25日目
今日は朝からエルがそわそわしていた。
久々の外出だから待ちかねているのかもしれない。
朝食の途中で来客があった時も、花と遊びながらずっとこちらを気にしていた。
「待たせてごめんね」
大した用事ではなかったので、来客はすぐに帰った。
すぐに私の元へやってきたエルの頭を撫でて、用意していた服を着せる。
別荘がある場所はここより少し寒いので厚手の生地で作られたものにした。
またエルが風邪を引いたら大変だ。
別荘へは転移魔法を使うことにした。
徒歩や馬車で行くと時間が掛かりすぎてしまうから。
早くエルに別荘を見て貰いたい。
きっと、エルも懐かしく思うはずだ。
「着いたよ。見てごらん、エル」
そう言うと、エルがきょろきょろと辺りを見回した。
少しして息を呑む微かな音が聞こえてくる。
「エルの故郷だよ。懐かしい?」
尋ねてもエルは身じろぎ一つしなかった。
よほど驚いたのか、声も出さずに目の前の景色を見つめている。
もしかして、故郷にあまりいい思い出がなかったのだろうか。
不安になりかけた時、私を振り返ったエルが大きな声で鳴いた。
早く辺りを見て回りたいのかそわそわしているのがかわいらしい。
喜んでくれたようでよかった。
「時間はあるから、ゆっくり見て回ろうね」
降り立った場所から別荘までは少し距離がある。
急ぐわけでもないので、エルが生まれ育った故郷を散策がてら向かおう。
エルを抱きかかえたまま、別荘に続く道をのんびり歩く。
「エルが育った場所は綺麗な街だったんだね」
煉瓦造りの建物や道を眺めながらエルに語り掛ける。
昨日は無残な光景が広がっていたそこは、掃除の甲斐あって以前訪れた時と同じ姿を取り戻していた。
唯一異なるのは辺りのざわめきだろうか。
あの時はエルと同じ種の鳴き声があちこちで飛び交っていて賑やかだったけれど、今はしんと静まり返っている。
少々寂しさを感じるけれど、これは仕方がない。
この地の民が全て消えること。
それが私と契約したエルフ達の望みだったのだから。
飲み水も食料も糖に侵されてなお生きられる種族はなかなかいない。
消えたといっても、姿は残っている。
ここの住民の多くは同僚達と契約したようなので数は少ないけれど、契約しなかった者は皆、キャンディの雨に覆われて砂糖漬けになった。
処分してもよかったのだけど、甘いものが好きなエルのために砂糖漬けは全て残してある。
この地の名産は細工菓子だから、これも一応名物になるのだろうか。
「食べる? エル。
エルの大好きな甘いお菓子だよ」
砂糖に覆われてはいるものの辛うじて姿形の分かるそれらを指して尋ねると、エルはどうしてかぎくりと身を強張らせた。
食べ慣れない食材だと思って警戒しているのだろうか。
「大丈夫だよ。エルも食べたことがあるものだから。
ほら、あの牧場で食べた腸詰めと同じ素材だよ。調理法は違うけれど……」
そう言うと、エルは興奮した様子で私の腕から飛び降りた。
砂糖漬けに駆け寄って、なにやら熱心にぺたぺたと触っている。
そんなに慌てなくとも、私は砂糖漬けを食べない。
ここにある砂糖漬けは全てエルのものだから心配しなくともいいのに。
「疲れちゃった?」
地面に座り込んでしまったエルを抱えて、私の膝の上に乗せる。
手近な砂糖漬けを一本折って差し出すと、激しく首を振られてしまった。
嫌いなのだろうか。
それなら消してしまおう。嫌いなものを取っておく必要はない。
昨日植えた花を呼び出すと、花たちは一斉に砂糖漬けを貪った。
途端、エルが大きな声で鳴いて私を見つめる。
いきなり砂糖漬けが消えて驚いたのだろう。
子どものように騒ぐエルがかわいらしくてつい頬が緩む。
すると、エルが急に黙り込んだ。
笑われたと思って機嫌を損ねてしまったのだろうか。
「ごめんね、エル。からかったわけではないんだよ」
もう一度抱え上げて宥めても、エルは俯いて黙ったままだ。
仕方ない。散策は切り上げて、別荘に行こう。
エルにとってもっとも懐かしい場所だから、きっと機嫌を直してくれるだろう。
「着いたよ、エル」
別荘の前に到着すると、エルが急に暴れ出した。
無理に抱えていると却って危ないのでその場に降ろす。
すると、エルはぱたぱたと別荘の中に走って行ってしまった。
好奇心旺盛な性格だから、早く中を探検したいのだろう。
