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ひかり(3)


「かくして戦いは終わり、人は新たな選択の権利を得た……か。しかし残った現実がこれだ――」


 荒廃した樂羅の街を眺め、ザックスは一人でそんな事をもらしていた。そう、この世界はセブンスクラウンの支配から解放された。だが……恐れていた事態が起きてしまった。

 人はその両足で長い歴史を再び歩み始めた。だがその代償は余りにも大きすぎた……。どれだけの人間があの戦いで死んでしまったのだろうか? 安く見積もっても、全人類の人工は半分以下にまで落ち込んだ事だろう。人が人として生きていける世界……そこにあるのは過酷な荒野だった。

 鳥籠の中から飛び出してみた大空……そう、そんなものだ。それは果たして人にとって幸福なのだろうか……。思い悩むザックスの背後、歩み寄るヤタの姿があった。杖を突いた隻眼の老人はザックスの隣に立ち、同じように街を眺める。


「後悔しておるのか? のう、ザックス?」


「…………ヤタか。いや、後悔はしていないさ。これが人の選択だ」


「そうか……。マリアの伝え通りとは言え、おぬしも中々そんな役割をさせられたのう」


 苦笑を浮かべるザックス。そう、彼には全てにおいて優先すべき事柄があった。それは家族よりも、仲間よりも、もっと大事な事……。彼が彼として生きるうえで必要であった、彼が背負うべき罰である。

 だがしかし、全ては終わった。ザックスは人の変革を見届けたのである。もう思い残す事は無いし、義理も十分に果たした……。目を閉じ、一人で紫煙を吐き出す。煙はもくもくと空に昇り、うっすらとその形を解いていく。


「さて……あとの事は若いモンに任せて、わしは退場するとしよう」


「そうだな。では、私も……」


「何を言っておる。お主はまだまだ若かろうよ。ほれ、若いモンがお主を待っておる」


 その声に振り返るザックス。そこには駆け寄るオルドの姿があった。二人の男は正面から向かい合う。オルドは真っ直ぐな眼差しでザックスを見つめ、それから歩み寄り共に街を見下ろした。


「……あんた、これからどうするつもりなんだ?」


「…………さて、な。私の成すべき事は最早何も無い。途方に暮れるとは、正にこういう事を言うんだろうな」


 微笑みながら寂しげに世界を思うザックス……。オルドは最初からそうすることが決まっていたかのように顔を上げ、それからザックスへと視線を向けた。


「――あんたのローエングリン、俺に寄こせよ」


 それは余りにも唐突な要求であった。予想だにしなかった言葉にザックスは思わず黙り込む。そんなザックスを他所に、オルドは言葉を続けた。


「あんたにはもう不要なんだろ? 戦わない奴が持っていても意味の無い力だ」


「まあ、確かに意味はないな」


「あんたは、これから先も人類を守っていけるのかと訊いた。俺は人類をこれからも守っていく……。守るという事は、人間一人では出来ない事だろ? 俺は守り、そして守る事を誰かに伝えていこうと思っている」


「…………」


 それは今のこの世界でも同じことである。守るという意思は――そう、連年と受け継がれてきた。マリアの意――それだけではない、様々な人の意思である。

 ザックスもその意思を受け取った一人だった。そして世界を守る為に尽力してきた。そう、そこで尽きてしまえば確かに終わりだろう。それで人類の未来はまたわからなくなる。だが――受け継ぐ者がいればどうだろうか? また、受け継ぎ。その者がまた誰かに継いで行く……。それを続けていけば、世界には永遠の守護者が生まれるのかもしれない。


「あんたの意思は……俺が代わりに受け継いでやる。戦えないおっさんなんて必要ない。ローエングリンは、俺がもらう」


「…………少年。だが、いいのかね? ローエングリンは忌まわしきセブンスクラウンの遺産……そして、大いなる力だ。それを手にした時、君は守護者としてあらゆる私情を捨て去らねばならない。リンレイ君の事も……だ」


