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第三者

作者: ねここねこ

どうしたらいいの。




第一章~無~


このお話は私の実話です。


私の家族構成は父、母、姉、私、妹の5人の家族です。


私は現在20代で地元を離れ、関東で一人暮らしをしています。


私の生まれは地方で街はそれほど都会でも田舎でもないところで、強いて言うなら自然が豊かな街と言ってもいいでしょう。


夏はクソ暑い、冬は超寒い、車は必須で以外にも不便な街かもしれません。そんな街に私は約20年近く住んでおり、主に学生生活が大半でした。


勉強が嫌いな私にとって学校に行くのは今思えばただの暇つぶしに過ぎない感覚だったのもしれません。私はとにかく朝が弱くいつも母に叩き起こされ学校にいく支度をしていました。でもこれがまた不思議なことで学校に行っちゃえばどうってことないのです。


結論から言えば学校に行くまでがめんどくさいということです。顔を洗い、歯を磨き、寝癖を直し、とにかく朝からやることが多いのが問題だったのです。これに近い感覚を考えた結果。皆さんも恐らく共感してくれると思うのですがお風呂に入るのがめんどくさいなと思ったことはないでしょうか?夕食を食べた後少しだらだらし、親に「早くお風呂に入っちゃって!」と言われたことが恐らくあると思います。そしてこれも入っちゃったら後はやることをやるしかないので自然と手が動くのでどうってことないのです。


このように日々生活していて、私は現在25歳一人暮らし家にいる時間が一番リラックスできる人間なのですが、これらのことは生きているうちは己が最大の敵だと思わなければいけませんね。




第二章~分岐点~


私は現在の生活に、まぁ、うーん、楽しいのかなぁ?となんとも言えない感覚で暮らしています。20歳の時に地元を離れ、引っ越した先にはもちろん友達はゼロ本当に真っ白な状態からスタートしました。ここからはなぜ私が地元を離れ関東に移住してきた理由をお話します。


これはまた学生時代の時のお話に戻りますが、当時私が小学生くらいの時にあることが起こったのです。


それは両親の喧嘩です。


事の発端は当時私も小学生だったので両親がなんでこんなに大きな声を出しているのかが不思議でとても怖かった記憶しかありません。基本的に父が母に威圧をかけている状態で、なんども私ら子供を連れて母の実家に一緒に帰ったことがあります。ですが、私らも平日は学校があり、どうしても父のいる家に帰ってこなければいけませんでした。


ここまでは、まぁよくある夫婦喧嘩だろうと思った方も多いのではないでしょうか。実はこの喧嘩はパチンコで言う確変に入った状態だったのです。それから数年見事に確変が大当たり!両親の不仲が勃発、母が私ら連れて実家に帰るこは最初のうちだけで、それからは言わば家庭内別居が始まりました。その後父が私ら子供だけに話がある言い聞いたところ仮に離婚したらお前たちはどっちに付くという人生において最悪な二択に迫られました。とりあえずここは父と言っとかなければ私たちも家にいれないと思い、当時勉強嫌いだった私は脳をフル回転させ機転を利かせることができました。よくやった当時の私。それから結果的離婚はなくですが、基本的に両親は会話はなく、あるとしたら私ら子供にのことの業務連絡くらいしかありませんでした。あとは子供に経由して話を片方に伝言するという感じですかね。当時は仕方なく私ら姉妹も伝言していたのですは今思えば最悪でしたね。大人の喧嘩に子供を巻き込むなと何度も思いました。あーあもっと普通の生活がしたかったな。




第三章~守~


私は個人的に父が嫌いです。


父の趣味である野球を私が小学生の時に無理やりやらされる。まぁそれはいいでしょう結果的に野球は楽しかったし、嫌いになったのがここからで、家の中で子供らがいる中で平気で煙草を吸う。母が作った料理に文句をつける。母に生活費を1円も渡さない。これは世間一般に父は亭主関白と言うのでしょうか。小さいころから私は父の怒号をたくさん聞聴いてきました。その怒号を聴きすぎて、怒号が聞こえたらまた始まったよという感覚にもなってしまいました(笑)ですがその感情は決して浅はかではなく、基本立場的に母が弱く毎回母が押し倒される状態でした。そんな母の姿を小さい頃から見てきた私らは母のことをほっとけませんでした。職種もパートで住んでいる場所も地方なので、関東に比べたら給料も多くもらえません。そんな少ない給料で母は自分のことは気にせず私ら姉妹にお金を使ってくれました。映画館やちょっとした旅行、母は毎回同じ服しか着ないし鞄も姉妹が使わなくなったもの使うという逆お下がり状態でした。本当は髪も切りたいのに自分のことは全部後回し、本当は苦しい筈なのに私らのまえではいつも笑顔を振るまっていました。そのことを思うと今でも私は胸が苦しいです。


