30 眠り姫の起床
――フィー、何があっても、永遠に愛してるよ
耳に残るのは愛しい人の言葉だ。
寮の自室でジュリアスに夜這いを仕掛けられ、それを受け入れて愛し合い、幸せに包まれながら直後に意識を落としていたフィオナは、ジュリアスと、それからたぶん自分が生んだ一歳くらいのジュリアスに激似の赤子と一緒に、優雅なティータイムをしているという、夢の中でも幸せすぎる時を過ごしていた。
――……ベル、キャンベル、起きろ。起きろ、フィオナ!
しかし不意に夢の登場人物以外の誰かに名を呼ばれて、幸せな夢から浮上した。
自分を呼ぶのは、ジュリアスに似ているが、彼とは違う、低くて渋さのある美声だった。
名前を呼ばれたフィオナの目がゆっくりと開かれて、灰色の瞳があらわになる。フィオナはこちらを見下ろす、自身と同じ灰色の瞳を見た。
「隊、長…………?」
ベッドに横になっているフィオナの枕元に佇んでいたのは、銃騎士隊の隊服を着た、ジュリアスの養父――とフィオナは思っている――アーク・ブラッドレイ二番隊長だ。
アークを見上げながら、寝起きのフィオナは半覚醒のはっきりしない頭で違和感を感じていた。その一つが、ジュリアスとアークの声が似ていることだった。本当の親子なんじゃないかというくらいに。
(どうして、気付かなかったんだろう……)
フィオナはこの時に、霞が掛かった思考の影響で先入観を取っ払った状態になっていたため、「ジュリアスとアークに血の繋がりがない」というのが、『彼の嘘ではないか?』という疑いを、初めて持った。
ただ、フィオナがこれまでその可能性に思い至らなかったのは、アークにガン無視されまくっていたので、あまり彼の声を聞いたことがなかった、という事情もある。
元々アークは好き勝手に各地の隊に滞在して回る人で、本部にいることの方が少ない。訓練生の頃にジュリアスの実家に遊びに行っても、家にいたためしがないし、流石に入隊してからは所属部隊の長なので顔を合わせたことはあるが、仕事上の事務報告をした後の「ああ」という返事の声しか聞いたことがなかった。
アークは無表情が常と言われているが、初期の頃はフィオナに対しては眼光鋭く無言で睨みつけてくることが多かった。フィオナはその態度から、ジュリアスとの婚約――当時は偽装だったが――をアークがよく思っていないのは、何となくわかっていた。
その嫌われ具合は、ジュリアスと魔力補充を始めた頃が一番ひどかった。
ジュリアスがその場にいない時限定だったが、感情が乗らないはずのその瞳に、こちらへの強烈な怒気を宿らせて、呪殺されそうな強力な眼力を飛ばしてくるようになった。フィオナは「鬼畜隊長」の二つ名を持つアークからのその無言の圧力に、パワハラを超えた本気の殺意を感じて、身の危険を感じ震えて恐怖したものだった。
一度ジュリアスに、「隊長こわい」と伝えたところ、ジュリアスとアークの間でたぶん何か話し合いがあったようで、以降、呪殺的視線を向けられることはなくなったが、そこからアークの中ではフィオナの存在は「消された」らしく、同じ空間にいてもフル無視で、いないものとして扱われ続けた。
ずっと没交渉だったが、それでも赤子の頃に父親を亡くして、面影も写真で見るだけだったフィオナは、『いつか隊長を「お義父様」と呼んでみたいな』とは思っていた。
フィオナはアークから初めてファーストネームを呼ばれたので、『隊長、私の名前知ってたんだ』くらいの驚きはあり、寝起き早々困惑顔でアークを見つめた。
(何で腕が真っ黒焦げ……)
見てすぐわかったが、アークは片腕に火傷のような大怪我を負っていた。
それはアークが戦場からやって来たことを示している。
緊急事態が起こっていると察したフィオナはとりあえず寝ていた状態から上半身を起こし、隊服を着ようと思ったが、そこで周囲を見渡して第二の違和感の正体に気付く。
(ここ、寮じゃない……)
フィオナがいるのは、ジュリアスと初めて結ばれた海辺の別荘にある私室だった。
フィオナはここが眠る直前までいた銃騎士隊独身寮の部屋ではないことに、ひどく困惑して、きょろきょろとあたりを見回した。
「キャンベル、一緒に来てくれ。このままではジュリアスが死ぬ可能性が高い」
フィオナはアークに入隊直後くらいに呼ばれたきりの名字呼びをされたが、本日再び名を呼ばれたことに驚く暇もない。「ジュリアスが死ぬ」という言葉に眠気が吹っ飛び、考えるよりも先に身体が動いたフィオナは、寝衣の令嬢姿のままで部屋を飛び出そうとした。
「待て」
しかし呼び止められ、上官もとい畏怖の対象からのお言葉に、銃騎士の性か、フィオナはピシッと両足を揃えてアークを振り返った。
「キャンベル、ジュリアスの所に行く前に、どうしてもお前に言っておかねばならないことがある」
無表情でいることが多いアークが、顔に焦りの色を浮かべている。そしてあり得ないことに、どこかフィオナに縋るような表情もしていた。
フィオナは直感的に『とても重大な話をこれからされる』と悟った。




