Deus ex machina(2)
「――ネクストアナザーとマリア・ザ・スラッシュエッジについて、私の知っている範囲で教えようと思う。ただし、それは結局は私の主観によるものであり、それが真実とは限らない。マリアという存在に対し、私が語れる事はそう多くないのだから」
男の記憶の中、最も古い記憶は廃墟とそこに降り注ぐエーテルの光であった。まだこの星に秩序が生まれるより前の話の事である。オペレーションメテオストライク後、ロストグラウンド事件により人々は大地を失った。命を蝕む光が星を覆うまでにそれほど時間はかからず、人々は何とか生き延びる手段を得ようと空に手を伸ばした。
アンセムは気づけばそんな世界の中で一人きりであった。一人きり、廃墟と化したシティで細々と生活していたのだ。いつ沈没するかわからないボロボロのシティの中、生き残っていたのは何故かアンセム一人だけであった。恐らくは何者かの襲撃を受け――そしてシティは滅んでしまったのだろう。幼かった少年は一人、シティから出る事も出来ずに数年間一人で暮らし続けた。幸い食料は残されていたし、生きていくのに不便はなかった。しかし誰も居ない孤独の世界のせいで彼は言葉というものを失っていた。
親も仲間も死に耐えて、そしてあとは自分も死んでいくだけなのだとそう考えていた。しかし、そんな誰も寄り付くことのないシティにある日戦の火が立ち上ったのである。二つのFA勢力の衝突――。それは一方的な攻撃により一瞬で決着を見せた。
蒼い、蒼い幻影がそこでは揺れていた。雄雄しく聳え立つ美しい姿――。巨人、ジークフリート。その足元に歩み寄り、少年は神を感じた。コックピットから姿を現したのは蒼い髪を風に靡かせる女神であった。
「私はマリアに拾われ、彼女の家族として生きる事になった。言葉を話せるようになるまでは少し時間がかかったが、彼女はその間も私に色々な事を教えてくれたよ」
マリアは様々な場所に家を持っていたし、大量の家族がいた。あちらこちらから孤児やら身寄りを失った人間やらを拾っては自分の家に住まわせ、自立を支援していたのである。故に彼女はあちこちに姿を現し、気づけば消えている……そんな存在であった。
アンセムが暮らしていたのはアルティールにある小さな孤児院で、やはりマリアが運営していたのであった。そこでアンセムは様々な勉強を教わり、生きていく手段をマリアに叩き込まれた。
彼女は傭兵、ライダーであった。故に彼女は常に戦場に身を起き、常に最前線で刃を揮っていた。その力は無敵の一言に尽きる。何百何千何万の兵力も全くの無意味――。マリアという一人の存在の所為で世界は一気にバランスを取り戻しつつあった。無秩序な時代が終わりを告げ、FAという力、そしてライダーたちの手によって制御された世界が構築されていく。その激動の時代の中、アンセムは彼女に続きライダーになる事を志願したのは当然の事だったのかもしれない。
特にマリアに才能を見出された孤児たちの中にはジルの姿もあった。ジルも彼と同じく孤児であり、マリアに救われた一人だったのである。ジルは特にマリアにべったりだった為、よくアンセムとマリアの取り合いになって喧嘩をしたりもした。
同期の中でも優秀だった二人はやがて一人前のライダーとなり、そしてマリアと共に戦場を駆け抜ける戦士となった。隣を走るようになって初めて感じるマリアの恐ろしいまでの力――。それに畏敬の念を覚え、そして強く憧れた。少年時代のアンセムにとって、彼女は青春の全てであったと言ってもいい。兎に角強く憧れていたのだ。出来ることならそうなりたいと、そのための努力は何でも手を出した。
やがてマリアを追いかける事に固執するアンセムと、マリアのように周りの人間を育てる人間になりたいと考えたジルで道が分かたれ、ジルは教員としての道を、アンセムは最前線にて戦う秩序を守る組織――“蒼穹旅団”の一員として活躍する事になったのである。
「私が旅団に入ったのは十四歳の時だった。当時は正に旅団は最盛期と言った感じで、正に向かう所敵無しだった。当時の旅団にはヤタやザックスも所属していた。特にザックスは私にとっては兄貴分みたいなもので、昔から色々と世話になっていたんだ」
