センチメンタル・ブルー(3)
「はれ? オルド君……?」
「へこたれ……? 何やってんだ、こんな所で」
「何やってんだって……。いや、だってここにいるってことは」
「まあ、そうだよな」
二人同時に顔を上げました。そこはシティの中にあるマンションの一つ。比較的高級なマンションで、学生が一人暮らしするにはもてあますような物件でした。
アテナさんと話をした後の事です。わたしはそのままの足でサイ君の住むマンションまでやってきていました。夜中だというのに、明るい街の中……。入り口の前でばったりとオルド君に出会ったのです。
オルド君はいかにも不良っぽい私服を着ていましたが、まあ別にオルド君そのものは怖い人じゃないとわかっているので――怒らせなければ――特にびっくりはしませんでした。ばったりという事実には驚きますが、理由は流石に一つしかありません。
「サイを説得しに来たわけか、お前も」
「お前も――って事は、オルド君も? なんかちょっと意外……」
「意外って何だ意外って……」
二人でそんな会話をしながらエレベータに乗り込みます。部屋の場所までは判らなかったのでどうしようか迷っていた行き当たりばったりのわたしでしたが、オルド君はどうやら部屋の場所を知っているようでちゃんとエレベータのボタンを押してくれました。ラッキーです。
「オルド君、あんまり周りの事に興味なさそうっていうか」
「そりゃ事実だが、あのなあ? サイが居なくなったら旅団の中に男俺だけじゃねえか。冗談じゃねえぞ、全く……」
オルド君が必死の様子である理由が判明しました。そこはウソでもいいから友達の為だと言って欲しかったのですが、もう遅いです。ほろりと涙がこぼれそうになりましたが、そこはぐっと堪えました。
「それに、サイにはゲームで負け越してるからな。負けっぱなしは嫌に決まってる」
「……オルド君って、もしかして本当はサイ君の事心配してる?」
「はあ?」
「でも照れ隠しでそんなこと言ってるの?」
直後、わたしの頭はオルド君の手で鷲掴みにされてぎりぎりと締め付けられていました。悲鳴を上げてもがいているとエレベータが停止し、背後で扉が開きます。オルド君はわたしの頭を掴んだままずるずると外に引っ張り出し、ぽいっと放り投げました。
「ひぅーっ! 頭が割れるっ! お脳がどぴゅってしちゃうようっ!!!!」
「しねえよ……。てか、お前頭柔らかいな……。なんかぷにぷにしてねえか?」
「してないよ!? そんなぷにぷになんかしてないよ!? 一応頭蓋骨あるはずだもん!!」
「そうか……じゃあ頭蓋骨が軟骨なのかもな」
そんな事を言いながらテクテク歩いていくオルド君。わたしも涙を拭ってその後を追いました。なんだかんだ言うとすぐ腕力に物を言わせてはぐらかしてしまうオルド君でしたが、やっぱりきっとサイ君の事を心配しているのだと思います。でもやっぱりまあ、旅団の中に男一人というのが納得行かないのでしょうが……。
二人で歩いていると、直ぐにサイ君の部屋に到着しました。流石に夜分遅いのでインターフォンを押すのはためらわれたのですが、わたしがそこでオロオロしている間にオルド君がピンポンラッシュ(呼び鈴を連打すること)をしてしまいました。わたしが青ざめた表情を浮かべている傍ら、オルド君はいかにもめんどくさそうな感じで欠伸をしながらラッシュラッシュです。
暫くすると扉が思い切り開き、サイ君が顔を出しました。それから暫く黙り込んだ後、冷や汗を流しながら一言。
「子供じゃないんだからさぁ〜、常識的に考えてそれはナイだろ、オルド」
直後、オルド君はサイ君の頭をわたしと同じように鷲掴みにして締め付けていました。その痛み、マキナにはよーくわかるのですよっ!
