4日目
エルの重さで目が覚めた。
突然胸の辺りが苦しくなって、何かと思って目を開けたらエルが私の上に乗っていた。
どうやら、本を読んでいる途中でうたた寝してしまったらしい。
退屈だったのかお腹が空いているのか、エルはしきりに私の首を甘噛みしていた。
白い歯が肌に微かに食い込んで少しくすぐったい。
でも、それ以上にエルのほうから触れてくれたことが嬉しかった。
エルは悪戯に夢中で気が付いていないのかもしれないけど、頭を撫でようとして嫌がられた二日目からするとかなりの進歩だ。
今なら大丈夫かもしれない。
私の肩に置かれた手を取って慎重に抱きしめる。
すると、思った通りエルはきょとんとしながら受け入れてくれた。
かわいい。それに、柔らかくてしなやかな身体をしている。
体温は私より少し高いようだ。暖かくて心地いい。
しばらくそうしていると、エルがそわそわし始めた。
そろそろ解放したほうがよさそうだ。
また今度、機嫌のいい時に触らせて貰おう。
「おはよう、エル」
私の上から降ろしながらそう言うと、エルは照れたように顔を背けた。
さっきまではあんなに甘えていたのに、恥ずかしくなったのだろうか。
時計を見ると、朝食からまだ三時間しか経っていなかった。
ということは、お腹が空いたのではないだろう。
エルは少食ではないけれど、大食いでもないから。
私がずっと本を読んでいて、退屈だったのかもしれない。
思えば、エルを飼ってから今まであまり遊んでいなかった。
ペットショップの店長曰く、エルは運動好きな個体らしい。
エルのために用意した部屋は決して狭くはないものの駆け回れるほどの広さはないし、思えばエルを飼ってからまだ一度も外に出していない。
昨日外に出ようとしたのは、外を駆けまわりたかったのだろうか。
もしそうなら悪いことをした。
屋敷内で過ごすことの多い私の生活はエルにとってさぞ退屈だっただろう。
「今日は少し、外で遊ぼうか」
私の提案にエルは嬉しそうに鳴いた。
エルの鳴き声の意味は私には分からないけれど、どうやら喜んで貰えたようだ。
リードを付けていないエルを屋敷の外へ連れ出すのは怖かったから、今回は庭で遊ばせることにした。
庭と言っても広いから、エルが走り回るスペースは充分にあるはずだ。
実際、エルは外の空気に興奮したようでさっそく庭の木にじゃれついていた。
今にも木を登りそうな勢いだったので、そこは危ないからと遠ざけておく。
登るのはいいけれど、落ちたら大変だ。
治癒魔法を使えば怪我は一瞬で治るものの、痛い思いはさせたくない。
代わりに以前ペットショップで購入した鳥の形のおもちゃを取り出すと、エルは「それをどうするの?」というように首を傾げた。
「見ててごらん」
エルの目に見えるよう、魔力を籠めたおもちゃを軽く宙に放り投げる。
すると、おもちゃはまるで本物の鳥のように羽を広げて空を飛び回った。
興奮した様子で鳴いて鳥を見上げるエルに笑って、滑空する鳥を指さす。
「取っておいで、エル」
私の言葉が伝わったのか、エルは大きく鳴いて鳥を追いかけていった。
本物の鳥とは違ってエルの手が届く高さまでしか飛ばないようにしてあるし、この庭からは決して出ないようにしてあるとはいえ鳥を捕まえるのはなかなか難しい。
あれならきっと、エルも楽しめると思う。
私の予想とは裏腹に、エルはあっさりと鳥を捕まえてきた。
エルの運動神経は相当いいらしい。
まだ遊び足りないといった様子のエルに合わせて速度を調整してから、もう一度おもちゃを放す。
途端、エルが待ちかねた様子で鳥を追いかけ始めた。
この遊びが気に入ったようだ。
エルがおもちゃを捕らえる度に飛ぶ速度や動き方などを変えて遊んでどのくらい経っただろう。
何回目かに鳥を放した後、エルはなかなか戻って来なかった。
速度はエルの種が反応出来る最大まで上げたし、動きもだいぶ変則的にしたからさすがのエルも手間取っているのだろうかと思ったけれど、植物たちの知らせによればどうも違うらしい。
どうやら、おもちゃを捕まえた後で茂みに隠れたようだ。
鳥を捕まえるのに飽きて、かくれんぼをしたくなったのかもしれない。
庭に植えてある植物たちが敷地内で起きたことを逐一私に伝えてくれるからエルの居場所もすぐに伝わるのだけど、エルはそれが理解出来ていない。
きっと、うまく隠れられたと思っているのだろう。
そのかわいらしさについつい頬が緩んだ。
