「婚約破棄してやった!」と超わがままな元婚約者が友人に自慢していましたが、婚約破棄を仕向けたのは私だし、最愛の人と一緒になったので、今さら婚約破棄を解消してほしいなんてもう遅いのですっ!
「な、ガブリエルってたしかオリヴィア嬢と知り合いだったよな……? 出来たら俺に紹介してくれないか?」
放課後、図書室で本を堪能したあと廊下を歩いていると、元婚約者――リュカ・ロベールの囁き声が聞こえてきた。思わず立ち止まって、耳を澄ます。
本に没頭していた間にみんな帰ってしまったのか、学校にいる人はまばらだ。確かに噂話にはとっておきの空間だろうけど……。
「紹介するのは別にいいが……リュカは確かシーア嬢と婚約していたはずでは……?」
「いやそれがな、婚約破棄することになったんだ。元々内密な婚約だったから、簡単に破棄することができたよ」
「ふーん。でもシーア嬢と言えば、学校でも人気の素晴らしいご令嬢だろう? どこにそんな不満が……?」
「あいつはああやって学校では猫を被っているが、その実、どうしようもなく我儘なんだよ。俺の言うこと1つ素直に聞かないばかりか、他の男には色目を使い、物をせびる。全く、最悪の女だぞあいつは。みんな騙されてるんだ。婚約破棄されて当然だ」
「それはまぁ、大変だったな。でも向こうは伯爵家で、しかも長女だろう? 両親の反対はなかったのか?」
少し緊張しながら、盗み聞きを続ける。リュカの自慢げな声が、一層高くなった。
「もちろんあったさ。だけど説得したら、ちゃんと聞いてくれたよ。証拠も揃えておいたからな。上手いこと場を回して、婚約破棄してやった!」
「なるほどなぁ。やっぱ試験で学年5位以内取り続けてるやつは頭の出来が違うのな。まぁ、オリヴィア嬢に話してみるよ」
一通り会話が終わったらしく、今度は猥談になった。シーア嬢は貧弱で胸が小さかっただの、反対にオリヴィア嬢はセクシーな体つきをしているだの、失礼極まりない。その後の会話の酷さに、思わず飛びのいたくらいだ。
教室に背を向けて、一直線に我が家へ向かう。
「なにがシーア嬢は『猫を被った我儘令嬢』よ。ほんとに失礼だわ。それにリュカ……あいつ「婚約破棄してやった」て自慢げに話してたけど、そう仕向けたのも、お膳立てしたのも全部私なんだから」
自分の部屋に戻ったら、フツフツと怒りが湧き上がってきた。
椅子に座り、借りてきた本を広げながら思わず愚痴をこぼす。
私はシーア・ルフェーブル。とある伯爵家の長女だ。小さい頃から、リュカ・ロベールが婚約者だと決められていたが、このたび婚約破棄をした。
ロベール家は王家であり、私に男兄弟がいなかったため、五男であるリュカが私の家に婿入りすることが十数年前から決まっていた。今は小さな弟がいるけど。
表に出していなかったとはいえ、そんなにも長い間婚約していたし彼の家柄の方が格上なのに破棄したのには、理由がある。リュカがとんでもない性悪野郎だったからだ。十数年なんて、よく耐えた方だと思う。
彼こそが我儘で、気に入らないことがあれば、容赦なく手が出る。相手が使用人であろうと、婚約者であろうとだ。理由は大抵しょうもなくて、自分より歩く速度が速かったとか、テストで良い点を取ったから、とかそんなだ。理由がないときさえある。しかも無駄に頭が回るらしく、隠れたところでするから親には見つからない。
私は彼のことで昔から悩んでいた。
体の見えないところには痣が増える一方。婚約破棄を叩きつけたかったが、1度そうして傷ものになった女を好いてくれる男はなかなかいない。
次の候補もなく、親にも適当にあしらわれるなか、本当に悩んで悩んで悩み通して――
「今、入ってもいいかな」
コンコン、とドアがノックされ、我に返る。
