Phantom(2)
「ひ、ひえ〜! 命だけはお助けを〜!!」
職員室の隅っこで丸くなり、ぷるぷる震える学園長の姿があった。その背後に立ったアンセムとアテナは困ったような表情を浮かべる。つい先ほどまでは確かに職員室前でも戦闘が起きていたのだが……それは既にアテナとアンセムの二人でなんとかしてしまったのだ。扉を勢いよく開いて入ったから驚いてしまったのかもしれないが、学園長以外は戦っていたので二人の存在は既に認識している。
「学園長。マクイーン先生」
「…………? あれ? クラーク先生ではないですか。あれれ? どうして先生がここに?」
「だから、助けに来たんですよ。職員室を奪われたら構内を制御されたも同然ですから」
腰に手を当てて溜息を漏らすアンセム。ようやく状況を飲み込んだのか、学園長はあわてて立ち上がった。周囲では他の教師や生徒の目がある。自分が醜態をさらしていた事にようやく気づき、学園長は気まずそうに咳払いした。
「お、おほん……。いやぁ、危ない所をありがとうございました。流石はクラーク先生、蒼の称号は伊達ではありませんなぁ」
「――――学園長」
うんざりした様子でアンセムが首を横に振る。あわてて口を押さえたが既に遅い。アンセム・クラークが元蒼の継承者であるという事実は絶対に誰にも伝えてはならない――そういうルールだったのである。それを聞いていたのは幸い身近に居たアテナだけであったが、ただでさえアンセムに疑念を抱いているアテナにその一言は深く引っかかる事になる。
しかし紅い髪の少女はそれをあえて言及する事はなかった。今ここでそんな押し問答をしている場合ではないし、今はそれよりマキナの方が心配なのだ。迅速に行動しなければならない時なのだから、私情は捨てる――。カラーズとして当然の事である。
「そんな事より、その様子では学園長もこの件についてご存知ないようですね」
「そ、そうなんですよ……! 一体何がどうなっているのか……こんな状況、セブンスクラウンにも聞いていないですし……」
最早機密がダダ漏れ状態であった。セブンスクラウンという単語を口にするということはつまり彼がその組織に関わっているという事、そしてそれが実在する事を示唆してしまっている。元々学園長などという立場の人間はお飾りであり、実質セブンスクラウンによって統治されているのだからマクイーン学園長が無能だったところで全くおかしな事もない。
三つの学校が勢力を争うのも、その争いを見て権力を与える上の存在があるからこそである。それぞれが別段一番を目指しているわけではない。アルティールの校風が緩いのはこの学園長の間抜けな性格とどうせ上にはセブンスクラウンがいるから大丈夫だという気持ちが前提としてあるのだ。
「そ、そうだ! 生徒たちは無事なんでしょうか!?」
「負傷者はいるでしょうが、さてどうでしょうか。奴らは殺す気で仕掛けてきていますからね」
「そ、そうですか……」
「とりあえず職員室は何とかして防衛して貰うとして……私とアテナで打って出ます。どうやら通信系は落とされているようなので、まずは外部と連絡を取る手段をどうにかする事、そしてここを奪われない事が大事です」
「わ、わかりました……! ここは学園長が責任を持って防衛しますよ!」
あまり信用に足る言葉とはいえなかったが、とりあえずアンセムは頷いておく事にした。二人が目指す場所は職員室から出て最上階、生徒会室である。教室が一階にある事を考えればかなり長い道のりになるだろう。恐らく襲撃は全体的に行われているだろうし、そうであれば当然上のフロアでも各所で生徒とテロリストとの戦闘が勃発しているはずなのだから。
「無線はジャミング、有線は支配されて居ますが新たに有線回線を作るのでそちらに連絡をお願いします」
アンセムは大量のコードがまきつけられたロール状の装置を手に取る。職員室の端末から伸ばす新たな回線、つまり緊急事態用の予備有線回路である。ちょっとやそっとでは切断出来ない頑丈な代物で、これならば現状存在していないのだから支配される事もない。
「敵は内側からアクセスしているようです。そのアクセスされている場所がわかったら連絡を下さい」
