14 フォギー村のレイン
初めての遠征以降も、宿泊の訓練や一人きりの時に訓練生たちの魔の手が迫りそうになると、必ずジュリアスか、ノエルかセシルのうちの誰かがやって来て――セシルだけは用事がない時でも瞬間移動でいきなり遊びに来たが――助けてくれて、フィオナは順調に学校の課題をこなしていった。
入校して半年ほど経過した初夏の頃、フィオナは初めてジュリアスの実家「ブラッドレイ家」にお呼ばれする機会があった。
学校が休みの日、初めての彼の実家へのご挨拶に緊張しつつ、兄の姿になれる魔法の指輪を外してカジュアルな夏用のドレスを着たフィオナは、迎えに来たジュリアスと共に護衛の従者も連れて伯爵家の馬車に乗り込み、ブラッドレイ家に向かった。
フィオナがあまりにも表に出てこなさすぎて、巷では「フィオナ死亡説」まで出てきている始末である。本当は転移魔法を使えばブラッドレイ家までは一瞬で着くが、たまには動向を表に出して婚約が順調であることを示すのも良いと、本日は男装はせず、貴族令嬢の姿で「婚約者の実家に遊びに行く」ことになった。
ジュリアスは人気者なので、馬車の中にいるのをすぐに発見されて、老若男女問わず道行く人にぽ~っと姿を眺められたり、歓声を上げられたりしていた。
彼らが見つめるジュリアスの隣にはフィオナの姿もあるので、「フィオナ死亡説」の否定だけではなくて、「不仲説」や「婚約破棄間近説」も多少は払拭できるかなと思った。
ただ実家と言っても、ジュリアスの人気がものすごいためにブラッドレイ家に突撃する者が多く、混乱を避けるためにジュリアス自身は現在、女人禁制の銃騎士隊員用独身寮に住んでいるという。
ブラッドレイ家は平民一家だが、父アークは銃騎士隊二番隊長を務めていて稼ぎは良い。子だくさんで家族も多いため、閑静な高級住宅地の一角に広めの庭付き一戸建てを構えている。
不審者の侵入を防ぐためか敷地内には柵がぐるりと一周巡らされていた。
ジュリアスの乗る馬車に気付いた町の人たちの中には、走って後を追って来る者もいた。しかし馬車ごと庭に入って門を閉めると、パシャパシャと写真を撮る者はいたが、侵入する者まではいなかった。
フィオナはジュリアスに手を取られながら馬車を降りた。
「こんにちは」
ジュリアスにエスコートされながら玄関に向かっていると、庭で遊んでいた三歳くらいの幼児二人組に声をかけられた。一人はフィオナと同じ灰色の髪と瞳を持つ、光り輝く美幼児だったので、ジュリアスの一番下の弟に違いないと思った。
「弟のカインと、グレアム商会を営む家の娘さんの、ジーナちゃんだ。家が近くなんだ」
グレアム商会は平民が興した商会だが、割と羽振りが良いと聞いている。
「はじめまして、お兄さんの婚約者のフィオナ・キャンベルです。家で焼いてきたクッキーを持ってきたから、一緒にお茶する?
