The Slash edge(1)
「――はい。こちらは予定通りに。大丈夫ですよ。アテナ・ニルギースはマキナ・ザ・スラッシュエッジを救うために必死ですから」
『そうか。では予定通り月に彼女を招待するのだ。良いな、カラーオブブラック』
格納庫の中に眠る斑鳩に乗り込みERSを起動する。二人が脱出する為には道を切開く事が必要になる。尤も、内側からの脱出を阻止出来るほどの戦力はこの街にはもう残っていないだろう。アルティールは文字通り、最早滅びを待つだけの存在に過ぎない。
闇の中を斑鳩が動き出す。無数の隔壁に閉ざされた格納庫の中で剣を抜き、鋼鉄を切り裂いていく――。地震にも似たその衝撃の最中、アテナはブリュンヒルデの前に立っていた。一度は呪い、一度は憧れ、そして今ではやはり呪っているのかもしれない――。紅き座の前に立ち、アテナは眉を潜める。
「――どこへ行くつもりだ?」
ブリュンヒルデへと乗り込もうとしたアテナに背後から声がかかる。振り返るとそこには銃を手にしたアンセムの姿があった。閉鎖された闇の中、非常灯が黒く鈍く輝く銃口を照らし出している。一本道の通路の上、無数のFAを背景に二人は視線をぶつけていた。
「兄さん……」
「マキナをどこに連れて行くつもりだ」
「……………」
アテナは答えなかった。二人のにらみ合いが続く。斑鳩が暴れる衝撃の中、揺れる格納庫の上でアテナは酷く無防備だった。視線だけでアンセムを見つめ、威圧する。男は眼鏡に光を反射させ、表情を知らせる事はない。
二人の間には常に壁などないはずだった。手を取り合い、幼き頃から共にあった家族に他ならない。実の母親であるマリアより、アンセムはずっとアテナの事を知っている。二人の間にある沈黙はその過去を思い起こさせた。同時にそれは、決別の時を迎えたという事でもある。
格納庫の壁を突き破り、二人の間に斑鳩の腕が伸びる。巨人が起こした突風の中、アンセムはコートと髪をなびかせていた。唇はやけに乾いているように感じる。アテナはゆっくりと呼吸をし、言葉を紡ぎ出した。
「私は、マキナを助けたい……! マキナが助かるなら、どんな事だってする! だから、私はこの星を救ってみせる……!」
「セブンスクラウンの言うとおりにこの世界を変えるつもりか」
「私は……っ!! ただ、マキナがかわいそうなだけ!! マキナが好きなだけ!! どうしてこの世界はこの子にばかり悲しみを押し付けるの!? そんなのは間違ってる!!」
平等だの、世界の幸せだの――そんなものは“くそくらえ”なのだ。アテナにとって、マキナが犠牲になってしまうのであればそれは平等でも平和でもない。ましてや幸福などであるはずがない。
この世界には悲しみが満ちている。その全てがマキナの努力で消え去るのかもしれない。だが、それでマキナが犠牲になってしまえば意味などないのだ。全ての前提が崩れ去り、世界は意味を失う。少数の人間を犠牲にしなければバランスは保てないと語るセブンスクラウンと、やっていることは同じなのだ。だったらセブンスクラウンの言うとおりにして、マキナを生かす道を選ぶ……。それがアテナが迷った挙句に選び取った答えだった。
燃える紅き瞳は全ての答えを物語る――。アンセムは風の中、静かに銃を下ろした。男にとってそれは当然予期できたことだった。いや、“こうなることはもうわかっていた”のだ。
「それがお前の答えか、アテナ……」
「…………ごめんなさい」
「止めはしないさ――。お前の選んだ答え、お前の選んだ世界だ。お前の好きにするがいい」
それきりアンセムは何も語ろうとはしなかった。アテナはブリュンヒルデに乗り込み、機体を機動させる。斑鳩がジークフリートを輸送用コンテナに格納すると、三人を乗せた輸送機は大型のカタパルトで宇宙へと打ち上げられる。遠ざかっていくアルティールをアテナが振り返るのと、それを見送るアンセムが溜息を漏らしたのはほぼ同時であった。
輸送機のシートの上、苦しそうに喘ぐマキナを抱きしめてアテナは悲痛な思いを胸に抱いていた。もう何もかも必要ない。ただ彼女さえ笑ってくれる世界であればいい。もしもマキナがこの選択を赦さなかったとしても構わない。その時は――マキナの手足を切り捨ててでも絶対に説き伏せて見せる。
「……良かったんですか? 誰にも挨拶もしないで」
ノエルの問いかけ、しかしアテナは首を横に振った。最早そんな事は詮無き事である。
