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はじまり(3)


「どうした、ニア……? 眠れないのか?」


 星が見えない夜だった。地上に住む一人の少女が桟橋から空を見上げている――。両足を海辺に投げ出して、ただ空を仰ぎ見る。そこには何もあるはずがないのに、少女はただそこを見上げ続けていた。まるで何かが、少女の目には見えているかのように……。

 背後に立った老人が問いかける。少女は首を横に振り、それを否定した。眠れないわけではない。むしろ、とても眠くて先ほどまで眠っていたくらいである。だが、目覚めてしまった。誰かに呼ばれた気がした。今はなんとなく、それを感じ取る事が出来る。空の向こう……沢山の声が聞こえた。


「マキナがね……お空の上に居る気がするの」


「…………マキナが?」


「戦ってる気がするの。頑張ってる気がするの。それでね、いっぱいいっぱい、人がマキナと一緒に居るの。数え切れないくらい……。だからね、がんばれーって、応援してたの」


「…………そうだな。戦っているのかもしれないな……」


 老人もまた、空を見上げる。蒼い海を照らす星は消え、薄暗い夜の闇だけが世界を支配している。だが、何となくそれが判った。空の上、誰かが戦っているという事。幻のような……そんなかすかな虫の知らせ。

 ニアの純粋な瞳に流れ星が移りこんだ。空を瞬く光のラインは次々に世界を照らしていく。それは星ではなくただ光……。世界中を駆け巡り、人々の思いを束ねていく。

 声が聞こえるような気がした。マキナの戦っている姿が瞼に浮かぶような気がした。少女は手を合わせ、心から祈った。どうか、頑張っているあの人に……少しだけでもいい。力を分け与えて欲しかった。

 祈りの光はエーテルを伝って集まっていく。それは空へ、空へ……。そしてやがて小さな光は大きな光の流れに融合し、世界を廻っていく。それは思いを伝えるライン……。空の上で戦うあの人へと、どうか届いて下さいと――少女はただ、祈りを重ねる。

 完全に大破し、動かなくなったシュトックハウゼンが沈黙していた。そこには誰の声も響かなかった。無数のFAの残骸の中、オルトリンデもヴァルツヴァイもヘイムダルカスタムも、全てが朽ちて浮かんでいるだけである。

 闇の空の中、折れた鎌を手に死神は光のラインを見下ろしていた。下半身は砕け、上半身だけが浮かぶイシュタルの中、世界の悪意から生み出された者がその光を見下ろしている……。

 光の結界の中、かつて世界を護ろうと意気込み、夢を追いかけ恩師の為に戦った一人の男が倒れていた。無数のエトランゼの残骸の山の上に立ち、蒼い機体は膝を着いて沈黙している。その機体の作った道のはるか彼方――そこには大いなる星の守護者の姿があった。

 思いは連なり、今この世界を構築している。マキナとアテナ、二人へと繋がっていたメモリー……。それは今砕け散ろうとしていた。ジュデッカの圧倒的な力の前に成す術も無くジークフリートは崩れ落ちる。蒼海の上、英雄の鎧は痛々しく無残に砕けてしまっていた。

 ジュデッカが尾をうねらせ、牙と牙の合間から蒼い光を垣間見せる。折れた勇者の大剣は海の上に浮かび、光の中でマキナとアテナは気を失っていた。

 戦いと呼べる物にさえならなかった……それが現実である。邂逅直後、ジュデッカは蒼い光を放った。それはこの星全体を護るほどの結界を生み出す力、それを攻撃に転換したものである。一撃必殺――かつ必中。回避も防御もままならず、出会い頭にジークフリートは一発で撃墜されてしまったのだ。


「…………きゅう」


 暗いコックピットの中、気を失うマキナの膝の上から声が聞こえていた。白いうさぎがそこで丸くなり、マキナの身体を揺さぶっていた。


「むっきゅう…………。むっきゅう…………っ」


 小さな力で揺さぶられ、マキナはそれでも動かない。ジュデッカは巨大な身体をくねらせ、ジークフリートが立ち上がるのを待っていた。英雄と呼ばれ、勇者と呼ばれた存在……そしてこの星を人の手に取り戻す為、ここまで乗り込んできた愚か者である。だが、ジュデッカは知っている。彼女が苦悩しつつもここまで辿り着いた、本当に強い心の持ち主である事を。

 故に王がわざわざと彼女の回復を待つのである。それはこの上ない期待と信頼を意味している。最初から全力の一撃で応じたのも、マキナという英雄に対する礼儀であろう。ジュデッカは待ち続ける。マキナが目を覚ますその時まで……。




はじまり(3)




 ――――わたしのしてきた事に、意味なんてあったのでしょうか?

