明希と利成の子供
フローライト第四十四話
(ん?)とカレンダーを見て思う。
(生理が遅れてる?)
予定の日よりすでに三週間経っている。
(気づかなかった・・・)
どうしようと暫し逡巡した。
(怖い・・・)
怖さが先に立った。もし妊娠していたら?
その日の夜、利成に相談した。
「利成・・・」
「ん?」と利成がリビングでスマホを見ながら答えた。
「あのね・・・生理が遅れてて・・・」
そう言ったら利成がハッとした顔で明希を見た。
「ほんと?」
「うん・・・」
「じゃあ、病院に行かなきゃ」
「うん・・・そうなんだけど・・・」
「どれくらい遅れてるの?」
「三週間・・・」
「そう・・・じゃあ、尚更行かなきゃね」
「うん・・・」
不安だった。妊娠は嬉しいことだけど、やはり二度の死産はかなりな傷を作っていた。
「大丈夫だよ」とそれを察した利成が明希に手を伸ばした。
「うん・・・」と利成の手を取ると、そのまま引き寄せられて利成の隣に座った。
「一緒に行こうか?」
「・・・ん・・・」
今度ばかりは不安でしょうがなかった。
「明日でも行こう」
「え?でも・・・」
「大丈夫、午前中空けるよ」
「でも、違うかもしれないよ?」
「うん、それならそれでいいでしょ」
「まあ・・・」
次の日、病院に利成についてきてもらって、待合室に入ってからやっぱり少し利成と来たことを後悔した。待合室に男性がいるだけでも目立つのに、有名人がいるのだから目立ってしょうがない。中にはこっそり写真を撮っている人もいた。
「利成、やっぱり仕事に行ってもいいよ」とたまりかねて明希は言った。
「何で?」と相変わらず平然としている利成。
「・・・だって・・・」とチラッと明希は周りに目をやった。
「明希、今日は診察に来てるんだから、余計なことは気にしないで」
「んー・・・」とうなずいてから明希はうつむいた。
気にしないでと言われても、明希はこうやって注目されるのは嫌なのだ。
やがて診察室に名前を呼ばれて、また一斉に注目を浴びた。
(あー・・・もうこれまた記事になりそう・・・)
「何かあったら呼んでね」と待合室で利成が言った。
明希は頷いてから一人で診察室に入った。
医者がカルテを見て少し厳しい顔を見せた。それから「まず、エコーで見てみましょう」と言われた。尿検査では妊娠の判定が出ているらしい。
ベッドの上に横になりお腹を出す。画像を見てもまだ良くわからなかったが、医者が説明してくれた。どうやらはっきりと妊娠だとわかった。
「あの・・・夫を呼んでお話聞いてもいいですか?」とベッドの上で服を直しながら明希は言った。
「いいですよ」と医者が言う。
明希はいったん待合室に行き利成を呼んだ。
「利成、一緒に話し聞いてもらってもいい?」
明希がそういうと「どうだったの?」と利成が言った。
「うん・・・妊娠みたい・・・」と言うと「そう」と利成は言い、明希の腰を抱くようにさすった。
診察室に入り利成と一緒に話を聞いた。
「七週目くらいですね。ただ以前のこともあるので、色々慎重に経過を見ていきましょう」と言われた。
会計を済ませて利成の待つ車に乗った。
「良かったね」と利成が言った。けれど、明希は答えられなかった。不安の方が大きかったのだ。
「大丈夫だよ」と利成が明希の手を握った
「うん・・・でも・・・」
「でもはなしだよ」
「・・・まだ誰にも言わないで」と明希が言うと「わかった」と利成が言ってくれた。
けれど明希の妊娠はすぐにバレた。やっぱりあの待合室で目立ちすぎていたのだ。すぐにツイッターで拡散され、普通にテレビでも放送されてしまった。
すぐに利成の母から電話がかかって来て、その後明希の父からも電話がきた。
(あーやっぱり、隠すなんて無理か・・・)と悟る。
悪阻は以前よりなかった。なのでわりと食欲もあり、前よりだいぶ体重が増えてしまった。
一樹が家に来た時に「おめでとう」と言ってくれた。けれど、明希は曖昧な笑顔で頷いた。
「明希さん、何か体調悪くて困ったら言ってね」と一樹が言ってくれた。
六か月目に入って通常なら安定期なのだが、明希の不安はどんどん増していった。そんな明希の様子を見かねてか、夜ベッドに入ると利成が言った。
「明希、そんなに不安に思わないでいいよ」
そういって髪を撫でられた。
「うん・・・わかってるんだけど・・・」
「そうだね・・・なかなか身体は言うこと聞いてくれないよね」
「うん・・・恐怖心がどんどん増していっちゃって・・・あと、プレッシャーと」
「プレッシャー?」