「いいのよ……。もう、裏切ってしまったんだから」
「そうですか」
「…………」
「あの~、アテナお姉様? あんまり、気を落とさないで下さい。マキナお姉様も、わかってくれますよ」
アテナは一切返事をしなかった。抱きしめたマキナの身体は柔らかく、暖かく、確かに命の音を聞かせてくれる。この音色が途切れぬうちに――根絶やしにせねばならない。この世界に害する全てを――。この世界にあってはならないものを――。
何の為に生まれてきたのか、その理由と意味を証明する時がやってきたのだ。最早迷っている場合ではない。全ての悲しみを終わらせるべき時がやってきたのだから――。
The Slash edge(1)
遠くから、ぼくを呼ぶ声が聞こえる――。
ゆっくりと、呼吸を繰り返すように。鼓動を繰り返すように。ぼくは瞼に光を宿す。何度も何度も……。光の渦の中、ぼくは静かに漂っていた。上下左右もわからない世界……。でも何故だろう? どこか心が落ち着くような気がした。
そこは光の世界だった。七色に輝き、ぼくの身体を漂わせている。まるで水面のようなその光の中では沢山の人の思いが交わっていた。指先から、髪の毛の先一本まで、ぼくはぼくだ。この光の世界に溶け落ちてしまう事が出来たなら、きっとずっと楽になれるのに。
自分として生きるから世界はとても孤独なんだ。だから寂しく、辛くて、悲しくて……。それでも自分は自分以外の何者でもないから、この形のままで生きるしかない。ゆっくりと瞼を開けばそこには世界が広がっている。広い、永劫に広がる宇宙の中、ぼくの身体は塵芥にも等しい。
ふわふわと、漂い続ける。その眼下には誰かがぼくを見上げていた。懐かしい顔……。手を伸ばし、そっと声を上げる。でもその声は誰にも届かなかった。勿論、彼女にも……。
光が弾け、世界が彩られていく。その景色の中、宇宙の中を逆様に落ちていく……。そこには無限に広がる蒼い世界があった。光の中に浮かぶぼく……。そのぼくの前に、もう一人のぼくが立っていた。
「…………やっと会えたね」
ぼくがいる。
「そう、わたしは貴方……。貴方はわたし……。この世界に産み落とされた時から、わたしはわたしだった。ねえ、貴方も覚えているでしょう? どうしてわたしが生まれたのか――」
ずっと、長い間待っていたんだ。誰かにそれを伝えたかったんだ。愛してるって言いたかったんだ。だからぼくはここにいる。ぼくらはここに来た。
「この蒼い星の上で……わたしたちは約束したでしょう? この星に生きる、全ての命と共に――」
「ここが……セブンスクラウンの拠点なの……?」
ムーンシティの地下、そこにはFAの開発販売会社であるジェネシスの本社がある。その更に地下深く、導かれるままにアテナが足を踏み入れたのは巨大な空洞であった。
月の内側に存在する、巨大な巨大な空洞……。白い砂浜。かつては海であったかのような、光に包まれた場所……。風の吹き抜けるその砂浜の上、アテナとノエルは肩を並べていた。ノエルがさくさくと砂を踏み固め歩き、アテナの前で振り返る。
「かつて地球に飛来した隕石は二つ……。片方は砕かれ、片方は地球へ落ちた。その砕かれた破片のうちの殆どは月に流れ着いたってご存知でしたか?」
「それじゃあこの場所は……隕石が落下して出来た空洞……?」
『左様――。そしてこの空間かそ、我ら“セブンスクラウン”そのものなのである』
突然、声が聞こえた。巨大な空洞内に響き渡る声はあらゆる方向から響き渡り、一体どこから聞こえてくるのかその距離も方向もわからない。周囲をぐるりと見渡すアテナの頬に冷や汗が流れる。
「落ち着いてくださいお姉様。もう、見えてきますから」
「見えてくるって――!? えっ!?」
アテナの目に信じられない物が映りこんだ。それは、この空間全域を覆う巨大なエーテルの流れ……。地中深くに存在する、エーテルカナルである。アテナもノエルもその渦中に居るというのに、今の今まで全くそれに気づく事はなかった。
動揺を隠せず周囲を見渡しながらあとずさるアテナ。背後からその両肩を抱き、ノエルはその動きを封じる。カナルの渦の中、七色の輝きがキラキラと瞬き、アテナの周囲に揺らめいている……。
『始めまして、カラーオブレッド』
『それとも、久しぶりと言うべきじゃろうか……』
