Black smile(1)
『ジークフリートの無断使用……決して看過して良い事ではないのだよ。マキナ・レンブラント』
無数の立体映像の中心に立ち、静かに目を瞑るマキナの姿があった。マキナを囲む影は合計で七つ――。それぞれがこの世界で重要な立場にいる人間である。
査問にかけられたマキナを取り囲む空気は重苦しい。あの伝説のジークフリートがついに蘇ったのだ。だが、それを担うマキナの精神状態は決して良い物とは言えない。不安定な少女の心にそれを委ねていい物なのか……。
『カラーズは常に管理されていなければなりません。そうでなければ意味がないのです。暴走する力など全くの論外……。ジークフリート一機でどれだけ世界が変わってしまうか』
『だが、動いている。それだけでも奇跡だろう?』
『左様……。彼女に託すしかないのもまた一つの事実にして真実』
『私も賛成だな。マキナ、あれは君にしか動かせない物だ。君にジークフリートを託す……それ以外に我々に手はないのだからな』
男の声を最後に一度会議は静まり返った。そして溜息を漏らし、黒装束の人影たちは仮面越しに様々な表情を見せた。戸惑い、不安、期待……。恐らくどんな感情も該当しないのだろう。言葉に出来ない喜びとそれに反する感情……。
『では、決まりだな。マキナ・レンブラント――君をジークフリートの専属ライダーとする。今後、君は我々の強力な監視下に置かれる事になる。プライベートは消えた物と思いたまえ』
「はい、ありがとうございます」
『それはいいんですけどねぇ、ただのライダーがジークフリートの専属ってのも締まらないでしょう?』
『カラーオブブルーの称号……いよいよ継承する時が来たと言う事ですかね』
『だが、形式上カラーズとしての実力を示さぬ限りは任命することは出来まい。実力は既に申し分ないのだがな』
「だったら今いるカラーズ全員倒して見せましょうか?」
マキナの一言に会議が静まり返る。少女は馬鹿馬鹿しくてもう大人の話など聞いていられなかった。低く笑い、それから嘲笑と共に首を横に振る。
「本当に申し訳ないんですが……。ぼくは多分誰にも負けませんよ。ジークフリートがある限り」
『…………自信過剰の自意識過剰ではないかね』
『いや、事実だろう。彼女は己の実力を正確かつ客観的に判断しているに過ぎない。良い傾向だ』
『では、ジークフリートを除くカラーズ機五機を同時に相手にしてはどうでしょう?』
明らかに無茶な質問であった。しかしマキナは間髪入れずにしれっと答える。まるで当たり前とでも言わんばかりに。
「やれというならやりますよ。でもそれでぼく以外のカラーズが全滅したら――フェイスの面目が潰れちゃうと思うんですけど」
『――ふははははっ!!』
『面白い……。いい面構えだ、小娘。その力、存分に役立てたまえ』
『では、決定でよろしいですね?』
『ああ』
『『『 マキナ・レンブラント。貴様に蒼の称号を与えよう 』』』
マキナはその声を黙って聞いていた。会議が終了し、扉の外に出たマキナをラグナが待っていた。壁に背を預けていた少年は顔を挙げ、マキナを見やる。
「おめでとう、カラーオブブルー」
「……うん、ありがとう」
「多分これから、僕が君の監視役になると思う。さっきも言っていたようにプライベートは無いと思ってもらいたい。カラーズはみんなそうだから」
「それにぼくは特別みたいだしね」
「まあ、そういう事。何はともあれ――これからよろしく、マスター」
そっと手を差し伸べるラグナ。その正面に立ち、マキナはそっとラグナと向き合った。いつだったか――。あの日もこんな風に彼の手を握り締めた。そっと包み込んで、優しさを伝えてくれた。
