11.オルゴール
中村は、ポストの前に立ったまま、どこか遠くを見るような目をしていた。
そして、少しの間を置いて呟いた。
「五年前……車を運転してて事故っちゃってね。死にかけた。それからだ」
「そうなんだ……」
「一つ、聞きたいんだけどさ」
中村はポストに背を預け、ポケットからくしゃくしゃの煙草の箱を取り出す。火をつけようとしたが、ライターが見つからない。結局、火を点けることもなく、そのまま指で弄びながら、続けた。
「そのとき、一緒に乗ってた嫁が死んじゃったんだけど……いくら探しても会えないんだ。他の幽霊は見えるのに、あいつだけは見つからない。どこを探しても見えねえ。これってさ、成仏しちゃったってこと?」
羽菜は少しだけ視線を落としてから、そっと答えた。
「基本的には、この世に未練がなかったら、成仏しちゃうみたいだからね……」
中村はふっと笑った。けれど、その笑みはどこか寂しげだった。
「未練、いっぱいあったと思うけどな……。ウェディングドレスも着せてねーし、新婚旅行も行ってねーし、何の贅沢もさせてやれてねーし。唯一、させてやれたのは貧乏暮らしだ。あいつ、金持ちのお嬢さんだったからな、新鮮だったと思うぜ。スーパーの割引ねらいで閉店まぎわに行くとか、風呂の水を何日も使い回すとか」
羽菜はふふっと吹き出した。
「しみったれてるなあ、アハハ」
「言うねえ、お前。でもその通り。だけど、あいつはそういうのなんか楽しんでるみたいだった」
「それ、おじさんの願望じゃない?」
「かもな」
「私だったら成仏できないね、そんなの」
「だろ? 俺も成仏できねえと思うんだよな、ハハハ……」
夜風がポストの上の旗を揺らした。月明かりの下、二人はしばし言葉もなく笑い合った。
*
「おおっ……」
中村が急に声を上げた。視線の先には、電気量販店の壁に貼られた、ど派手なポスター。羽菜と別れたあと、なんとなく家に帰る気がせずに繁華街をぶらついていた時に見つけたのだ。
そこには、恋野みれんのイラストと、可愛らしいオルゴールの写真。そして大きな文字でこう書かれていた。
《オルゴリズムで曲をつくって応募しちゃおう! 君が恋野みれんのプロデューサー》
中村はぐいっと近づいてポスターを凝視した。
「『恋野みれん』とオルゴール……」
「お客さん、気になります?」
後ろから近づいてきた店員が、気さくに声をかけてくる。
「これ、一回締め切ってたんですけど、最近また募集始めたんです。お客さんもどうです? 応募したら。結構かんた――」
「……ねえ、オルゴリズムって何?」
中村が食い気味に聞くと、店員は自分のスマホを取り出して得意げに操作を始めた。
「アプリなんですけどね、鼻歌を録音するといい感じにオルゴールの曲にしてくれるんですよ。ちょっとレトロなインターフェイスとか、けっこう女子高生とかに人気なんですよ」
スマホの画面には、円筒形のシリンダーと、その上に並ぶピンの配置。鼻歌をアップロードするとそれに合わせてピンが配置される仕様らしい。
「気に入らない部分があったり、サビはできたけどAメロBメロが思いつかないなんて時は、AIモードで編集するんです」
「どうやるの!? 詳しく教えてくんない?」
AIモードには「ロック」「ジャズ」「ヒップホップ」などのジャンルや「明るい」「悲しい」などの感情、さらにはテンポやビート、楽器などを選択ボタンがある。自分の好みを入力するだけでAIがまとめて曲に反映してくれるのだ。さらには既存の曲を指定すれば、“似ているがちょっと違う”感じにしてくれたりと、多彩な機能がある。
それから30分、迷惑そうにし始めた店員を足止めして中村は、自分で一曲つくってみた。
――そして、再び夜のポストの前。中村は息を切らしながら羽菜に会いに戻ってきたのだ。
中村の手の中のスマホから、小さなオルゴールのようなメロディが響いていた。
「これ、おじさんがつくったの?」
羽菜が興味深げに覗き込む。
「うん。俺みたいなど素人でもつくれるようになってるよ。すげーもんだ」
「けっこう、いい曲じゃん」
「ま、ほぼ“AIにおまかせモード”なんだけどな」
「なんだ」
『君の背中』は、これ使って作曲されたんだと思う」
羽菜の表情が少し曇る。
「そう。もちろん、私、知ってたよ。元々、『君の背中』って……私のための曲じゃなかったんだ。『恋野みれん』のデビュー曲になる予定だったの」
「ああ、だからデビュー曲を奪われた『恋野みれん』は、まだデビューできてない。一方で、君はその歌を歌ってヒットさせた」
「……私が歌いたいってわがまま言ったから……そのせいで、私、殺されたの?」
沈黙。
しばしの後、中村は静かに言った。
「羽菜ぴょん」
「ん?」
「マネージャーの名前、教えてくれる?」