ひかり(2)
その時、確かに私達は歴史の目撃者となった――。マキナ・ザ・スラッシュエッジが作り出す未来……。そのかけがえのない希望の光を見たのだ。
誰もが闘う事を諦め、絶望していた戦場……。勝ち目などありはしないその地獄の中、彼女はあっさりと勝ち目を作ってしまった。彼女の存在に皆がどれだけ勇気付けられ、どれだけ救われただろうか……。
巨大な魔物となり暴走するタンホイザーはセブンスクラウンも宇宙の悪意も飲み込んで肥大化し続ける。ふと、私は今になって思う。あの姿こそ、彼らの本当の姿だったのではないかと。
何故エトランゼは宇宙を旅しなければならなかったのだろう……? 彼らは安らげる場所を探していたのではないだろうか。彼らは護るべき故郷を探していたのではないだろうか。ある意味彼らは、私たち人間の成れの果てなのかもしれない。安らぎと守るべき物を失い、形さえ無くし、それでも安息の地を求め旅を続けた。だが彼らが彼らに旅路を課すに至る理由……それが目の前にあるような気がした。
エトランゼとは二つの二律背反する意識によって拮抗を保っている存在だ。その片側だけが膨れ上がり、あの化け物が生み出されてしまった。抗すべき存在はやはり、その反存在であるマキナしかいなかったのだろう。
世界救う、英雄の戦い……。それは、彼女が彼女で居られた最後の戦いだった。そして私達は目撃したのだ。彼女の最期の勇士……。英雄足る資格者の放つ命の輝きを。
だが私はまだその時気づいていなかった。その光こそ……この呪わしき戦いの全ての始まりに過ぎなかったという事に…………。
「――――マキナ君……それが君の答えか」
虹色の翼が地球を護るように光の帯を広げていく。その美しい景色をローエングリンの中でザックスは黙して見つめていた。美しい――それ以外に言葉は出なかった。ただただ美しく、ただただそれは気高い。戦闘の最中であった事も忘れ、オルドもそれを同じように見上げていた。
「へこたれ……」
「良いのかね? 私を倒さなくて」
「…………私闘はここまでだ、おっさん。あんたをぶっ倒したいのは山々だが……俺は蒼穹旅団だ。あいつを助ける義務がある」
「成る程……。では、私もそれに手を貸すとしよう」
「いいのか? あんた結局どちらの味方なんだよ」
「私は誰の味方でもないさ。ただ――この星の下す決断を見守るだけだ。“彼女”との約束を果たす為にな」
ローエングリンが反転し、空に舞い上がっていく。地獄へと突っ込んでいくその後姿を見送り、オルドは苛立ちながらも溜息を漏らし、後に続いていく。
視線の先では既に死闘が開始されている。ジークフリートとレーヴァテイン、二機が最前線で魔物と戦い、それを援護するように次々にFAが集っていく。その二極的な構図は文字通り伝説の一戦に相応しい。巨大なる魔王に挑むは二人の勇者――そしてそれを支える仲間たち。人間対人間……そう、これは確かに特別な力に翻弄されてきた人間たちの物語だ。だが終局すべき場所にあるのは人と人の争い。そこに化け物の介入する余地はない。
人は己の人としての業と対峙し、戦いを求められている。決断の時といえば正に今だろう。人は今、己の罪と罰に対峙する。そして退治しなければならないのだ。大いなる人の心に救う、星を蝕むこの闇を――。
ジークフリートが次々に剣激を繰り出すその背後、レーヴァテインは巨大な光の弓を構える。放たれた蒼い矢は戦域を突きぬけ、光を瞬かせる。それを合図に一斉に攻撃が始まり、四方八方から弾丸の雨がタンホイザーへと降り注ぐ。
しかし、タンホイザーは強固な光の結界に護られ傷一つ負う事はない。あのジークフリートの剣でさえ通用せず、レーヴァテインの弓も同じくである。余りにも頑丈な結界の正体は人を拒絶する人の心……。当然、通常兵器が通用するわけも無い。
タンホイザーの全身に光が瞬き、視界全てを埋め尽くすほどの莫大な数のビームが周囲に勝者される。光の雨が降り注ぎ、一気に味方の数が半分以下に減ってしまう。次々に死んでいく仲間たちの声がマキナにはよく聞こえていた。感覚は領域に広がり、領域は人の心へと踏み込んでいる。激し苦痛と無念の想いはマキナを苦しめ、しかしそれを背負えるだけの力を彼女はもう持ち合わせている。
死者が増えれば増えるほどマキナにのしかかる重さは増していく。だが皮肉にもその無念の想いがジークフリートへと宿り、力もまた増していくのだ。雄叫びと同時に繰り出した聖剣の一撃が結界に亀裂を走らせる。が、しかし――。
