はじまり(2)
誰もが寝静まった夜の中、一人で格納庫に向かうマキナの姿があった。闇に包まれたその場所の中、マキナはライダースーツに着替えている。頭の上にはアポロを乗せ、その表情はどこか悲しげだった。
名残惜しそうに何度も振り返り、街を眺めた。もう、生きてはここに戻れないだろう――。そう考えると、どうしようもなく寂しい気持ちが湧き上がってきた。そう、まだ一つだけ、最期にやらねばならない事が残っている――。
「行こう、アポロ……。この世界を、ジュデッカから取り返す為に」
「むっきゅ……」
「大丈夫だよ。一人でも大丈夫……。ううん、一人なんかじゃない。皆を護る為だもん、皆きっとわかってくれるよ」
「むきゅう…………」
情けない声を上げるアポロ。すっかり元気がなくなってしまい、耳はぺったりと垂れ下がったままである。マキナはそんなアポロの頭を撫で、止まっていた歩みを再開する。
ジークフリートは夜の中に静かに佇んでいた。薄っすらとシルエットを目線で縁取り、マキナは思わず歩みを止めた。暫くそうしてジークフリートと向かい合っていた。沢山沢山、そこには想い出が詰まっている。
別れは昼間の内に済ませておいた。十分に生きた。思い残す事がないわけではない。だが、十分に生きて何かを守る事が出来た。
ラグナが光になって消えていくのを見送った時から覚悟は決まっていた――。ジュデッカと戦い、ジュデッカを打ち倒し、そしてそれはマキナの消失を意味している。人類は疲弊し、これ以上戦わせる事は滅亡に繋がりかねない。
敵は未知数だ。だが、マキナは今自分の力に確信を持っていた。ジュデッカがどれほどの化け物だろうと負ける事はないと信じている。それほどまでに胸にこみ上げる大切な気持ちがあるのだ。ジークフリートはきっと応えてくれる……そう信じている。
仲間たちの事が大好きだった。大好きで大好きで、もう離れ離れになんかなりたくない……。けれども、終わりはいつかは来る物だから。これで、全てを終わりにしなければならない。そして人類の新しい歴史を始めるのだ。そう、これが本当のオペレーションカラーズ……。マキナ・レンブラントの戦いなのだ。
泣きそうになる気持ちをぐっと堪え、マキナは再び歩き出した。何度も何度も立ち止まり、振り返る……。迷いを振り払うように頭を振り、走り出す。ジークフリートの下へ……。終わりのはじまりへ……。
その時であった。突然、無人のはずの格納庫に光が降り注いだ。眩い光の中、マキナはそれに手を翳す。すると背後に人の気配を感じた。振り返るとそこには――仲間たちの姿があった。
「――――また、一人で行くつもりだったのか? マキナ」
「先輩……? みんな……」
ヴィレッタ、オルド、リンレイ、そしてアテナ……。四人はマキナに歩み寄る。何故彼らがここに……? わけがわからず動転するマキナの前に立ち、アテナは優しく微笑んだ。
「どうせこんなことだろうと思ってたのよ。マキナ……一人でジュデッカと戦いに行くつもりだったのね?」
「あ……う……」
「ったく、どうしててめぇはいっつもそうなんだ?」
「もう少し、私たちを頼ってください。私達は蒼穹旅団……仲間じゃないですか」
「オルド君……。リンレイ……」
「うぉ~いっ! シュトックハウゼンの発進準備、OKだぜ~」
シュトックハウゼンの扉から聞こえる声にマキナは慌てて振り返る。そこには全身に包帯を巻いたサイの姿があった。
「サイ君!? アレ!? 死んだんじゃなかったの!?」
「は? いや、普通に生きてたけど……アレ? お前知らなかったの? そういや、戻ってきた時お前居なかったような」
「せ、先輩!?」
「いや、だからサイは無事に戻ってきたんだよ……その話をする前に、君がどっかに行っちゃったんだろう?」
困ったような表情を浮かべるヴィレッタ。サイはカーネストの自爆に巻き込まれ……たかのように見えた。しかしギリギリのところで何故かカーネストはサイを開放し……結果、自爆の直撃は免れたのである。