今の自分に言葉で何かを伝える事は難しいのかもしれない。だけどきっと触れる事で何かがわかるのだろう。ラグナの手を握り締め、己の両手を重ねる。マキナは目を閉じ、そしてそっと潤んだ瞳で微笑んだ。
「よろしくね、ラグナ君」
「――ああ。我が剣は君の為に在る。君が望む願いを叶える為に戦い、君の為に死のう。僕は君の守護騎士――君に忠誠を誓う」
そっと跪き、マキナの白い手の甲に口付けを交わす。マキナは恥ずかしそうに顔を紅くしていたが、ラグナはまるで普段からやってますと言わんばかりに自然な笑顔を浮かべた。
「ラ、ラグナ君てさ……。色々な意味で恥ずかしいよねっ」
「そうなのかい?」
「そ、そうだよ……。えと、じゃあ……」
「ああ、行こうか。色々と手続きやら処理やらが残っているしね」
「えーと、ぼく、馬鹿だから何にもわかんないんだけど」
「それは承知の上さ。だから僕がいるんだよ、はは――っ」
明るく笑い飛ばすラグナ。その傍らを歩き、マキナも優しく笑顔を浮かべていた。そう、失ってしまった物は限りない。取り返したいと思ってももう何も戻らない。
蒼い専用の制服に袖を通し。長く伸びた美しい髪を靡かせる。Bクラスのまま停止していたクラスはAに昇格し、カラーオブブルーとしての権限がマキナに与えられる。
僅かな間だったが時を過ごした病室を片付け、マキナは一年前ニアと共に暮らしていた寮に戻っていた。荷物は多くない。鞄一つで済んでしまう程だった。
カラーズが寮に住んでいるなどという話は聞いた事も無いが、マキナは与えられた豪華な生活に靡く事もなかった。自分の帰るべき場所はここしかないのだと、彼女の魂が叫んでいた。別に感傷に浸っているわけではない。ただ、そこが自分の居場所だから。
あの日のまま、ニアの笑い声が聞こえてきそうな部屋だった。一緒に眠ったベッドが二つ……あの頃はそんな事思わなかったのに、今こうしてみるとどうにも広すぎる。荷物を放り投げて部屋を出る。一つ一つ丹念に流された時を取り返すように、少女は歩いていく。街を、世界を、過去を――今を。
墓地に辿りついたマキナは蒼いコート姿のままニアの墓標の前に立つ。そしてニアの墓標を丁寧に手入れした。そして静かに祈る。彼女に今の気持ちを報告しておきたかったのだ。立ち上がり、迷わずに振り返る。やるべき事は限りなく多く、これからとても忙しくなる。きっとその忙しさはこの寂しささえも誤魔化してくれるだろうから。
「また来るよ、ニア。何度でも来るよ。だから待ってて。次に来る時は――カラーズのトップにいる。その次に来る時は……そうだね。フェイスさえ総て見せるよ」
友と交わした一方的な約束。この世界を変える為に。この現実を変える為に。たった一人で戦い続ける覚悟を決めた。復讐と、そして弔いの戦――果てしない戦いの道を今、少女は歩き出したのだった。
Black smile(1)
「マキナ君、やっときたのかね!!」
「ほえ?」
扉を開けた瞬間、正面から筋肉むきむきの腕が伸び、がっしりとマキナの頭を捕獲した。持ち上げられてじたばたするマキナを引っ張りよせる筋肉……。何が起きたのか判らず泣きそうになるマキナを降ろし、筋肉もといザックスは白い歯を見せてさわやかに微笑んだ。
シュトックハウゼンのレクリエーションルーム内はきらびやかな装飾が施され、無数のテーブルの上には料理が並びパーティーが始まっていた。マキナは何がなんだか全くわからず目をぱちくりさせる。
カラーズになったからには一応他のカラーズに挨拶しなければならないんじゃないかなあとラグナに言ったところ、だったら殆ど一箇所に集まってるからそこに行けばいいんじゃないかな? という事になり、こうしてシュトックハウゼンまでやってきたのである。しかしまさか宴会状態になっていようとは予想もしていなかった。