紅茶の葉を混ぜ込んだクッキーも作ってみたんだけど、香りが良くて私のおすすめなの。チョコチップ入りの甘いクッキーもあるよ」
「わあ、ありがとう!」
「……」
あどけなくニコニコと笑って返事をしたのはジーナだ。一方のカインは若干顔を引きつらせたようにも見えたので、『素人が作った手作りクッキー』じゃなくて、お店で買ったお菓子を持ってくれば良かったかなと思った。
「カイ、冷たい牛乳飲む?」
ジュリアスは弟たちのことをいつも愛称で呼んでいる。
「飲む!」
カインはよほど牛乳が好物らしく、『牛乳』の単語を聞いた途端に目をキラキラと輝かせると、ジーナの手を握って我先にと家の中へ入って行った。
家の客間にはノエルと、もうすぐ産み月に入るという大きなお腹を抱えた母親のロゼがいた。
ロゼは、愛妻家らしい宗主配クラウスが血迷うのが納得できるほどの、ジュリアスとの血の繋がりも一目で理解できる、白金髪碧眼のものすごい美女だった。
ちなみに父親のアークは本日仕事で不在らしく、セシルもどこかへ出掛けていて、行き先は不明という話だった。
「苦労をかけてしまうと思いますが、よろしくお願いしますね」
ロゼは暗い過去を全く滲ませないような明るい雰囲気の人だった。ロゼは偽装婚約の件も承知していると聞くが、挨拶をするフィオナに嫌な顔一つ見せず、逆に励ますようなことも言ってくれた。
「ノエちゃん、レイン君にもクッキーを持っていってあげて」
お茶の用意をするロゼは、母親を手伝っていたノエルに、皿に分けたフィオナ作のクッキーと紅茶の載ったトレイを渡していた。
「レインさんというのは?」
フィオナはこれまで会ったジュリアスの弟たちの中で、次男のシリウスにだけまだ会っていないが、シリウスは病気療養のために海外にいるという話であり、そもそも「レイン」では名前が違うので、家族以外でこの家に誰かいるのかなと思った。
「レインはこの前の『フォギー村襲撃事件』の生き残りだ。銃騎士になりたいそうだが、身寄りを失くしていて、父さんが連れ帰ってきたんだ」
フォギー村はキャンベル伯領内にある村だが、少し前にシドが率いる獣人たちの大規模な襲撃に遭っている。
被害は甚大らしく、キャスリンは廃村にせざるを得ないという判断をしていた。廃村の手続きのために経緯が書かれた手紙がタウンハウスの執事夫妻にも届いていて、フィオナもその手紙を読んでいる。故郷のことを思うと、フィオナの胸も痛んだ。
「レインは襲撃の衝撃からまだ立ち直れていなくて、落ち込みも酷いけど、領主の家のご令嬢に会ったら元気が出るかもしれないから、彼の状態が落ち着いたら会ってもらえる?」
「ええ、もちろんよ」
フィオナは一も二もなく頷いた。今この瞬間にも、世界のどこかで獣人に襲われている人がいるのかもしれないと思うと、優雅にお茶を飲んでいる場合ではないと思ってしまうが、フィオナができることは限られていて、目の前の課題を一つ一つやっていくしかないと思った。
(とにかく早く学校を卒業して、一人前の銃騎士にならないと)
フィオナは既に、貴族特例により一年で学校を卒業しようと決めていた。
ノエルがトレイを持って部屋を出ていき、フィオナもお茶を頂いていると、ダダダダダ…… と、誰かが急いで階段を降りて走っている音が聞こえてきた。
「フィオナ様!」
バーン! と荒々しく扉を開け放ちながら部屋に姿を見せたのは、ちょっとやつれたような表情だが顔立ちの整った、十代半ばくらいの黒髪黒眼の少年だった。
「フィオナ様! フィオナ様ぁぁぁっ!」
フィオナはこのレインという少年とは初対面だ。しかしレインは目に涙を浮かべて、もしも尻尾があったら猛烈にぶん回しているように見えるほどに、激烈に感動した様子だった。
(この感じ…… 彼はギルに似ているかも……)
祖母の邪魔さえなければ相思相愛だったかもしれない実家の使用人ギルバートの姿を頭の片隅に浮かべながら、フィオナは迫るレインに危機感を覚えた。
「「落ち着いて」」
今にもフィオナに襲いかかって抱きつきそうな勢いのレインに、ジュリアスと、後からやって来たノエルが手を伸ばして、物理で引き剥がしていた。
「フィオナ様のお姿を間近で拝見できて幸せです! 頑張ります! 俺、必ず銃騎士になります! ありがとうございますフィオナ様っ!」
フィオナは特に何もしていないが、床に跪いたレインは、目を輝かせながらフィオナを見つめて感謝を述べている。レインはフィオナと対面し、お言葉を賜れただけで打ち震えて、猛烈に感動している様子だった。
「は、はい…… 頑張ってください」
「ッ! フィオナ様ァァァっ!」
フィオナがレインの勢いに呑まれる形で「頑張れ」と声をかけると、血走らせた目をカッと見開いたレインが、興奮のままに彼女に手を伸ばした。
「「はい、離れて」」
レインはにじり寄ってフィオナのお手々をギュッと握りしめようとしただけだが、その前にユニゾンで声を響かせたジュリアスとノエルの兄弟が、フィオナとレインの距離を離した。
危険生物と見なされたのか、その後レインは、ズルズル~と、年下のはずのノエルの腕力に逆らえないような形で、客間から強制退去して行った。




