1 お前だけは
「おばあ様! 私がこのキャンベル伯爵家を継ぎます!」
フィオナの次兄である少年伯爵フィリップが、自身の婚約式にて獣人王シドの襲撃を受け、亡くなってから数日後――――
衝撃から立ち直れず混沌とする伯爵家にて、内々で済ませたフィリップの葬儀の後、前伯爵である祖母キャスリンの執務室に乗り込んだフィオナ・キャンベル伯爵令嬢は、悲しみを破るように決意を込めてそう宣言した。
執務机にてサラサラと書類にペンを走らせていたキャスリンは、フィオナの宣言を受けて手を止め、正面から孫娘を見据えた。
祖母キャスリンは、もうすぐ五十歳とは思えないほどに肌艶が良く、シワもほぼなくて、フィオナにも受け継がれたその灰色の髪は毛先まで良く手入れされていて美しく、まさに『美魔女』と呼ぶに相応しい若々しい容貌の持ち主だ。
おまけにドレスを押し上げているキャスリンの胸はかなり豊満なので、亡き母は騎士をしていたせいか胸が筋肉になってしまい「貧乳になった」と母自身が語っていたが、現在十一歳のフィオナは、そのうちに自分も祖母のような巨乳になるに違いないと信じている。
祖母は隣国の公爵家出身だ。亡き祖父イーサンとの結婚のために海を渡りこちらに嫁いできたが、婚姻と同時にイーサンの両親と養子縁組をしたため、キャンベル家の血を引いていなくても爵位が継げた。
キャスリンはこれまで、子や孫が成人するまでの繋ぎのような形で何度も女伯爵をしていたし、今も、亡くなってしまったフィリップの代わりに当主の仕事をしていた。
「この家はオルフェスに継がせます。お前は嫁に行きなさい」
そう返す祖母の顔は暗い。
孫のフィリップが死亡したばかりではあるが、悲しみに暮れている、というよりも、今の祖母は思い詰めたような印象の方が強い。
オルフェスとは、キャンベル伯爵家私兵団長を務めている若者であり、祖父イーサンが妾に生ませた子供だ。
黒髪碧眼のオルフェスはイーサンにそっくりな見た目をしていて、明らかに祖父の実子であるにも関わらず、キャスリンはオルフェスが夫の子であることを、公式には頑なに認めなかった。
現在、キャンベル伯爵家の直系はフィオナしかいない。この国の爵位継承は男子が基本ではあるが、直系に男子がいない場合は、女子にも爵位継承が認められる。
けれど、次代の伯爵に、フィオナかオルフェスかどちらを選ぶかという選択において、祖母はオルフェスを選んだ。
「オルフェスには話を通してあります。お前の出る幕はありません」
そしてキャスリンは、フィオナに向かっていつもの決まり文句を言う。
「お前は嫁に行きなさい」
フィオナは苦虫を噛み潰したような表情になった。
フィオナが不満に思うのは、爵位を継げないことではなくて、『嫁に行け』発言に対してだ。
次代の伯爵については、現在伯爵家のすべての実権を握る祖母が決めることなので別にそれは良い。
しかし、毎回毎回『嫁に行け』と言われるのは、『いずれこの家を出る者だから』と、一歩蚊帳の外に置かれている気がして、いつも寂しかった。
「……おばあ様、私だって、キャンベル伯爵家の一員です。この家のために、何かしたいんです」
「嫁に行きなさい」
「……」
「フィー」
完全にむすっとした表情になるフィオナに対し、祖母はペンを置いて立ち上がると、手招きしてフィオナを呼んだ。
幼い頃に父母を獣人に殺されてしまったフィオナにとって、キャスリンは親同然の存在であり、「おいで」と言われれば、雛鳥が親にトコトコと付いていくが如く近付いて、祖母にぎゅっと抱きついた。
キャスリンは自分と同じ髪色を持つフィオナの頭を撫でながら口を開く。
「フィーを除け者にしているわけではないのよ。お前だけは、伯爵家を出て、安全な地で天寿を全うしてほしい。
フィーがシドの手に掛かったと聞いた時、肝が冷えた。一歩間違えばお前までシドに穢される所だった……」
フィリップの婚約式襲撃の際、フィオナは『赤い悪魔』こと獣人王シドにファーストキスを奪われてしまっている。
しかし、フィオナ以上に酷い目に遭ったのが次兄フィリップと婚約するはずだった隣国伯爵令嬢アリア・ミーラントで、彼女は婚約式の最中、シドに攫われた上に暴行された。
命は助かったが、身体よりも心の傷の方が深く、アリアはあの日以降ずっと伏せっている。
「フィーと一緒に暮らしたくて、この年になるまでここに置いてしまったけど、お前だけはどうか、無事に生きてほしい…… お前だけは…………」
フィオナを抱くキャスリンの腕に力が込もる。祖母は泣いていた。
祖母は夫も、夫との間の二人の息子も――本当は息子を三人生んだらしいが三人目は死産だったらしい――、故郷から連れてきた従者で、のちに長男の嫁になったフィオナの母も、そして二人の孫も、シド率いる獣人たちに殺されている。
「シドは伯爵家を恨んでいる。シドは、真綿で首を絞めるように、キャンベル家を滅ぼしてしまうつもりなのよ…… この家はもうお終いだわ……」
「おばあ様……」
祖母は気丈な人で、諦めたような発言をしているのを初めて見たが、そのくらいに、今回フィリップを殺されたことで、シドをはじめとした獣人たちに追い詰められているようだった。
「フィー、お兄様に手紙を書いたの。お前を預かってほしいと。
お兄様に任せておけば、恙無く万事整えてくれることでしょう」
『お兄様』というのは、隣国で公爵を務めているキャスリンの長兄のことだ。
隣国で大伯父が婚姻をまとめてくれるから、それに乗れと祖母は言う。
「必要なら、アリアも故郷に帰すわ。ただ、あの子の実家の状況もあるけれど」
アリアはキャスリンと同じ隣国出身だが、故国の伯爵家で虐げられて育ったらしい。
アリア自身は、居心地の良くなかった故国の実家へ戻るよりも、恋人だった二人の兄弟を弔うために――アリアはフィリップの前に長兄フレデリクと婚約していたが、結婚前に長兄は死亡している――、再びこの地の修道院に入りたいと言い出す可能性はあった。
フィオナは、泣きながら話す祖母を見て、これまで『嫁に行け』と言われ続けてきたのは、フィオナを家族の一員として認めていないからではなくて、『フィオナだけは安全な場所で幸せになってほしい』という祖母の願いが込められていたのだと、この時に初めて気付いた。
「…………わかりました、おばあ様。私、隣国へ行きます」
祖母の気持ちを理解したフィオナは、『家族の仇を取りたい』という気持ちに蓋をして、頷いた。