既に会場は出来上がっている様子であり、パーティーは長く続いてきた事が伺える。それにしても慎重差三十センチのザックスを見上げると、兎に角筋肉としか言いようがない。冷や汗を流すマキナの頭をがしりと押さえ、筋肉の大きな手がぐりぐりと頭を撫でた。
「いや〜小さい頃から変わってないな〜! 前に見たときはこんなにちっちゃかったのになあ!」
「ち、ちぢむっ!!!!」
「しかし……なんというか。君はおっぱいが大きいな」
「…………あ、ありがとうございます?」
青ざめた表情を浮かべながら頷くマキナ。ようやくおっさんの手から開放され一息ついたマキナの前にグラスを手にしたラグナが歩いてくる。
「マキナもどうぞ。戦闘からそのままバタバタしてて休んでないから喉も渇いてるでしょ?」
「……ありがと。ていうかラグナ君、こうなってるの知っててぼくをここに連れてきたの……?」
「あははははは!」
「わ、笑って誤魔化した!? も、もう……そしてこれお酒だよっ!!!!」
口に含んだワインをぶーっと噴出し、それがラグナの顔面に直撃する。だが少年は真顔で顔を拭きながら頷いた。
「女の子の口に含んでたワインが僕の顔に……」
「…………」
もうだめだこいつといわんばかりに白い目でラグナを見やり、ノンアルコールのドリンクはないものかとうろつくマキナ。すると傍目に何か恐ろしい物を見てしまった。
床の上に倒れているカーネストの口にボトルを突っ込み、強引に一気飲みさせているアテナの姿があったのである。カーネストは物凄い表情で危機を訴え、両手足をじたばたさせてもがいていた。明らかに自身より小柄なアテナに組み伏せられているのだが、アテナの力の強さを知っているマキナとしては不思議でもなんでもなかった。
冷静にオレンジジュースを手に取り一杯飲み干す。カーネストが明らかに助けを求めていたが、マキナは何も言わずにその場を後にした。何も見なかったことにする……それが恐らく最良の手段なのだ。
「それにしても話は聞いたぞマキナ君。蒼に就任したそうだな、おめでとう」
「ありがとうございます。それで、貴方誰ですか?」
「おお、これはいかんな。私はカラーオブグリーン、ザックス・ノウマンだ。よろしくマキナ君」
「ザックスさんですね。よろしくお願いします」
握手をしようと差し出したマキナの手は小さく。ザックスはそれを丸ごと包み込んでぶんぶん振り回した。肩が抜けそうになるマキナを相手にザックスは全く容赦ない。
「先刻の戦いは見事だったな。正にマリアの生き写しだよ、君は」
「マリア……あ、お母さんの事ですね。お母さんの知り合いなんですか?」
「ああ、私も結構歳が行ってるからな。オペレーションメテオストライク後の世界であれこれ……な。まあとりあえずそういう肩肘張った話は後回しにしよう。君、ちゃんとご飯食べてるかね? 随分ほそっこいが」
それは一年間寝たきりだったからであり、実際体力もまだ本調子ではないのだ。身体は痩せたのに背が伸びて胸は大きくなった……。不思議な現象である。そんな事をしみじみ考えるラグナの正面、マキナは次々に料理を食べさせられていた。
「なんだか娘が増えたみたいで嬉しいぞ。お父さんってよんでもいいんだぞ! おとーさぁあああああんっ!!」
「ひゃう!? 急に叫ばないでください……ていうかお父さんとは呼びませんよ……」
「胸に飛び込んでくるがいい! カムヒア!」
「だから、飛び込みませんけど……いやああああっ!?」
筋肉がっちりの厚い胸板に抱きしめられ、マキナは号泣しながらじたばたもがいていた。そしてその写真を撮るラグナと、マキナを助けようとザックスの腕に噛み付くアポロ……。奇妙な構図であった。