えぇ、と答えれば、最愛のカレが入ってきた。
「シーア。今すぐにでも君に会いたくて。来てしまったんだ」
「レオ様! ありがとうございます。私もちょうど会いたいと思っていたところでした」
「やっぱり可愛いなシーアは」
顔を綻ばせると、そんなことを素面で口にするものだから、思わずかっと熱くなった。耳まで真っ赤だろう。
単に私を口説きたいだけなのだとずっと思っていたが、どうやらそうではなく、本当に無意識らしい。無意識が一番恐ろしいとは、よく言ったものだ。
「……レオ様も素敵です」
どうにかそれだけを言うと、レオがクスクスと笑った。これはからかわれてるな。
「最近どうだい?」
「順調ですわ」
「それは良かった。前より顔色も良くなったし、本当に良かったよ」
レオとは、定期的に開かれる夜会で出会った。
どうやらレオはあまり夜会が好きではないらしく、たまにしか訪れなかったため今まで見かけなかったらしい。
最初の少しの社交辞令で互いに気が合うことを予感し、会話を続ければ、ピタリと波長があった。その後何回かこっそりデートを重ねるうちにレオから告白され、恋仲になった。リュカのことも話し、痣も見せたが、気持ち悪がらず、待っていてくれると言った。頑張ったねと労ってくれた。その上レオが婚約破棄できるように協力しようかとも言ってきたのだが、お断りした。迷惑はかけたくないから。
レオの家に密偵もやったが、上品で温かな家柄らしい。つまり、信用できる。
レオの家は侯爵家だし、嫁ぐことになるだろうけど、うちよりよっぽど使用人の感じもいいし最高だ。
そんなこんなで嫁ぎ先もできた私は、今度はリュカに婚約破棄をさせることにした。レオのことは、親には黙っていたし。それに婚約破棄は重大な罪にもなり得るから。
今までリュカの言う全てに対して肯定していたのを(そうしないと嫌がられるから)、客観的に見て間違っていることは否定し、記念日にプレゼントをねだったりした。だってそんなの、みんなしてることだ。
計画が始まってから1か月。リュカは私を『言うことの聞けない・すぐ物をせびる・他の男にすぐ目を向ける』人だと思い始めたらしい。最後のは完璧な誤解だが、気持ちはレオに向いていることを考えるとあながち間違いでもないのかもしれない。よく考えたら最初の2つも誤解だけど。物をねだると言っても、普通にケーキやらなんやらだ。学校で流行ってるやつ。
その頃、折よく学校で何人かが仲違いやらなんやらで婚約を解消し始めた。そこでリュカも婚約解消することを思いついたらしい。見事持ちかけてきて、私の家がそれを受け入れた。だって、一応自分より上の家柄の嫁ぎ先は決まってるんだもの。
レオのところの方が待遇良いだろうし。
リュカはそこそこ難しい婚約破棄が成功したことに気を良くしたらしく、以来今日の放課後みたいに特定の友人に自慢しているようだ。婚約破棄の理由も、単なる自分の我儘と思い込みだということを知らずに。もちろん、それが自分の首を締めていることも。
「学校は来月卒業するんだっけ」
レオは私より2つ年上だ。
「えぇ。そうしたら結婚できますわね」
「楽しみだね」
レオが微笑む。
私もつられるように、微笑んだ。
――あぁそういえば後日聞いたところ、リュカはオリヴィアに無事振られ、しかも強引に迫ったことで悪評が広がっていったらしい。その後ある子爵家のご令嬢と付き合ったのだが、あっけなく振られたのだとか。主に我儘だという理由で。
しかもそれをリュカがそのご令嬢が我儘だと悪口を言ったせいで余計に不名誉な存在となり、今では婚約する相手もなかなかいないそう。
今更婚約を戻したいなんて私の家にすがりついてきたけど、私はもう最愛の人――レオと一緒になったのだから、もう遅いのですっ!