29 前夜
短編版の後半部を若干変えたものです
ジュリアス視点
愛しい婚約者に眠りの魔法をかけたジュリアスは、本来の姿に戻っている彼女を抱きかかえ、とある場所に来ていた。
ここはフィオナと初めて結ばれた、海辺に近いキャンベル伯爵家の別荘だ。キャンベル伯領からは遠い地にあり、万一のことがあっても獣人王シドのいた里からは遠いため彼女に危険が迫る可能性も低い。
今は時期ではないために使用人も含め別荘に滞在する者はいない。無人の場所に一人無防備なままで残すことになる大切な恋人に、一切の危険がないようにと、ジュリアスは寝台に横たわらせた状態の彼女の身体の周囲に盾の魔法をかけた。
こうしておけば、大地震が来て家具が倒れたり強盗が入ってきて寝込みを襲われそうになっても、彼女は守られる。ジュリアス以外の人や者はフィオナには触れられない。
(彼女は俺だけのものだから)
もしも自分に何かあり迎えに来られず、札からの魔力が切れてフィオナが一人きりで目覚めたとしても、勝手知ったる実家の別荘ならば、彼女一人だけでもどうにかできるだろう。
続けてジュリアスはこの屋敷全体に迷宮の魔法をかけた。誰かが屋敷の中に侵入してきてもフィオナがいるこの部屋には辿り着けない。
ジュリアスの魔法を破れるとしたら同じ魔法使いだけだろう。ジュリアスの知る魔法使いは、家族以外では『真眼』の魔法使いだけだ。今や敵同士となってしまったが、マグノリアの性格から考えると、よほどの事態にでもならない限りフィオナに危害を加えるようなことはしないだろう。
ましてマグノリアは今回の作戦の目的には反対しないはずだ。彼女は自分たちと同様、シドは死ぬべきだと考えている。
ジュリアスは眠るフィオナの頬を愛しそうに撫でた。
ジュリアスがフィオナを強制的に眠らせてこんなことをしているのには理由がある。
獣人の里に潜んでいた弟シリウスから、獣人姫ヴィクトリアが里から逃げ出したという緊急の連絡が入った。シドは現在、我を忘れたかのようにヴィクトリアの匂いを追いかけているという。
事態が動いた。上手くいけばシドを捕まえることができるかもしれない。銃騎士隊全体で事に当たらなければならない大事な局面だ。
シドを相手にするならば不測の事態が起こる可能性が高いし命の保証もないが、全ては覚悟の上だ。しかしフィオナだけは駄目だ。
(たとえ人類や世界が滅んでもいいから君だけは生きていてほしい)
フィオナはシドを捕まえるために色々なことを犠牲にして銃騎士になった。ジュリアスだってそのことは良くわかっている。しかし彼はフィオナの意志を完全に無視して、作戦には参加させないことにした。ジュリアスは自分を含めた仲間たちを危険に晒そうとしている一方で、彼女だけを安全な所へ連れて来た。
目が覚めた時にすべてを理解したら彼女は怒り、裏切られたと感じ、困惑するかもしれないと思った。けれど恨まれても構わない。ジュリアスはもう賽を投げてしまった。
(最初はこんな関係になるつもりじゃなかった。リィとの結婚を回避できればそれでよかった)
フィオナ自身の結婚にできるだけ影響がないようにと、早めに解放するつもりだった。
(けれど愛してしまった。もう取り返しがつかないほどに愛している)
顔を撫でていたジュリアスの手がフィオナの腹部に移動する。
シリウスからの連絡を受けた後、各所に指示を飛ばしながらジュリアスは一計を案じた。既に就寝していたフィオナの部屋に忍び込み、彼女を抱いた。
彼女と寮の部屋は隣り同士だ。いつも仕事が終わればどちらかの部屋で二人きりで過ごす。昨夜もそういう雰囲気になりかけたが――少なくとも彼女はそのつもりがあったようだが――ジュリアスは何食わぬ顔でさらりとフィオナを部屋へ帰してしまった。
そんなことがあったから余計に、フィオナを起こすと、ジュリアスが夜這いに来たと気付いて驚いていたが、抵抗もなく受け入れてくれた。
フィオナは胸が小さいことを気にしていたが、そこまで思い悩むほどではないと思う。
以前、すごく魅力的だよと言ったら、フィオナはジュリアスが貧乳好きだと思ったらしかった。でもジュリアスはフィオナの胸だから好きなのだ。男のように硬い筋肉しかなくてペッタンコだろうと、逆に肩が凝りそうなほどに豊満だろうと、フィオナの胸ならばどんな胸でも好きだ。フィオナだから好きなのだ。
いつものように避妊具は使わない。フィオナはジュリアスの魔法があるから大丈夫だと信じている。彼女はおかしいとも思わないし何も気付かない。
今日はフィオナの排卵日だ。だから妊娠する。
仕込んでしまった。
子供が出来たことで彼女の覚悟が決まり、自分との結婚に諾と言ってくれるならそれでいいのだが、勝手にこんなことをしてしまって、すべてを理解した彼女に捨てられてしまう可能性もあった。
けれど、それでも子供は残る。
ジュリアスはフィオナの下腹部に手を置きながら胎内の様子を探る。既に彼女の小さな卵の中には自分の種が入り込み、受精卵が出来ている。
けれどまだ不安定だ。このまま着床せず流れることもある。
いけないことだとわかっていながら、ジュリアスは魔法を使い、確実に着床できる所まで卵を移動させた。
(ここまですればフィーは確実に俺の子を産むだろう)
罪悪感がないわけではないが、もう逃がすつもりもなかった。罪の意識と同時に途方もない幸福感に包まれるのは、別れをちらつかせて半ば脅すように身体の関係を迫り、彼女の初めてを貰った時以来か。
これはジュリアスのわがままだった。
こうしておけば、この先彼女が他の男と一緒になったとしても、ジュリアスの子を産んだ事実は消えない。子供を通して、一生ジュリアスを意識せざるを得なくなる。
絆はずっと、切り離せない。
(たとえ、俺が死んでも)
フィオナは、獣人に殺された家族の仇討ちのために貴族令嬢としてのあるべき生活を手放した。家族思いのフィオナは自分の子を捨てたりはしないという確信があった。
道のりがどんなに辛くとも、彼女ならば切り捨てずに育てるはずだ。
ジュリアスとて、フィオナが許してくれるのならば、この命ある限りずっとそばにいるつもりだ。シド捕獲のための作戦は以前より練ってある。成功する算段も高い。死ぬつもりはさらさらなかった。
けれどなぜだろう、今回ばかりはどうしてか、妙に胸騒ぎがするのだ――――
ジュリアスは眠るフィオナに口付けを落とした。
「愛している。永遠に――――」
ジュリアスは彼の眠り姫に必ず帰ると誓ってからその場を後にした。
ジュリアスはシド捕獲作戦の場となる予定の「九番隊砦」へと赴く――――




