第101話 王朝秘史④ ~黙之雄弁~
本章最後の《王朝秘史》です。
今回の王朝秘史は、五卿会議における輔弼近衛の裁きが、後世の法学と王朝史においてどのように解釈され、「秤は理の内」という一句とアレンの沈黙がいかに扱われたかを、史家の視点から整理する章です。
※本幕間は、大逆の審理における「沈黙」をめぐり、秤・詔・法の順序がいかに争はれたかを記す。
後段「詔学記釈義」は、沈黙を倫理の奇譚に非ず、制度の留白(欠刻)として読み替へる試みなり。
◇◇◇◇◇
冬の王都、戦乱を漸く潜脱しのち、五卿会議の帷、静かに垂る。王族、帷の内に在りて聴き、直に御前せず。廷前にて裁せらるる者、輔弼近衛アレン・アルフォード、謂ふところの「秤」なり。
覚えなきままに大逆の科を問はるる。然れども真の裁きは剣尖にも弁詞にも在らず。沈黙と手続、ならびに制度の構へに蔵さる。
法務卿、問いて曰く、「汝、何をせしや」。
アルフォード、「量りたるのみ」と一言して、其の後終始黙す。
五卿・宰相・法務卿、皆、場の温み退きて、寒気の降るを膚に覚ゆ。
或人、袖口を正すに、指先わずかに顫ふ。
法務卿、続けて曰く、
「旧句に曰く、秤は理の内、法はその形を与ふ。ゆえに秤は法の下に措き、しかる後に働かしむ」と。
アルフォード、つひに沈黙を貫けり。
焦れたる法務卿、曰く、「沈黙は肯とみなす」と。
然れども、アルフォードなお答へず。
法務卿、さらに宣して曰く、
「アルフォードが刃を向けたるは王族にして、行為にあらず。対象を誤るときは法条による保護及ばず、違法性阻却、成立せず。故に大逆なり」と。
ここに宰相、五卿の前に立ち、声低く法務卿を諫め曰く――
「詔に曰く、『秤は理の内』。これ、器(法)の外に遊ぶにあらず、理の規を以て律せらるるものなり。法は国の血なれども、血のみにて国は動かず。思ふに、貴卿の此度の所論、夢宮之衰の轍に近し。詔は法の及ばざる隙を理にて繋ぎ止めたるものなり。
よって、制度に不備明らかなれば、輔弼近衛アレン・アルフォードへの大逆罪判決は無効たるべし。この旨、王の御裁に付し、本件の終息を奏す」
沈静なる気配、満ちて、五卿みな黙し言を発せず。
ただ宰相の言葉のみ、歴史の裂け目に響く。
法務卿、かの定式を唱へつつ、終に悟る。己が規則運用、詔の位を覆ひ、秩序を紊したることを。
其の独白に曰く、
「余は敗れたり。順序を誤れり」。
敗辞の裏には、「秤」「詔」「法」の距離と次第を改めて引かんとする苦渋、隠然として存す。
また宰相は、沈黙の義を制度知に移さんとして言を遺す。曰く、
「沈黙は事実の抽出にして、責の一身引受なり」。
是れ、倫理を記録と手続へ繋ぐ始点なり。
歴代の王朝、象徴の曖昧ゆえに制度を損ねし例多く、本件もまた然り。
後哲曰く――
此秘史の教ふる所、簡にして要なり。曰く、
行ひは記録となり、手続を経て、制度に至る。順序は易く覆らず。
国の興廃、必ずしも矩律に由らず。究竟は、操持する人に懸る。凡そ法令・章程たるや、世運とともに容貌を変じ、また常に正義に合するものに非ず。蓋し要は、その場場において、一人ひとり自ら秤を執り、己が身を以て責を負ふ覚悟に存す。
沈黙は、ただ規矩や成文に託して責を遁るる術にあらず。己が決断と覚悟を一身に凝らす、烈々たる証なり。若し大義の志を喪ひ、法則や順序のみに依りて安んずるときは、制度もまた空洞となり、歴史は重ねて亡失と過誤の途を辿るを免れ難し。
人移り、時移ろふとも、独り“量り手”の節操と胆力こそは、世を貫き、国を導く根本にして、他に比肩すべきものなし。
――称之曰「黙之雄弁」と。
◇
《詔学記釈義》
古記「黙之雄弁」所収の事件、後世“沈黙の議定”と称す。
この年、王朝は戦乱の燼を漸く鎮めたるも、法と詔とが未だ調はず。
学者ユリウス・コルネリウス、旧史を紐解きて『詔学記』を著して曰く――
「秤と詔との秩序、当時すでに制度外に在り」と。
彼、史書の断簡を披見し、かの沈黙の定式を引用して、これを倫理説に非ず、まさしく政治文体の転轍、制度理念の画期にして解す。曰く、沈黙の制度化とは、発話の意が形式へと還元されるその一瞬を指し、この形式、すなわち後世法典学の称する審理文言の端緒たり。
論者の間、議論しきりに起こる。沈黙を承認と唱ふ輩あり、後日、院議これを却く。一方、宰相の言をして『制度更新の遺詔』となす者あり、また一方、沈黙によりて権威の承認を証せしと見る者あり。
しかれどもユリウス、明断して曰く――『彼ら、沈黙を論じて辞を綴るのみ、沈黙その本質を窮めず』と。彼が解するところによれば、沈黙は詔文の欠刻にして、即ち“制度の留白”の標なるなり。
留白、すなはち余白。
斯くて理、その奥に宿し、後の世の法吏これを『秩序の曖昧域』と称し、条尾に「該当せざるものは理に従ふ」と記す例を生み、後に沈黙条文と総称される。
ユリウス、稿末に記して曰く。
「沈黙は空白に非ず、空白を空白たらしむるは、これ標となるものなり。
制度は語らざる処にて呼吸し、人は閑寂に耳を澄ます時、はじめて理の深奥に触れること能ふ。」
而して『詔学記』は、王朝末期の知の伝者、秤の伝説を史料学の筆に移し留めし最後の証となれり。但し、沈黙を“同意の印”と読み替へんとする企み、時に起こる。記録の作法、ここを以て境とす。斯くして“黙”に帰した制度の観念、再び紙上に蘇りて、聴き手なき詔の理念は記録を媒にして永劫を巡りつづけん。
――後史また書して曰く、
「黙すこと、ゆゑに伝はる。これ、史の第二の声なり」と。
◇◇◇◇◇
要するに、黙は同意にあらず――責を一身に引受け、制度の呼吸を次代へ繋ぐための「史の第二の声」なり。
最後までお読みいただきありがとうございます。
これで第一部 第一王子編は完結です。
【次話予告】
次の2話は本編ではなく「王朝秘史演義」として王朝秘史をわかりやすく現代語で書いた人の視点から書いております。
次回の投稿は明日21時頃の予定です。
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