ここはわざと見つけられない振りをして、エルに付き合ってあげよう。
「エル、エル。どこにいるのかな。出ておいで」
わざとらしく名前を呼びながら見当違いの方向を探してみると、エルがこちらを伺うように茂みから顔を覗かせたのが伝わってきた。
同僚にはよく棒読みだとか下手だとか言われる私の演技もエルには通じたらしい。
しばらくそうしていると、エルが隠れている茂みがかさりと揺れた。
あまりに私の演技が長すぎて、いい加減に焦れてしまったらしい。
油断したのか、あるいは早く私に気が付いて欲しいというアピールのためか生け垣を登ろうとするエルに近づいて、しなやかな身体をそっと抱きかかえる。
さすがにこれ以上は危険だ。
「エル。かくれんぼはもうおしまいだよ」
そう言って頭を撫でると、エルが腕の中でじたじたと暴れた。
私に見つけられたのが相当不服だったらしい。
エルは負けず嫌いのようだ。これでまた一つ、エルのことが分かった。
もう一度遊びたかったけど、日が落ちてきているので今日はこの辺りにしよう。
「また今度、一緒に遊ぼうね」
まだ遊び足りなさそうなエルにそう約束して、部屋に戻る。
たくさん運動した分、今日はよく眠れそうだ。
だけどその前に、お風呂に入ろう。
私もエルもすっかり汗をかいてしまったから。
お風呂に入れるのは初めてだったので心配だったけれど、エルはおとなしかった。
どうやら水は平気らしい。個体によっては水を嫌う者もいるそうなので安心した。
エルがお風呂嫌いでも身体を綺麗にする方法はたくさんあるけれど、エルと触れ合える機会は出来るだけ減らしたくないから。
ただ、エルはここを「身体を清める場所」ではなく「楽しい遊び場」と認識したらしい。
石鹸を泡立てようと少し目を離した途端、エルが急にじゃれついてきた。
ちゃんと抱き留められたので足を滑らせることはなかったけれど、濡れた身体で抱きつかれたせいで服がびしょびしょだ。
「もう、エル」
お風呂場でじゃれつくのは危ないので叱ろうと思ったけど、エルのほうから遊ぼうと誘ってくれたのが嬉しくて結局叱れなかった。
まあ、いいか。
エルは身体が大きな個体だけど、私はそれ以上に背が高いし力もある。
また同じことをされても、今のようにしっかり抱き留めてあげれば済む話だ。
私以外の誰かとお風呂に入ることもないはずだから、迷惑も掛からないだろう。
「服が濡れちゃったから、一緒にお風呂に入ろうか」
本当はエルを部屋に戻してからゆっくり入ろうと思っていたのだけど、せっかくのお誘いだ。
体力も余っているので、思う存分遊んであげることにした。
石鹸を泡立ててお互いの身体を洗った後、エルを抱いて湯船に浸かる。
いつものように花を湯に浮かべていると、エルが驚いたように鳴いた。
浮かべた花がぶつかり合う度に虹色の泡に変わっていくのが面白かったらしい。
「さわってごらん」
そう言いながら小さな手をそっと掴み、花にちょんと触れさせる。
途端に形を崩していく花にエルが目を丸くした。
私に触られているなど気にならないくらい興味を惹かれたようで、湯をぱちゃぱちゃと飛び散らせながら花をつついて喜んでいる。
やはり、水遊びが好きなようだ。
湯に浮かべて楽しめる花はまだ何種類もある。
今度はそれらを皆浮かべて、エルと遊んでみよう。
エルが気に入った花を掛け合わせて新しい花を作るのもいいかもしれない。
一時間ほど遊んだ後、湯から上がることにした。
エルはまだ遊びたい様子だったけれど、これ以上はのぼせてしまう。
魔法で髪や身体の水分を乾かした後、エルにブラシを掛ける。
今日だけでさんざん触れたからか、嫌がられることはなかった。
ブラッシングが気持ちいいのか目を閉じるエルの頭をそっと撫でる。
うん。怒られない。
どうやら警戒が解けたようだ。
「……エル?」
ようやく慣れてくれたのかと喜んでいると、微かな寝息が聞こえてきた。
どうやら、触れても怒られなかったのは眠っていたためらしい。
外で遊んでお風呂でも遊んで、さすがのエルも疲れたのだろう。
それでも、私が近づくとすぐ目を覚ましていた昨日までと比べれば大きな進歩だ。
力の抜けたエルを抱きかかえて部屋に戻り、エルがいつも寝床として使っているクッションの上に寝かせて毛布を掛ける。
「おやすみ、エル。よい夢を」
小声で囁くと、エルは目を閉じたまま小さく鳴き声を漏らした。
そのかわいらしさに、つい頬が緩む。
明日も明後日も、たくさん遊ぼうね。エル。