『我々はセブンスクラウン……貴方たちを影から操ってきたモノ』
「そんな……!? どこにいるのよ!? 姿を見せなさい!!」
『姿ならもう見せておる……』
『我々には実体がないのですよ』
「…………実体が……ない……?」
アテナは愕然としていた。そう、何となくその言葉の指す意味が理解出来てしまったからである。その場に両膝を着き、アテナは瞳を見開いた。この光の渦こそ――。エーテルカナルこそ――。自分たちが信じてきた謎の組織、セブンスクラウンだったのである。
彼らには元々肉体など存在しない。厳密に言えば彼らは人間ですらない。かつてこの星に飛来し、そしてマリアに砕かれた隕石の片方……。月に堕ちしエトランゼ、“レーヴァテイン”――。それが孕んでいた光の粒子エーテル。レーヴァテインとエーテルカナル、その両方を含め、セブンスクラウンと名乗るのである。そう、彼らは人間ではない。エトランゼでさえない。彼らはただのエーテル……。外宇宙より飛来した、意識の塊なのである。
最早アテナに多くの説明は不要であった。ジークフリート・モードファフニールによってエーテルの力を知ったアテナには本能的にそれが理解出来る。エーテルとは意思そのもの……。光の形を象っただけの意思。思い出、心……。故にそれに肉体は存在しない。ただ、そこに在るだけなのだ。
『驚かせてしまったようですね……』
『だが、これくらいで驚いているようではな』
「…………それじゃあ、私たちは……。人間は……。今まで、エーテルに……エトランゼに操られてきたっていうの……?」
『左様』
『ですがその言い方は心外ですねぇ。貴方たち人類が生きていく力……エーテル技術。それは我々が授けたモノだというのに』
『お前たち人間は、我らの存在が無かったならばあの日星の光に呑まれて消え往く定めであった……それを今日まで生かしたのだ。感謝はされども恨まれる謂れはあるまい』
「…………ふざけないで……! なんなのよあんたたちっ!!!! エーテル!? エトランゼッ!? あんたたちが来なければこの星は!!!!」
『それは貴方の勝手な言い分です』
『我々がこの星に辿り着いた時……既に星は滅びかけておった。あのまま人が星の支配者であったならば、この美しい星は人の手で蹂躙され、見る影も無いほどにやせ衰えていった事じゃろう』
『ジュデッカのしている事を肯定するわけではありませんが……まあ、彼女の言いたい事も判りますよ。人類は勝手が過ぎるんですよねぇ。だから追い出されたんですよ』
四方八方から聞こえる男女、年齢のちぐはぐな声。まるで無数の性格が同時に存在しているかのようである。一つの光の中に七色の人格……。それこそがセブンスクラウン。第七の王冠。人が望み、人を守ってきたモノ。
「あんたたちの言う事を信じろって言うの……!? ふざけないで!! ふざけないでよっ!! あんたたちエトランゼさえ居なければ、マキナは……!!」
『その、マキナ・ザ・スラッシュエッジもまた、ただのエトランゼに過ぎぬ』
余りにも衝撃的な事実だった。淡々と告げられた事実にアテナは力なくただ打ちひしがれていた。予感はしていた。予兆はあった。だが――あまりにも。あまりにも――惨い現実。
『マキナは貴方たちネクストとは根本的に異なる存在なのです。いわば、オリジナルのネクスト……いいえ、ネクストとはエトランゼをベースに作られた人間なのです。貴方たちの持つ人格も、技術も、能力も、全ては我々が作り出した物』
「嘘よ……」
『貴方を追い詰めるその感情も、全ては紛い物に過ぎない。我々セブンスクラウンが産み落とした七つの感情……。貴方はそのうちの“情熱”を元に作られた擬似人類意識なのですから』
「嘘よっ!!」
『それが現実じゃ。受け入れろ』
「嘘、嘘、嘘嘘っ!! そんなの信じない……! だったら私たちは……私たちのしてきたことはぁああああっ!!!!」
『全ては我らのシナリオ通り……。そしてそのシナリオの先には人類の幸福がある』
アテナは砂の上に平伏した。最早何も言い返すことは出来なかった。自分の意識が作り物であるという事よりも。この世界がずっとエトランゼの掌の上であったということよりも。マキナが――。マキナが人間ではなく。“こいつらと同じ”だという事が酷く悲しかった。