それからの日々はめまぐるしく過ぎていった。恐らくはその戦いの日々の中、既にカラーズ計画は進んでいたのだろう。当時のカラーズは現在のネクスト揃いとは違い、ノーマルによる実力主義が主であった。故にザックスやヤタといったノーマルのライダーがカラーズの座に着いていたのである。
アンセムはまだ若すぎた事もあり、マリアの計画していた事を深くは知らなかったし、関与もしていなかった。しかしある日突然彼は彼女の娘と出会う。それがアテナ・ニルギースであった。
「先生に娘が居たなんて知らなかったから、そりゃもう驚いたさ。というか、一体どこで子供なんて産んでいたのか……。何しろ先生は常に戦場に立っていたんだからな。お腹が大きくなっている様子もなかったし、本当に驚いたよ」
「…………じゃあ、それはつまり……?」
「ああ。アテナはカラーズ計画の一端として生み出されたネクスト成功体……つまり、マリアが受胎して出産したのではなく、彼女が“作った”娘だったわけだ」
「……やっぱり、そうだったの」
気を落とすアテナを眺め、アンセムは話を一端中断した。三人が向かい合っているのは生徒会室の中、テーブルを囲むように四方に設置されているソファの上である。この場所を選んだのはアテナで、元々生徒会室に居たメンバーは暫く席を外して貰っている。生徒会役員であったアテナはこの部屋の事は熟知しており、ここは監視などのシステムについても独立しており込み入った話をするには最適であった。アンセムとしてもこれは公に話せる話ではないので、この場所に大人しくやってきたのである。
アンセムの肩を借りてここまでやってきたマキナもまた神妙な面持ちで話を聞いていた。今まで思い出の中でずっと一緒だった母親が、まさかそんな事をしている人間だとは思っても見なかったのである。マリアの話を聞けば聞くほど自分の知っている母親と違いすぎてどんどん気持ちが不安になっていく。まるで過去の日々を否定されているかのような気持ちだった。
「だが、君は間違いなくマリアの娘なんだ。彼女は自分の遺伝子を組み込んで君を生み出した……。ネクスト生成の際に使用された卵子も彼女のものだったと聞いている。父親はどうだかわからないが、君の母親はマリアなんだ」
「…………頭じゃわかってるつもりだけど……ううん、そうね。そうだよね……。子供っぽすぎるか……」
額に手を当て、寂しそうに眉を潜めるアテナ。母親との血のつながり、そのぬくもりだけが彼女にとっての全てだったのだ。今でこそマキナやアンセムがいるから耐えられるが、もしそれをもっと早くに知っていたならば絶望に飲まれ、失意の闇の中で沈んでいたかもしれない。アンセムもそうなるのを恐れ黙っていたのだが……アテナは目を閉じ、唇を噛み締めていた。そんなアテナの肩を抱き寄せ、マキナは目を伏せる。
「…………。更に、ネクストと呼ばれる人間には全てマリアの遺伝子が組み込まれている。そういう意味では全てのネクストがマリアの子供であるとも言えるだろうな。だがそんな中、マリアは何故かお前を自分の手で育てる事を選んだ……。実際お前が生まれてからだ。彼女が戦線から退き、私がカラーオブブルーの代行としてジークフリートで戦うようになったのは」
「……えっ!? アンセムさんが……ジークフリートのライダー……!?」
ジークフリートを動かす為に必要な物、それはニーベルングシステムに対する適性である。ニーベルングシステムとジークフリートの存在は同義である。そしてニーベルングシステムに適合する為には様々な制限が必要となるが、大まかに言ってしまえばそれはマリアの遺伝子を受け継ぐ事で解決される事であった。
伝説の蒼の機体を動かす為に必要なものこそがこのマリアの遺伝子であり、新たなカラーズを産み落とす上でそれは絶対に必要なことだったのである。故に全てのネクストにはマリアの遺伝子が組み込まれているのだが、それがどの程度きちんと効力を発揮するのかは固体によって異なるのである。
最もマリアの遺伝子を濃く受け継いでいるのはマキナ、続いてアテナといったところであろうか。しかしそうなってくるとアンセムがジークフリートのライダーであったというのは無理のある話になってくる。なぜならアンセムはノーマルであり、ネクストと違ってジークフリートに適合する力は持ち合わせていないのだから。