 わたしはジュデッカの半身として生み出され、そしてジュデッカの為に生きてきました。人類を見守り、その可能性を判断する監視者……。わたしは人間である事に拘り、己の正義を振りかざし、今日まで戦ってきました。

 時に挫折し、時に立ち止まり、それでも今日までがむしゃらに頑張ってきました。それは足を止めてしまうことが怖かったからであり、勇気でもなんでもない、ただ臆病な行動だったのだと思うのです。

 振り返りたくないから走るしかなかった……思えば逃げ続ける人生でした。そんなわたしが選んだつもりでいるこの目の前の現実が、一体どれほどの価値を持ち、どれだけ正しい事なのか……それはわたしには判らないのです。

 そう、なんにも、なぁんにも……判らないのです。一人で生きて、一人で死んで……それがきっとわたしには相応しい人生だったのでしょう。

 でも、やっぱり死にたくなくて。生きていたくて。皆と一緒に居られたらどんなに幸せだろうって思います。でも――それでも、わたしは――。




「………………寝て、らんないよね……」


 コックピットの中、ぽつりとマキナが呟いた。荒く息を整えながら、アポロの頭を撫でる。そう、立ち止まっている暇などない。走り抜けてきた人生にはそれ相応の責任が存在する。今ここで立ち止まっては全てが水の泡なのだ。そう、何もかもが……。

 ジークフリートが再び動き出す。血を吐き、歯を食いしばり、マキナは英雄の鎧を立ち上がらせるのだ。ゆっくりと、ジークフリートが手を伸ばす。折れた剣に手を伸ばす。それだけは絶対に失いたくないと、最後の権利であるかのように……ただ、剣へと手を伸ばす。

 冷たく鈍い感触だけを残すその刃に全てを乗せてきた。今日まであった人生の全てがその剣に映りこんでいる事だろう。激痛だろうがなんだろうが堪えて笑うことが出来る。そうだ、信じられる……ただ、歩いてきた道だけは――。

 世界中の光が降り注いでいた。気づけばマキナの隣には一人の少女の姿があった。それは一人のアナザーの少女……。マキナの事を想い、ずっと想いだけは傍にあった。少女はマキナの震える手を操縦桿の上からそっと握り締める。震えはぴたりと収まり、手には力が戻ってくる。マキナは笑顔を作り、小さく頷いた。


「ありがとう……。行くよ……。立ち上がらなきゃ駄目だから……。一緒に行こう……“みんな”……ッ!!!!」


 ジークフリートが立ち上がる。それを補佐するかのように、海の中からは光の腕が無数に伸び、その背中を押していく。それは星の記憶――。ジュデッカが管理し、護ってきたモノ。それが今、ジュデッカではなくマキナへと手を差し伸べようとしていた。

 震える左手は、少女の幻影が握り固めてくれている。おかしな方向を向いてしまっている右手は……笑顔を浮かべた少年が支えてくれた。マキナの手に自分の手を重ね、少年は静かに頷く。そして折れた腕から熱い痛みが消え、マキナはしっかりと操縦桿を握り締める。

 全身の感覚は限りなくゼロに近づいていた。余りの痛みに感覚のブレーカーが落ちてしまったかのようである。だが、逆にマキナはそれでよかった。何も判らないからこそ、誰かの思いをはっきりと感じ取る事が出来る。

 ここは、魂が始まりそして還る場所……。ここには全ての想いがある。この星を護ろうと、生きようとした全ての想いが残っている。生きたくても生きられなかった命……。護りたくても護れなかった命……。戦いたくないのに戦わねばならなかった命……。全ての罪がここにある。

 そうだとも、ここは地獄の一丁目――。奈落の底、煉獄の渦の中心……。人の罪と呼ばれる全てが終結する場所……。ジュデッカは翼を広げ、英雄を迎え撃つ体勢を整える。ジークフリートは一歩、一歩を歩み出す、折れた大剣を引きずりながら……。

 近づく英雄をジュデッカの尾が弾き飛ばす。派手に吹き飛び、水面を吹っ飛んでいくジークフリート……。倒れ、そしてまた立ち上がる。顔を上げ、マキナは人々の思いを感じていた。それは果てしなく重い……。だが、それを背負って立たねばならない。