「マキナ!」
周囲から再びビームが降り注ぐ。それはまるで自意識を持っているかのように不自然に屈折し、ジークフリートへと集弾する。一瞬眩く光が輝き、後に残されたのはぼろぼろに破壊されたジークフリートと折れた聖剣の破片だけであった。
ラグナは歯を食いしばり、汗を迸らせながらジークフリートへと突っ込んでいく。マキナが殺されれば希望は失われてしまう。それは誰よりラグナが――そしてそれと退治する敵が理解している事だ。
止めを刺そうと再び光の矢が降り注ぐ。レーヴァテインはその前に躍り出て剣を構え、その光の波動を周囲へと撒き散らす。光の雨と剣の波動が衝突し、ビームの雨は屈折してジークフリートから逸れて行く。
レーヴァテインが剣を構え、ジークフリートを庇って前に出た。そう、彼女を護らねばならない。今この瞬間もラグナの意識は消えてしまう可能性を孕んでいる。だが、紙一重のところで持ちこたえられるのはマキナの優しさが彼の心に届いているからだ。マキナが倒れればレーヴァテインは人類に牙を向く……。そうなれば本当に残るのは絶望だけである。
希望を護る事――それこそがラグナの役目。彼はずっとマキナを影ながら支えてきた。彼女の心を護り、彼女の光を護る陰……。まだ、負けるわけには行かなかった。マキナは自分を救おうと必死になってくれた。二人の間には確かに絆があった。今こそそれに報いねばならない。
降り注ぐ光の嵐……。レーヴァテインは剣の乱舞でそれを弾き返す。マキナは恐らく過度のダメージで意識を失っているのだろう。マキナが目を覚ますまでには僅かながら時間がかかる。それはほんの僅か、しかし戦場では気が遠くなる程の時間でもある。
黒騎士は剣を両手に構え、光の嵐を防いでいく。勿論そんな荒業が通用する相手ではない。何時まで持つか――騙し騙しの防御である。捨て身の護衛……それでもラグナは幸福を感じていた。彼女を護る。護る事が出来る。それだけが今の自分の全て――。
やがて光の雨は止み、代わりに巨大な腕が振り下ろされる。レーヴァテインは武器を持ち替え、それを弓で迎撃する。掌を射抜かれ大穴の開いた手は弾き飛ばされ、レーヴァテインはそれでも止まらない。連続で弓矢を射続け、マキナが作った結界の亀裂を攻撃する。武装を持ち替え再び剣へ。退く魔物の脇腹を剣にて薙ぎ払い、その掌を翳す。
収束した虹色の光が爆ぜ、タンホイザーの腰周りの肉が吹き飛んでいく。圧縮したエーテルを放出した操作攻撃……しかし、タンホイザーの肉はつまり周囲に散らばる亡霊の死肉の塊に過ぎない。直ぐに傷は修復されてしまう。
再び降り注ぐビーム。一発一発が必殺の威力を有した矢……近づくことさえ容易ではない。後退するレーヴァテインの隣、前に出るもう一機のジークフリートの姿があった。マキナへの攻撃はローエングリンが結界を作り、防御している。レーヴァテインだけではなかった。全てのFAが無謀にも前線へと突っ込んでくる。
「――目を覚ませ、マキナ!! いつまで寝ているつもりだっ!!」
アンセムの声が響き渡る。その声に反応するかのようにコックピットの中でコンソールに頭を突っ込んだまま沈黙していたマキナの指先がピクリと動いた。
「何とかしてみせるんだろう!? 証明して見せろッ!! お前が世界を救う英雄であると!! この世界に希望はまだ残されているのだとっ!!」
震える身体を持ち上げ、マキナが顔を上げる。気を失っていたのはほんの数十秒程度の事だろう。だが、彼女は長い長い夢を見ていたような気分であった。
これまでの戦い……そしてこれからの戦い。全て背負って立つと決めたのだ。仲間たちが自分の為に戦ってくれている。ここで倒れるわけには行かない。もう、決めてしまったのだから。
ジークフリートが再起動する。次の瞬間、光の翼が装甲を包み込み、その傷を癒してしまった。光の中、輝きながら復活するジークフリート。コックピットの中、額から流れる血がマキナの唇を濡らす。鋭い眼光で敵を射抜き、舌で血の味を確かめる。
この程度の苦難で世界を滅ぼす――? 笑わせる。これまでだって何度も何度も死に掛けてきた。何度も何度も全てを失いかけてきた。だがどうだ? ここに居る。ここに生きている。戦っている。この程度なら。負けるはずがない。負けてやれるわけがない――!
