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2日目

 翌朝は花に起こされた。

 淡い日差しに照らされて、透き通った花びらや葉を濡らす朝露が輝いている。

 普段なら庭で日光浴をしている時間のはずなのにどうしたのだろう。

 不思議に思って尋ねると花が何かを差し出してきた。


 それは透明な果実だった。

 この花――生命の花がごく稀に付けるものだ。

 甘酸っぱくておいしいし、貴重な魔法薬の素材にもなる。

 いつ実が成るかと楽しみにしていた私を慮って持ってきてくれたのだろう。

 これで滞っていた実験が捗る。


 礼を言って受け取ると生命の花が透明な葉をぱたぱたと揺らした。

 花びらを一枚ずつ丁寧に撫でた後、ベッドから起き上がる。

 飼育書の通りなら、あの子もそろそろ起きている頃だ。


 部屋へ行くと、あの子はすやすやと眠っていた。

 昨夜掛けた毛布は脇に追いやられている。寝相はあまりよくないようだ。


 微笑ましく思いながら近づくと、閉じられていた瞼が静かに開いた。

 窓から差し込む光を取りこんだ瞳は淡い緑色に輝いている。

 そこに宿る警戒の色は昨夜より薄いものの、まだ完全には消えていない。

 怯えさせないよう、昨日と同じく少し離れたところから観察することにした。


 見たところ、ペットフードは少しも減っていなかった。

 水は飲み干しているからおそらく、好みでなかったのだろう。

 店で与えられていたものより質のいいものを用意したのだけど、食べ慣れないものは却ってよくなかったのかもしれない。

 昨日のペットショップへ行って、フードを買い直してこよう。


『――申し訳ありません。丁度、在庫を切らしておりまして……』


 昨日のペットショップに連絡してこの子が食べ慣れているフードの在庫を尋ねると、残念な言葉が返ってきた。

 困った。このままでは、あの子の食事が今日一日抜きになってしまう。

 見た目は平気そうだけど本当はお腹が空いているはずだ。

 昨夜に続いて今日も食事抜きでは衰弱してしまう。


 食事を摂らせるいい方法がないか尋ねると、ペットフードにこだわる必要はないと助言された。

 市販のフードが苦手な個体には、新鮮な果物や手作りの食事を与える飼い主も多いらしい。

 あげてはいけない一部の食材を避けて量や味付けを控えめにすれば、基本は飼い主と同じものを食べさせていいそうだ。


 礼を言って通信を切った後、手の中の生命の実に視線を落とした。

 ちょうどいいので、これを与えてみよう。


 生命の実は他の果実より栄養価が高いし、とてもおいしい。

 種さえ食べさせなければ、あの子の害にはならないはずだ。

 実験はまた今度行えばいい。

 問題は、あの子が食べてくれるかだけど……。


 試しに、切り分けた果実の半分ほどをあの子の前に置いてみた。

 興味は持ってもらえたようで、匂いを嗅いだり観察したりしている。

 しばらくすると、おそるおそるといった様子で口を付けた。


 途端、青い瞳がぱっと輝く。

 どうやら、口に合ったらしい。


 与えた分を平らげてもまだ食べ足りないようだったので残りの生命の実も与えてみれば、それもすぐにお腹に収めてしまった。

 よほどお腹が空いていたのかもしれない。


 それなのにペットフードには決して手を付けない辺り、この子は相当好き嫌いが激しいようだ。

 でも、そんなところもかわいらしい。

 満足げにしている姿を見て、つい笑みが零れる。


 その時、私のお腹が小さく音を立てた。

 おいしそうに食べる様子を見て、身体がつられてしまったようだ。

 こんな感覚はいつぶりだろう。でも、悪い気分ではない。


 久しぶりの空腹を満たすため、私も食事を摂ることにした。






 朝食を終えた後、また部屋の隅で丸くなってしまったあの子に名前を付けることにした。

 いつまでも「あの子」と呼んでいたのでは不便だから。


 その前にあの子は雄と雌、どちらなのだろう。

 驚かせないようそっと近づいて観察してみる。


 …………分からない。


 それなら、と足を開かせて確認しようとすると強い抵抗にあった。

 恥ずかしがり屋のようだ。

 でも、なんとか確認出来た。


 雄だ。


 言われてみれば、確かに凛々しい顔立ちをしている……ような気がする。

 ペットの顔のことはよく分からないから単純に私の思いこみかもしれないけど。

 なんにせよ、性別が分かってよかった。少し考えて、名前を決める。


「エル」


 この子を飼った時から悩んでいたけど、結局この名前にした。

 ペットショップにいた頃の名を少し縮めただけの単純な名前だ。

 でも短くて呼びやすいし、このほうがエルも慣れやすいだろう。


「エル、エル。こっちを向いてごらん」


 さっそく呼びかけてみたけれど、エルは拗ねたように顔を逸らすばかりだった。

 先ほど足を開かせて性別を確認したことが気に食わなかったのかもしれない。


「ごめんね。もうしないから」


 飼育書によると、ペットの多くは頭を撫でられるのを好むらしい。

 それならと思って手を伸ばしてみたところ、大きな声で鳴かれて逃げられてしまった。

 エルの警戒はまだ解けていないようだ。


 だけどエルは今朝、私が用意した食事を食べてくれた。

 果実を切っただけの簡単なものだけど、本当に警戒しているならそれでも口を付けないはずだ。

 少しは慣れてくれたと思っていいのかもしれない。


 撫でさせてくれる日が待ち遠しい。

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