05.幻のストラップ
テレビの画面には、羽菜の生前のライブ映像が流れていた。ステージの上で満面の笑みを浮かべ、キレのある振り付けとともに熱唱する姿。観客席には、ペンライトを振りながら彼女の名前を叫ぶ無数のファン。
中村はその光景を、薄暗いアパートの一室で、無言で眺めていた。
部屋は六畳一間。壁紙は薄く黄ばんでおり、カーテンの端は猫にでも引っかかれたように裂けている。床には脱ぎっぱなしのシャツ、食べかけのカップラーメン、コンビニの弁当容器が散乱し、その隙間に踏まれて潰れたタバコの吸い殻が何本も転がっている。
冷蔵庫の扉には「電気代 今月まで」とマジックで殴り書きされた紙がガムテープで貼られており、その横に積み上げられた空き缶タワーは、今にも崩れそうだった。
テーブルの上には例のフィギュア付きストラップが、油染みのそばで転がっている。
「……あいつ、すげー人気あったんだな」
中村は缶ビールを一口飲み干し、くしゃりと潰してテーブルに投げた。
〈今日の『ゴールデンアワー』は、追悼・沖田羽菜さん特集をお送りしています〉
テレビの中では、羽菜の明るい歌声が響き続けているというのに、中村の部屋には埃っぽい空気と、少し酸っぱい臭いが染みついていた。
中村は無精髭を指でこすりながら、テーブルのストラップをつまみ上げ、じっと見つめる。
「……俺は、警察じゃねーってんだよ」
そのとき、ドアがドンドンと叩かれた。
「おい! 中村! 金はできたか!」
中村は乱雑に積まれた衣類を踏み越えて窓に向かう。
「(小声で)五日間待つって昨日言っただろ……」
カーテンをめくって身を乗り出す――が、足を滑らせてあえなく転落。
「イテッ……」
その直後、部屋の下から借金取りの怒声が響いた。
「おめー、逃げようったってそうはいかねーぞ、コラ!」
中村の身に、ドス黒い現実が容赦なく追い打ちをかけていた。
数秒後、殴打と罵声が響き渡った。
*
翌日、中村は絆創膏だらけの顔で秋葉原に降り立った。
電気街の喧騒。メイド服の呼び込み、アニメポスター、そして無数のフィギュア専門店――。中村には場違いな空間だったが、足を引きずるように歩を進めていく。
「ほんとに、こんなとこで手がかり掴めんのかよ……」
フィギュアショップに入る。店内には美少女、ロボット、怪獣まで所狭しと並び、棚はまるで異世界の迷宮のようだ。
カウンターでは、ボサボサの長髪に眼鏡姿の店員が、雑誌に顔を突っ込んでいた。
「すみません」
中村は例のストラップを取り出して見せる。
「これと同じの、ないですか?」
店員は顔を上げもせず、「ないですね」とだけ言い、すぐに視線を雑誌に戻す。
「どこで買えるか、知りません?」
「売ってるとこは、ないと思いますけど」
「……売ってないのに、どうやって手に入れるんだよ」
「……つかんで落とす」
「は?」
*
数十分後。
中村はゲームセンターのUFOキャッチャーの前に張りついていた。
ガラスの向こうには、まさにあのストラップ――いや、“似たような”ストラップが並んでいた。ポップには「バーチャルアイドル・恋野みれんストラップ」とある。
「これか……」
と、隣にいつの間にか男が立っていた。
ぽっちゃりとした中年のオタク風。だが、頭からは血が垂れ、明らかに生者ではない。
「……ども」
中村が挨拶すると、幽霊はニッコリ笑った。だがその笑みが、どこか寒気を誘う。
「あはは……」中村は引きつった笑みを返した。
そのとき、ゲーム機のメンテナンス中だった金髪の若い店員が通りかかる。
「すいません。この“恋野みれん”のストラップって、他の店にもあるんですか?」
「たぶん、どこでもありますよ。今、超人気なんで」
そう言って、軽く頭を下げて去っていった。
中村は、ため息をついてストラップを掲げる。
「マジかよ……これじゃ何の手がかりにもなんねーじゃねぇか……」
と、その時。
「――あーっ!」
幽霊が、興奮したように飛びついてきた。
「お、おい! おどかすなよ!」
「それ、『指切りみれん』だ!」
「は?」
「見てくださいよ、右手。小指立ってるでしょ?」
言われるまま、ストラップをよく見ると、確かにフィギュアの右手はピンと小指を立てている。
「……ほんとだ」
「ふつうのは、ただのグーなんですよ。でもこれは――幻の“指切りバージョン”!」
「幻?」
「うん。キャンペーンで一体だけ混ぜられたっていう都市伝説レベルのやつっす。生きてるうちには見られないと思ってた……」
「アンタ、死んでるけどな」
幽霊ははにかむように笑った。
中村はストラップをもう一度見つめた。
このストラップは「一体だけ混ぜられた」――つまり、「誰か一人」が持っていた、確かな“証”。
「……だとすりゃ、これ、持ってたやつが犯人ってことで、間違いねえな」
中村は、ポケットから手帳を取り出して、ページをめくる。
手がかりは確かに、ここから始まっている。