「……言われなくても、判ってますよ……ッ!!」
「――――そうだ。それでこそ。やれるな、マキナ?」
「当然ですッ!!」
マキナの隣にブリュンヒルデが着き、アテナが視線を向ける。二人は黙って頷きあう。二機は変形し、合体する――。“モードファフニール”……。禁断の力を解放し、二機は一つの力となる。
蒼い炎を渦巻かせ、ジークフリートは怪物を見上げた。マキナとアテナ、二人に多くの言葉は必要なかった。信じた。信じる事にしたのだ。誰より心を通わせた。何も言わずとも、気持ちは伝わってくる。この力の中で……。
「行くわよ、マキナ!」
「うんっ!! 行こう、お姉ちゃん!!」
天に腕を伸ばし、大いなる炎の剣をその手に召喚する。ファフニールの刃は燃え盛り、近づくタンホイザーの腕を瞬時に焼き尽くしていく。ジークフリートを護るように全ての機体が集結し、共に魔物へと武器を向けた。
「蒼穹旅団の大仕事だ……! 残った戦力でジークフリートを援護するッ!!」
「さて、では行こうか……! マキナ君の選んだ未来を知る為に!」
「出遅れんなよおっさん……! ノロマにあわせてやるつもりは無いぜッ!!」
「――――行け、マキナ!」
「行こう、マキナ……! 一緒に!!」
ビームの嵐が降り注ぐ。しかしそれは自軍には届かない。オルドとザックスが協力して生み出したアンチフォゾンバリアが広域に展開され、それを防いでいた。反撃の口火を切ったのはヴィレッタの一撃である。それに呼応し、一斉に攻撃が始まる。先陣を切り、ラグナとアンセムが切り込んでいく。近づく敵を切り払い、道を切開く。
仲間たちが作ってくれた一瞬の奇跡の中、ジークフリートは手にした大剣を手に駆けていく。マキナの鼓動、アテナの鼓動……。二つの鼓動は限りなく一つに重なっていた。今ならハッキリと判る。二人の力が一つになれば、何者にだって負けるはずはない。
アテナは強く、マキナは優しい。二人は互いに足りない物を補っている。心の中にある隙間、それが二人を強くした。すれ違う事もあったし、傷つけあう事もあった。悲しい事が多く、幸せな記憶は薄れてしまう。だが、それでも――。
これまでの戦いに、迷いなどない。これまでの戦いが無意味であるはずはない。この苦しみを力に変え、真実の力にして敵を討つ――。
闇を見据えよ――。眼前に見えるが人の業。人の夢……。切り裂く刃は罪の剣。その全てを背負い、立つ覚悟を持つのならば――英雄よ――。
「信じてるよ……お姉ちゃん」
「信じてるわ……マキナ」
「「 燃え上がれ!! ファフニールッ!! 」」
光の雨を掻い潜り、英雄が魔物へと挑んでいく。光と炎を纏い、まるで奇跡のように真っ直ぐに……。近づく全てを薙ぎ払う勇気の力。心の闇さえその切れ味を増して。ただただ、一閃に全てを薙ぎ払う――。
結界に突撃したジークフリート。それを支えるように、左右からアンセムとラグナが十字に剣撃を重ねる。貫かれた結界の向こう側。伸ばされた腕ごと全てを切り裂いてただ剣を構え、ジークフリートは突撃していく。
触れた先から燃え上がる心の炎……それはアテナの強い意志。触れる事を許さぬ圧倒的な力。マキナを護りたいという愛情の形。
射抜いていく剣の輝きはマキナの勇気の刃……。信じることの強さ。迷うことの尊さ。全てを織り交ぜ作った刃、砕けるものなら砕いて見せよ。幾億の星の輝きにも負けない人の心の美しさ――その全てを束ね、今闇を討つ――!!