「わかりました! アンセム先生もアテナ君も、お気をつけて! 死んじゃったら元も子もないんですからね! 無理だけはしないでください!」
二人は頷き、職員室を飛び出していく。周囲には敵の気配は無い。迅速に、しかし慎重に歩みを進めねばならない。構えていた銃を降ろし、アテナは歯痒い気持ちでエレベータを見た。制御が失われていなければここから直通でマキナを追えるというのに――。
「……って、エレベータが使えないってことは」
「非常用階段を使うしかないだろうな」
アテナが苛立ちを隠さず舌打ちする。そんな様子にアンセムは微笑を浮かべ、それからアテナの肩を叩いた。
「そう焦るな。マキナならきっと大丈夫だ」
「どうしてそんな事が言えるんですか!? 今この瞬間にも酷い目にあってるかもしれないのに! あの子は本調子じゃないんですよ!?」
「信じるしかないだろう。少なくともここで倒れるようならば――全ては無意味なんだからな」
アンセムは小さく呟き走り出す。その言葉の意味はアテナには全くわからなかった。理解出来ない状況が余りにも多すぎる――。アテナは髪を掻き乱し、それからアンセムの後を追いかけた。
二人が行動を開始した学園より遥か下方、別のプレートに存在する格納庫ではエミリアに銃を突きつけられながら移動するマキナの姿があった。二人はついにジークフリートの前にまで辿り着く。蒼く荘厳なる伝説を前にエミリアは目を見開き、その美しさにしばしの間酔いしれた。
「これがジークフリート……。まさかこんな所にあったなんて。灯台下暗しとは正にこの事ね」
「ジークフリートをどうするつもりなんですか?」
「わたくしたちが頂くのよ。ジークフリートさえあれば、オペレーションカラーズは一気に前倒しになるもの」
「オペレーション……カラーズ?」
話の途中、後頭部に突きつけられていた銃が降ろされた。その感触に一瞬油断したマキナの太股を銃弾が撃ち抜き、少女はその場に前のめりに倒れこんだ。エミリアは倒れたマキナの蒼い髪を掴み、ずるずると引きずっていく。細く華奢な体から繰り出されているとは思えない、屈強な腕力であった。
「この世界を元に戻す為の計画よ。でもね、わたくしたちはそんなの認めなくってよ。この世界はこのままでいい……そうでなければ意味がないもの」
「ぐ……ぅ……っ!」
銀色の床の上に血痕が刻まれて行く。激痛は脳裏にじくじくと染み込み、思考を減衰させる。しかしそれでもマキナは必死に顔を上げていた。エミリアが何をしようとしているのか……。何かとんでもない事が、恐ろしい事が起きているのだ。一刻も早く救助を呼ばねばジルの身が危ない。そしてアポロも……。
「ジークフリートは動かない……! ぼく以外の人間にジークフリートは動かせないっ!!」
「誰がそう決めたのかしら。別に貴方じゃなくたって動かせてよ? ジークフリートを動かす為に必要なものは貴方という人格でも肉体でもないもの」
「……一体どういう……? 貴方は……何者なの……!?」
「貴方も知っているでしょう? わたくしたちは“ファントム”――。存在そのものが亡霊……生きているのに生きていない物……。そして貴方たちと全く同じ存在。“ネクスト”と呼ばれる新たな人類――」
『一体どういう事だ? 何故エリュシオンが動き出した……?』
『恐らくは連中の独断でしょうね。一本取られましたよ』
『ヤツの役目はジークフリートの刺激ではあるまい……! ようやく廻ってきた役目の時、ヤツはよりによって何をしているのだ……!?』
「――――で? こりゃ一体どういう状況だ?」
ベガのフェイス格納庫、そこで眠り続けているカラーオブイエローの機体、ヴァルベリヒの前でカーネストは静かに声を上げた。上着のポケットに両手を突っ込んでいるカーネストの周囲、銃を構えた数名の生徒の姿があった。勿論それはカーネストが取り囲まれ、殺意を向けられている事を意味している。カラーオブイエローとも呼ばれた男を取り囲む影……。格納庫には人気も無い。
「見ての通りだよ、カーネスト。君のSGとしての役職も今日で終了だ。今日から僕は自由にやらせてもらうよ」