「うん、こないだ利成のお母さんに会ったでしょ?その時ほんとによくしてもらって・・・すごく期待されてるから・・・」
「そうか・・・そんな他人の期待なんかに答えなくていいんだよ。みんな自分勝手に言ってるだけなんだから」
「うん・・・でも、利成だって期待あるでしょ?」
「大丈夫、ないって言い方もおかしいけど、自然でいいと思ってるから」
「自然っていうのが普通に生まれるってことじゃないの?」
「”自然”っていうのは、起きてることに逆らわないことなんだよ。”普通”って言う方が自然に逆らってる」
「そうなのかな・・・」
明希利成にくっついた。お腹はわりと大きくなってきていたけれど・・・。
「そうだよ」と利成が明希の額に口づけた。
「もしまたダメだったら・・・ごめんね」
「明希、もうお腹の中の子供にも聞こえるんだよ?」
「・・・うん・・・そうだね」
「そうだよ、心配ほど体に毒なものないからね。大丈夫、何かあっても何も変わらないから」
「ん・・・」
明希は目を閉じた。利成に話して少し恐怖心が和らいだ気がした。
春が過ぎ、初夏が訪れた頃、医者が入院を勧めてきた。
「だいぶ下がってきてるし、子宮口も開いてきてるから、大事を取って入院しましょう」
二回の死産の記録があるので、医者も慎重な様子だった。入院して一週間後、昼過ぎにトイレに行こうと立ち上がった時に、いきなり破水して慌てて明希は看護師を呼んだ。
「あ・・・」と看護師は顔色を変えてすぐに医者を呼びに行った。
もう動かせないからとすぐに分娩室に運ばれた。
「天城さん、ご主人に知らせるなら知らせて下さい」と言われて、スマホで利成のマネージャーさんに電話をかけた。マネージャーさんは「すぐ伝えます」と言ってくれた。後は父に一応知らせた。
陣痛が始まって一時間後くらいに利成が来た。
「ごめんね・・・お仕事中」と痛みに耐えながら明希が言うと「そんなこと気を使わなくていいから」と利成が手を握ってくれた。
痛みより不安の方が勝っていた。痛みなら死産だった時も経験済みだ。
子宮口は開いていたのにいざとなるとなかなか全部開かず、何度も来る痛みに時々気が遠くなりそうになった。
利成が「ちょっと電話一本かけてくるから。すぐもどるよ」といったん分娩室から出て行った。
分娩室の前には父が来てると看護師さんが言った。
(お父さん・・・)
何だかものすごく感傷的になった。今度は赤ちゃんの命じゃなくて、自分の命を取ってほしいと思った。
利成が戻ってきてから更に一時間経ってようやく医者がいきんでいいと言った。もう痛みはピークだった。へとへとだった明希はなかなかいきめなかったので、最後には看護師さんにお腹をぐっと押された。
そして明希は奇跡のような思いで子供の産声を聞いた。
「男の子ですよ」と看護師さんに言われる。利成が少し涙ぐんでいた。
「明希、頑張ったね」と利成が明希の手を握った。
「うん・・・」と明希は分娩代の上でぐったりとした。処置が済んでから担架で病室まで運ばれて戻った。先に病室では利成と父が待っていた。
「明希、良かったな」と父が言った。
「うん・・・」
明希は頷くだけで精一杯だった。
少したって看護師さんが小さな新生児用のベッドに寝かせた赤ん坊を連れてきてくれた。抱き上げて赤ん坊を明希に抱かせてくれた時にようやく実感が湧いてきた。
「小さいね」と利成が言った。
「ん・・・」
「おっぱい飲ませてあげましょうか」と看護師さんが言って、明希の胸の辺りに赤ん坊を抱かせてくれて少し押さえてくれた。
まだ目も開いていない赤ちゃんが明希の乳首が口に当たるとすぐに吸い付いた。以外にも強く吸われる。
「すごいね、ちゃんとわかってるんだ」と利成が言った。
明希は赤ん坊におっぱいを上げながら涙ぐんだ。
(ほんとに生きてるんだよね・・・?)
明希は一生懸命乳首を吸う赤ん坊を見つめた。
退院の日、やっぱり外にはマスコミが張り込んでいた。明希は赤ん坊を抱いて昔そうしたように、裏口からすぐに利成のマネージャーさんの車に乗り込んだ。
「天城はちょっと外せないから僕だけで・・・」とすまなそうに利成のマネージャーさんが言った。
「はい、大丈夫です」と明希は腕の中の赤ん坊を見つめた。小さな欠伸をしてから赤ん坊は眠っているようだった。
名前は奏空と名付けた。明希は「空」という漢字が使いたかったので、それを利成に言うと考えてくれた名前だった。
「この子に奏空という名前をつけたんじゃなくて、空がこの子そのものなんだよ」と利成が言った。