「「「「「「 貫けぇえええええええええええッ!!!! 」」」」」」
全ての人の声が重なった時、ジークフリートは魔物を射抜いてその刃を振りぬいた。燃え盛る炎の蒼は黒き魔物を内側から焼き尽くしていく。悶え苦しむ闇を背に刃を揮い、マキナは目を閉じる。
「――――貴方たちの闇はわたしが背負っていく。だから、今は眠って……。安らかに……」
声にならない声、悲鳴が上がり闇は爆ぜていく。巨大な悪魔であったはずのものがただの残骸の塊と成り下がり、その中心部に居たタンホイザーだけがただ沈黙を守っていた。
しかしまだ戦いは終わったわけではない。地球にギリギリまで接近したコロニーは最早誰にも止める事は叶わない……。間に合わなかったのか――? 誰もがそう息を呑んだ次の瞬間であった。
地球を取り巻くカナルがその流れを変え、宇宙へと舞い上がっていく。それは非常に奇妙で、しかし美しい景色だった。まるで光の導く道のように、それらはコロニーを巻き込んでゆっくりと宇宙へと押し流していく。それはジークフリートの……マキナの力だった。
空に向かって優しく腕を伸ばすマキナ。その指先から光の粒が剥がれ、空に舞い散る。マキナは静かに微笑み、優しい眼差しで全てを見送っていた。
「在るべき場所に帰って……。もう、悪い夢は覚めたから――」
光のラインが全てを導いていく。敵を討ち滅ぼすことよりも人々はそれに驚かされた。まるで星が、世界が、マキナの導きに応えているかのようであった。
全ての戦いが集結し、人の悪意も砕け散り、全ては癒され浄化されていく……。誰もが息を呑み、その美しさに見惚れていた。その景色を誰よりも間近で見ていたアテナは感嘆の息を漏らし、指先で涙を拭う。
「綺麗ね……。これが……貴方の心なのね、マキナ……」
それぞれが、それぞれの想いの中でその戦いの終わりを見送っていた。被害は凄まじく、傷跡は人の心の中に永遠に残るだろう。だがしかし、それは確かに一つの歴史の終結だった――。
優しい光が宇宙を満たしていく。人の枯れ果てすさんだ心にも、この優しい光が届きますように――。誰もがそう祈らずにはいられなかった。心優しい少女の気持ちが、この世界の本当の闇を晴らしてくれますように――。人々の願いが世界を照らし、そして――。
ひかり(2)
「これで……この世界はセブンスクラウンの支配から開放された……」
今は放棄され、人気のないアルティールの街。その中に膝を着くレーヴァテインとジークフリートの姿があった。気象管理、時間管理のシステムは崩れ、太陽と月が同時に世界を照らす奇妙な空が広がっている。そんな中、降り注ぐ光の粒は雪である。
戦いが終わって直ぐ、マキナとラグナはこの場所にやってきた。それはラグナの願いだった。二人は墓地から全てを見下ろしていた。大きな木の下、木陰でラグナは虚ろな瞳で世界を見つめていた。座り込んだマキナの膝の上に頭を乗せ、か細い呼吸で命を繋ぎとめている。
セブンスクラウンの一部であるラグナに残されている時間はごく僅かだった。セブンスクラウンは消失……宇宙の形は正常な形へと戻った。もう人類が何かに支配される事は無く、そして守られる事も無い。
こうして改めて考えてみると、不安に想わないわけではない。人類は五十年前からセブンスクラウンに生かされてきたと言える。その後ろ盾を人類は自らの手で突き放し、一人歩きを始めたのだ。それが人の選択であり、世界の選択……だが、それで人は本当に幸福な未来へと辿り着けるのだろうか?
