書き添えた。
「帆を失えば、風をつかめない」と。
――この一行が、のちに「帆=口の徳」という喩えへと育っていくことを、このときの誰もまだ知らなかった。
【二.夢宮の衰】
時は移り、王暦三百四十九年。
今度は戦ではなく、静かな衰えが王国を蝕んでいた。後に「夢宮の衰」と呼ばれる時代である。
このころの王族は、理と法を何より重んじていた。
政は律令に従い、一条一句まで乱れなく運ばれる。裁判も行政も、定められた文言どおりに進んでいた。
一見すれば、これほど整った時代はなかった。
しかし、王宮からは「夢」が消えていた。
未来の構想を語る者は笑われ、詩を口ずさむ者は「役に立たぬ」と退けられた。新しい制度を考えようとする者は、「前例にない」の一言で斬り捨てられた。
この時代、律師ネモリウス・サビヌスという男がいた。
法に明るく、民を憐れむ心も深い。理性も誠実さも兼ね備えた人物である。
だが彼も、こう口にしていた。
「器は余事にすぎぬ。自分の務めは、ただ王命を秤に載せることだけだ」
目の前の裁きは正しくこなす。だが、王の志を受け止め、それを「器」すなわち制度や形に鋳直すことには手を伸ばさなかった。
その結果、法は守られていても、志は次第に痩せ細っていく。
学びの宮は閉ざされ、文は途絶え、商人たちは活路を求めて国外へと流出した。
十年も経つと、兵を集めようにも、自ら剣を取って立ち上がる者は少なくなった。五つの国境では、隣国に従おうとする動きさえ生じる。
老いた王は、最後になってようやく悔いたという。
「余は国を守ったが、魂を失ってしまった」と。
サビヌスもまた、記録に一行を残した。
「王心を授かりながら、器を鋳なければ、国はいつか虚へ沈む」
この一言が、後に「器=意の徳」という喩えの柱のひとつとなる。
【三.飢歳の禍】
さらに時代は進み、王暦四百十一年。
今度は北境を飢えが襲った。三年続きの旱魃で作物は枯れ、道に倒れる者は珍しくなくなった。後世「飢歳の禍」と呼ばれる日々である。
だが、そのさなかでさえ、王族の一部は宴を張り、穀物を蔵に秘したまま、民の苦しみに目を向けようとしなかった。
衡吏リュシアン・アクトンは、その事実を知っていた。
衡吏とは、本来、数や事実を量り、均衡を保つ役目である。
群臣は彼に「王族の行いを糺すべきだ」と迫った。
だがアクトンは首を振った。
「衡は剣を帯ぶべからず。自分の務めは、ただ事実を秤に載せることだけだ」
「王族に刃を向けるのは臣の道に反する」と、彼は繰り返した。
そのあいだにも暴は止まず、飢えは広がり、十七の邑がそれぞれ勝手に政を行うようになる。三年後、記録された死者は数万にのぼった。
アクトンは、ついに職を辞するとき、こう言い残したという。
「刃を抜こうとしない衡は、結局、自分が火に呑まれてしまった」
後の史家は、この事件の末尾にも短く記した。
「炉を備えずば、火を制せず」と。
火そのものを悪とするのではない。
火は暖をもたらし、鉄を鍛え、パンを焼く力でもある。だが炉――ふさわしい囲いと制御を整えなければ、火は家も人も飲み込んでしまう。
この一節が、「炉=身の徳」という最後の喩えを形づくることになる。
*
こうして「南原の乱」「夢宮の衰」「飢歳の禍」という三つの時代は、それぞれ別の理由で国を揺るがせながらも、後に一人の史家の目には「同じ欠落の、三つの姿」として映ることになる。
――口が帆を掲げず、意が器を持たず、身が炉を築かないとき、国は必ずどこかで折れる。
のちの「秤三徳論」は、この三つの物語をひとつの原理へとまとめ上げていく。
――王朝秘史演義 第二巻 秤三徳論――
南原の乱。夢宮の衰。飢歳の禍――。
この三つの出来事を、一人の史家が同じ机の上に並べていた。
名はコルネリウス・レンティヌス。
王史局の一隅に小さな部屋を与えられ、日々、国史・家記・古い日記や手紙に至るまで読みあさる男である。白くなりかけた髭をいじりながら、竹簡と羊皮紙の山のあいだを何度も行き来する。
「どうにも腑に落ちぬな」
彼はつぶやく。
南原の乱では、影守が口を閉ざした。
夢宮の時代には、律師が王の志を器に鋳なおそうとしなかった。
飢歳の禍では、衡吏が刃を抜かず、火の暴走を止められなかった。
時代も、登場人物も、表に出た問題も違う。
だが、どこかに共通の「欠け」がある。レンティヌスには、そうとしか思えなかった。
彼は筆をとり、紙の上に三つの言葉を書きつける。
――帆。器。炉。
南原の乱では「帆」が足りなかった。
危うい風向きをとらえ、王の船を正しい方向へ導く「声」が上がらなかった。影守は理を映すだけで、風を受ける帆になろうとしなかった。
夢宮の衰えでは「器」が失われていた。