「…………そりゃどういう意味だ? きっちり判るように団長に説明しろよ。契約の騎士団副団長にして始まりのSG――カリス・テラードよ」
SG用の黒い制服に身を包み、専用のフェイスガードを外した男は口元に笑みを湛えながらカーネストの問いかけに向き合っていた。二人の男が見つめあい、緊迫した空気が奔る。カリスは銃を抜き、それをカーネストに向けて片目を瞑った。
「見ての通りの意味だよカーネスト。君はここで死ぬんだ」
「ハッ、面白れぇ冗談だな」
「冗談じゃないさ。君だって薄々感づいてたんだろ? 僕がファントムの一員だって事」
気づいていたかどうか――それは誰にも判らない事だ。ファントムは時折各地に現れ、フェイスを襲う謎の勢力……。強いて一貫性があるとすれば、その戦いには常にカラーズが関与していたという事のみ……。
そもそも、カーネストにとってファントムの正体だとかそんな事はどうでもいいことであった。向かってくるならば潰すだけだし、そうでないなら捨て置くだけである。それが自分に銃を向ける距離に入ってくるまで彼はその無頓着さ故に無防備だった。五人の部下を引き連れているカニスに対してカーネストはたった一人……。加え、彼はアテナのような特異体質の持ち主でもない。彼の状況は彼の浮かべている余裕の笑みとは正反対の場所にある。
「俺を殺して、てめーらに何の特があるっていうんだ?」
「特はないさ。ただ恨みは晴らせる――。君たち“成功体”と呼ばれたネクストを殺し、上回る事……僕ら“失敗作”にはそれくらいしか生きがいはないんだしね」
「そういう考え方が既に失敗作なんじゃねえの?」
低く笑いながらカーネストは周囲をぐるりと見渡す。カリス本人はSGであり、そして恐らくはファントムの一員でもあるのだろう。同時にテスタメントの一員でもあり――ベガの中で秘密裏に動いてきたネットワークもある。
恐らく自分を囲んでいるのはファントムでもなんでもない一般生徒なのだろう。カリスの手駒……彼の意思に賛同するメンバーという事。特に覚えのある顔は一つも無かったが、それは彼が周囲に無頓着すぎるだけであり全員がテスタメントのメンバーであった。
「で、俺を殺した後はナナルゥ、アテナ、それからあの嬢ちゃんってわけだ」
「いや。マキナはまあ……上手くいけば殺さずに済むかなと思ってるよ。それに月のナナルゥは既に手の内だしね。あとはあの紅のお姫様をどう抑えるか、ってところさ」
「目的はオペレーションカラーズの阻止……或いはその遂行者としての任、か?」
「どうだろうね? どちらにせよここで倒れる君には関係のない事さ」
カーネストは首を横に振り、そして自ら一歩前に出る。そして何をするでもなく両手をだらりと広げ。牙をぎらりと見せ付けながら挑発的な笑みを浮かべた。一体何故――この状況において笑えるのか。助けなど来るはずもないし、彼は不死身ではない。銃弾で撃ちぬかれれば当然死ぬのだ。だというのに彼はまるでなんでもないように構えている。
「――撃ちたきゃ撃てよ。額のド真ん中をよ」
「……正気かい?」
「ああ。俺は死ぬのが怖くねえ。いや――絶対に死なないと信じてる。俺は選ばれた存在だからな。戦う為に死神には愛されてんだ。ヤツは囁いてるぜ……? もっと命を奪い取れってなあ!! その俺が銃弾一つで死ぬと思うか!? 思わねぇよなぁあああっ!!!!」
それは狂気的な目であった。死を恐れない――いや、死が己の身に降りかかる事をまるで絵空事のように考えている瞳である。金色の目がギラギラと輝き、カーネストの狂気をにじませる。思わずたじろぐ包囲網の中、たった一人カリスだけは引き金にかけた指に力を込めた。
「それじゃあこれは賭けだ。分の悪いロシアンルーレットみたいなものだろう?」
「そういうこった。俺の奇跡が勝つか――」
「僕の当然が勝つか。勝負といこうじゃないか、カラーオブイエロー」
カリスが笑みを浮かべカーネストが瞳を見開く。引き金に込められた力は一線を超え、ついに銃弾が吐き出された。高らかに音が響き渡り、そして――――。
Phantom(2)
「ネクストと呼ばれた存在は、最初五十人居たの」