ヴァルベリヒは自爆によって完全に消滅――。カーネストの安否は不明である。しかしヴァルツヴァイはかろうじて帰還し、サイも怪我を負ったものの無事だったのである。マキナはその説明を受け、目を潤ませながらサイのところに駆け寄っていった。
「うわ~ん! サイ、生きてたんだねーっ!!」
「いや、誰も俺が死んだとは言ってなかったろ~……? てか、俺が死んでたにしてはみんな冷静すぎじゃね?」
「まあ、サイだからな。別にこんなもんだろ」
「ふふふ、そうですね」
「…………ナニこの扱い……。何気に俺ってばすげぇ頑張っちゃったのよ? 全くもう……」
肩をすくめるサイ。その周囲では明るい笑い声が浮かんだ。その輪の中心に立ち、マキナは戸惑いを隠せずに居た。これから自分がしようとしているのは、ただの無謀な特攻である。どちらにせよ……自分の命がそう長くない事は判っている。所詮はジュデッカが人間の視察の為に生み出した命である。その役割を必要としなくなった今、いつジュデッカが自分の存在を抹消しようとするかもわからない。
自分の命が消えてしまうのは惜しくない。だが、仲間たちは別だ。最も死んで欲しくないからこそ、黙ってゆくつもりだった。だが……これではもう、全てが水の泡である。
「みんな……どうして……」
「言っただろ? 俺たちは蒼穹旅団だ。色々あったが……仲間である事には変わりない」
「私たちは確かに一度は離れ離れになりました。でも、心まで遠ざけたつもりはありません」
「私たちはあの時からずっと志は共にあった。ニアの事も皆忘れていないさ……。ニアの為にも、旅団としてこの戦いに挑まねばならない。そうだろう? マキナ」
「…………みんな」
泣き出しそうな顔で俯くマキナ。その背中は世界を救った英雄とは思えぬほどか弱く華奢で、小さく震えていた。その肩を抱き、アテナは力強く頷いてみせる。
「貴方を一人にさせない為に私たちが居る……。もっと私たちを頼りなさい、マキナ。貴方が星を守るのなら、私達は貴方を守る――。そうでしょう?」
「…………おねえちゃん……。おねえちゃあああんっ!!」
アテナの胸に飛び込み、泣きじゃくるマキナ。その様子を仲間たちは微笑ましく見守っていた――。
シュトックハウゼンの出撃準備は既に完了している。艦橋に移動した一向はジークフリートの格納作業を手早く終了し、来る最期の決戦に向けてそれぞれ思いを新たにしていた。シュトックハウゼンの操縦はリンレイに任せられ、他のメンバーはそれぞれがマキナのサポート役となる。
とはいえ、先の戦闘の直後であり最優先で修理を行っていた旅団メンバーの機体も今だ完全ではない。平時の半分……それだけの力を出す事が出来れば上等だろう。シュトックハウゼンも同じような状態であり、無傷なのはジークフリート、そしてブリュンヒルデのみである。
「正直、状況は芳しくないな……。この作戦の肝はやはり、ジークフリートとブリュンヒルデになる。任せられるか?」
「ええ、当然ね」
「その為に今日まで戦ってきたんですから! それに、お姉ちゃんが一緒だから大丈夫ですっ!!」
二人は頷きあう。アテナの表情も、マキナの表情も今はとても清清しい。自信と揺ぎ無い信念に裏打ちされた、英雄に相応しい強い目をしている。それだけ見ればヴィレッタには何もいう事はなかった。二人は既にその資格を有している。人を超えた英雄……伝説の体現者としての資格を……。
「とはいえ、作戦なんてモノは私たちには無い。あまりにもお粗末な戦いになるだろう。だがマキナにはそれなりに勝算があるんだろう?」
「はい。まず、ジュデッカのいる次元に行く事が必要になります。その為の手はずはナナルゥとアンセム先生にお願いしてあるんです」
そもそもジュデッカとはどこにいるのか? 何者なのか――? 地球に落下した隕石がそもそも何処にあるのか? それがジュデッカ本体なのか? 様々な疑問があった。しかし全てはマリアが残した手記により解決したのである。
ジュデッカが存在するのは地球と宇宙の狭間――。ゼロカナルの内側に存在する別次元である。マキナは地球に下りてその様子を確かに見たが。そこにはうじゃうじゃとエトランゼが居るような事はなかった。エトランゼたちは全て地球を覆うゼロカナルの中に存在しているのである。