「ん、この白くて柔らかいものは……ニーベルングか! 久しいな!!」
「むっきゅうううっ!!」
「はっはっは! 相変わらず宇宙うさぎとかいう生き物の設定なのかお前は!」
「え? 宇宙うさぎって……いないんですか?」
「ん? 宇宙にうさぎがいるわけがないだろう?」
物凄く当然の事をしれっといわれてしまったのだが、それを言っては元も子もないというか……。マキナは一人沈んだ様子で遠くを眺めていた。アポロはマキナのコートをよじ登り、肩の上にすがり付いている。
確かに冷静に考えてみればうさぎと呼ばれる物とは明らかにかけ離れているわけだが……何故今まで深く考えなかったのだろう。まあどちらにせよ今でもこれがどういう生き物なのかは不明であり、結果的に宇宙うさぎという意味不明なネーミングも合っているような気がしないでもない。
「しかし見れば見るほどマリアに瓜二つだな……。マリアも巨乳だったものだ」
「そ、そうなんですか……ていうか冷静におっぱいおっぱいって言いすぎだと思います……」
「おっぱいおっぱいっ♪」
「ヒイッ!? ア――!? アテナさんっ!?」
突然背後からマキナの胸を鷲掴みにしたのはアテナであった。後方では文字通り酒に溺れたカーネストが一般隊員に蘇生措置を受けている。アテナは既に泥酔状態のようで、へらへらと蕩けるように笑いながらマキナの胸をもみしだいていた。
余りにも突然の出来事にマキナは何も言えずに立ち尽くす。まさかあのアテナ・ニルギースが“おっぱおっぱい”等と口走るとは誰が想像していただろうか――。ひとしきりマキナの胸を堪能したアテナはマキナの肩にすがりつき、甘えるように少女に擦り寄った。これまたどうしたらいいのか判らず、マキナは仕方なくアテナを支える。
「アテナさん、明らかに酔っ払いすぎですよ……! ザックスさん!」
「うん、まあ暫く見てる事にしたわけだが」
「なんで!? 見てないで助けてくださいよ!! この人なんか妙に力強っ!?」
「ママ〜♪ ママ〜〜♪」
「ママ!? 十六歳にしてママ呼ばわり……へ、へこたれるぅ」
「だっこー!」
「にゃああああっ!? だっこっていうか……うぐぅっ!? ほ、骨が折れる……っ」
マキナの胴体に力いっぱい縋り付き、両腕の腕力でギリギリとマキナを締め付けるカラーオブレッド。その腕力は凄まじく、以前SGを軽々と細腕で吹っ飛ばした事などからも強さは明らかだ。マキナは締め付けられながら青ざめた表情を浮かべていたが、やがてアテナが停止して突然真顔に戻りマキナも冷や汗を流す。
「……アテナさん?」
「……………………おえっ」
「え――っ?」
「おえぇぇ〜〜〜〜…………」
「ひにゃあああああああっ!? さっきもらったばっかりのカラーオブブルーの制服がああああああっ!!!!」
会場は一時期騒然となった。アテナは一頻り胃の中の物を吐き尽くすと気絶するように眠りについてしまう。色々な意味でボロボロになってしまったマキナの上着はあえなく処分され、新しい物が支給される事になった。
上着を失いYシャツ姿になったマキナはダストシュートに突っ込まれたカラーオブブルーの制服を涙目で見送り、椅子の上に腰掛けてぐうぐう寝ているアテナを見やった。まるで目覚める気配が無く、綺麗な寝顔を周囲にさらしていた。
「上着のことは残念だったね、マキナ」
「うぐぐ……っ」
「でもまあ、支給品だから予備は一杯あるし」
「うん……」
「しかし、ちょっと酔いすぎだぜコイツ……。ピッチ明らかにおかしかったからな……」