王の心に志があっても、それを受け止め、制度や仕組みの「形」に鋳なおす者がいなかった。律師サビヌスは法の守り手ではあっても、志を鋳こむ「器づくり」を余事とみなした。
飢歳の禍では「炉」が築かれなかった。
火――すなわち力や暴力――そのものは、必ずしも悪ではない。だが、ふさわしい囲いと制御がなければ、火は民も街も飲み込んでしまう。衡吏アクトンは、剣を抜くことを役目の外とし、火を制する「炉」となることを退けた。
レンティヌスは三つの事件を見比べ、筆を進める。
「帆を掲げて風を導くのは、口の徳である」
危険な風向きを読み、王の過ちをただし、進むべき方向を指し示す。
これを怠れば、どれほど立派な船でも、風に煽られて折れてしまう。
「器を抱き、志を受け止めるのは、意の徳である」
王の心を受け取り、それを宮や法や制度といった「形」に鋳なおす。
器がなければ、どれほど高邁な理想も空中に散っていく。
「炉を築き、火を制するのは、身の徳である」
情や恐れに流されず、断つべきを断ち、止めるべきを止める。
炉を備えなければ、火はやがて誰にも手に負えなくなる。
彼は三つをまとめて、こう名づけた。
「――これを秤の三つの徳、すなわち『秤三徳』と呼ぼう」
秤とは、本来、重さを量る道具にすぎない。
だが、王のそばで言葉を発し、志を受け止め、身をもって断を下す役目を担う者がいるならば、その者はまさに「道を量る秤」である。
レンティヌスは最後に、静かに結論を書く。
「帆・器・炉の三徳がそなわれば、侍史は国の均衡を支えうる。
一つでも欠ければ、その職は名ばかりとなる。ゆえに、この三徳を備えた者を『秤』と称すべきである」
この論文――『秤三徳論』――は、当初、王史局の中でひっそりと読まれただけだった。
だがやがて、王自らが竹簡を開き、その言葉に目をとめる日が来る。
帆。器。炉。
口の徳。意の徳。身の徳。
南原、夢宮、飢歳という三つの時代の失敗が、一つの秤の形へと変わろうとしていた。
――王朝秘史演義 第三巻 輔弼近衛創設の詔――
王暦四百五十四年。
王アウレリオン・ヴァルディスは、宗廟にこもり、静かに竹簡を繰っていた。
南原の乱。夢宮の衰え。飢歳の禍。
三つの時代の記録が、目の前に積み重なっている。
どの年も、国は滅びかけてなお、なんとか踏みとどまった。
だが、そのたびに王朝の威信は削れ、民の暮らしは長く傷を負った。
「国の大事は、治める道にある」
王は小さくつぶやく。
治道――国を治める道は、王一人では成り立たない。
君も臣も、それぞれの務めを果たしてはじめて形になる。
なのに、古くから三度も、侍史(王のそばで道を量る者)がその役目を果たせず、道そのものが崩れかけた。
王は筆を取り、詔の冒頭を書き出す。
「国の大計は治道に在り。治道は君と臣と、その任を尽くしてはじめて成る」
三つの時代の失敗が、紙の上に並ぶ。
南原の乱――影守が声を上げず、風を読む者が帆にならなかった。
夢宮の衰え――律師は志を器に鋳こまず、理想は言葉のまま散っていった。
飢歳の禍――衡吏は剣を抜かず、暴走する火を炉の中に封じ込められなかった。
王はレンティヌスの『秤三徳論』を思い出す。
帆。器。炉。
口の徳。意の徳。身の徳。
「この三徳を備えた侍史を得ねば、国の均衡は保てぬ」
王はそう悟ったのである。
詔の文は続く。
「古来、侍史その任を失ひ、道もまたこれによって廃れたり。これを省みるに、天下の政を治める道は、君の力のみにはあらず。三徳備はる侍史を得てこそ、その本となる」
侍史が正しければ、道は自ずと定まる。
道が定まれば、社稷――国の土台もまた安らぐ。
だが、帆を欠き、器を失い、炉を備えなかった過去の侍史たちは、その本を支えきれなかった。
王はそこで初めて、「秤」という名を官として与える決意をする。
「その職にある者は、帆を掲げて風を導き、言葉をもって是非を述べ、道の方角を指し示すべし。これを口の徳という」
危険な兆しを見て見ぬふりをせず、王にもはっきりと「それは違う」と言う役目。
それが、帆であり、口の徳だ。
「また器を抱きて志を受け、王の心を受け取って象を鋳き、時に応じてその形を変えるべし。これを意の徳という」
王の理想を聞き置くだけでなく、それを制度や仕組みに翻訳し、城や学校や法として世に現す役目。
それが、器であり、意の徳だ。
「さらに炉を築きて炎を制し、情に流されず、断つべきを断ち、止めるべきを止めるべし。これを身の徳という」
誰も決断したがらないときに、「ここで止める」「ここで刃を抜く」と自ら責を引き受ける役目。
それが、炉であり、身の徳である。
王は三つの徳をまとめて、こう記す。
