勘違いクローバー
玄関を出ると、紺の制服が見えた。梓は肩にかけた鞄の紐を握りしめ、小さく舌打ちする。
「よお、アズ」
男の名は樹。隣に住む幼なじみだ。サッサと行けばいいものを、足を止めてこちらを見ている。梓は大股でその横をすり抜けた。
「スカート短ぇぞ」
「見るな、変態」
「すっかり口も悪くなって……それは前からか。つくづく葵とは全然違うな、お前」
「悪かったね、お姉ちゃんと似てなくて」
姉の葵は、樹と同じ進学校に通っている。梓の高校はそれより三ランク下で駅が五つも離れた場所にある。二人と通学時間が重ならない環境を敢えて狙ったのだ。
「なあ、進学先決めたか?」
「まだ二年だし決めてない。つか、樹さ、なんで今日こんなに早いの? 」
「俺は、まあ、朝活だよ。図書室で勉強」
「じゃあ、さっさと行けば」
梓は冷たく言い放つと、右手に現れた児童公園へと入っていく。駅には真っ直ぐ行った方が近いが、樹と並んで歩くのが嫌だった。しかし、なぜか樹もあとを追ってくる。
「寄り道するな、遅刻するぞ」
梓は足を止め、振り返った。いつの間にか頭二つ分も背が高くなり、精悍な顔つきになってしまった幼なじみを睨む。
「もうそろ兄貴ぶるのやめてよ。 同級生でしょ」
ずっとそうだ。樹は葵と一緒になって梓を子供扱いする。以前はそれが嬉しくもあり甘えてもいたが、徐々に苦しくなった。
梓はいつまで経っても妹のまま。
梓を除け者にして、こそこそと話し合う葵と樹。親密そうに顔を寄せ合う二人を何度も目にするうちに、悟ったのだ。
二人の間には入り込めないことを。
「だって心配だろ。最近ウチに顔を見せないし、両家のイベントにも不参加だし」
「もう高校生だよ? 友達を優先するのが普通でしょ」
「そうかあ?」
樹は好きな人と過ごせて楽しいかもだけど。見せつけられるこっちの身にもなってよ。
――そんなこと、絶対言わないけど。
梓は樹への想いを明かすつもりはない。今は無理でも、いつかは二人のことを心から祝福できるようになる筈だ。その時まで待ってほしい。そっとしておいてほしい。それだけなのだ。
「とにかく、もう構わなくていいから」
梓は早足で出口へ向かった。
昔よく三人で遊んだ公園の、見慣れた遊具が目の端に映る。足元に蔓延るシロツメクサが甘い匂いを放つ。ただ楽しかったあの頃の思い出が胸をきりきりと締めつけた。
「待てって!」
樹が駆けてくる足音が聞こえたが梓は振り向かない。肩を掴まれて払いのけた。
「しつこい!」
「少し話そう。葵も心配してたぞ、帰ったらすぐ部屋にこもっちまって取り付く島もないって」
梓はカッとなり、樹の胸を押す。
「話すことなんてないもん! 悩みがあったって二人には話さない。友だちがいるし!」
「なんで?! 俺たちに頼ればいい」
「頼りたくないの!」
樹は言葉を失い俯いた。梓も気まずくなり下を向く。
「畜生っ……!」
降ってきた唸るような声に、身体が跳ねた。そろそろと見上げれば、唇を噛む樹と目が合う。その拗ねたような表情に驚き、鼓動が早くなった。
「俺、どこで間違った? 教えてくれよ」
「な、なにが?!」
意味が分からず問い返せば、樹は梓の両腕を掴んで引き寄せた。
「アズの一番になりたくて頑張ってきたのに、どうして離れるんだ!」
「は?」
「葵に甘えるアズが可愛くて羨ましくて、ずっと葵の真似をしてたんだ。俺にも甘えてほしくて」
「……へ?」
「隣に引っ越してきた時からずっとアズが好きなんだ。一目惚れだった」
「ええっ? わ、私?! お姉ちゃんじゃなく?」
「葵は協力者だ。ずっと情報を提供してくれていた」
え――。
「だけど、アズは葵も避けはじめただろう? 高校も勝手に決めて。てっきり葵と同じ高校に行くと思ってたから、死ぬほど勉強して受験したのに!」
樹は地団太を踏む。
「俺の知らないとこでアズが何をしてるとか考えると死にそう。だけどあのガッコじゃ勉強しなきゃついていけねえし。時間はねえわお前の帰りは遅いわで、こんな毎日耐えられねえよ。アズの学校に転校したいって言ったら親には怒られるしよ」
堰を切ったように話し始める樹をポカンと見ていた梓だったが、徐々に笑いがこみ上げてきた。大人ぶっていた樹が子供のように拗ねる様が面白く、愛しくてしょうがない。
「馬鹿だね、樹って」
「くっそ、頼りがいのある男でいたかったのに!」
樹は空を仰いで叫ぶ。梓は足を踏み出した。
「私はこっちの方が好きだなあ」
見上げたまま腰に抱きつけば、樹はたちまち顔を緩ませ、伸びた鼻の下をこすった。
「マジで?」
「マジで。ね、一緒に駅まで行こう。手を繋いでいい?」
「おう」
差し出された手に指を絡め、ぎゅっと握りこむ。樹は顔をほころばせた。
「なにこれ恋人繋ぎじゃん」
「今日家に行っていい? 数学教えて」
「おう、任せとけ」
樹がふと足元を見てから、おもむろに繋がれた手を掲げた。
「ところで俺さ、アズに渡したいものがあるんだけど」
「なに?」
「シロツメクサの冠と指輪。昔、葵に編んでもらってアズすげえ喜んでたじゃん? 俺、めっちゃ練習したんだぜ」
「そうなの? もらう! 楽しみ!」
腕をぶんぶん振って告げれば、「相変わらずかわいいなあ、アズは」と樹が目じりを下げる。そのふやけた顔がくすぐったくて、梓はますます大きく腕を揺らすのだった。
おしまい
たまに、高校生カップルを無性に書きたくなる
のです。私自身にはたいした思い出がないはずなのですが、ちょっとした記憶もやけにキラキラ補正されているように感じるのは何故なんでしょうね。