「…………お姉ちゃん、一緒に来てくれてありがとね……」


 心から感謝している。アテナは所詮人間であり、この神々の戦いの中では耐え切れず息絶えてしまう事は最初から判っていた。最初の一撃でアテナの心臓は止まり、既に命は尽き果てている。コックピットに転がっているのはかつてアテナであったものであり、最早アテナであるとは言えなかった。

 だが、悲しむ事はしなかった。マキナは口元の血を拭い、また立ち上がる。心から大好きな、護りたい人……。その人がここまで連れてきてくれたのだ。だから――絶対に、立ち止まる事は赦されない――。




 ――――今の人生に、後悔をしていません。わたしはわたしなりに一生懸命に戦い、そして自分の成すべき事を見つけ、それに取り組んだのです。それは絶対に無意味なんかではなかったと、胸を張って言えるから。

 お姉ちゃん、今の貴方にはどんな世界が見えていますか? その世界の中に、わたしはいますか……? アンセム先生は? ナナルゥは? 蒼穹旅団のみんな、ザックスおじさん、それにノエルちゃん……沢山の人の笑顔が映っていますか?

 お姉ちゃん、貴方は今、どこで何をしていますか? 貴方がこのわたしの日記を読んでいるのだとしたら……わたしはもう、この世界にはいないでしょう。

 わたしはジュデッカであり、ジュデッカ以外のものには結局なれなかったのです。わたしはジュデッカを倒し、或いはジュデッカに倒され死ぬのでしょう。ですがお姉ちゃん、どうか泣かないでください。貴方には――もう、聞こえているはずなのですから――――。




 歌が、聞こえていた――――。

 マキナの胸に、確かに聞こえる。ナナルゥの歌声が聞こえる。ナナルゥの声が、沢山の人の祈りを届けてくる。

 数え切れない人の命が、祈りが、マキナの心に響いていた。天を貫き、光の柱が堕ちて来る――。それはジークフリートを直撃し、虹を浮かべて狭間に橋をかけていく。

 マキナの肉体が光となって解けて行く。指先が消え、全身が消え、少女の姿が消えていく。コックピットの中、そこは無人となった。マキナと呼ばれた少女の肉体は消失し、魂がジークフリートに本来の力を取り戻していく。

 機械仕掛けの神の瞳が輝き、その全身が蒼く、蒼く輝き出した。幾億の笑顔、幾億の涙、幾億の祈り――――その全てを受け、ジークフリートは翼を広げる。それはジュデッカと同じ、光の翼――。光の柱は海へと突き刺さり、底に巨大な神剣を構築する。ジークフリートはそれに手を伸ばし、狭間の中で吼えた。

 獣のような声が鳴り響く。誰もが考えはしなかっただろう。それが、マキナと呼ばれた少女の声であると。魔物に成り果て本来の姿へと回帰したマキナをマキナであると誰もきっと認識出来ない。そう、ここにいる魂だけの人々以外には……。

 ジークフリートが走り出す。再びジュデッカが放つ光の波動がジークフリートを打ちつけ、まるで見えない壁に激突したかのようにジークフリートはその歩みを止めた。しかしそれを剣で薙ぎ払い、強引に突き進んでいく。


『『『 ォォオオオオオオオオオオオオッッ!!!! 』』』


 両手でしっかりと握り締めた剣でジュデッカを薙ぎ払う。それは一撃で神を両断し、上半身と下半身に永遠の別れを突きつける。

 それではまだ止まらない。ジークフリートは何度も刃を揮った。何度も何度も、己を斬り付けた。それはとても悲しい光景だった。何度も何度も……何度も何度も――。

 光の中で、全てが終わっていく。ジークフリートはその目から涙を流しているかのように見えた。頭を抱え、英雄は空に吼える……。狭間の世界が消失する。あっけなく、まるで何もなかったかのように――――。

 蒼い光の巨大な十字架がゼロカナルを砕き、硝子が砕けるような軽やかな音と共にカナルが消滅していく。それは地球からもはっきりと見る事が出来た。空を見上げ、ニアはそっと手を伸ばす。


「マキナ……? そこに、いるの――――?」


 地球を取り囲む結界が一斉に砕け、宇宙へと光が広がっていく、カナルと呼ばれた光の川が一斉にうねり、宇宙に向かって流れ始めた。地球をぐるりと取り囲む光の道……それが導かれるように巨大な十字架を取り囲み、巻き込み、包み込むようにして空へと舞い上がっていく。

