11 彼の弟 ―ノエル―
「キャンベル! へばるな! これ以上遅れたら貴様に基礎特訓追加三セットを課すぞ!」
「は、はいぃ……!」
(追加は絶対に嫌~~!!)
デビュタントも無事に済ませ、年が明けて銃騎士養成学校に兄フィリップとして入校したフィオナは、今日も今日とて訓練に四苦八苦していた。
教官の言う「基礎特訓」とは通称「地獄の特訓」と呼ばれている銃騎士隊名物の筋トレと走り込みを組み合わせた訓練法だ。しかし担当する教官次第では、課される回数が多すぎて筋肉が悲鳴を上げたまま終わらない地獄と化すため、そう呼ばれている。
フィオナは貴族であるし、年齢がバラバラな訓練生の中でも一番下の年齢であるので、体格差に合わせて回数を調整されることも多かったが、本日担当の教官は「俺はそんな生ぬるいことはしないっ!」と言い放ち、全員一律に同じ回数を課していた。
年齢差もあるが性差もあり、フィオナは他の者たちから周回遅れをし始め、鬼教官から発破をかけられていた。
(うえぇ…… なんか気持ち悪くなってきたかも……)
ヘロヘロになりながら必死で身体を動かすも、入校後から一ヶ月程度経った現在も季節はまだ冬のはずなのに、発汗が止まらず、視界もグニャグニャしてきて、フィオナはまともに訓練できる状態ではなくなり、今にも倒れそうになっていた。
しかし、フッと視界が暗闇に覆われそうになった瞬間、フィオナは急にシャキーンと視界が鮮明になり、身体中の疲労もどこかへ吹き飛んだ感じになった。『まだまだいけるっ!』と自らを鼓舞したフィオナは、足に力を込めて爆走した。
「いいぞキャンベル! その調子だ! 貴族から銃騎士になろうとする気骨のある男よ! 貴様は銃騎士隊の希望の星だ!」
鬼教官からは褒められたが、訓練終了後、フィオナの身体はそれまでの疲労が一気にズーンと蓄積されたようになってしまい、訓練場に仰向けになって倒れ込んでいた。
「あまり無理するからですよ。調子に乗りましたね」
(誰……?)
フィオナと同様に疲労困憊の同期たちが寮に引き上げたり帰路に就こうと歩き出す中、同期たちにしては妙に高い声を聞いたフィオナは、声のした方に視線をやった。
(……ああ、目の保養)
そこにいたのはフィオナよりも一、二歳ほど年下に思える超絶美少年だった。
少年の髪色は灰色だが、瞳の色はジュリアスと同じ透き通るような青色で、顔の造形も似ている感じだったので、ジュリアスの弟だろうと思った。
フィオナの実家キャンベル家には婚約の挨拶はしたが、ジュリアスの実家ブラッドレイ家には、「婚約は偽装」とジュリアスから説明があったようで、いつかは解消されるものでもあるし、挨拶や顔合わせのような場は設けられなかった。
なのでフィオナは、「ブラッドレイ家三男のノエルです」と名乗ったジュリアスの弟に会うのも、これが初めてだった。
『先ほどあなたが倒れそうだったので、魔法を使って回復させました。今も辛そうなので、治癒魔法を使いますね』
ノエルは子供なのに丁寧語を使うようだが、彼の口元は動いていないのに、いきなり頭の中に明瞭な声が響いた。
これは魔法の一つである精神感応というやつで、周囲の者に発言内容を聞かれたくない時に使う魔法らしい。
精神感応は、フィオナもジュリアスに使われたことがあるのでさほど驚きはないが、身体のぐったり感が嘘のように和らいでいく治癒魔法の感覚には驚いた。
フィオナが回復系の魔法を使われたのはその日が初めてだった。
『女性であるあなたをこのような目に遭わせて手助けもしないとは、やはりジュリ兄さんは鬼ですね』
フィオナはジュリアスから、彼の弟たちや父アークが魔法使いであることは聞いている。
彼らは「魔法」によってフィオナが女であることは見抜くだろうが、「口止めは完璧にする」ともジュリアスに言われている。
ジュリアスを完全に信頼しているフィオナは、彼の家族から秘密が漏れることはないだろうと思った。
「これは私が望んだことだから、いいんだよ」
ノエルに手を取られて立ち上がりながら、フィオナは男装生活にも慣れて板に付いてきた男言葉で、ジュリアスを庇うような発言をした。
ジュリアスは、女であることを隠す手助けはしてくれるが、銃騎士になることについては、わりと厳し目に見ているようだった。
これまでジュリアスが「学校の訓練内容」に関して手助けをしてきたことはない。
「こちらは差し入れです」
訓練服に付いた土汚れをはたいて落としていると、ノエルが茶色い小瓶が十本ほど入った手の中にあるカゴを差し出してきた。
「これは、栄養ドリンク……?」
訓練校に入校してからよくお世話になっている小瓶に似ていて、フィオナは思わず呟く。
『そうですね、栄養ドリンクみたいなものです。これを飲めば治癒魔法を使ったのと同等の疲労回復、滋養強壮効果があります。
ドーピングになるのかもしれませんが、あなたは女性なのですから、これを使用してちょうど良いくらいですよ』
訓練は頑張っているつもりだが、あまり他の訓練生との差が開きすぎると落第の危険性がある。単位が取れなければ退学になってしまうので、何が何でも銃騎士になりたいフィオナはその「魔法のドリンク」をありがたく受け取ることにした。
『ただし、飲み過ぎると効果が薄くなるので、多くても一日三本程度までにしてくださいね。
気に入っていただけたなら、多めに作って、今度は伯爵家のタウンハウスまでお届けします』
訓練生の多くは寮生活をしているが、集団で男風呂に入らなければならないので、フィオナはキャンベル伯爵家のタウンハウスから学校に通っていた。
「ありがとう、ノエル君は優しいね」
ジュリアス以外の協力者の登場に、フィオナは頬を自然と緩ませてニコニコしているが、ノエルは現れた時からずっと、思い詰めたというか、硬い表情のままだ。
『実は、差し入れはあなたに会いに来るための口実なんです。ジュリ兄さんについて、一度あなたと話がしたいと思っていました』
フィオナは、『ジュリアス似の美少年が美しすぎる……』などと思っていて、ジュリアスの弟との初対面にほのぼのとした心地でいたが、ノエルの緊張感を孕んだ精神感応の声音を聞き、何だろうと笑みを消した。
『気を付けてくださいね。ジュリ兄さんは――――』