 その言葉にオルドは少しだけ迷いの表情を見せた。だが逆にザックスはそれを見て安堵する。そう、迷わぬ守護者はただ一方的な意地の押し付けにもなりかねない。そう、守る者とは常に迷い、揺らいでいる存在で泣ければならないのだ。何が正義で何が悪なのか、柔軟に判断出来る者でなければならない。それに迷う事は必須。


「……世界を守る事は、あいつを守る事にも繋がると思っている」


「つまり、リンレイ君を守りたいから世界を守りたいのか」


「そういう事になるな」


「リンレイ君の傍に居て、彼女を守ってあげるという選択肢もあるのではないのかね?」


 それはザックスの本心だった。出来れば自分のような役割を誰かに継承したくなどはなかった。少年には少年の、少女には少女の輝かしい未来と安らぎがあるのだろう。その暖かい未来を砕くような道を歩ませる事、それに尻込みするのは当然の事である。

 だが、オルドは首を横に振った。それは意外な答えでもあり、当然とも言える。彼はもうずっと考え、この答えを導き出していたのだから。少年は空を見上げる。その横顔はまだあどけなさを残し、しかし強い男の顔をしていた。


「それこそ、リンレイを巻き込む事になる。リンレイには、出来れば戦いとは無縁な場所で生きて欲しいんだ。あいつはそういうのが向いてない。判るだろ?」


「…………確かにそうだな。だが、彼女の想いもある。君だって気づいているのだろう? 他人の色恋沙汰に口出しするような身分でもないが」


「いいんだよ。あいつはいい女だ。きっと他にまともな男を捕まえて勝手に幸せになるさ」


「…………これ以上言えば、馬に蹴られる、か」


「リンレイには、あんたの方で上手く言っておいてくれ。俺はまだ戦いを止めるわけにはいかない。これからが立ち直れるかの正念場だからな。マキナに全部背負わせるようなヘタレにはなりたくねえ」


「そうか。それが君の選択……君の守る未来か」


 まだまだ捨てたものではないな――素直にそう想った。守ろうとする意思は、誰が教えるわけでもなくきちんと子供たちに伝わっているのだ。大人は生き様で子供に伝えるのかもしれない。彼も戦士として様々な死に触れてきたのだろう。彼は死者の思いをきちんと受け継いでいるのだ。それは尊く、立派な行いである。

 煙草の煙を最後に大きく吐き出し、ザックスは目を閉じた。マリアやヤタ、アンセムと共に熱く世界の未来を語り合ったあの頃を思い出す。守る為に必死だった。維持し、見守る事に全てを賭けた。だが今をしてなお、蒼穹旅団の志は健在――。健在なのである。


「だが、ローエングリンはまだまだやれんなあ! 若い者には負けんよ!」


「引退しろ、おっさん」


「引退しないぞ~!! まだまだおっさん、頑張っちゃおうかな~!!」


「とっととくたばってローエングリンだけ寄こせよな」


 そんな言葉を残し、オルドはにやりと笑って去っていく。その後姿が完全に見えなくなるまで見送り――ザックスは物陰に視線を向けた。そこには壁に背を預け、俯くリンレイの姿があった。


「――――だ、そうだ。リンレイ君も大変な男を好きになったものだな」


 リンレイは目にいっぱいの涙を溜め込み、肩を抱くようにして俯いていた。ザックスはその少女にかける言葉を持ち合わせてはいない。ただ黙して空を見上げる。


「君の思いは彼に届いているさ。そして彼は君を想っている……。君はどうする? リンレイ・F・アルカル」


「…………私は」


 リンレイは涙を拭い、顔を上げる。オルドの背中はもう見えなくなってしまった。それでも前に出て、振り返ってザックスを見つめる。


「それでも、彼を追いかけます」


「…………良いのかね? それは悲恋というやつになると思うのだが」


「構いません。オルドはやっぱり、私がいないと駄目なんです。私も……オルドがいなきゃ駄目だって、気づいたから……」


 かつての仲間たちはただ子供でいることを止め、それぞれの道を選んで歩き始めた。その道は今はばらばらに向かっていたとしても、その先にはひとつの場所があるのだと信じている。だから今はどこまでも信じた道を歩いていく……。この胸の思いを信じて、それにだけしたがって。