そして、同時に何もかもが無意味に感じられた。今日まで必死にやってきた事はなんだったのだろうか。人間同士で戦い、殺し合い、それでも今日までなんとかやってきたではないか。世界が終わるその瞬間でも、愛する人がいるから戦えた。それなのに――現実は余りにも容易い。容易い答えは心を殺してしまう。アテナの身を包んでいたのは深い深い絶望だった。もう、何一つ光は残されていない……。流す涙さえなく、アテナはただ砂に埋もれていた。
『役目を果たす時が来たのだ、紅よ――。何も、我々は人類の損になるような事は何一つするつもりはない。ただ、我々はこの星の支配者として人類に再びの幸福を与えたいだけなのだ』
『ジュデッカはゼロカナルで星を覆い、この星を守っています。それは何故か?』
『ジュデッカは我々とは異なる。人類に星を預けては、この星の命全てが駄目になってしまうと考えているんですよ』
『故にジュデッカは星を閉ざした……。だが、我々はジュデッカとは意思を異とする者』
『仮に人類がまた愚かな行いを繰り返すのならば――』
『『『 その時は我らが完全なる支配と管理を持ってこの星と人類を護り続ければ良いだけの話 』』』
一体、何の為に今日があったのだろう……。アテナはゆっくりと顔を挙げ、絶望の中で唇を噛み締めた。セブンスクラウンの支配――。そうだ。オーバーテクノロジーに他ならないエーテル技術も、全てはエトランゼに与えられたもの……。全て人類はただ模倣してきたに過ぎない。エトランゼ――セブンスクラウンというこの偉大なる意思に従い、なんとかこの世界のバランスを保ってきたのだ。
セブンスクラウンのいう事には事実納得できる部分が多々ある。この星のこと……人々のこと。彼らが人類を擁護してきてくれたからこそ、飼育してきてくれたからこそ、今日の日の発展があるのだ。そしてアテナは納得した。彼らにとって人類全体の事に比べれば、一個人や一部の人間の事など興味の外なのだ。彼らは人類という種族さえ護る事が出来ればそれでいい。だからゼロカナルを破壊するという決断をあっけなく下す事が出来るのだ。
オペレーションカラーズとはまさにそういう作戦だ。人類を生き残らせる為に過半数の人間をいけにえに捧げる。容赦なく斬り捨てる。それでも構わないのだ。何故ならば人類はそれで生き延びる事が出来るのだから。失敗したとしても構わないのだ。セブンスクラウンには時の流れなど些細な事。減ってしまったなら、また増やせばいい――そのくらいにしか考えていないのだ。
人類よりも上に存在する、神にも等しき意思の集合体――。人類に対するなんの気後れもないから、アナザーという新人類を開発したり。人類同士を争わせたり。なんだって出来る。何も遠慮など必要ない。最終的につじつまが合えばそれでいいのだ。彼らは人類の未来にしか興味がない。過去の事など、ただの記憶の一部に過ぎないのだから。
『アテナ・ニルギース。貴方のお陰でマキナとジークフリートが手に入りました』
『その働きは高く評価しますよ。そしてようこそ、新しい人類の未来へ』
『貴方はオペレーションカラーズを経て、マキナと肩を並べる英雄となるでしょう。そして未来永劫、人の世の中で語り継がれるのです』
『その為に貴方には特殊な身体を与えたのですからね』
『貴方にはこれからずっと、我々の意思の代弁者として戦ってもらいますよ。アテナ・ニルギース――』
「…………私、は……」
逃げ場など、どこにもなかった。護ってくれる人など、いるはずもなかった。判っていた事なのに。改めて、胸が締め付けられる思いだった。
ずっと、ただ踊らされてきたのだ。だから当然の結末。人類は自分の両足で立つ事を忘れてしまった。だからわけのわからない外宇宙の生命体におんぶだっこで今日まで生きてきた。そのツケは計り知れない。それを払えというのだろうか。この小さな身一つで背負えというのだろうか。そしてそれを、愛する妹にも課せというのだろうか。
アテナの口元には何故か笑みが浮かんでいた。しかし、悔しくて悔しくてたまらなかった。泣きながら砂と光の中で笑い続ける。これが世界の真実――。自分たちを取り巻く世界そのもの――。
この、蒼い蒼い、美しい星の――――。
光が、弾ける――。そこに無限に広がっていたのは、蒼い蒼い光の海だった。その水面に立ち、波紋が広がっていく。水面にはぼくの影がくっきりと映りこんでいた。向かい側に立つもう一人のぼくもそう。だからその場にぼくの姿は四つあった。よっつの影は鏡写しの世界の中で風の中に佇んでいる。
