17日目
薄紅色の雨が降った。
今はまだほんのりと色付いている程度だけど、明日からは更に濃くなるだろう。
この辺りでしか見られない季節の風物詩だ。
雨が降ってからというもの、エルはずっと窓の外を見つめていた。
時折漏れる声はどこか不安げだ。
エルの故郷では色の付いた雨は降らないようだから、怯えているのかもしれない。
特に害はないのだけど、見慣れない光景に不安になる気持ちは分かる。
昔の同僚も同じような反応をしていたから。
当時の私ではうまく宥められなくて、親に助けて貰ったことはよく覚えている。
「大丈夫だよ。怖くないからね」
窓の傍にぺたりと座り込んだエルに近づいて頭を撫でる。
すると、薄暗い外を映したように灰色がかった青い瞳が私を見つめた。
光を取り込んだエルの目も綺麗だけど、暗いところで見る目もまた美しい。
怖がっているエルには申し訳ないけれど、得をした気分だった。
しばらくエルと一緒に雨を眺めていたけれど、止む気配はなかった。
例年通りならあと三、四日は振り続けるだろう。
次第に勢いを増していく雨を眺めていると、不意に袖が引っ張られた。
エルを撫でているのとは反対の腕だ。
見れば、七枚の花びらを色とりどりに染め上げた花が私の腕に絡みついている。
第四温室で栽培している虹の花だ。もう咲いたらしい。
普段なら雨がもっと色濃くなってから開花するのだけど。
虹の花は主に安産の薬や自白剤などに使用される。
私はあまり用いないけれど、同僚はよく使うので融通していた。
前回虹の花を渡したのは十年ほど前だから、そろそろ使い切る頃合いだ。
花の盛りを過ぎると効力が失われてしまうから、今のうちに収穫に行こう。
「エル。一緒に温室へ行こうか」
ここで外を眺めているより、温室で花を眺めていたほうが気分も紛れるだろう。
そう思って誘うと、エルは大きな声で鳴いて私の腕を引っ張った。
どうやら、私が思っている以上に退屈していたらしい。
かわいい。
第四温室では虹の花を始めとした様々な花が咲き誇っていた。
甘い香りと温かさが相まって、ずっといると眠くなってしまいそうだ。
収穫は早急に済ませよう。
うっかり眠ると、ここにいる花たちに食べられてしまうから。
「エル。見ていてごらん」
物珍し気に辺りを見回すエルを手招いて、目当てだった虹の花を手折る。
途端、鮮やかだった花びらが見る間に色を失って透明になった。
不思議そうに首を傾げるエルの前で、また別の虹の花を手折る。
すると、今度は色が変わらなかった。
エルが大きな声で鳴いて私の手をぺたぺたと触る。
きっと、私が何か仕掛けをしたと思っているのだろう。
私を調べるのに忙しいエルの頭を撫でて種明かしをする。
「よく見てごらん。
こっちの花はちゃんと咲いているけど、こっちはまだ咲き掛けだよ」
色が変わるのは咲き切った花だけで、咲き掛けの花は色が変わらない。
よく観察すれば単純な現象なのだけど、これに気付ける者はなかなかいない。
同僚も最初は花の保有水分がどうこうと変な推測をしていた。
最終的には私が教える前に真相に辿りついていたけれど。
答えを知ったエルは納得したように頷いていた。
どこかそわそわしているのは私が教えた知識を試したいからだろうか。
「いいよ。試してみても」
そう言うと、エルはうきうきと虹の花を手折り始めた。
虹の花は大量に栽培しているから問題は全くない。
同僚には私が折った分を渡して、エルが収穫した分は私が使おう。
抽出器に掛ければいい香りの精油が取れるから。
同僚に渡す分の花を摘み終えた後は、別の花や果実を収穫することにした。
今が盛りの花は他にもたくさんあるし、何度も温室に足を運ぶのは面倒だから。
一口囓ればありとあらゆる知識を得られる果実。
新しい世界を作ることの出来る花。
望む夢を見られる実。
ほとんどは私や同僚の仕事で必要とされるものばかりだ。
新しい世界を作れる花は使い道がないから、今日のお風呂に散らそう。
香りがいいからエルもきっと喜ぶはずだ。
「エル。そろそろ帰ろう……」
……いない。
振り返った先にいると思っていた姿が見当たらず、言葉が途切れた。
収穫に専念している間にどこかへ行ってしまったらしい。
温室からは出ていないだろう。
扉は閉めてあるし、エルが出て行こうとすれば花が知らせてくれるはずだ。
まだこの中にいることは間違いないのだけど、温室が広すぎて姿が見えない。
「エル」
名前を呼ぶ私の服の裾を、ガラスのように透き通った花が引っ張った。
生物を苗床として育つ生命の花だ。
仕事に使うために一部を刈り取ったばかりのせいか、他より少し花の数が少ない。
それによると、エルは奥の区画まで探検に行ってしまったらしい。
ついこの前も私の部屋を探検して怖い思いをしたはずなのに、好奇心旺盛な子だ。
もっともここには危険なものは植えていない。危ない目には遭わないはずだ。
ただ、悪戯好きな花にからかわれて機嫌を損ねている可能性はある。
早くエルを見つけよう。
生命の花に教わったほうへ向かうと、見慣れた後ろ姿が目に入った。
花を摘むのに夢中になって、こちらには気付いていないようだ。
小さな頭が時折上下しているのがかわいらしい。
それにしても、いったい何をしているのだろう。
足音を殺して近づき、後ろからそっと覗き込む。
エルの手元には白い花があった。
匂いを確かめているのか花びらを顔に近づけている。
その種類を確認して、とっさに取り上げた。
びくりと身体を竦ませたエルが勢いよく振り向いて唸る。
「ごめんね」
意地悪をするつもりはなかった。ただ、この花はちょっとまずい。
私たちにとっては薬になるけれど、エルにとっては毒になってしまうからだ。
毒、というよりは成分が効きすぎてしまうといったほうが正確かもしれない。
どんな薬も過ぎれば毒だ。
一舐めしただけで中毒を起こすのだから、触れさせないのが正解だろう。
「これは毒だから、駄目だよ」
細かい理屈を教えてもエルにはきっと分からない。
端的にそれだけ教えると、エルは疑わしげに摘んだ花をつついた。
放っておいたら、本当かどうか確かめるために花を舐めるくらいはしそうだ。
そうなる前に花を隠してエルを抱き上げる。
「今日はもう帰ろう、エル」
虹の花は収穫し終えたし、時間も頃合いだ。
まだ物足りなさそうなエルを宥めて、温室を後にする。
雨は温室に入った時よりもその色濃さを増していた。