「私はジークフリートに搭乗する為に特殊な適性手術を受けている」
そう語りながらワイシャツの胸元を開き、素肌を二人に見せたのである。アンセムの身体、心臓付近の部分には機械的なフォルムの装置が埋め込まれ、定期的に光を点滅させていた。まるで心臓の鼓動にも似たその光の脈動は全身に光のラインを送り込み、アンセムの身体にエーテルを送り続けていた。
「――マリアはこれを、“ユグドラ因子”と呼んでいた」
「ユグドラ……因子?」
「“を、模した装置”――と言っていたな。詳しい事は判らないが、兎に角そういうことだ。我々はユグドラシステムと呼んでいる。お前たちがフォゾンドライブと呼んでいる物を小型化した物だと思ってもらえれば構わない」
「……え……? ど、どういう事なんですか? それ、大丈夫なんですか?」
「私の肉体は、エーテル生命体に酷似した構成に書き換えられている。寿命がどれほど持つのかはわからないが、三日に一度は微調整が必要だ。肉体の劣化は激しく、恐らくこの調子だと身体が崩れ始めるのもそう遠くはないだろう。体中にエーテルを循環させるというのは、そういう事だ」
驚きのあまり言葉を失う二人。絶句し放心状態のアテナと、それとは対照的にマキナは怒りに拳を震わせていた。身を乗り出し、アンセムをじっと正面から見つめる。
「どうしてそんなのやっちゃったんですかっ!? 何考えてるんですか、お母さんも貴方も!!」
「これは私が志願した事だ。この措置をしてもジークフリートの力は三十パーセントも引き出せなかった。それでもジークフリートの力は凄まじい……。マリアの代役としては至らない所も多かったがな」
「どうして……! どうしてそんな、命を無駄にするような事……っ!!」
「――――お前たちに、少しでも母親の記憶を残してやりたかったからだ」
当然、アンセムの言い出した余りにも馬鹿げた提案にマリアは当初反対していた。だが多忙極まりないマリアに子供と一緒に居るための時間を作る為にはそれ以外に方法がないのも確かであった。
アンセムはどうしても、娘たちに母親の愛情を与えて欲しかったのだ。彼自身、マリアには多くの物を与えて貰った。家族も故郷も失い、その辛さは痛いほど理解している。だからこそ、二人にはそんな思いをさせたくなかったのである。
これから多くの過酷が二人を待っているだろう。幼い少女にそれを託し、委ね、背負わせねばならない。その途中には多くの苦難があり、そして何度も心が折れそうになってしまうだろう。そんな時、自分だったら。アンセムがそうして倒れそうに成った時、その両足を奮い立たせたのはやはり家族との絆だったのだ。
妹分だったジル。戦いを教えてくれたザックス。母であり、愛する人であり、全てを与えてくれたマリア……。絆が人を何度でも立ち上がらせる。その力を、強い思いを信じている。だからこそ守らねば成らないものがあった。与えたいものがあった。奪う事しか出来ない戦士にも、出来る事があるのだと信じたかったのだ。
「マリアはそうして戦線を退き、代わりに私は戦った。この世界の秩序を守りたかった……。だが、私一人の力では何も出来ないのだと思い知ったよ。私はマリアにはなれなかった……。力が足り無すぎたんだ」
「兄さん……」
「そしてそんな時マキナ――お前が生まれた……“らしい”」
「……らしい?」
「正直お前が一体なんなのか、私には見当もつかない」
予想していなかったアンセムの言葉にマキナは目を丸くする。だが、それが真実だった。
「お前の存在を知ったのはほんの数年前だ。驚いたよ……。忙しく仕事をしながらアテナの面倒を見ていた彼女が、いつの間にかコロニーで子供と暮らしてたんだからな。そして申し訳ないが、マキナに関しては多くの事は判らないままだ。だが一つだけ、マリアから言われている事がある」
それは、彼女が死の間際に言い残した事であった。“どうか、マキナを導いて欲しい”と……。固く握り締めたその手から男は全てを受け取ったのだ。マリアの代わりにマキナを育てる事、それこそが彼の残された僅かな時間の使い道となった。