セブンスクラウンが計画した、星を救う為の作戦、通称オペレーションカラーズ……。その中核を担うべき存在、カラーズ。彼らを生み出すに当たり、様々な実験が秘密裏に行われてきた。
最初、カラーズ候補生は五十人も居た。カニス、そしてエミリアもその中の一人であった。当時のカラーズ候補生は全員髪の色も目の色も普通であり、エーテル覚醒者とは程遠い外見をしていた。しかし戦闘力、FA適正については並のアナザーを超えるだけの力を持ち、それだけでも十分に完成品と呼べる出来ではあったのだ。
しかし、セブンスクラウンが目標とするカラーズはかつて存在したマリア・ザ・スラッシュエッジと呼ばれる“幻想”の再現である。絶対無敵の存在を人工的に生み出すことこそネクスト計画の本質なのだ。並より上で満足する事は出来ない。当然、そこからは恐ろしい実験と訓練の繰り返しであった。
人の体を人より上のモノにする。それよりも更に上のモノへ……。原型を留めなくなっていく人格と精神、そして肉体……。一人、また一人と過酷な生活の中で息絶え、候補生たちは減って行った。
僅かな期間の間に彼らはバタバタと倒れていき、子供たちは己の死を恐怖した。しかしその恐怖は凡そ人の恐怖とは異なるものだ。何故ならば彼らは生まれたときから巨大な実験施設の中で過ごし、一度も外に出た事などなかった。世界がどのようなものなのかも知らず、ただただ訓練に明け暮れていたのだから。
「でもそんな生活はある日突然、あっさりと終わりを告げたの。わたくしたちは突然外の世界に連れ出されたわ。何も感じない日々だったけど、外に出て唐突に理解したの。自分たちが如何に不幸だったのか……そして死んでいった子たちはその何倍も不幸だったって事」
外の世界に出た彼らは突然フェイスに入学を強いられた。そこでは仲間たちより頭一つ抜けた成績を収め、見る見る内に周囲に認められていった。幸せだった。計画の中では失敗作とののしられた自分たちが、外の世界ではこんなにも認められる……。
外には光があった。暖かさがあった。友達や恋人や仲間があった。今まで無かった戦い、人と人が憎しみ合う世界……知らなかった事を一つ一つ知っていく。それは間違いなく彼らにとって幸せな事であった。五十人居た候補者は気づけばたったの四人になっていた。
そして彼らは知ったのだ。自分たちが何故突然外の世界に解放されたのか……。現れたカラーズと呼ばれる存在の中、彼らと同じ出自の者たちがいた。死んだ四十六名と生き残った四名、それを礎に生み出された成功体――。鮮やかな色を身に纏い、人の上の更に上と呼ばれた場所に君臨する存在。そう、彼らは開放されたのではない。どうあがいても失敗作だからと、ただ捨てられただけだった――。
「それまで存在したカラーズと、新たに生み出されたネクストカラーズとではその実力は雲泥の差だった……。当然の事ね。今のカラーズはもう人間ですらないんだから」
端末を操作し、ジークフリートのハッチを開放するエミリア。その背後、足から血を流し青ざめた表情を浮かべながら肩で息をするマキナの姿があった。エミリアは振り返り、マキナを見下ろす。その表情からは何の感情の色さえも読み取る事が出来ない。
「だから……カラーズを殺すの……?」
「勿論それも理由の一つ……。でもね、もしかしたらそんな事はどうでもいいのかもしれない。ただ、自分たちの存在を肯定したいだけ……。肯定する事は何かを否定するという事。だから貴方たちをカラーズを否定するのね」
「そんな理由で……」
「理由に縛られて生きているから人は不自由なのよ。魂はもっと自由であるべきだわ。人は宇宙に暮らし、脅威に晒されている……。それでも今この世界の中には真理があり、人は今この環境の中で生きているからこそ今がある。急激な変化も救いも誰も求めてはいないの」
ジークフリートへと歩みを進めるエミリア。その姿がコックピットの中へと消えていくのをマキナは歯痒く見送っていた。痛みは既に麻痺し、熱さだけが全身を駆け巡っている。抱えていたタッパーの中、アポロはでろりとしたまま沈黙を保っていた。早くジークフリートに行かなければならない。エミリアの後を追い、少女は床を這って移動を開始した。