「今までありがとうございました、艦長……。私、行きますね」


「ああ。私の方こそ今日までありがとう。存分に追いかけるといい」


 リンレイは行儀よくきちんと頭を下げ、それから反転して走り出す。ザックスはそんな乙女の後姿を見送り、気づけば微笑んでいた。出来る事ならば二人には安らかな未来があってほしい……そう心から願う。

 街は朽ち果てたが、よく見れば人々は復興作業に殉じている。誰もが手を取り合い、そこにはノーマルもアナザーも関係ない。誰もがお互いに出来る事をやり、出来ないところを補っている。人はそうして欠片同士の存在……。空いた隙間は誰かで埋める事が出来るのだ。だから……もう少しだけ人を信じられる――――。




「…………あたしたち、何の為に戦ってたんでしょうね」


 樂羅にある一室、かつてアテナがマキナとの戦いの後眠っていた部屋に、今度は包帯まみれのノエルが眠っていた。ベッドの上、窓の向こうを見上げる少女の視線は虚ろである。傍らには椅子の上、アテナが腰掛けて共に空を見上げていた。

 戦いは終わった。セブンスクラウンは崩壊し、オペレーションカラーズは阻止されたのだ。だがそれはカラーズを、セブンスクラウンを信じていた人間たちにとってはこれ以上ない絶望である。ただ、残ったのが希望だけだというのは余りにもおこがましい。戦いには勝者と敗者がいる。その二つは絶対に交わる事はないのだから。

 ノエルの胸の内はがらんどうになっていた。ぽっかりと穴があいたような、そんな感覚。寂しい風が吹き抜け、泣き出したくなるのに、それでも涙は一滴足りとも溢れる事はない。冷たく冷え切った思考の中、ただ敗北の事実だけを受け入れる。それは恐ろしい苦行でもあった。


「また、ふりだしですよ……。セブンスクラウンもいなくなって、世界は……。世界はこれから、どうなるんでしょうか」


「なるようになるわよ。絶対な安全なんてないし、絶対の絶望もない。運任せでいいじゃない、人の一生なんて」


「…………やっぱりお姉様、少し変わりましたね」


「そうかしら」


「はい……。柔らかく……笑うようになったんですね。前はあたしと同じ……人形だったのに」


 アテナは黙ってノエルの包帯だらけの手を自らの両手で包み込んだ。いつだったかマキナが話してくれたこと……。手を繋いで気持ちを込めれば、言葉よりも伝わる事がある、と。

 ノエルは自分の掌を包み込むアテナの指先の冷たさをしっかりと感じていた。そしてそれをそっと握り返す。顔に空いている手を当て、ノエルは辛くて歯を食いしばった。何故、こんな事になってしまったのか……。何故こうなってまで、アテナは優しいのか……。


「貴方だって笑えるし、泣く事だって出来る。貴方はもう誰にも支配されていない……ただの人間なんだから。傍に居るから……大丈夫よ。貴方は一人じゃない」


「お姉様……っ」


「ほら、だっこしてあげる」


 両腕を伸ばし、優しく微笑むアテナ。ノエルは震えながらその胸の中に飛び込み、声を出して泣きじゃくった。傷だらけの少女……心に深く傷を負っている。その全ては、自分に責任があるのだとアテナは考えていた。

 彼女を癒してあげる事は自分の役割なのだ。そしてそうすることでしか罪を償う事は出来ない。歪ならば一つずつ正していけばいい。人は向き合えば、少しずつお互いを正していける生き物なのだから。