当然、戸惑いはあった。余りにも親子は酷似していたのである。同一人物としか思えない、けれどもあどけなく微笑み、涙し、そして戦う意思を見せ成長していく少女を眺め、アンセムは常に複雑な思いであった。
「お母さんは……どうして死ななきゃならなかったんですか?」
何十年も生きた伝説の存在。それが何故か死んでしまった……その理由はどこにあったのだろうか? しかしアンセムもそれは知らなかった。ほかならぬアンセムが最もその事実に驚いたのだから。
マリアの不死身ぶりはアンセムが一番理解していた事だ。それがあっけなく死んでしまったのだから、全く意外としか表現のしようがない。マリアの死、そしてマキナの存在……。残された謎は多く、それはまだアンセムにも判らない。それでも判っている事は確かにあるのだ。
「お前たちは間違いなくマリアの娘だし、マリアはお前たちを愛していた……。それは変わらない事実なんだ」
母の腕に抱かれた記憶……。それぞれ別の場所で育った二人。それでも心の中には同じ記憶が残っている。二人の娘は互いに顔を見合わせ、それから静かに頷いた。今はアンセムの言葉を信じる事に決めたのである。男が今、嘘をついているようには見えなかったから。
「そして、私はお前たちを守る……。それがマリアとの約束だからだ。そして、私が果たすべき義務だと考えている」
「兄さん……」
「先生はやっぱり……ぼくたちの家族だったんですね」
マキナの言葉にアンセムは照れくさそうに目を閉じて苦笑を浮かべた。そうして立ち上がり、窓辺に立って町を見下ろす。夕暮れの光に照らされる男の横顔を見つめ、アテナは胸に手を当ててそっと微笑んでいた。
「良かった……。兄さんはやっぱり、私の兄さんだった」
「――そうですよ。アンセムさんはぼくたちの味方なんですよ」
「お前たちを守る事が私の使命だ。命に代えてもそれだけは絶対に果たして見せるさ」
「そういうのはやめましょうよ。アンセムさんが死んじゃったら……やっぱりいやですよ。悲しいです……。だから死なないで下さい。何があっても死なないで、そして守ってください」
「――――。中々無茶な注文をつけるな」
「はいっ! 無茶も無謀も貫き通せばただの過去です。先生を信じます。今は……そうする事しか出来ないから」
振り返り、アンセムは頷いた。そうして二人に歩み寄り、その肩を叩いた。真剣な表情で、表情を若干こわばらせながら。
「まだお前たちには話せない事もあるが、恐らく私の口から説明するよりも実際に計画が発動した方が早いだろう。今はマキナもこんな状態だしな……。だが、一つだけ言っておく。フェイスの人間は誰も信用するな。いいな? 誰も、だ。勿論中には私も含まれている。本当に正しい物はお前たちの目で見て、頭で考えて判断するんだ。偽りの真実に流されるな。常に心に従った時、おのずと未来は開かれる」
それは今のアンセムが出来る精一杯の警告であった。二人は顔を見合わせて再び頷く。それから同時に笑顔を作り、アンセムの腕の中に飛び込んだ。同時に二人に飛び込まれ、バランスを崩して倒れるアンセム。眼鏡が吹っ飛び、二人はそれも気にせずアンセムにくっついていた。
「お、おい……!?」
「兄さん!! 今までありがとうっ!!」
「ぱぱーっ!!」
「ぱ――ッ!? パパって……私はまだ二十代……」
「にいさーん!!」
「ぱぱーっ!!」
「私はまだ二十代……いや、なんかもうどうでもいいな……」
呆れた表情で二人を抱き寄せるアンセム。恐らくは長い長い苦難の道の狭間にあったほんのささやかな一瞬。それでも確かに絆はそこにあった。言葉にしなければわかりづらいけれど。それでも心はそこにあったのだ――。
Deus ex machina(2)
「はーい、お姉様〜♪ あ〜〜〜〜ん♪」
「あーん……」
マキナの病室。そこではノエルによる甲斐甲斐しい看病が続いていた。いちいちマキナの口に料理を放り込むノエルとそれを仕方なく受けるマキナ。そんな二人の様子を眺めながら不機嫌そうに足を組んでいるアテナの三人で見事な三角関係が構築されていた。
「美味しいですか〜?」
「おいしいよー」
「……ねえ、さっきからそのお姉様って何なの?」