足の痛みも今は関係ない。ジークフリートを奪われてしまったら何もかもがおしまいなのだ。全てが意味を失ってしまう。ジークフリートは復讐の道具、そして生きる希望……。戦う為の力。護る為の力。こんなにも必要としているのに。少女は歯を食いしばり進んだ。片足で何とか立ち上がり、昇降用のワイヤーを掴む。血でぬめるワイヤーをしっかりと握り締めたその時、コックピットから声が聞こえてきた。
「――これは……そんな。ジークフリート……? 本当にこれがジークフリートなの……? これは……ジークフリートでは……」
しかし構う事は無い。無事な足をワイヤーに引っ掛け、リフトを起動する。コックピットまで上がったところでマキナは背後から一気にエミリアへと飛び掛った。何故か殆ど無防備だったエミリアは背後からの突然の攻撃に慌て、二人はコックピットの中で揉み合う形になった。
「――このぉっ!!」
「くっ!? 離しなさいっ!!」
「嫌だ! ジークフリートは渡さないっ!! もう何かを失うのは沢山だよッ!!」
「降りなさい!」
「降りるのはお前だっ!! うおおおおおっ!!」
銃を取り出しマキナに突きつけようとする腕を片手で押さえ、マキナは一気に組みかかった。あてずっぽうの方向へと連射された三発の弾丸が空しく格納庫内を兆弾し、マキナは組み伏せたエミリアを血が吹き出る足に鞭打って放り投げる。女の体がコックピットから放り出され、落下しながらの苦し紛れの発砲がマキナの肩を射抜いた。二人はほぼ同時に苦悶の声を上げ、マキナはコックピットに、エミリアは大地に背中を強く打ちつけた。
8メートル程の高さから落下したエミリアは暫くの間倒れていたが、服装が対衝撃に優れたライダースーツだった事から直ぐに復帰する。マキナは慌ててハッチを閉鎖し、タッパーからアポロを取り出した。
「アポロ!! ほら、ジークフリートの中だよっ!! お願いだから元気になってよ……! ねえ、アポロったら!!」
『む……きゅう……』
既に形状を維持出来ないアポロはか細く声を上げるだけで動く気配も無い。その様子にマキナは祈るように目をきつく瞑り、アポロを抱きしめた。強く強く……己の気持ちを響かせるように。
「お願いだよ!! 元気になってよっ!! 居なくなっちゃやだよ……アポロ!! アポロ――――――ッ!!!!」
悲痛な叫び声がコックピットに響く。その時、どろどろに溶けていたアポロの体が蒼く輝き出したではないか。眩い光に照らされてマキナがそっと目を開く。コックピットの中には蒼い光が渦巻き、風を成してマキナの髪を優しく撫でていた。
「アポロ……?」
光の中、誰かの腕がそっと伸びる。それが巻きなの髪を梳いた瞬間――ジークフリートの動力が起動し、瞳に灯が点る。間接から溢れた蒼い光が機体を覆い、そしてまるで何かを解き放つかのようにジークフリートは口を開き、空に吼えながら何もかもが見えなくなるほどの光を周囲へと放った……。
「兄さん、あれっ!!」
フェイス校舎内通路にて銃撃戦を繰り広げていたアテナとアンセム。その視界の端、窓の向こうに蒼い光が立ち上った。地下から上のプレートまで貫通して現れた光の柱の中、飛び出してくる影の姿があった。シティの中心部に降り立った巨大な影がゆっくりと腰を上げ、立ち上がる。
「ジークフリート……? 何故あれがあそこに……」
ジークフリートを追うように、突然街の各所に設置されたリフトが稼動し、下層から次々に銀色のファントムが送り込まれてくる。シティの住人たちは何が起きているのかさえ全く理解出来ていない。突然の出来事に誰もがただただ唖然とする事しか出来なかった。
当然避難など済んでいるはずもなく、町中に悲鳴が響き渡った。ファントムが容赦なく動き出し、市街地を疾走しながらアサルトライフルを連射する。その攻撃の先――ビルを貫いて飛んでくる弾丸を、ジークフリートは成す術もなくただ受け止め続けていた。
「どうしたの、マキナ……!? どうして動かないの!?」
見ればジークフリートは若干前のめりに俯いたまま、両腕をだらりとぶら下げて停止しているではないか。フォゾンドライブが稼動していない――そんな最悪の状態が脳裏を過ぎる。悪い予感は的中し、銃撃の雨を浴びながらジークフリートは一切動く気配がない。