星を守る結界そのものがジュデッカであるならば、一度マキナはそれを打ち破っている。だが、今回はただ壊せばいいというものではない。結界は壊してもいずれ修復されてしまうだろう。そうならぬように、今回は大本を叩きカナルを全て浄化する必要があるのだ。
ゼロカナルが消失すれば、地球は丸裸になる。そして全てのエトランゼを同時に消滅させる事も可能になるのだ。しかし、それには問題点が一つ――。
「カナルが消失すれば、樂羅を含め全てのシティが地上に落下してしまいます。だからそれを制御する為にナナルゥとタンホイザーの力が必要になるんです」
「…………判った。マキナにはマキナなりに算段があるんだな。なら私たちはマキナをサポートするのが役目だ。何があっても君を次元の狭間まで連れて行く……それだけだ」
「でも、皆の機体は……」
「…………何も言うな。マキナ一人にだけ、死なせるつもりはないさ。皆命に代えてでも君を守るつもりで居る。振り返らず、駆け抜けろ。それが君の責務であり、私たちの願いだ」
「ヴィレッタ先輩……」
何も言わず、ヴィレッタはマキナの肩を叩く。泣き出しそうになるのをぐっと堪え、マキナは静かに頷いた。死んで欲しくはない――。だが、その覚悟を無碍にする事はただの侮辱にすぎない。戦士には戦士の生き方があり、死に方があるのだ。それにつべこべ口出しするのは野暮というもの――。
「マキナ! 通信が入っています!」
「あ、うん! 繋いで!」
艦橋のメインモニターに映りこんだのはジークフリートのコックピットに乗り込んだアンセムの顔であった。眼鏡を外し、ライダースーツを着用していたので一瞬誰だか判らなかったが、声を聞いて何とか判断する事が出来た。
『……予定より大分人数が多くなったようだな』
「え、えへへ……すいません」
『いや、そんな事だろうと思っていた。予定通りエーテルブースターを発動し、ナナルゥは月付近で待機中だ。私もそちらに合流する』
「了解しました。先生、誘導をお願いします」
『……ああ。しくじるなよ、マキナ』
通信が終了し、仲間たちは目を丸くする。二人のやり取りの意味がまるでわからなかったのである。しかしマキナは一人でしたり顔であり、振り返って笑顔で手を上げた。
「これから判り安く作戦を説明します! とはいえ、簡単に言うとセブンスクラウンがやろうとしたことに焼き直しになるんですが――」
次元の扉を開く方法――それは、ゼロカナルをも上回る莫大な量のエーテルを叩きつける事である。セブンスクラウンはコロニーに圧縮したエーテルを詰め込み、それを地球――ではなくその手前のゼロカナルに叩き込む算段であった。それによりゼロの結界を破壊し、大量の軍勢によってジュデッカを討つ作戦であった。
マキナの考えたのはほぼそれと同じ事である。セブンスクラウンが用意したコロニーに蓄積された莫大な量のエーテル、それを一度レセプターを搭載したタンホイザーに収束――。それをゼロカナルに照射し門を開き、そこにマキナが突入してジュデッカを討つというものである。
オペレーションカラーズ用の装備と設備が整っていたからこそ実現可能な作戦でもあり、そういう意味では改めて行われる真のオペレーションカラーズであるとも言える。次元を開く力はほんの一瞬だけであり、そして大軍団が通過できるほどの大きさを確保する事も難しい。結局どちらにせよ、少数精鋭による突撃が限界なのである。
「その後、ジュデッカを倒し……カナルを操る権限をわたしが奪います。それによりナナルゥと一緒にカナルを操作……ゼロカナルだけを消失させて、残ったカナルを消さないように調整します」
「そんな事が出来るのか……」
「はい、わたしはジュデッカそのものですから――。これでエトランゼは全て消えて誰も傷つかず何も変わらない……これが本当のオペレーションカラーズです」
「……判った。マキナのその言葉を信じよう」