復活したカーネストがマキナの元に歩み寄る。アレで直ぐに復活できるのだから流石はカラーオブイエローである。一度は死の境をさまよったが、死神に嫌われているのか好かれているのか……一命を取り留めた。
「酔いたい事情でもあったんだろうな。アテナは式典とかでも全然酒飲まない奴だし――っと、ようちっこいの。一年ぶりじゃねえか」
「カーネストさん……」
「逢いたかったぜハニー。ジークフリートのライダーになって復活するとは出来すぎたシナリオだな。次は俺と手合わせするかい?」
「別にいいですけど……死んじゃっても知りませんよ? 多分手加減とか出来ないので」
「ハッハァ! 言うねえオイ! 一年前はただのへこたれ娘だったのに、今じゃ俺たちとタメ張れるわけだ! いいねえ……いい成長速度だぜ!」
「うぐう……みんな頭をぐりぐりなですぎですよう……か、髪の毛がっ」
カーネストに頭を撫でられ、マキナは眉を潜めた。しかしそうして嫌がる仕草がかわいらしいのか、カーネストは飽きもせず暫くマキナを弄っていた。そうして時が過ぎ――ようやくアテナが目を覚ます。
「う……っ! あ、ったま痛……っ」
「お、暴君のお目覚めだぜ」
「暴君……うーん、何となく納得……」
「アテナにゃ酒は飲ませちゃならねえな……」
カーネストとマキナは腕を組み、同じ姿勢で何度も頷いた。貴重な体験であると同時にいい勉強になった。これからはもうアテナには酒は飲ませまい。
「私……あれ、ここは、どこ……」
「記憶喪失みたいになってんぞ」
「アテナさん、飲みすぎて倒れたんですよ。大丈夫ですか? お水飲みます?」
「……マキナ……」
表情を覗き込み、微笑むマキナ。その顔を見た瞬間、アテナは瞳をうるうるさせながら眉を潜めた。そしてマキナを優しく抱きしめる。今度は痛くなかったのであわてなかったマキナはアテナの髪を撫で、そっと目を閉じた。
「どうしたんですか、アテナさん?」
「私……私っ! 貴方に謝らなきゃ……っ」
「えーと……。別に謝られるような事はないですよう。むしろ謝るのはこっちの方っていうか」
「違うの……。私……そうしなきゃ前に進めないから……自分勝手な、傲慢な言い分なのよ」
「それならぼくも同じですよ。アテナさんに謝らなきゃ行けない事、一杯ありますから……。そうだよね、お姉ちゃん」
「――――マキナ! うわああああんっ!!」
マキナの胸に顔を押し当て、アテナは号泣していた。マキナはアテナをあやすように頭を撫で続け、彼女の気持ちが落ち着くのを待った。散々泣きじゃくった後、紅い目を更に真っ赤にしてアテナは鼻水をすすりながら身体を離す。
「ごめんなさい……っ! お姉ちゃんなのに、情けないわね……」
「や、それくらいのほうが多分可愛くていいですよう」
「かわ……!?」
顔を真っ赤にしてそっぽ向くアテナ。マキナは振り返り、背後で固まっているザックスとカーネスト、そしてラグナを見渡した。三人ともなにやらニヤニヤしている。マキナがカラーオブブルーの名に相応しい鋭い眼光で三人を射抜くと、男連中はそれぞれそっぽを向いた。
「まぁ、何はともあれブルーは伝説から現実に成り下がったわけだ。おめでたい事だぜ」
「なんだかその言い方だと褒めてない気がします……」
「ハッ! 戦いはこれからだぜ? テメエとの決着はそのうちつけるさ」
「さてと……宴もたけなわだな。マキナ君、すまないがアテナ君を自宅まで送ってあげてくれるかね?」
「え? あ、はい」
「じゃあ僕は車を出してくるよ。マキナは少しここで待ってて」
ラグナが颯爽と歩き出し、会場を後にする。アテナはまだ具合が悪いのか、頭を抱えて青ざめた表情を浮かべている。完璧な人間だと思っていたアテナの思わぬ一面に微笑みながらマキナはシャツのネクタイを緩めつつ周囲を見渡した。世界にはまだ賑やかでこんなにも色がついている場所がある――。忘れてしまいそうな幸せな記憶。消えてしまう前に、こうして上書きしていけたらいいと思う。