勿論不安だ。だが、そうして不安になるのは余りにも身勝手なのだろう。人類の未来のことなど、明日の事も判らない人間がわかるはずも無い。人の一生も世界の一生も終わりのない旅のようなものだ。その途中で様々な出来事があり、悲劇も喜劇も在り得るだろう。この戦いも、長い長い星の歴史の中から見ればごく些細な出来事でしかないのかもしれない。
今を一生懸命に生きる事が出来たなら、きっと旅路の素敵な想い出の一つへと変わるだろう。そして辿り着いた終焉の地にて振り返った時、少しでも安らかに微笑むことが出来たのならば、それは意味のあることだと考える。そう、今の自分のように……。
マキナの膝の上は心地よく、こうして終わり行く時間の中でも色あせる事がなかった。ふと、想う。もっとマキナと一緒に居たかった、と。マキナの傍にいて、彼女を守りたかった……。でももう、時間はそれを許してくれない。
「僕の役目も、これで終わり……。でも、悪くない人生だったかな……。こうして、君の傍で消えていけるのなら……」
「…………ラグナ君」
「そんな顔をしないでくれ、マキナ……。君はいつもニコニコしていて……そういうのが一番似合ってる」
今にも泣き出しそうな顔で笑うマキナ。ラグナはそれに笑顔で応える。そうだ、この子の笑顔を守りたかった。出来る事ならば、これからもずっと……。
確かに不満は残る。遣り残した事は沢山ある。だが……別に悪くもない。これでよかったのかもしれない。自分が生きている限り、セブンスクラウンは完全には消え去らないのだ。ならばまだ、ここで死んだ方が世の為人の為だろう。
マキナは本当に悲しそうだった。ずっと泣きたいのを我慢してくれているのが判り、それがとても切なかった。さっきから殆ど何も喋らないのも、堰を切ってしまいそうな感情を何とか堪えようと必死だからなのだろう。そんなマキナが愛しく、そしてやはり寂しかった。
「……ごめん。君には嫌な役ばかりを押し付けるね」
「…………いい。がんばるもん」
「……そっか。でも、そんなに頑張らなくてもいいよ。僕はもう……これで満足しているから」
「…………らぐなくん……っ」
「ありがとう、マキナ……。君のお陰で、僕は人として逝ける……」
「らぐなくん……っ!! うわぁああ~~んっ!!!!」
いよいよ堪えきれなくなったのか、ぼろぼろと涙を零しながらラグナを抱きしめるマキナ。ラグナはそんなマキナの頬に手を触れ、涙を拭った。
「ごめんね……! 助けられなくてごめんねえっ!! わたし、何でこんなに何も出来ないんだろう……っ!! ラグナ君に生きて欲しいのに、殺すことしか出来なかった……何も出来なかったようぅううっ!!」
「君は十分なほど僕に心を与えてくれた。何も出来なかったなんて言わないで……。君は世界を救ったんだ。胸を張って……生きていけばいい」
「でも……! でもぉっ!」
「君は優しくて、傷つきやすくて……それでもまた前に進んでいける強い心を持っている……。大丈夫、僕はエーテルになって……君の傍に居続けるよ。ずっと君を見守り、君と共に在る……」
「ごめんね……ごめんね……! ありがとうね……。ごめんね……っ」
何度も言葉を繰り返すマキナ。その涙はとめどなく流れ続けた。ラグナは静かに息を着き、太陽と月が交わる不思議な空を見上げる。
「覚えてるかい……? 僕らが出会った時の事……」
「……うん。病室で……」
「そうだね。あの時からかな……。僕は、君に興味を持っていたんだ。好きだったのかもしれないね……」
「す、好き!?」
「ははは、こういうタイミングで言うのもちょっと卑怯だけどね……」
「…………ラグナ君」
「本当、君には嫌なことばかり押し付けてしまった……。マキナ……最期に、君に伝えておかなければならないことがある……」
「――――大丈夫、判ってるよ。判ってるから……」