「でも、オペレーションカラーズっていうのはちょっとアレじゃない? もうカラーズもセブンスクラウンもいないんだし」
提案したのはアテナだった。確かに、セブンスクラウンの作戦名をそのまま使うのは腑に落ちないものがある。三人は顔を見合わせ、それから少しの間考え込んだ。その沈黙を破ったのは操縦席に座ったままのリンレイの声だった。
「“オペレーションブルースフィア”というのはどうでしょうか?」
「…………ぶるーすふぃあ?」
「はい。“蒼海作戦”、とでも言いましょうか」
リンレイの言葉に三人は再び顔を見合わせる。それは三人の中にしっくりと染み込んでいった。蒼海作戦――オペレーションブルースフィア。悪くない名前だ。何よりマキナの象徴、蒼の時が入っているのはいい。
「うん、それにしよう! オペレーションブルースフィア!! 旅団の最後の作戦には丁度いいよ!」
「そうだな……! 守ろう、あの蒼い星を!」
「はい――っ!!」
オペレーションブルースフィア――。その名が歴史に記される事はないだろう。儚く歴史の狭間に消えていった言葉……その中に紛れ込んだ一つにすぎないのだから。
だがそれでも構わない。マキナは真っ直ぐに世界を見つめていた。光のリングが幾重にも重なり守る蒼い星……その美しさを知っているから。この世界に生きる人の命の美しさを知っているから。だからもう迷わない――。どこまででも突き進んでいく。それが、自分たちの生きる道だと信じて……。
はじまり(2)
それは、何となく眠れない夜だった――。
誰もがふと空を見上げる。そこには変わらぬ星空の姿があった。世界は破滅に向かい、そしてそれは回避された。人は自由の世界を歩き始めた……そう、これは始まりである。
祝福されるべき刹那、だが何故だろう? まだこの世界のどこかで誰かが戦っているような気がしてならなかった。何となく、誰もが眠れない夜だった。その夜の先、手を伸ばす先、視線のその向こう――。闇を切り裂き突き進む白い船の姿があった。
シュトックハウゼンは真っ直ぐに宇宙へと舞い上がり、そしてゆっくりと堕ちて行く。蒼い蒼い星の結界目掛けて、堕ちて行く――。月では大量のレセプターを装備したタンホイザーの姿がある。光が満ち溢れ、波動が広がっていく。聞こえてくるのは祈りの歌だった。人々の心の中に潜む光に訴えかける優しい歌……。それは、勇気の歌――。
ただただ真っ直ぐに堕ちて行く。月に集った光はやがて重力に引かれるように、涙を零すかのように地球目掛けて突き進んでいく。白を基調にした虹の光――。なだれ込むように、それはシュトックハウゼンを追い越して堕ちて行く。ゼロカナル、大いなる封印を解き放つ為に――。
光はゼロカナルに衝突し、重く閉じられた門を開いていく……。爆ぜる叫び声は封じられし魂の声なのだろうか――? ゼロカナルに亀裂が走り、結界が破られていく。シュトックハウゼンのカタパルトから次々にFAが発進し、その先頭でジークフリートとブリュンヒルデは陰を重ねる。モードファフニールへと合体したジークフリートはそのまま真っ直ぐにカナルの亀裂へと向かっていく。
「あれが門……!」
『マキナ……言われた通り、ちゃんと門は開いたぞぅ……』
マキナの隣、ナナルゥの幻影が浮かび上がる。不安げな表情を浮かべ、祈るように手を合わせるナナルゥ。マキナはにっこりと微笑み、頷いてそれに応えた。
「ありがとう、ナナルゥ。ちょっと待っててね。すぐ、ジュデッカをやっつけてくるから――!」
「マキナ、前方に艦隊だ!!」
「え――っ!?」
目を丸くするマキナ。その前には黒い戦闘艦が隊列を成し、シュトックハウゼンを迎撃しようとしていた。何故――? 人類の戦力は限界まで削られ、今やどの部隊も動けないはず。だが答えは直ぐに判明した。マキナには、それに見覚えがあったから。
黒い鎌を携えたイシュタルが無数のファントムを従え、防衛ラインを構築している。その戦列を眺め、マキナは一度目を閉じて鋭利な殺意を湛えた視線を構築する。戦士として、戦わねばならないというのならば。とことんまでそれを成し遂げるまで――!