 蒼い光の翼が世界を包み込んでいた。やがて光は青い海となり、空に巨大な境界を描いていく。誰もがその眩い光に目を奪われていた。眠っていた世界が目覚め始める。誰もがゆっくりと目を開き、そして――それを見た。

 流星となり、光が星へと降り注いでいく。閉じ込められていた想いが、時が、自由になって爆ぜていく。鳥籠は開かれ、蒼い鳥は空へと羽ばたいたのだ。美しく神々しく、世界が色を変えていく瞬間が続いていた。

 何故だか誰もが涙を流していた。それはとても優しく、眩く、そして寂しい光だったから。十字架はいつまでもいつまでも空に昇り続けていた。祈るように。見守るように。ただ静かに……。いつまでも。いつまでも――――。




『…………オねェちゃン』


「う…………っ」


『おネえちャん』


 アテナ・ニルギースは奇妙な声の中で目を覚ました。そこには無限に広がる狭間と呼ばれる世界が広がっている。

 目を覚まし、そして直後にアテナは我が目を疑った。自分に語りかけているモノ……それは、ジークフリートと呼ばれていたFAの成れの果てであった。その外部装甲は砕け、内部に潜む魔物の肉がところどころから垣間見えている。

 生々しい巨大な蒼い瞳が目の前にあり、悲鳴を上げなかっただけマシというものだろう。アテナはその巨人の掌の上に寝そべっていたのだ。驚きながら周囲を見渡す。そこには先ほどまで戦っていたジュデッカの姿は見当たらなかった。

 一体何が起きたのか、何も判らなかった。ただ漠然と目の前に意味不明の現実だけがある。自分はジュデッカの攻撃を受け……一瞬で意識が途切れ、何も考えられなくなったところまでは覚えている。だが……これは一体なんだ? 何故ジークフリートが目の前にいて、喋っているのか……。


『お……ねえ……ちゃ…………ん……』


「え…………?」


 ぞくりと、背筋が震えた。動悸が早まるのを確かに感じる。目の前の化け物は確かに口にした。“お姉ちゃん”と……。

 見れば、化け物はその両手でそっと優しくアテナを握りつぶさないようにと思いを込めて手を伸ばしていた。そこからは確かに異形からの愛情を感じることが出来る。アテナはそっと身体を起し、鉄と肉が交じり合った掌に触れた。そして震えながら顔を上げる。


「マキナ……? マキナ……なの……?」


 化け物は何も応えない。だが、アテナには判ってしまった。それは……マキナがジュデッカと同じものになってしまった姿なのだという事に……。

 何度も何度も鉄の掌に自分の手を重ねた。冷たく……それは悲しいほどに冷たく、何のぬくもりも還って来ない。余りにも、残酷すぎる現実が目の前にあった。アテナは両目から涙を零しながら、静かにジークフリートを見つめ続けた。


「どう、して……。どうして、こんな事に……」


 ジークフリートは何も言わずに立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。ぼろぼろの身体を引きずり、ゆっくりと蒼い海の上を……。アテナは夢でも見ているのかと、何度も目を疑いたくなった。だが、そこは紛れも無く世界の狭間……そしてそこにいるのは……マキナであった。

 マキナはもう、人間らしく言葉を話す事も出来ない。あの柔らかい笑顔も、無邪気な声も、暖かな肌も……全ては消え去ってしまった。戦いの中で彼女が選び、そしてこれがその結末である……。アテナは悲しくて仕方が無かった。ただずっと涙を流し続けた。ジークフリートは歩いていく。時の狭間の出口へと……。


「もう、いいよ……! わたしもここで一緒に死ぬからあっ!!!! そんなにぼろぼろになってまで、どうして……っ!! ねえ、マキナ、降ろして!!!! 一人だけ生き残るくらいなら、死んだ方がいいっ!! 死んだ方がずっとましよっ!!!!」


『……イきて』


 そんなアテナの声を真っ先に遮り、鈍い声が響き渡る。


『死ナないデ』


「…………」


 言葉がなかった。崩れ落ち、泣くほかに一体何が出来たというのだろうか? アテナはその場で泣き続けた。永遠に等しい時間だった。二人は時の狭間から脱出し、地球を取り巻いていたカナルの流れを見た。

 光は空へと立ち上っている。その流れの前に立ち、ジークフリートは月を見上げていた。美しい景色だった。全ては無事に……オペレーションブルースフィアは完了したのである。それを我が目で確かめたかったのか、マキナは静かに頷き、それからアテナへと目を向けた。