 アテナはその強すぎる力で彼女を壊してしまわないように優しく優しく腕を回す。壊すことばかりしか出来ないその腕でも、何かを守り愛する事が出来るのだとマキナが教えてくれた。だから今は守り、愛する事も出来る……。そっとノエルの頭を撫で、頬を寄せた。


「お姉様……っ!! あたし……あたしっ!!」


 ノエルの脳裏に過ぎる過去の景色はいつだって血に塗れていた。気が狂いそうになる、ネクストの実験の数々。誰にも告白できない、殺戮の裏仕事……。重い、余りにも重過ぎる十字架を背負い、少女は今日まで生きてきた。

 許される事はないと自分に言い聞かせてきた。だからもう、セブンスクラウンの元以外に行ける場所もないと想っていた。だが、アテナはそんな自分を受け入れてくれた。抱きしめてくれた。優しく暖かく、甘い香りに包まれてノエルは涙を流し続けた。


「あたしに……あたしに優しくして……っ! 一人は……一人ぼっちは、こわいよ……っ」


「…………一緒に生きましょう。もう、何も人の心を縛るものはないんだから」


「お姉様……! おねえさまああああっ!! うわぁあああんっ!!」


 泣きじゃくる少女を抱き、アテナは優しく微笑み続ける。そうすることだけが人の壊れた心を癒していく。癒す術だと知っているから。そう、いつだって笑顔で誰かに手を差し伸べてきた、彼女のように――。




ひかり(3)




 アリオトにある、ジークフリートが封印されていた研究室……。そこに再びマキナの姿があった。頭の上にはアポロが鎮座しており、長い耳をぱたぱたと上下させている。一見するとそういう帽子に見えない事もない。暗闇もあいまって、そのシルエットは漠然としていた。

 ジークフリートが眠っていた卵――。その正面に立ち、それを見上げる。マキナの瞳は無感情だった。ただ、見つめ続けている。そこには何もない。ただ、見つめ……そして黙り込む。その背後にはアンセムの姿があある。そしてアンセムは気を失ったままのナナルゥを抱いていた。


「――――本当にこれがその……タイムマシン、なんですか?」


「研究室に残っていた資料にはそう書いてある。というより、これは元々エトランゼがこちらの世界に来たときに使ったゲートの一部を改良したものらしい」


「ゲート……?」


「そうだ。エトランゼは宇宙の彼方から来たのではなく……そうだな。別の宇宙からやってきた存在、だということだ」


 エトランゼはある日突然、宇宙に現れた。だがそれは突然宇宙に現れたのではなく……そう、別の宇宙からこの宇宙へとやってきたのである。

 この世界には無限に連なる宇宙の可能性が存在している。多次元世界解釈と言えばファンタジーな話になってしまうだろうか。だが、エトランゼはそこからやってきたのだ。


「マリアは彼らを、“別世界の人類”だと表現している」


「…………それじゃあ、エトランゼは……人間……?」


「その成れの果て、なのかもしれないな」


 五十年前、地球の汚染は最早どうしようもない段階にまで達していた。だからこそ人はリングタワーコロニーや宇宙コロニー計画を立て、そこに移民する準備を進めていたのである。

 あのままエトランゼがやってこないままで、地球が汚染され続けたならば……。人は、人の形のままではいられなくなっていたのかもしれない。エトランゼはある意味では肉体を廃した限りなく生存に特化した存在だ。彼らはただ生き延びる事に関しては人類よりもかなり高度なレベルの生き物なのである。

 エトランゼが人類の進化した姿だとしたならば……彼らの地球はもう、どこにもないのかもしれない。だからこそ彼らは地球を求め、そして地球を守ろうとしたのではないだろうか。このままではこちらの地球も腐ってしまうだろう。それを、阻止したかったのかもしれない。

 勿論全てはマキナが聞いた話から推測しただけに過ぎない。だがマキナは何故かそれに確信に近いものを抱いていた。何となく……彼らの意思を感じるからかもしれない。彼らは地球を守りたかった。ただ、それだけの気がするのだ。


