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07.ニコちゃんマークの男

1時間後、中村は戸梶の部屋の中にいた。

目の奥で、何かが点滅している。


痛みと重さとが交互に波打ち、次第に現実へと意識が引き戻されていく。


「……っくそ、どこだ、ここ……」


中村が目を開けたとき、最初に飛び込んできたのは、天井に揺れる洒落た間接照明の光だった。重たい頭を起こすと、自分が高級そうなレザーソファの上に寝かされていることに気づく。


「気がつきました?」


聞き慣れぬ穏やかな声に振り向けば、戸梶耕介がソファの向かいに腰を下ろしていた。テーブルには冷えた缶コーヒーと氷嚢。


「……なんで、俺が……君の部屋に?」


「あなた、倒れたまま動かなくて……とにかく運ぶしかなかったんです」


「それで、いきなりぶん殴った相手を自分の部屋にご招待か? やさしいねえ」


中村はあたりを見渡す。壁にはポスターが隙間なく貼られ、棚にはミニチュアフィギュアが所狭しと並ぶ。これでもかというほどの“みれん”尽くしだ。


「……本当に、申し訳ありませんでした!あなたが探偵さんだなんて知らなくて」


戸梶は深々と頭を下げた。その仕草に悪意はなく、むしろひどく人間味があった。


「いや、探偵ではないんだが。っていうか、俺、君に何て説明したんだ? 意識が朦朧としてよく思い出せん」


「羽菜ぴょんのご家族に頼まれて調査してるんでしょ?」戸梶は疑うことを知らない子供のような目をしている。


「まあ、そんなとこだが……。てか“はなぴょん”って?」


「沖田羽菜さんのことです。ファンの間では、そう呼ばれてました」


「『ました』か……もうアイツは過去の存在ってことか……」


「……いえ、そんなつもりは……」


「いや、いいんだ。アイツが死んだのは事実だし。しかし、俺が言うのもなんだが、素性のわからねえ人間を簡単に部屋にあげねえ方がよくねえか?おっちゃん心配になるわ……」余計なおせっかいなのは百も承知だが、中村は見るからに怪しい男を部屋に入れて看病までする、戸梶のお人好しさ加減に半分あきれ、半分好意を抱いた。


「だって、このストラップを返しにきてくれたってことは少なくとも悪い人じゃないじゃないですか」戸梶の右手には、あの“みれん”のストラップが大切そうに握られている。そして、戸梶はストラップに目をやり、ニヤニヤし始めた。


「これは僕の命なんですよ」


「いや、返すとは言ってねえんだが……」


「返してくれるんじゃないんですか!?」戸梶は目をひんむいて言った。ストラップのことになると人格が変わるらしい。中村はその目力に気圧されてしまった。


「い、いや……返すよ。返す、それでいい。それは君が持っておくべきだ」


「ありがとうございます!」


「……いやはや、君もなかなか筋金入りだな」


戸梶は照れ笑いを浮かべながら、小さく肩をすくめた。


「『みれん』は僕の人生そのものなんです。誰にも理解されないかもしれないけど、でも、それでいいんです」


「でさあ、こっからが本題なんだが、君からそのストラップを奪った野郎ってどんなやつ? 俺はそいつを探さなきゃならねえんだ。心当たりとかあるかな?」


「ないんです。ただ“ニコちゃんマーク”のお面をつけてるとしか……」


「は? どういうことよ?」


「二ヶ月前に……キャンパスの近くで襲われたんです。後ろから金属バットで……。そして、ストラップをとられて……朦朧とする意識の中で、逃がすまいと必死に犯人にしがみつきました。そしたら、犯人が振り返ったんです。その顔がニコちゃんマークだったんですよ。お面で本当の顔はわからなかった……」


「背格好とかは?」


「背はそんなに高くなかったんですけど、マッチョでした。しがみついた時、すごい筋肉だなって思いましたから」


「警察には?」


「はい、被害届もだしました。でも、交番のお巡りさん、『たかがストラップでしょ』って言わないですけど、顔に書いてましたね。絶対、まともに捜査してないと思います」


「まあ、警察なんてそんなもんよ。面倒くせえことはしたくねえの。ほかに何か犯人の特徴、思い出せるかな?」


「……ちょっとわかりません。でもなんで僕がこのストラップを持ってるって知ったんだろう……それが今だにわからないんです」


「そんなの簡単さ。俺だって君のところに辿りついただろう?」


「……そうでした。怖い世の中ですね」


「ああそうさ。俺たちゃ怖い世の中を生きてる。一寸先は闇だ。闇しかねえ。闇の中を手探りで生きるしかねえんだよ」中村は場違いなほど神妙に言った。アンダーグラウンドを這いずり回って生きてきた中年の哀愁を漂わせながら。


「でも、僕には今日光が差しました。“みれん”が戻ってきてくれたんですから。“指切りみれん”がいない間、ついさっきまでどれだけ僕が真っ暗闇を歩いていたことか……」


「……わかるよ。その気持ち」


ふと、中村の顔が陰った。


「人生で一番大事なものを失ったら、人間どうなるかなんて、誰も教えてくれねぇからな……」


戸梶が不思議そうに中村を見つめたが、その真意を問うことはしなかった。


「ま、大事なものは……しっかりと握りしめておくんだな。すり抜けちまわねえように」


「……ありがとうございます。本当に」


中村の口元に、わずかに笑みが浮かんだ。


* * *


翌朝。

赤いポストの上で、羽菜が足をぶらぶらとさせていた。


「なんでストラップわたしちゃうかなあ!おじさん、バカじゃないの!!うーん……唯一の手がかりがぁ~」


「まぁ、いいんじゃね?」

中村がコンビニのコーヒーを片手に現れ、ポストの脇に立つ。


「一応、警察でも確認はした。戸梶の話は本当だったよ。ちゃんと被害届が出てる」


「じゃあ……本当にその子じゃないんだ。犯人は別にいるのね?」


羽菜の声はどこか寂しげだった。


「そうなるな。つまり、戸梶からストラップを盗んだやつが、本ボシだ」


「そんなの、どうやって調べるの……」


「……ま、地道な方法しかねぇよな」


「地道って、なんかアテあるの?」


「目撃者を探すんだ」


「無駄だよ〜警察がものすごい探してたもん。でも、ダメだったじゃん」


「ばーか、警察が聞き込みしたのは、生きてるやつだけだろ?」


「あ? もしかして」


「幽霊さんたちには聞いてねえだろ?」


曇り空の下、ポストの赤がひときわ鮮やかに映えていた。

その上で羽菜は、少しだけ前を向いて頷いた。

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