「いやよ、こんな結末……っ! どうして……どうして貴方ばっかり……!! わたしっ!! まだ貴方になんにもしてあげてない!! なんにもあげられてない!!!! やだよぉマキナ……っ!! こんなのやだよぅっ!!」


 巨人は何も応えようとはしなかった。ただ、悲しげに沈黙するだけである。ふと、ジークフリートのコックピットが開き、そこから一羽のうさぎが飛び出してきた。うさぎはアテナの足元に着地し、それから耳をぱたぱたと上下させながらアテナを見上げる。

 マキナが視線を向ける先、そこにはカナルの上を漂流するアンセムのジークフリートの姿があった。そっと、そこへアテナとアポロを導き、マキナは手を離す。追いかけようとするアテナをアポロは齧り、それを阻止した。


「マキナッ!! マキナあああああああああっ!!!!」


 ジークフリートの装甲が光になって消えていく。光の風はゆっくりとその身体を溶かし、消し去ってしまう。かつてラグナと呼ばれた少年が消えたのと同じように……。

 英雄の身体は消失し……そして何も残らないだろう。全ては想い出の中に消えていく運命……。ジークフリートはその場に両膝を着き、項垂れた。本当ならばもう一歩とて歩めるような余力はなかったのだ。だが……ただ、愛する人を助ける為に、死肉に鞭を打ってここまで戻ったのである。


「やだ……やだあ!! こんなの嘘よ……こんなのありえないわ……だってマキナ……貴方……貴方が居なくなるなんて……っ!!!!」


 ふらふらと、おぼつかない足取りで歩き出すアテナ。そのまま行けばカナルの海に落ちてしまう所であった。しかし、背後から彼女を強く抱く男の姿があった。血まみれのアンセムはアテナを拘束し、ジークフリートの最期へと視線を向ける。


「兄さん! はなしてっ!! お願い、死なせてぇえええっ!!!!」


「駄目だ……」


「マキナが……マキナがっ!!!! うわあああああああああああああっ!!!!」


「最期まで……あいつの事を見てやれ……! お前に生きろと言ったんだ……! だからお前がここに居る……! マキナの願いを、汲んでやれ……!!」


 狂ったように泣き叫ぶアテナを羽交い絞めにし、アンセムもまた涙を流していた。ジークフリートが光に還って行く。全ての罪と、祈りと共に――――。




 わたしは、一生懸命生きました。十分、とはいえないけど……でも、いっしょうけんめい、いっしょうけんめい生きました。だからお姉ちゃん、貴方も一生懸命に生きてください。

 そしてどうか、わたしの事を赦して下さい。こんどはお姉ちゃんの番になります。だから……赦してください。貴方を一人にしてしまうわたしを、どうか赦してください。

 ごめんなさいお姉ちゃん。ずっと大好きで、ずっと愛しています。貴方は一人になってしまうけれど、わたしはいつか貴方にまた会える事を信じています。その時はまた、無邪気なわたしの笑顔で貴方と出会いたいです。そしてその時は、貴方の優しい笑顔がもう一度見たいです。

 悲しまないで下さい。どうか、涙を流さないでください。貴方をこの世界に一人残してしまうわたしは、罪深い存在なのでしょう。ですが判ってください。これが、わたしの選んだ道なのです。

 それでは最期になりますが、どうかお体には気をつけて。お元気で……。さようなら……アテナ・ニルギース様。

 マキナ・レンブラント、はじまりの日記より――――。




「――――マキナァアアアアアアアアアアアアッ!!!!」


 アテナの絶叫が空に響き渡る。少女の姿は消え去り……そして後には救われた世界だけが残った。光の十字架が穏やかに消失し、導かれたカナルの光が固定されていく。

 人々が空を見上げ。人々が星を見下ろす。その狭間で世界を包む光は消滅した。この日、エトランゼと呼ばれた者の脅威から人は解き放たれた歴史的な一日となった。

 その地獄の戦場から生還したのは英雄……アテナ・ニルギース。カラーオブレッドでもあった彼女の存在は一躍有名となり、世界にその名を轟かせることとなる。

 歴史的な、全てが美しく輝いていたその日、マキナ・レンブラントと呼ばれた少女は消滅した。その名を覚えている人が、どれだけ残っているだろうか? 忘れられない記憶と共に、それを背負う彼女を除いては……。




 全ての物語のはじまりのその日、蒼い髪の一人の少女が消え去った。眩い太陽のような笑みを浮かべ……世界を愛した少女が死んだ。

 そして、幾許かの年月が流れ――――。世界は――――。


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