「さて、俺様は忙しいからな。そろそろお暇するぜ。また会おう、カラーズとしてな」
「はい」
「では私も艦橋に戻るとするか……リンレイ君にあとのことは任せっきりだからな。食事を運んで行ってねぎらってやらないと。そうだ、少し寄っていくかね? 君たちは確か仲間だったはずだが」
「いえ、いいんです。リンレイに次に見せる姿は……強くなった自分で在りたいから。今は駆け出しのカラーズだけど、噂がシュトックハウゼンに聞こえるくらいの戦いをしてみせます」
「……そうか。では、私も遠くで君の活躍を心待ちにしていよう。強くなれよ、マリアの娘よ」
カーネストとザックスが去り、その後姿を見送った。本当はちょっぴり後悔している。世界中を飛び回るシュトックハウゼンは次いつアルティールによるかもわからないのだ。リンレイに会えるチャンスは今を除けば当分来ないかもしれない。会っておけばよかったか……そんな事を考え、しかし弱い気持ちを振り払う。ここからはただ、強さだけだ。甘さも弱さも捨て去る――そう覚悟したのだから。
ラグナが用意してきた車に乗り込み、アテナとマキナは後部座席で夜景を眺めていた。アテナは相変わらず気分が悪そうだったがもう全部吐いてしまったからか、表情はある程度すっきりしている。二人は暫く無言で車に揺られていたが、アテナがぽつりと呟いた一言で会話が再開する。
「――知ってたのね。私たちが姉妹だって事」
「アンセムさんに聞きました。まあ、推測なんですけどね」
「私も触りを聞いただけで、はっきりとは聞いてないけど……本当は知るのが少し怖いの」
己の身体を抱き、アテナは震えていた。そう、それを知ることはきっと後戻りの出来ない道を往く事に他ならない。今までずっと信じていたアンセムに裏切られるという事……それはアテナにとって耐え切れないほどの苦痛だった。
「帰りたくないわ……」
「アテナさん……」
「なんてね……。少し、子供染みてたわね。でも戻って兄さんと顔を合わせて……何を言えばいいのか判らないの」
「…………」
「凄く、怖い……」
「…………」
マキナはそっと、アテナの震える手に自分の手を重ねた。二人の指が絡み合い、アテナはそっと顔を上げる。マキナは優しく微笑み、それから運転席にいるラグナに声をかけた。
「ラグナ君、ちょっといいかな?」
「なんだい?」
「アテナさんの家にはちょっと寄るだけにするよ。そのままぼくの家まで送って」
「マキナ……?」
「嫌なら帰らなくていいと思いますよ。アンセムさんも、少し痛い目を見た方がいいと思うんです」
「……それは同意するわ」
二人の少女はお互い頷きあった。あのとーへんぼくは少しガツンとやられたほうがいいのだ。それは二人の共通認識である。だがしかし――。
「他に行き場だって無いわよ……?」
「行き場なら、どこにだってありますよ――。そう願えば、この世界のどこにだってあるんです」
言葉では上手く伝えられない気持ちがある。だが、触れれば分かり合える。絡めた指先の温もりは絶対に嘘をつかない。ただ真心だけを伝えていた。戸惑いながらアテナは頷き、それからマキナの手をより一層強く握り締めた――。
自宅に帰宅したアンセムは玄関の扉の前で立ち尽くし、鞄を手から落としていた。扉にはぺたりと紙が張られており、そこには一文だけこう記されていた。
「“家出します……byアテナ”……?」
唖然とするアンセム。青ざめた表情を浮かべるアンセムの傍を夜の風が吹きぬけ、冷たく男の体温を奪って行った――。