「ハイッ!! あたしもネクストアナザーの一人なので、マリアの遺伝子を受け継いでるんですよ。つまり、あたしたちは姉妹!! シスターズなのですっ!!」
「そういえばノエルちゃんって十五歳だよね? ぼくが今度十七になるから……あ、ぼくたち三人って二歳ずつ離れてる姉妹なんだね」
そう考えると、カーネストは三人の兄、ナナルゥは末っ子という事になる。その考え方を適用するのは若干適当とは呼べない気がしたが、姉と慕われるのは別段悪い気もしないのでマキナも放っておく事にしたのである。
「アテナお姉様〜! アテナお姉様も一緒に食べましょうよう〜!! お姉様たちの為に、あたしったらもう早起きしてお弁当作ったんですからね!!」
「毎日毎日飽きずに作ってくるわねー……。まあおいしいからいいんだけど。じゃあ私にももらえるかしら」
「はい、あ〜ん♪」
「やるか!!」
「はぉぐっ!?」
鋭くチョップを頭に受けるノエル。その手から弁当箱を奪い、アテナは黙々と食事を進めた。ノエルが頭を押さえてぷるぷるしている間、その弁当箱を持ってアテナはさりげなくマキナに歩み寄る。
「しょ、しょうがないから私が代わりに食べさせてあげるわ。はい、あ〜ん」
「アテナさん……。え……っと、あーん」
口の中にミートボールを放り込まれ、マキナはもぐもぐとほっぺたを動かした。まあ別にご飯が食べられればなんでもいいのだが――この過保護すぎる状況はマキナとしては複雑な心境であった。もぐもぐと食事をしているマキナの様子を頬に手を当て幸せそうに眺めているアテナ。次々に口に料理を突っ込まれ、マキナは泣きそうになりながら一生懸命料理を飲み込み続けていた。
「あーアテナさんずるいっ!! あたしが作ったお弁当なのにぃいいっ!!」
「もう全部食べちゃったわよーだ」
「お姉様の意地悪意地悪! でも苛められると興奮するから、そこがイイ……みたいな?」
目をキラキラさせるノエル。マキナはきょとーんとしており、アテナはうんざりした表情を浮かべていた。そんなこんなで食事は終了し――今日も恒例の散歩タイムとなった。
あれから毎日マキナは二人に車椅子に乗せられあちこちに連れまわされているのである。そしてどちらが車椅子を押すのだとか、どちらが行く所を決めるのだとか、そんな事でいつもノエルとアテナは小競り合いを繰り返していた。二人がまた些細な事で言い争っている間、マキナは寝癖だらけの髪の毛を櫛で梳かしていた。
「今日の髪型は絶対絶対ツインテールにするんですっ!!」
「ツインテールなんて似合わないわよ! マキナは今のままで十分かわいいの!!」
「…………あのーう、二人とも……?」
「「 何!? 」」
「え、いや……へぅ……なんでもないです……」
睨みつけられ、涙目になって布団の中に引っ込むマキナ。結局出発するまでに四十分ほどの時間を必要とした。
車椅子に乗せられ、マキナはアテナに押されながら校舎を出た。あまり遠出は出来ないが、校庭を周ったり校舎の中にあるガーデンスペースを廻るだけでも退屈と鬱屈とした気分を払うには十分であった。その間背後では車椅子をアテナとノエルが取り合っており、二人の何とも言えない戦争をマキナは意図して意識しないようにしていた。
「でも、アルティールのフェイスってほんとなんか緩いですよねー」
「そういえばノエルちゃんってデネヴから来たんだっけ?」
「ハイ! って言ってもデネヴも大して変わんないですけどねー。一番厳しいのがベガで、普通なのがデネヴ、緩いのがアルティールらしいですよ?」
「確かにそんな感じよね。あちこち行ってるけど、大まか正解だと思うわ」
ノエルの言葉にアテナが同意する。マキナはこのアルティール以外の学園には行った事がないので二人のいう事は実感が無かったが。それでも思う事はある。
「でも、やっぱりアルティールに来られて良かったなあ……。嫌な事もたくさんあったけど、でもそれでもこの町が好きなんだ、ぼく」
しみじみと語りながら遠巻きにビル群を眺めるマキナ。そこには沢山の思い出がある。先日の戦闘で壊れてしまったエリアも順調に修復が進んでいるし、人の営みは直ぐに痛みさえも癒してしまうだろう。この広すぎる世界の中、閉じたこの場所でそれでも人は楽園を夢見て生きてきた。この街は、アルティールは、人が生きようとした意志に満ち溢れている。優しくも厳しい街……だからそんな街がマキナは大好きなのであった。