イシュタルが鎌を携え突っ込んでくる――。反応し、聖剣を構築しようとしたマキナ……しかし、ジークフリートの前にはオルドとサイが割り込んでいた。
二機は同時にイシュタルへと襲い掛かり、それを足止めする。マキナは結局イシュタルを素通りし、ジークフリートはそのままファントムの戦列へと突っ込んでいく。それを援護するようにシュトックハウゼンから一斉に攻撃が放たれ、その船体の上でスナイパーライフルを装備したヴィレッタがジークフリートに道を切開く。
「皆っ!?」
「行けぇへこたれっ!! てめえはてめえのやるべき事を成せっ!!!!」
「絶対無傷で行かせてやるからよ~……ッ!! 振り向くなよッ!!」
「行けぇっ!! アテナ――――ッ!!!! マキナを頼む!! 直ぐに後を追いかけるッ!! ここは私たちが!!」
アテナは黙って頷き、ヴィレッタの声に応える。一瞬、門への道が完全にクリアとなり、ジークフリートは炎の翼を瞬かせそこへ一気に突っ込んで行った。一瞬の出来事である。ファントムが後を追いかけようと背中を向けるが、そこへ容赦なく次から次へとヴィレッタの狙撃が直撃していく。
「…………まさか強行突破されるなんてね……。考えていなかったわ」
「ファントム……!! あんたらも往生際が悪いなっ!!」
「“他の”エミリアが言ったでしょう……? この星を救われちゃ困るのよ。“私たち”はね――」
ファントムに乗り込んでいるのは全員同じ顔のライダーであった。エミリアと呼ばれたライダー……それは、次期ネクスト量産計画の一翼を担うサンプルケースであった。オリジナルのエミリアは死に絶えたが、それにより彼女たちはオリジナルと同等の権限を持つようになった。
この世界が救われたとしても、彼女たちに救いの道などあるはずもない……。セブンスクラウンに翻弄された人々は今でも途方に暮れ、明日もわからぬままである。あの戦いで一体何を救い、守る事が出来たのだろうか? 守れなかった物のほうが、救えなかった物のほうがよほど多いというのに……。
ヴァルツヴァイの蹴りを鎌で受け流し、ヘイムダルカスタムの砲撃を回避するイシュタル。オルドもサイも万全の状態ではなく、無理に攻め込む事は出来ない。機体は最初から悲鳴を上げているし、戦闘出来る状態としてはギリギリのラインである。だが――。
「こういう生き方をするって決めたんでね……!」
「あいつにばっかり頑張らせるわけにはいかねえからなあっ!!」
オルドとサイがファントムと戦いを繰り広げるのを跡目にマキナとアテナは光の世界へとその身を投げ込んでいた。ジークフリートは先ほどからずっと何もない真っ白い空間を飛翔し続けている。上下左右の感覚もいつしか消え去り、自分たちが前に進んでいるのか、それとも戻っているのかもわからなくなる。
ただ、魂の導きに全てを賭けて前へと進み続けた。仲間たちは今でも闘っている……。彼らが追いついてこられるように、少しでも今は前に進むべきなのだ。その努力を無駄にする事は絶対に赦されない。マキナは顔を挙げ、世界の彼方を見据える――。
次元の狭間には永劫に等しい世界が広がっている。その光の粒が流れる景色を眺めていると、やがて視界が狂い、感覚が全ておかしくなっていく。気づけばジークフリートの鎧は消え去り、マキナはその身一つで光の流星の中を進んでいた。
正面に、自分と同じ姿をした女性の姿が見える。それは両手を広げ、マキナよりもさらに長く伸びた蒼い髪を棚引かせている。マキナは特に驚きはしなかった。何故ならば、彼女とは今まで何度も顔をあわせてきたのだから。
マキナは真実に到達し気づいたのだ。今まで夢の中や幻想の中で自分を戦いに導いてきたのは――母ではなく、彼女だったのだ。マキナの中に、マリアの記憶は存在しない。いや、それは都合よく書き換えられてしまっていると言えた。心の中に巣食う母の面影はジュデッカにのっとられ、そしてジュデッカは今日まで母の姿形を気取り、マキナを戦いに導いてきた。
そういう意味において二人が親子のような関係である事は言うまでも無く、そしてマキナはジュデッカのお陰で今日まで戦ってこられたとも言える。二人は光の中で向かい合う。時が止まるような鼓動の中、ジュデッカは真っ直ぐにマキナを見つめていた。
――――貴方は、わたしを滅ぼして……それで本当にいいの……?
ジュデッカの問いかけ――。マキナは黙ってそれを聞き続ける。
――――わたしが消えれば、貴方も消えてしまう。ラグナと同じように……。この世界は本当に人の手に委ねるべきものなのか……マキナ、貴方にその重大な選択を下すだけの資格があるの?
