22日目
ペットショップに行くことにした。
新しいペットを購入するわけではない。
私は同僚のようにたくさんのペットを世話出来るほど器用ではないし、エルだけで十分満たされている。新たなペットは不要だ。
今回の目的は予防接種だ。
ペットは飼い主が死ぬか手放すまで死ぬことはないけれど、病気には罹る。
大切なペットが病で苦しむことのないよう、定期的な予防接種が推奨されていた。
本来は病院で予約しないと受けられないのだけど、今回はショップ側が医師を手配してくれるらしい。
店長曰く、アフターサービスの一環だと言っていた。
「エル。お出かけしよう」
朝食を食べた後、花と遊んでいるエルにそう言うと青い瞳がきらきらと輝いた。
外は黒い雨が叩きつけるように降っているのだけど、エルは気にならないらしい。
最近はなかなか外出出来なかったから嬉しくて仕方ないのだろう。
服装を整えていると、金属を叩きつけるような音が辺りに響いた。
事前に呼んでおいた馬車が到着したらしい。
相変わらず騒々しい御者だ。
外に出ると、首のない御者と六頭の黒馬が降りしきる雨の中で待っていた。
それを見たエルが身体を震わせて私に身を寄せる。
私が見上げるほど巨大な馬に怯えているのかもしれない。
「大丈夫。あの馬はおとなしいから」
私に抱き着くエルを宥めながら馬車に乗り、無口な御者に行き先を告げる。
程なくして、六頭立ての馬車は静かに走り出した。
乗り込むまでは怯えていたエルはすっかり外の景色に夢中だ。
若干の申し訳なさを覚えつつ、はしゃぐエルの頭を撫でる。
流れるように過ぎ去っていく景色が次第にゆっくりになり、やがて止まった。
覚えのある店構えを見たエルが驚いたように私を見上げる。
説明しようと口を開きかけた時、先ほどと同じ音が鳴り響いた。
誰も出てこないのは、この音の正体を知っているせいだろう。
顔を合わせる度に桶一杯の血を掛けられるのは、いくらそれがデュラハンである御者の習性だとはいえ誰だって避けたい。
ここまでの代価を渡すと、首のない御者は深々と礼をして雨の中を去っていった。
私にぎゅっと抱きつくエルの頭を撫でて、ペットショップの扉を開く。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
中に入ると、あの時と同じ笑みを浮かべた店長に出迎えられた。
違うのは私がエルを連れていることと、ペットたちの顔ぶれくらいだろうか。
不安げにこちらを見上げるエルに「大丈夫だよ」と声を掛けて宥める。
「こちらへどうぞ」
店長に招かれて奥へ向かうと、白衣を着たケンタウロスが待っていた。
長い顎髭と穏やかな笑みが相まっていかにも好々爺といった見た目だ。
「やあ、いらっしゃい。
お名前は確か、エル君だったね」
柔和な笑みを浮かべながら話しかける医師にエルが小さな鳴き声を返した。
優しげな声を聞いて緊張がほぐれたのか、強張っていた身体から力が抜ける。
店長に促されて医師の向かいに腰掛けると、まず問診が始まった。
エルの普段の食事内容や運動量。病歴やアレルギーの有無。
それから生活の中で気になる点がないか。
その際にエルがペットフードを嫌うことを相談すると、医師がにこりと微笑んだ。
「見たところ、エル君は毛艶も血色もいい。
食事もしっかり摂られているようですし、問題ないでしょう。
ペットフードはバランスの取れた食事を手軽に与えるためのものですからね。
普段の食事で栄養が摂取出来ていれば大丈夫ですよ」
医師の言葉に思わず胸を撫で下ろした。
エルが私の作った食事を口にしてくれることはもちろん嬉しい。
でも、私は医師ではないしエルの種に関しても詳しくない。
栄養豊富な食事を過不足なく与えられているか心配だった。
私が生きている限りエルもまた生き続けるけれど、長く生きることと健康に生きることは違う。
エルにはいつまでも元気でいて欲しいから。
「では、そろそろ行いましょう。
すぐに終わりますが、その間は声を掛け続けてあげてください。
その方がエル君も怖くないでしょうから」
そう言って、医師がそっとエルに近づいた。
様子が変わったことに気が付いたのか、エルがじっと医師を見上げる。
その背をさすって「エル」と声を掛けると青い瞳がこちらを向いた。
「今日はたくさん我慢出来てえらかったね。
ここを出たら、近くのカフェでお茶にしようか。
エルの好きなケーキがたくさんあるお店だよ」
ケーキと聞いてエルの目がきらきらと輝いた。
その後ろで医師が細い注射器を取り出し、素早くエルの首元に刺す。
驚いたエルがそちらを振り返るより先に医師が空の注射器を片付けた。
今の一瞬で薬を注入し終えたらしい。鮮やかな手つきだ。
何事もなかったように微笑む医師を見てエルがぱちぱちと瞬く。
先ほど注射針を刺した箇所にガーゼを張り付けながら、医師が口を開いた。
「はい、これでおしまいです。
今日は極力激しい運動や長風呂は避けて、早めに寝かせてあげて下さい。
具合が悪そうな時は遠慮せず、すぐに連絡をお願いします。
たまに、予防接種に用いた薬が合わない子もいますから」
それから、と医師が言葉を続けた。
「後でエル君をうんと褒めてあげて下さいね。
大抵の子は、あの状況で飼い主さんに声を掛けられてもなかなか反応してくれないんです。
普段と違う環境が怖いんでしょうね。
エル君が声掛けに反応したのはそれだけ信頼を寄せている証拠ですから」
医師の言葉はとても嬉しいものだった。
もちろん、それが正しいか否かはエルにしか分からない。
でも、多くのペットを見てきた医師の見立てならたぶん間違っていないはずだ。
最初に会った時より懐かれていることは分かっていたけれど、まさかそこまで信頼されているとは思わなかった。
温かな気分のまま医師と店長に礼を言って、ペットショップを後にする。
外に出ると、雨は相変わらず降り続いていた。
持って来ておいた傘を開き、先ほど話したカフェに向かって歩き出す。
「ありがとう、エル」
私を信じてくれて。
そう言うと、エルはうにゃうにゃと鳴いて私にしがみついてきた。
かわいい。
同時に、エルが喜ぶ姿をもっと見たくなった。
ケーキや金属製品をあげても喜ぶことは知っている。
でも、せっかくだからもっと特別なものをあげたい。
悩みが解決したのは家に帰って眠りにつく直前だった。