「この三徳を備え、口と意と身をもって道を量る者、これを『秤』と名づく」
そして、その秤に官名を与える。
「今、この『秤』に官の名を賜わり、『輔弼近衛』と称し、その制を定む」
ここで王は、秤と法との距離についても、明確に線を引く。
「秤は法の内にはあらず。ゆえに権力の手は、これを縛ることはできぬ。
されど秤は理の内にあり。ゆえに道は、これが量ることをやめない」
つまり、秤は法の枠からは外れている。
法務官僚が職権で縛ったり罰したりできる存在ではない。
しかし同時に、秤は理――道理と倫理――の内側にはしっかり縛られている。
理を外れた秤は、もはや秤ではないということだ。
王は最後に、秤に求める姿を簡潔に書き表す。
「秤は常に王族の側にあって影のごとく仕え、語るところは天を畏れず地を顧みず、執るところは正を本とし偏りを退け、受け取るところは志を器として虚を満たす者たるべし」
そのうえで、命じる。
「その志を違えることなかれ、その務めを怠ることなかれ」
この詔は竹簡に記され、宗廟に納められた。
「万世の戒め」として。
こうして、『秤三徳論』で論じられた理想は、初めて王の名において官職と制度の形を与えられた。
のちに「秤」と呼ばれる者たち――そしてアレン・アルフォード――は、皆、この詔の影の中から歩み出ていくことになる。
――王朝秘史演義 第四巻 秤、人を得る――
王暦四百五十四年。
アウレリオン王が「輔弼近衛(秤)」の詔を出してから、長い時が過ぎた。
そのあいだに、君主は二十四代を数えた。
竹簡に刻まれた詔は宗廟の奥で静かに眠り続けていたが、その席には誰も座らなかった。
王たちは、その職を怖れた。
王族の側にあり、時に刃を抜いてでも過ちを止める者。
そんな存在を側近に置けば、一族の面子も権威も傷つくかもしれない。
高位の貴族たちは「我が家の名にそぐわない」と言って、その椅子から目をそらした。
卑位の貴族たちもまた、近づこうとはしなかった。
「王に諫めの言葉を向けるなど、身の程知らずだ」と。
たとえ務めを果たせば国の柱になれるとしても、その前に自分の家が潰れるかもしれない――彼らはそう考えた。
こうして、「秤」の席は五百年ものあいだ空位のまま残された。
制度としては存在していても、その中に入る「人」が現れなかったのである。
ある史家は、この時代を振り返ってこう記した。
「器の先に人あり。人なければ、器は虚し」と。
*
王暦九百五十四年。
戦乱の世を経て、レオニード三世の時代が訪れた。
この年、竹簡に眠っていた「輔弼近衛」の詔が、久しぶりに読み上げられた。
そして、はじめてその職に就く者が選ばれる。
名をアレン・アルフォードという。
彼は辺境の貧しい子爵家の三男として生まれた。
家を継ぐ順番にはなく、権力を握る望みもほとんどない。
だが、その器量は卑しい身分に似合わず大きく、その志は境遇に縛られなかった。
「道は位によらずして、道であり得る」
アレンの生き方を見た者は、そう評したという。
彼は極端に偏らない。
誰か一方に寄りかかることもなく、無闇に剛を振るうこともなく、かといって諦めて沈み込むこともない。
まるで天秤の重心のように、静かに真ん中に立ち続ける男だった。
言は、風を捉えて方角を指し示す。
志は、形なき思いを抱きとめ、その虚ろを満たす器を求める。
行いは、必要なときにのみ断を下し、乱れを鎮める。
王命により、東宮の柱間に「影」と刻まれた席が設けられた。
そこにアレンが座る。
彼の腰には、「秤」の印が佩かれた。
こうして、五百年間空だった器に、ようやく魂が入ったのである。
史家はその日をこう記す。
「器は人を得てはじめて用を成し、人は器を得てはじめて道を量る。
空位五百年、アルフォードに至りて初めて充たされ、秤ここに名と実を全うす」と。
*
この出来事を、後世の論者は『衡論集』の中で改めて整理している。
「制度は器であり、人はその魂である」と。
器だけがあっても、魂がなければ動かない。
魂だけが燃えていても、器がなければ散ってしまう。
輔弼近衛という官職=秤は、五百年のあいだ「器だけが先にあった」状態だった。
そこにアレンという魂が宿ったことで、はじめて動き出す。
『衡論集』は、こう締めくくる。
「天の時熟し、人の器これに応じて現れるとき、空位は虚にあらずして機を待つものとなる。
人は器を動かし、器は人を支える。
これが治の本にして、また歴の理なり」
五百年の空位は、単なる空白ではなかった。
秤という器が用意され、人という魂が現れるその時を待ち続けていた時間でもあった。
そのことを証明したのが、辺境生まれの一人の近衛――アレン・アルフォードだったのである。




