8日目
結局、相手の物分かりが悪くて長く掛かってしまった。
私を呼び出して、願いを伝えて、相応の報酬と引き替えに契約をする。
たったそれだけのやり取りにどうしてああも時間を掛けられるのか理解に苦しむ。
その上、彼らはいつも私に支払う報酬を渋ろうとする。
私を欺いた者たちが迎えた末路を忘れたわけではないだろうに。
最終的には報酬を支払うので辛うじて理性は保っているようだが、それなら初めから渋るそぶりを見せなければいいのに。
だけど代わりにいいお土産が手に入った。
首輪だ。エルの淡い色彩によく映える、黒革の首輪。
エルの瞳と似た色合いの石が中央にあしらわれている。
いろいろな細工が施された美しいこの首輪ならエルも気に入ってくれるだろう。
リードも手に入れたから、今度街や牧場に連れて行こう。
歩いて行こうか、馬車を呼ぼうか、それとも空を飛んで行こうか。
海を渡るのもいいかもしれない。エルは水が好きなようだから。
楽しみに想像しながら家に帰り、エルの部屋を開けようとして違和感に気付いた。
扉が開いている。
玄関の鍵は掛かっていたし、植物たちも異常を知らせてきていない。
外には出ていないはずだ。家の中にいることは間違いない。
「エル?」
逸る気持ちを抑えて名前を呼んでみたけれど、返事はなかった。
届かないところにいるのか、それとも返事が出来ないのか。
いつもは僅かながらも必ずあった反応がないことに、一気に不安が押し寄せる。
そういえば、部屋から出ないように伝えるのをすっかり忘れていた。
好奇心旺盛で賢いエルのことだ。自力で部屋を抜け出して家の中を探索したのかもしれない。
他の部屋に保管されているものの中にはエルにとって危険なものがたくさんある。
それらにエルが近寄らないよう、私が気を付けてあげないといけなかったのに。
いやな予感が脳裏を掠める。
「エル、どこにいるの? エル」
時間と共に焦りが増す中であちこちを探したけれど、エルの姿はどこにもなかった。
この時ほど、長くて入り組んだ廊下と多い部屋数を恨んだことはない。
台所、書斎、保管庫、浴室……。
片端から部屋を調べてもエルは見つからなかった。
植物たちに尋ねても皆、エルがあちこちを見てまわっていたと証言するばかりだ。
賢いエルはすっかり植物の監視を潜り抜ける方法を覚えてしまったらしい。
どこへ行ってしまったのだろう。
焦る気持ちが増す中、青い花がエルの居場所を知らせてくれた。
私の部屋にいると聞いて血の気が引く。
その瞬間、私の部屋のほうからガラスの割れる音が聞こえてきた。
「エル!」
もどかしい気持ちを抱えながら扉を開けると、その中央にエルがいた。
周囲には粉々に砕けたガラス瓶と、中に保存していた試料が飛び散っている。
怯えたように鳴くエルを刺激しないようそっと抱き上げて、体中をくまなく確認する。
……怪我はしていないようだ。
「よかった……」
エルの無事を確認したことで、ようやく冷静さが戻ってきた。
ほっと胸を撫で下ろしながら辺りを見回して、周囲の惨状を再確認する。
エルを抱きしめてようやく冷静さが戻ってきた。
「それにしても、ずいぶん暴れたね……」
試料を割ってパニックになったのか、それともパニックになって試料を壊してしまったのかは分からないが、部屋は無事なところがないほどめちゃくちゃだった。
剥製はあちこちが取れてバラバラになっているし、飾り棚に飾っていたコレクションもそのほとんどが零れたり欠けたりしている。
特にひどいのは絨毯だった。
サンプルを詰めていた瓶が割れたせいで一面が真っ赤に染まっている。
これは取り替えが必要だろう。他のものも、もう使い物にならないに違いない。
エルもそれが分かっているのか、申し訳なさそうに身体を震わせていた。
でも、怒りは感じなかった。
コレクションや試料はまた集め直せばいい。
それよりも、エルが無事だったことへの安堵のほうがあった。
きっと、私がいなくて寂しかったのだろう。
それで私を探して、部屋に入りこんでしまったのかもしれない。
コレクションやサンプルは珍しいものばかりだから、エルの興味を惹いたはずだ。
それでうっかり壊して……後は大体想像がつく。
エル以外の相手に同じことをされたら私はその相手を糾弾したはずだ。
なんらかの手段で必ず償わせただろう。
この部屋にあるコレクションは貴重なものばかりだったから。
でも、エルなら別だ。
エルより大切なコレクションは存在しない。無事で本当によかった。
……ただ、勝手に部屋に入りこんだことについては叱っておこう。
今回は何もなかったけど次は怪我をするかもしれないし、そうでなくともまた危険な思いや怖い思いをするかもしれない。
そうなってからでは遅いから。
「エル」
しょんぼりとしたエルに声を掛けて、わざと怖い顔を作る。
私が怒っていると分かったのか、エルはしゅんとした様子で項垂れた。
光の加減で灰色に見える目は、心なしか潤んでいるように見える。
「もうこんな危ないことをしてはいけないよ」
顔を覗き込んで少し強めの口調で言うと、エルは小さく鳴いて私に頭を押しつけてきた。
幼子のような仕草にせっかく作った怖い顔を緩ませてしまう私は、きっと相当甘いのだろう。
まあ、いい。今日からまた一緒だ。
寂しいと感じる暇もないくらい構ってあげればいい。
とりあえず、今日はエルと一緒に寝よう。
それからお土産をあげて、食事を作って一緒に食べて、向こうで聞いた面白い話をたくさん聞かせたり、遊んだりして……。
……片付けは、それからでもいいだろう。