優しく微笑むマキナ。セブンスクラウンが倒れ――そしてラグナは消えようとしている。ならばジュデッカが滅んだ時――それ以上のことはお互い口にしないことにした。それは……野暮というものだろう。
「僕は……これで良かったんだと思う。僕は……僕でいられた。君の言うとおりだった。僕は僕以外の何者でもなかった。だから……これでよかったんだ」
そっと、手を空に翳すラグナ。その指先が光の粒になって消え始めていた。それは見る見る内に全身へと侵食し、身体の構成を維持できなくなった光がふわふわと空に溶けていく。
「そろそろいい加減、限界か……。形を保つのが、しんどくなってきたよ」
「…………うぐぅっ」
必死の形相で涙を堪えようとするマキナ。それを間近に眺め、ラグナは思わず笑ってしまった。それを見たマキナは――つられて笑い出す。涙は止まらなかった。しかしそこには暖かな笑顔があった。
後悔はない。後悔などあるはずもない。ラグナはそっと空に両手を伸ばす。世界を十分に見た。十分に彼女の可能性を見た。後は――そう、人間が決める事だろう。
「お別れだ――――」
一斉に光の粒が空へと舞い上がっていく。ラグナは静かに目を閉じ、今までの事を振り返っていた。沢山の出来事があった。沢山の戦いがあった。お世辞にも明るい人生だったとはいえないけれど。だがこの死に様は何と充実したことか。
愛する人の腕の中で消えていけるのならば――。終わり良ければ全て良しではないか。今なら心からそう思える。静かに微笑み、目を閉じる。
身体の感覚がなくなり、意識ごとふわりと世界に溶けていくような気がする。これが死だというのならば――なんてことは無い。想像以上に安らかだ。それとも怖くないのはマキナが一緒だからだろうか?
レーヴァテインもまた、主の消失を契機に消え去っていく。空へ、空へ――。マキナは微笑んでラグナを見つめていた。まるで女神のようだ。美しい――。
ああ……。出来る事ならば、この優しい女の子にも安らかな最期がありますように……。
「さようなら……。“またね”、ラグナ君」
「……ああ。また会おう。また――光の中で」
「ありがとう……。ありがとね……」
ラグナは笑顔を残し――次の瞬間、はじけて消えた。残ったのはラグナが着ていたスーツだけである。マキナは暫くの間消えてしまった少年の面影を探すように空を見上げ続けた。それから我慢しきれず、スーツを胸に強く抱きしめて泣いた。
涙は暫く枯れそうにもなかった。服にはまだ、ぬくもりが残っていた。彼が生きていたという確かな証……それはまだ、腕の中にあるのに。彼はもういない。大切な物を失ってしまった。彼の最後は……穏やかだった。
ラグナがいなくなって思う。自分もやはり、きっとラグナの事が好きだったのだ。彼と繋いだ掌の感触を未だにしっかりと覚えている。そしてそれは、永遠に消え去る事は無いだろう……。
「ラグナ君……っ! ラグナ君、ラグナ君……っ!! うわああああああああ――――ッ!!!!」
世界を救う英雄と呼ぶには余りにも女々しく。子供っぽくて。大人になりきれない少女の涙……。
弔いの涙は空にも届くだろうか? この宇宙に消えていった沢山の命……その中の一つに彼は還ったのだ。そして自分もいつか、そこに往く――。
太陽と月がマキナを見つめていた。降り注ぐ白い光の中、レーヴァテインが姿を消す。残された廃墟となった町の中、ジークフリートは凍り付いて寒そうに立ち尽くしている。そんな寂しい景色を背景に、マキナは泣き続けた。感謝の気持ちも寂しさも止まらなかった。出来る事ならもう一度――今度こそ彼に教えてあげたいと思う。
手と手を繋ぎ、笑いあった日々。寂しかったとき、辛かったとき、迷っていたとき……笑ってくれた彼が居た。光の中で、また手を繋ぐ。優しい笑顔は――いつでもすぐそこに――――。