嬉しそうに微笑むマキナの隣に立ち、ノエルは背後で手を組みながら背筋を伸ばした。そうしてちらりとマキナを見やり、溜息を漏らす。
「なんかそういうの憧れちゃうな〜。あたしは色々な所を転々としてたから、あんまり故郷の思い出とかないんですよねー」
「デネヴは?」
「実際デネヴにいたのってそんなに長くないんですよね。ちっちゃい頃からおじいちゃんと一緒に戦場にいたし。そういう風に考えられるのって素敵です!」
「そ、そうかな……。まあ、ついこないだ自分で壊しちゃったから説得力皆無なんだけどさ……。でも、守るよ。この街を守る……。この街で積み重ねられてきた思い出を守る。そうする事がきっと自分を守る事にもなると思うから」
背後からマキナの頭を撫で回し、アテナは微笑んでいた。そうして三人は共に高くそびえる人の作った楽園を眺めていた。
心の中の憎しみは消えない。きっとこれからもまた間違えたり躓いたりするのだろう。それでもまた立ち上がって、そして最後には必ず守りたい……。そう強く願う。この街には思い出がある。仲間が居た。全てに引き合わせてくれた。だから感謝している。この場所こそ、自分の還るべき場所……。
「あ、そうだ。マキナ、渡したい物があるんだけど……」
「はい? なんですか?」
「それは見てのお楽しみ……。ノエルも来るでしょ?」
「ハイ!! お姉様にどこまでもお供しますよ! 例え火の中水の中、あの子のスカートの中!!」
「意味わかんないから……」
こうして三人はアテナ先導の下移動を開始した。車椅子に座ったまま振り返り、美しい街をもう一度眺める。その姿をしっかりと瞳に焼付け、マキナは静かに目を閉じるのであった。
〜ショートシナリオを書いてみよう企画第三弾〜
『脇役視点のサイドストーリーを希望します。 せっかくマキナと会話できるようなったんだし、アポロ視点とかどうですか?? というわけで、とある日のアポロの一日。しかも一部の』
「むっきゅう」
俺の一日はシルクのカーテンの合間から漏れる暖かな朝日によって始まる。心地よいまどろみの中からゆっくりと覚醒していくこの感触がないと毎日眠ったという気がしないぜ。
おっと、自己紹介が遅れたようだな。俺の名前はアポロ……本名はニーベルングというのだが、飼い主であるマリア・ザ・スラッシュエッジがそう名づけたので仕方が無くそれを名乗っている。今は死んでしまった主だが、未だに彼女に義理人情を感じている俺だからこそアポロを名乗っているわけだ。
「うきゅう〜……」
そして俺のベッドで未だに惰眠をむさぼり続けているこの胸がでかいのとパンチラ率がマジで異常なこの女は現在の俺の飼い主、つまりマリア・ザ・スラッシュエッジの娘であるマキナ・レンブラント。最近このアルティールにあるフェイスに入学したのだが、色々と問題ばかりのやんちゃな娘だ。全く、面倒を見るこっちの身にもなってもらいたいもんだぜ。
それにしてもこの女はいっつも寝ている。暇さえあればゴロゴロゴロゴロしているのだから本当にどうしようもない。最近はよく訓練とか勉強を頑張っているようだが、今日のような休日は殆ど一日寝ているのが幸せらしい。さてさて、しょうがないから今日もいっちょやってやるとするか。
「むきゅ」
「うぐぅ……」
寝ているこいつを起こすには様々な工夫が必要になる。ちょっとやそっと揺らしたりしたくらいではまるで起きる気配がないからなこのダメご主人様め!! そこでこの必殺の一撃、マキナの顔面にへばりついてやるのである。自慢じゃないが俺の身体は非常に柔らかく、マキナの顔にぴったりと張り付く事が出来るのだ。やがて呼吸困難になり、あわてて飛び起きるという寸法さ。
「ぶはあっ!? な、なんで殺そうとするのかな!? あぽろさん!?」
「むっきゅ」
殺そうとしてるんじゃなくて、俺はお前に毎日健康的な朝を迎えて欲しいだけだ。ほら見ろよ、あのカーテンの隙間から差し込む朝日……。人間の一日は太陽の光で始まるのが一番だ。お前もそう思うだろ?