同僚から貰った地に建っていた中で一番エルの思い出が多い場所を選んだのだけど、気に入って貰えて本当によかった。
別荘の中に入ってもエルの姿は見えなかった。だいぶ奥へ行ったらしい。
各部屋には花を植えてあるし、エルには首輪も付けているから心配はいらないけれど。
あの首輪には居場所を知らせたり、危険を排除してくれる細工が施されている。
だから、今回のように離れていてもエルが危ない目に遭う心配はなかった。
でも、離れているとエルの反応が見られない。
それは困るので、早く迎えに行こう。
エルは別荘の中で一番壮麗な部屋の入り口で佇んでいた。
シャンデリアの光が室内の装飾品に反射して、辺りを煌びやかに照らしている。
「エル」
呼びかけるとエルがゆっくり振り返った。
見開かれた目は鮮やかな緑色だ。
それから、またゆっくりと奥を見る。
部屋の奥には絢爛な椅子があり、その上にエルより若い個体が腰掛けていた。
あれが気になるのだろうか。
私を待っていてくれたらしいエルを連れて、奥の椅子へと近づく。
椅子に腰掛けている個体の姿がはっきり見えると、エルは大声で鳴いて椅子に駆け寄った。
よかった。気に入ってくれたようだ。
頭を撫でて、椅子とそこに腰掛けている個体を眺める。
まだ幼いこの個体はエルの前の主――この別荘の元の持ち主の子どもらしい。
だからこんなに気に入っているのだろう。
本当は前の主も用意したかったのだけど、自分の全てを対価として同僚と契約を結んでいたので用意出来なかった。
たぶんどこかで飼われているはずだから、後で同僚に聞いてみよう。
でも、エルが同僚の後輩と契約を結んでまで守りたがっていたこちらの個体は確保出来た。
首とバラバラにされていた身体を集めて簡単に繋ぎ合わせただけだから身動きは取れないけれど、生きてはいる。
よほど嬉しかったのか、エルは私の首にしがみついて大声で鳴いた。
幼体を助けるためにたくさんの契約をしたエルにはいろいろなものが欠けている。
だから、他の個体のように表情を変えられない。
でも、きっと変えられたらとびきりの笑顔を見せてくれたはずだ。
別に、このままでもエルの思いは伝わるから問題はないのだけど。
私はエルと契約しているわけではないし、エルが同僚の後輩と交わした契約は既に履行されているから私が関わる義務はない。
だけど、こうして喜んで貰えるなら対価のない働きも苦ではなかった。
「ああ、そうだ。ここに座ってごらん」
幼い個体の隣、別荘の前の主が使っていた椅子にエルを座らせて、昨日見つけた冠を頭にかぶせる。
エルの瞳と同じ色の石がついた冠は予想通りよく似合っていた。
椅子の後ろから差し込む陽の光がエルの髪や冠に反射してきらきらと輝いている。
「似合っているよ、エル」
そう言うと、エルは急におとなしくなった。
はしゃぎすぎて疲れてしまったのか、あるいは照れているのかもしれない。
どちらにしても、そろそろ昼時だ。もう少しエルの姿を眺めたら部屋に行こう。
一番日当たりがよくて眺めのいい部屋だから、エルもきっと気に入るはずだ。
ここにはしばらく滞在して、エルの好みに合わせて別荘や庭を変えていこう。
それから昨日考えた通り、召使いなども雇い入れよう。
これだけ広いのだから住み込みになるだろうか。
やることはたくさんあるが、急ぐことはない。
私たちは自ら死を望むか、誰かに殺されるまで生き続けることが出来る。
そして、そのペットは飼い主が手放すか死亡するまで死ぬことはない。
私がエルを手放すこともありえないから、私が死ぬ時までずっと一緒だ。
それに私は誰かに殺されるほど弱くはないし、エルがいる限り自ら死を望むこともない。
きっと、私とエルは世界が滅びるまでいつまでも生き続けるのだろう。
私はエルの言葉が理解出来ないから、エルの感情を推測することしか出来ない。
だからもしかしたら、エルは私が想像しているのとは全く別のことを言っているのかもしれないし、ただ食事をくれるだけの飼い主としか見ていないのかもしれない。
でも、エルは私と同じ家で暮らして、私の用意した食事を食べて、私と一緒に出かけてくれる。
それは確かな事だし、仮にエルが私をどう思っていてもきっと私はエルを可愛がり続けるだろう。
それがペットであり、飼い主なのだから。
「これからもよろしくね、エル」