「……だけど、それを良しとしない人がいた……それが、マリア・ザ・スラッシュエッジ……」


「マリアは世界にFA技術を齎し、エトランゼの襲撃に対抗しようとした。こうは考えられないか? “エトランゼが元々居た世界と、マリアが居た世界は別々の世界”――。二つの異世界存在は同時に同じ世界へと跳躍する。すると、どうなるか」


 マリアと呼ばれた人間がエトランゼの来るべき世界に先に干渉し、人に力と知恵を授ける。すると、後に始まるエトランゼの侵略に対抗するだけの軍隊が出来上がる。人類は無事に生き延び、悲惨な戦いを繰り返す事になるが――だがどうだ? もしも仮に、“その戦いの先に、人類の平穏があるとマリアが知っていたとしたら”――。一見意味不明な彼女の行動、しかし全てには“自分がもう平和な未来を知っているから”というきちんとした理由が存在していたとしたら――?


「マリアはお前だと言った理由がそれだ。いや、厳密にはお前はただマキナ・レンブラントなんだろう。ジュデッカの同一対……。それは恐らくマリアがサルベージしたものだ。だからこういえる。“お前はこれから、マリア・ザ・スラッシュエッジになる”、と……。これが私の推理だ」


「…………つまり、わたしがこれから……異世界の、その……。まだ、エトランゼに人類が襲われていない世界に行く……。そこで、マリアがやったことと同じ事を繰り返せば……今と同じ結末になる。つまり、世界を守れるって事?」


「その裏づけとなるように、この研究室には丁度オペレーションカラーズが終わったあたりの部分まで、歴史とその派生パターンの推測がびっしりと記録されている……。見てみるか?」


 マリアはそうして長い時間をかけ、マリアが残した歴史の調査表を眺めた。そこには様々な事柄、特に歴史に干渉する可能性のある人物、事件……組織。それらが事細かに記されている。

 恐らく一回のループではこうはいかないだろう。つまりはこういうことだ。マリアと呼ばれた何人ものマキナたちは、何度も何度も歴史を繰り返し繰り返し体験し、そして今こうして人類が救われる未来への回答を得たのだ。それは血のにじむような作業だったに違いない。

 一人、何度も何度も歴史の中を彷徨い続けたマキナたち……。彼女たちは時には死に絶え、時には目的に失敗した事だろう。だがこの歴史書とジークフリートという剣だけを別のマキナに托し、次こそは成功するようにと何度も死んで行ったのだ。何度も何度も、気が遠くなるような回数を……。

 マキナはそれを見上げ、ただ愕然とする事しか出来なかった。そこからはマリアの……母の……。そして自分のこれから成すべき事が記されている。これが伝説の英雄の裏側……彼女はただの人間と変わらなかった。ただ、全てを尋常ではない努力で知り、変え、そして辿り着いた極地……そこに立っていただけなのである。


「この中には私を拾って育てる事、そしてお前の親代わりにする事も記されている。恐らくお前の体験してきた全てがここにあるはずだ」


「…………この、五十年分の歴史書……全部、お母さんが残した物なんですね」


 余りにも残酷な運命だった――。残酷と呼ぶ以外になんと呼べばいいのだろうか? マキナは戦い、戦い続け、その身はすでにぼろぼろである。だが更に直、他の世界を救う為に旅立たねばならないというのだ。

 これが残酷でなくてなんだというのだろうか。過酷すぎる……運命などと呼ぶにはあまりにも辛すぎる未来。また繰り返せというのか。平和な世界で生きる事は出来ず……ただ、繰り返せというのか。

 マキナの目に涙はなかった。悲しみも、苦しみもなかった。アンセムの表情と比べ、マキナは晴れやかな顔をしていた。全てが漸くわかった……そんな顔である。マキナは振り返り、優しく微笑みを浮かべた。