「うぐー、今日日曜日なのになんで起こすんだよう……。ねむねむ……」
って、聞いてね――ッ!? おいおい子猫ちゃん、そりゃないぜ。まあ俺の言ってる事はこのちっこいご主人のミニマム脳みそでは理解できないだろうからしょうがないといえばしょうがないか。
やはり、俺の言葉を理解出来るのはマリア様だけということか……そういえばアンセムとかいうのも居た気がするが男は論外だ。全く、どうしようもないダメ娘だなこいつは。毎日へこたれてるし。
仕方が無いのでベッドから机に飛び移り、カーテンを全開にしてやる事に。しかしマキナは「まぶちぃ」とか良いながら掛け布団の中にもぐりこんで丸くなってしまった。いい加減にしろこの女……人の好意を無駄にしやがって。
「むっきゅ! むっきゅううう!!」
「うぅ〜! やめてアポロ、やめてよう……! もうちょっと……もうちょっとだけ……!」
お前は漫画の主人公か!? 後五分……後五分……。五分寝たくらいで睡眠時間は全然かわんねーんだよっ!! アホか!! というかお前が眠いのは毎晩毎晩遅くまで一人で日記書いてるからだろうが!! 日記書くなとは言わないが(作品のシステム的に不可能)もう少し早く文章を認められないのかお前は! 毎晩毎晩時間をかけすぎるんだよ!!
「うう、アポロの鬼……鬼ーっ」
ようやく目覚めたご主人様はなんかほざいていたが俺は気にしない事にした。子供のいう事をいちいち真に受けるのは余りにも馬鹿馬鹿しいだろう? そうして目をごしごしこすっているマキナの頭の上に上り、共に洗面所をめざす。ちなみにこのマキナの頭の上というのが中々の乗り心地で、ここは俺の定位置となっている。何がいいってこいつ頭がデカいから安定感があるし、髪の毛もまあアホ毛的なものがある以外は基本的におとなしいからな。
マキナが歯を磨いている間、俺も一緒に歯を磨く。人間用の歯ブラシはだいぶデカいがまあ俺自体が結構デカいからなんとかなっている。一緒に顔を洗い、一緒にリビングに出る。そうして一緒に冷凍食品を温め、トースターでパンを焼いて食事である。ちなみにこいつと、それから同居人であるニアは全く料理が出来ないダメ女である。片付けとかも俺がやってるし、本当に世話が焼ける。
「おはよ〜……。マキナ、にゃんか朝からアポロと騒いでなかった?」
「ニーアー……聞いてよう! アポロがね、眠いのに起こしてくるの!!」
「……それは朝だからじゃにゃいかな……」
この常に寝癖ボサボサみたいな髪型の女はニア。マキナと同居しているマキナの友人である。時々まるで獲物を狙う肉食動物のような目で俺を見てくることを除けば実に頼れる女だ。少なくともマキナの数倍はしっかりしている。
三人で一緒にトーストを齧り、後片付けをする。すると日曜だというのに女二人はテレビを見ながらボケ〜〜〜〜っとし始めたではないか。マキナにいたっては既にウトウトしている始末である。こいつら今日一日出かけないつもりか……なんて不健康なんだ。
人間、休みの日は外で過ごすに限る。身体を適度に動かした方がリフレッシュするのは明らかだというのに、こいつらは全くどうしようもないダメ人間だ。こんなのが地球を支配してるから戦争がなくならないんですよ。
仕方ないので一人で部屋を出て寮から出て散歩をする事にする。時々こうして勝手に抜け出しているという事にどうやらあの二人は気づいていないらしい。全く注意力散漫というか、どうしようもない連中だ。まあ気づかれたら気づかれたで色々煩そうだからそれはそれでありがたいのだが。
一人で公園まで走っていく。人通りの多い道はうっかりすると蹴飛ばされたり車に轢かれたりするので危険だ。タイヤに巻き込まれたときはゴムみたいな状態にまでペタンコにされてしまったから一応警戒している。