なぜか父は姉と妹には甘くよく2人にはお金を費やしていました。ここで兄弟、姉妹がいる皆さんにお聞きしたいのですが、父親というもは女には甘く男には厳しいものなのでしょうか。恐らくうちでは姉と妹には甘く男の私には厳しかったです。そのような仮にも血が繋がった自分の子供にも差別するような人に私は父が嫌いな原因になったのと思います。


父を怒らせたらダメだ。毎回父が家にいるときは私は父に気を使いながら生活していました。ですが、私も男です思春期がやってきました。理不尽に父から怒られたら泣きながら反抗していた時期がありました。当然父は反抗した私に対して怒り爆発。ついに子供の私に手を挙げられてしまいました。幸いにも姉が仲裁に入ってくれたので助かりました。その後だんだん私も父と距離を置くようになってしまいわかりやすくいうと、母と私vs父のような感じです。もちろんそのような感じになってしまったら当然です。私も父に相手にしてもらえなくなりました。


こうなったら私には母しかいないと思い少しでも母を助けようと思い高校生の時バイトを初めました。バイト代で母に洋服を買ってあげりたりしていました。やはり親というものは自分の子供から物を貰うことは嬉しいものなのでしょうか。母はすごい喜んでくれました。ぶっちゃけ、またそれ着てるのって思うくらい私が買ってあげた洋服を大事にしてくれていました。そんな母の笑顔を見れて私も笑顔になりました。


そんなある日、私がバイトから帰ってきたときに父と母はいつも以上喧嘩をしていました。その日家には私、父、母しかいません。そうつまりこの喧嘩は私が止めるしかなかったのです。私も急な出来事で頭はパニックとにかく母を守らなきゃ。その一心で私は半泣きの状態で仲裁に入っていました。とにかく家内には怒号は響き母は泣いていました。母の顔をよく見ると顔に痣ができていました。母は泣きながら荷物を鞄に詰め込み家を出て行ってしまいました。私はなにもできず部屋で一人泣くしかできませんでした。その後数日はあまり食事も喉を通らず母の心配だけをしていました。


それから数日後、今度は父と母の両親もでてきて事の大きさはそこで初めて知りました。とりあえずその喧嘩は幕を閉じたのですが当然不仲は収まりません。私にとってこの夫婦喧嘩は過去最大と言っていいでしょう。ですがその喧嘩が起こって私は思いました。


母を一番守れるのは私しかいないと。




最終章~未来~


時は進み私も高校を卒業しました。相変わらず両親はいつも通りです。進学するにもお金はかかるし、高校を卒業した私は特にやりたい事がなかったのでフリーターとして働いていました。


姉は結婚し家を出ていき、実家には私と妹しかいなくなってしまいました。しばらく私はフリーターとして働いていましたが、やはり私の周りは大学に進学や正社員で働いて安定した給料をもらっていました。当時私はどうせ引っ越すなら関東方面で働きたいと思っていました。理由は賃金や給料が地元と比べたら高いからです。ですがこれはあくまで上京できたらいいなという夢の一つでした。仮にすぐ私が家を出て行ってしまったらまた夫婦喧嘩になったら誰が止めに入る。と真っ先に思い妹一人残すのはそれは逃げる事と同じじゃないかと思い、私はじゃあ妹が高校卒業したら私も自分のやりたい事をやろうと決心しその後実家に居続けました。


それから月日は立ち妹は高校を無事卒業し専門学校に進学、そしてわたしもやっと独り立ち上京したいという一つの夢を叶えそして今に至ります。


私たち子供は人間なので歳を取ればもちろん両親も歳を取ります。姉は現在2人子供産み幸せな家庭を築いています。そして両親なのですが未だに離婚はしておらず、一応元気にやっているそうです。母は相変わらずで、父は少し歳取ったせいか丸くなっているようです。自分に孫ができたのでそれきっかけなのかもしれませんね。


ここまで私の家庭事情をディープにお話してきましたがどうだったでしょうか。世界は広いです。もしかしたら私の家庭よりもより複雑な家庭事情を持った方がいるのでしょう。家出する子、親と疎遠になる子たくさんいると思います。親はいいですよ、喧嘩しているのは二人なのだから。だけどどうか自分の子供を巻き込まないであげてください。そのせいでもしかしたらその子人生がおかしくなってしまうかもしれないと私は思います。子供にとって自分の親はたった一人特別な存在なのです。子供の未来を無くさないで。


特に私の父なんかなんでもかんでも支配しようとする人だったので当時の私はとても扱いに苦労しました。なんども母を虐めて私の心奥底では勇気があれば殺してやりたいと何度も思っていました。ですが、仮にも自分の父親。長く一緒にいれば優しい一面も時にはありました。誕生日、クリスマスにはケーキやご馳走を用意していてくれていました。私はそんな一面あるのにどうしてそんなことするのと今でも不思議でしょうがないです。


最後に両親へ、無理に仲良くしてとは言わない、普通でいて。そして長生きしてください。


今度ビール1ケース買って帰るね。





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