「教えてくれて、ありがとうございました。先生も……辛かったですよね」


「……私の事はどうでもいい。だがマキナ、お前は……」


「いいんです。知る事が出来ました。それに先生の推理は……ちょっぴり。ちょびっとだけ、間違ってます」


 驚くアンセム。しかしマキナはその言葉の意味を語ることはなかった。ただ寂しげに年表を見上げ、ただ黙りこくっていた。アンセムは古ぼけたベッドの上にナナルゥを寝かせ、マキナの隣に立つ。


「どうするつもりだ? これから」


「…………まだもう少しだけ、この世界でやるべき事があります」


「ジュデッカ……か?」


 マキナは黙って頷いた。アンセムはなんともいえない、やりきれない気持ちでいっぱいになった。結局はそうだ。結局は、この少女に全てを押し付ける事しか出来ない。

 彼女は英雄だ。紛れもない英雄だろう。伝説の勇者――そんな言葉が似合っている。だが本当に似合うのは、優しい笑顔の少女なのだ。ただの少女……それにこの世界どころか他の世界、全ての世界の因果を引き渡すなど……正直に言えば正気の沙汰ではないと想う。

 だが、マリアの生き様もマキナの生き様もアンセムは知っている。だから彼女の選択に口出しする気はなかった。マキナは黙って微笑んでいる。それを見ていると……決意が揺らぎそうだった。


「……別世界に移動するなら、ナナルゥの力が必要になる。ナナルゥのERSSは他世界に干渉するあの装置には必要なものらしい」


「そうみたいですね」


「…………だが、何もお前までそれを継ぐ必要はないと、私は思う」


「…………先生」


「私は見たんだ……。お前が……マリアが地獄のような世界を生きるのを……。私は……。私は、お前を――――行かせたくない」


 二人は向き合い、アンセムは泣きそうな顔でアテナの両肩をしっかりと掴んだ。そこにはまだ幼い、あどけない――しかし確かに愛した人の姿がある。

 守りたかった。守り抜きたかった。だが守れなかった人の顔がある。行かせたくない――。何故必ず死ぬと判っている場所に、再びの煉獄にこの少女を投げ込めるなんて事がありえるだろうか? 出来るはずがない。やりたいはずがない――。


「行くなマキナ……! お前はこの世界で幸せになる権利を持っている!!」


「ありがとうございます、先生……」


「聞け、マキナッ!! マリアの言うとおりに生きる必要はない! お前はお前の意思で生きているのだろう!? 彼女の思うとおりになる必要なんてないんだ!!」


「――――わたしはいつも、自分の意思で生きています」


 そっと、肩を掴むアンセムの手に自らの手を寄せるマキナ。はっとした様子で手を離し、冷静を取り繕うアンセム……。マキナは首を横に振り、それからアンセムに微笑みかける。


「ありがとう、先生……」


「マキナ……! マキナ――――ッ!!」


 アンセムはマキナの小さな身体を強く抱きしめた。本当はずっとこうしたかった。出会った時からずっと。

 今はもう、祈る事しか出来ない。マキナが出来るだけ傷つかない世界を生きてくれますように……。悲劇など、訪れませんように……。守り抜くことが出来ないこの地獄の苦しみの中、解放される事をアンセムは望まないだろう。永遠に覚えている。この少女の事を。こんなにも優しく、強い女の子がいたという事を……。

 マキナはむしろアンセムをあやすように、その男の背中に腕を伸ばした。二人は暫くそうして抱き合っていた。時間が止まるような感覚……。実際に止まってくれたらどれだけよかっただろう? しかし時間は刻み続ける。時は止まない。世界は終わらない。だから――。


「――――先生に、最後のお願いがあります」


 マキナの言葉をしっかりと聞こうと思った。そうする事以外に出来る事は何もないのだから。アンセムを見つめ、マキナは力強く頷いた。最後の最後、物語の結末が始まろうとしていた――。


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