「アテナ、今はこっちに集中しろ!」
「でも兄さん、マキナがっ!!」
「マキナなら大丈夫だ。あいつはこの程度で死ぬようなヤツじゃない」
「だからなんでそういいきれるのっ!? 兄さんはマキナが死んでもどうでもいいって思ってるからそんな事!」
「そんなわけがあるかっ!! 大事な人の娘を死んでもいいなんで思うわけがないだろうっ!!」
突然、アテナの言葉を遮るようにアンセムが声を上げた。今までアンセムと十年以上時を共にして、アテナが初めて耳にする怒号であった。激しい銃撃戦の中、アンセムは深く息を吐き出してアテナを見やる。
「あの子を信じてやれ。今はそうする事しか出来ない。私たちは、ただ無力なんだからな……」
静かにそうつげ、アンセムは廊下に構築されたバリケードから身を乗り出して攻撃を再開した。アテナはただただ唇を噛み締めマキナの無事を祈るしかない。そうだ、ここでああだこうだ言い争ったところでどうにもならない。マキナを救う最も確実な手段は、自分たちが校舎を取り返すことなのだから――。
その頃、一方的に攻撃を受け続けるジークフリートのコックピットの中、マキナは必死に機体を制御しようと努力していた。アポロの姿は光がはじけて消えてしまったし、機体の動力も停止してしまった。一体何が悪かったのか見当もつかない。攻撃の激しい衝撃の中、混乱する思考を何とか落ち着かせ必死で活路を求めてさまよっていた。
足と肩から流れる血が止まる様子はなく、青ざめた表情で細々と呼吸を続ける事しか出来ない。コンディションは最悪と表現しても余りあるほどだ。それでもマキナは諦めていなかった。ジークフリートを――アポロを信じていた。
「お願いだから動いて……! 動かなきゃ街が壊れちゃうよ! 人が死んじゃうよぉっ!! 動け動け動け!! なんでこんな時に動かないの……!? 動けよ!! 動けったらああああっ!!!!」
操縦桿を滅茶苦茶に暴れさせるマキナ。ぜえぜえと息を切らし、必死だった。既に恐慌状態に近いものがあったのかもしれない。街が――。ニアと過ごした思い出の世界が壊されてしまう。ニアとの思い出だけではない。ここにはマキナの全てがある。マキナにとって、輝いていた青春の日々の全て……。それが壊されてしまう。目の前で。それなのに自分はどうだ? 何も出来ずにここで黙ってみているしかない。ただ殺されるしかない――。
「そんなの絶対嫌なんだようっ! 動け動け動け動け!! 動け、動け、うご……けえっ!! くそお!! くそ、くそ、くそおおおおおっ!!!!」
叫ぶマキナの正面、気づけばファントムが近づいていた。ファントムはビームソードを装着し、四方からジークフリートへと接近してくる。実弾では大きなダメージは受けなかったが――この無防備状態をビームソードで切り付けられれば流石のジークフリートもただではすまない。
歯を食いしばり、マキナは顔を上げた。このまま何も守れず倒されるのか――。ジークフリートは何故応えてくれないのか。怒りや悲しみ、様々に入り混じった感情の混沌の中、マキナはきつく目を瞑った。そして心の中で謝ったのだ。今はもう居ない、友の名前を呼んだ。次の瞬間――。
天を貫き、それは神々しく姿を現した。シティに落下し、激しい衝撃がビルを薙ぎ倒していく。現れた巨大な影は腕を伸ばし、ファントムの内一機の頭を掴んだ。それを思い切り大地に叩きつけ滅茶苦茶に粉砕し、砂煙の中からぬっと姿を現す。
「…………え……?」
その異形にマキナの視線は釘付けになっていた。光の装甲と龍のような尾、そして翼を持った巨躯の魔人――。エトランゼと呼ばれる者たちの中でも更なる異形。そしてマキナが追いかけていた、あの日の怪物――。
「レーヴァ……テイン……?」
巨大な尻尾がうねり、ジークフリートの背後に居たファントムを尾が貫く。それを尾に突き刺したままぶらぶらと弄び、憎しみの対象は膝を着いたジークフリートを見下ろしていた。マキナの頭の中は様々な感情で滅茶苦茶になり――獣のような咆哮をあげると同時にジークフリートは静かに再起動。真正面からレーヴァテインへとなりふり構わず突撃を開始した――。