それは、勿論今でも答えの出ない事だ。恐らくそれは永遠に出ないのだろう。ずっとずっと迷い、考えていくのだろう。それでもマキナは首を横に振って見せる。
――――そんなのはわかんないよ。でも、わたしは信じてる。人の可能性を……人の強さを……。だからもう、返してあげなきゃいけないんだ。人の未来を……人の手に……。
ジュデッカはそのマキナの答えに満足したのか、ゆっくりと微笑みながら姿を消していく。次の瞬間マキナの五感はジークフリートの中に戻っていた。深く息をつき、前を見据える。
そうだ、だからこそジュデッカはマキナを試しているのだ。人として生きて、人として死のうとしている少女……彼女の心に人の価値を見出そうとしているのだ。だからいつでも消せるその命を今日まで消さずに永らえさせてきた。
マキナはそのジュデッカの試練に打ち勝たねばならないのだ。ジュデッカの半身としてではなく、人類の代表として……。心の中に強く思いを描く。やがて幻のような世界が消え去り――そこには広く開けた世界が広がっていた。
蒼い、蒼い海の世界……。白い背景の中、蒼い海が果てしなくどこまでも広がっている。そこには重力が存在するのか、ジークフリートは海の上に落ちていく。しかしそれは海ではなかった。カナル――。莫大な量のエーテルの海である。蒼海の上に立ち、マキナは正面を見据えた。彼方へと続く道を塞ぐように、大量のエトランゼが湧き出してくる。それこそ無尽蔵という言葉が相応しい。
我が目を疑いたくなるような魔物の群れを見据え、ジークフリートは両手に剣を装備した。もとより一人でこれを突破するつもりだった。これくらいどうにかできずに何が人の可能性か――。マキナは呼吸を整え、正面を見据え走り出す――その時であった。
マキナの脇を抜け、何かが群れへと突っ込んでいく。それはもう一つのジークフリート……アンセムの乗り込んだジークフリートであった。次々に剣の乱舞で道を切開いていくアンセムに、マキナは慌ててついていく。
「先生っ!!」
「行け、マキナ……! お前たちの道は私が作ってやる! お前たちは、お前たちの決めた道を往け――!!」
ジークフリートの瞳が輝き、アンセムはその実力を相応に発揮する。次から次に迫り来るエトランゼを薙ぎ払い、マキナとアテナ、二人の為に道を切開いていく。
そう、決していい大人ではなかった――そう振り返る。今まで二人に対してしてやれた事など限りなく少ない。子供たちは己の力で成長し、世界を背負えるまでの力をつけたのだ。今だからこそ思う。そして出来る事があるはずだ。アンセムは歯を食いしばり、まるで終わる気配のない討伐の乱舞の中へと身をゆだねていく。
マキナとアテナ、二人はこの世界を守り、背負う存在となるだろう。それを守り、その道を作ってやる事こそ最後に自分がしてやれるたった一つの答えなのではないか――。迷わず、今はただ敵を斬る。多くを言葉で伝える事は昔から苦手だった。ならば全ては行動で――。
アンセムの心の中、マリアの笑顔が蘇る。守らねばならない。一度は守れなかった。だからこそ、今度こそはと祈りを込める……。無限に等しい時間の中、手足が千切れても戦い続けねばならないのだ。約束を、果たす為に――!!
「行けぇっ!!!! お前たちの世界を――お前たちの望む世界を!! 守る為にぃいいいいっ!!!!」
マキナとアテナは同時に頷き、翼を広げて飛んでいく。それを見送り、アンセムはあらゆる方向から群がってくるエトランゼへと刃を向けた。そう、これでいい……。たとえここでこの命が散ろうとも。それでも未来の希望は――何としても繋がねばならない。
今日繋いだ光は明日誰かへとまた繋がれていくだろう。そうして人は希望を失わず胸に宿し続けるのだ。それでいい。それでこそ――自分が愛し、信じたあの子たちなのだから……。
炎は飛翔し、ついに世界の守護者と退治する。その巨大さは彼方からでさえはっきりと目撃する事が出来た。アテナが身震いを隠せず、思わず息を呑む。
――それは、まるで蛇のようで。
――それは、まるで女のようで。
――美しく穢れなく、そして雄雄しく逞しい。
――幻想の中に生き、幻影を支配し、現実を隔離する蒼海の王。
――白き、神々しい翼を広げ、それは二人を待ち構えていた。
ジュデッカ――――。
「――――行くよ、お姉ちゃん」
「……ええ」
「これで全部……終わらせるっ!! うおぉおおおおおっ!!!!」
巨大な守護者へと蒼炎の翼が向かっていく。それは身を削り燃やし、儚く瞬いて消えていく流星のよう。
強大なる星の守り神と人の可能性を信じる英雄、二つの超越者による最後の戦いが今、幕を開けようとしていた――。