公園に辿り着くと、心地よい噴水の音が聞こえ、爽やかな風が吹き抜けていく。子供たちが楽しそうにはしゃぎ、大人たちは緑の景色に疲れを癒している。俺はいつもの特等席――噴水の傍のベンチの上にすわり、丸くなった。最近どこに行くにもマキナの上だから若干運動不足気味だ。ここにくるまでの移動で結構疲れてしまった。一休みしたら公園を一周してこっそり戻るとしよう……そんな事を考えていた時であった。
「……アレ? お前、マキナのうさぎじゃんか」
と、寄ってきたのはチャラ男ことサイである。本名は長すぎて忘れた。まあ男のフルネームなんぞ興味もないのだが。
そのサイに続き、ぞろぞろと旅団メンバーが集まってきた。こいつら何やってんだ……こんなところで……。リンレイにオルド、ヴィレッタの姿もある。このヴィレッタというのがまた厄介で、俺をいつも抱きしめようと虎視眈々と狙っているのだ。俺は女を抱くのは好きだが、抱かれるのは趣味じゃないんでね。
「お前、なんでこんなところに一人でいるんだ? いや一人ってのも変だけど」
「むっきゅー」
あの怠け者と一緒に過ごしていたら、俺のワイルドなうさぎボディがなまっちまう……。たまには自分で運動しないとな。頭の上ってのも中々いいもんだが。
「うーん、なんて言ってるんでしょうか? ちょっとわからないですね」
「きっとマキナとニアが部屋でゴロゴロしてるから一人で散歩に来たんだろ〜?」
なんだかよくわからないが、サイは時々俺の言葉がわかっているかのような振る舞いをする。そのお陰かサイは中々興味深い存在となっていた。“流石にそれはないだろ〜”と笑っている旅団メンバーよりはいくらかマシといったところか。
「よ、よし……! それじゃあマキナのところにアポロも連れて行ってやろう! わ、私が丁重に輸送をだな……はあはあ」
「むっきゅう!?」
「先輩、うさぎが怖がってるッスよ」
怖いんじゃない! 怖いんじゃないからな!!
「とりあえずさ〜、俺らこれからマキナの家にいくんだけど……一緒に連れてってやろうか? 歩いて帰るの大変だろ? 歩幅が違いすぎるんだからさ〜」
そう言ってサイが手を差し伸べてくる。確かにこいつのいう事には一理ある。とりあえず――ヴィレッタに絞め殺されるよりはマシだろう。俺はサイの肩の上に載り、ちらりとヴィレッタを見やった。ヴィレッタは泣きながらリンレイに慰められていた。泣くほどのことか……?
「よし、それじゃあ早速マキナとニアの部屋に遊びに行きますか!」
移動中に話を聞いていてわかったのだが、どうやらこいつらは元々マキナの部屋にやってくる事になっていたらしい。つまりあの二人がボケーっと部屋で過ごしていたのはこいつらを待っていたから……いや、恐らくは普通に怠けてたんだろうがいつもあんなんだし……らしい。
それにしても、アルティールに来てからというものマキナの周りはいつもせわしないな。昔は周りの子供に苛められているだけのどうしようもない空しい人生を送っていた主だったが、今ではこうして仲間たちがいる。それを俺は何よりも嬉しく思う。
かつてマリアは言っていた。俺だけはいつも彼女の傍に居て、彼女の味方でいるようにと。しかし、今はその必要は無くなったのかもしれない。あとはただ、彼女がこれからも笑顔で過ごせるようにほんの少しだけ助力していくだけのことだ。
「むっきゅ」
そう、出来ればこの幸せがずっと続けばいいと願う。マキナが泣いている顔を見るのはあまり好きではない。その笑顔を守ることこそ俺の使命であり、俺の存在意義なのだ。
たとえどんなにヘボでドジでバカで間抜けでへこたれ娘だろうが、ボールのようにころころ転がろうがいっつも寝てようがすぐにかみついてこようが、あれでも一応俺のマスターなのだから。
おっと、寮が見えてきたようだ。さてさて、今日はこのメンバーで一体どんな騒ぎをしでかしてくれるのか……部屋の隅っこで紅茶でも飲みながら、楽しみに拝見させて貰うとしよう――。
「むっきゅう――!!」