「君は……」
「……そう、わたしは貴方」
「ぼくは……。ぼくの、本当の名前は――」
「貴方の本当の名は――。わたしの、本当の名は――」
「「 我が名はジュデッカ――。この星を守護する者―― 」」
ぼくと彼女の言葉が重なる。彼女は優しく、ゆっくりと頷いた。自分の掌を見つめる。水面から光の粒が集まって、この世界の中に蒼い剣を作り出す。それはぼくの合図を待つかのように空に浮かび上がり、手を伸ばせば直ぐにでも届きそうだった。
そっと、指先を伸ばす。冷たく、厳しく、優しい波動が伝わってくる――。それを手に取る事はとても簡単だった。でも、ぼくはそうはしなかった。それが不思議なのか、彼女は首をかしげる。ぼくは首を横に振り、彼女の気持ちに背いた。
「……その力は、この星を救う為に与えた物」
「わかってるよ。君は、こう言いたいんだ。“人類はこの星を駄目にする。だから、それを滅ぼす為の力が必要だ”って……」
「地球は――。この星は、とても美しい。わたしたちが居たあの世界とは余りにも違う……。だからわたしはこの世界を愛している。この世界を愛し続けたい」
「でも、人は星を傷つけてしまうから……。自分勝手に憎しみ合い、際限なくお互いを傷つけてしまうから……」
「せめて、人の手から離れるようにと……わたしはこの星を支配しました。そして人類の全てを滅ぼそうと考えた。でも――貴方がいた。貴方が人として、命として、この世界で生きていた」
「ぼくは、人の世界に放たれたエトランゼ……」
「わたしは貴方を通じ、この世界を知った。この世界に生きる……人の命の輝きを知った……」
「この世界を護る事……それがぼくの選んだ答えだから」
「貴方はこの世界を滅ぼす為に在ったのに。貴方は人を殺す為に生まれたのに……。貴方はわたし」
「君はぼくだ。でも――」
「もう、辿る道は異なってしまった…………」
彼女が――。ジュデッカが、悲しげに微笑んだ。ぼくは光の剣に手を伸ばす。そこには苦痛と、悲しみが満ちていた。それでもぼくは剣を握りしめる。この苦しみを、今は愛しく思える。そっと抱きしめて……その光を心に吸い込んだ。
世界の蒼が輝きを増していく。水面から空へ、光の粒が立ち上っていく。その景色をぼくらは一緒に眺めていた。世界は美しい。そしてこの……人の心が行き着く場所も。
「どうしても……行ってしまうの?」
「……うん」
「貴方の行く先には苦しみしかない。人は貴方の身体を犠牲にしかしないでしょう。心さえも犯されて、貴方は貴方を保てなくなる。レーヴァテインの意思が、貴方の身体を拒絶するから」
「それでもいいんだ。消えてしまっても構わないんだ。護るって決めたんだ……。ぼくは……ううん、わたしね? 人間で、良かったよ……」
首を横に振り、胸に手を当てる。エーテルと同一になり、ジュデッカとしての力を振るえばぼくの身体はカナルの孕む無限の意思に飲み込まれ、食いつぶされてしまう。でも、それでも構わないんだ。
「人間として生まれて、人間として生きた……。そこに意味なんか求めない。意味は――それは、わたしたちが死んだ後の世界で。生き残った誰かが求めるものだから……。わたしはただ生きて、思うままに生きて、滑稽な位、生きて……。そして、死んでいきたい。“人として”――」
「それが、貴方の答え……。わたしを、殺しにくるのですね……。人間の握り締めた刃の代弁者として……。しかし、良いのですか? わたしの死は貴方の死と同義……。貴方が生きている限り、わたしも死ぬ事はない」
「――判ってるよ。ちゃんと、判ってるよ――。だから……それでも、わたしは……。マキナ・レンブラントとして。一人の人間として。生きて、死にたいの」
正面から見詰め合う。ジュデッカは納得したように頷き、ぼくに背を向けた。彼女の姿が遠ざかっていく。ぼくはそれに少しだけ寂しくなって、視界が潤んだ。ちゃんと、さよならをいわなきゃならない。ぼくが……ぼくであるために。
「さようなら、マキナ……」
「さよなら、ジュデッカ……」
「「 この星の最果てでまた会いましょう 」」
蒼の光に、意識が溶けていく……。霞む視界の中、ぼくは確かに夢を見た。それは、ぼくがぼくとして……。ぼくが人間として……。ちゃんと生きたんだよって伝えた、大切な……生きた証――――。