「夜中に人ん家に行き成り押しかけてきて、やる事がそれかてめーっ!?」
「うっせえ阿呆。さっさと上げろ。へこたれが棒立ちになってんだろが」
「あ、居たのかマキナ……。オルドがデカいから、ちっこくて見えなかった」
「ちっこ……。うぅ、ちょっとずつ背も伸びてるもん……」
そんなこんなで三人で部屋に上がります。サイ君の部屋の中はモノがごちゃごちゃしていました。ゲーム機やソフトがずらりと並んでいるし、映画鑑賞用のシアター装置も備わっています。壁にはベタベタポスターが貼ってあって、部屋の真ん中には麻雀台とビリヤード台が並んで鎮座しています。物凄い遊ぶことに特化した部屋でした。
赤くてぼろぼろのソファの上にどっかりと座り込み、サイ君はニット帽を脱ぎながら小さく息をつきました。わたしはどこに座ればいいのかオロオロしていたのですが、オルド君はビリヤード台に軽く背中を預けていました。しょうがないのでわたしは麻雀台の横にある椅子に座ることにします。
「で? こんな時間になんか用か?」
「サイ君、旅団辞めないで!!」
「行き成り本題に入りやがったこいつ……」
「え? だ、だって旅団辞めないでって言いに来たんだよ?」
「でも普通世間話から入るとかよ、色々あんだろが……。理由聞くとかさ……。行き成りそんな事ズバっと言っても普通は嫌だって答えるだろ」
「そ、そんなことないよね? サイ君?」
「ヤダ」
「にゃあああーんっ!?」
一人で落ち込んで肩を落としていると、なんだか気まずい空気になっていました。サイ君は立ち上がり、冷蔵庫から飲み物を取り出しグラスに注いでわたしたちに出してくれました。オルド君とサイ君は同じものを飲んでいたようですが、わたしはオレンジジュース……。まあ……おいしいですけど。
「それで? 俺にギルド辞めるなってか?」
「てめえがカラーオブイエローの弟だって話は知ってる。その上での話だ。逆に訊くが――どうして旅団を辞める必要がある?」
「そう来たかい〜。ま、ぶっちゃけて言えば辞める理由はないよ。ただ、続ける理由もないだけだ」
「ど、どうして……? もしかして楽しくなかったの……?」
「んなこたないさ。旅団は面白いギルドだぜ〜? 少なくとも、面白さだけで言えば半端ないからな」
「じゃあ、どうして……? 納得の行く理由を聞かせてもらえるまで、わたし帰らないからねっ!」
「泊まってくのか?」
「う――!? う、うん、泊まってくよ!?」
「別にいいけど……。お前服とかどうすんだ? 下着とかそのままか?」
「はうあ!?」
「てめえ……面白いようにはぐらかされてんじゃねえよ。もういいから黙ってろ、馬鹿女……」
「ば、ばか……っ!? う、うぐぅ〜……」
あまりのショックに立ち直れず俯いていると、話はどんどん進んでいってしまいます。二人は気を取り直して真面目な話を再開したようでした。
「元々、俺が自由に出来るのは一年だけって約束だったんだ。そういう決まりで俺はフェイスに入ったからな。ま、それも俺の意思じゃなかったんだが」
サイ君の家、ヴァルヴァイゼ家は各所で有名な一族なんだそうです。サイ君のご両親はジェネシスで高い地位に居る研究者だそうで、祖父はそのジェネシスの重鎮なんだとか。その前からずっとジェネシスの成り立ちに関わっていただけでなく、祖父の代からは反アナザー思想における代名詞と言える程におおっぴらかつ大規模に活動しているんだとか。
その最たるものがサイ君のお兄さん、カーネスト・ヴァルヴァイゼさん。そう、あのカラーオブイエローでした。アナザー殺しを肩書きとする彼の存在はヴァルヴァイゼの名前を一躍有名にしたのですが、それは決して好意的な解釈だけではなかったんだそうです。
サイ君もカーネストさんと同じように強いライダーになることを宿命付けられていて、同時に幼い頃からジェネシスに入る為の英才教育を受けて育ったのだそうです。サイ君は本当は音楽学校に行きたかったそうなのですが、親の猛反対を受けてフェイスに入学……。フェイスに入隊さえしてしまえば、それはかなり優位な経歴となります。フェイスとはブランドなのだと、いつだったか誰かが言っていたのを思い出します。
「そんなわけで、俺はフェイスでそれなりに名のあるライダーになった後隠居してジェネシスの技術者になるってのが宿命なのよ。厳しいスケジュールの中、自由にしていられるのはこの一年だけだ。だから遅かれ早かれ俺は旅団を辞めるんだよ。それが少し早まっただけの事だ」
「そんな……! だったらもうちょっと居ても同じだよ! 辞めるなんていわないでよ! まだ冬にはクリスマスとか、お正月とか、色々イベントだってあるし……楽しい事いっぱいあるよ! 貴重な時間なら、尚更――!」
「そういう問題じゃねえんだよ、マキナ。サイ、お前が気にしているのは――ニアの事だろ?」
オルド君の静かな指摘……。サイ君は苦笑を浮かべてそれを聞いていました。そう、わたしもそうだろうとは思っていたのですが――。ここに来る前からある意味答えは決まっていたのかもしれません。サイ君へと視線を向けると、彼はグラスを揺らしながら首を横に振りました。
「ま、そういうコト。俺が旅団にいると、あいつは気まずいだろ〜? アナザーなんだから、当然の事だ」
「イエローの弟だから……?」
「あいつの姉貴は俺の兄貴が殺した――そうだろ?」
「サイ君、それ……知ってたの……?」
「お前ら一時期喧嘩してたろ? ほら、クラスアップ試験の頃だよ。あの時結構ニアと四六時中一緒だったからな。訓練中、自分は姉貴みたいになるんだって、お前に負けないようになるんだって何度も言ってたからな。嫌でも聞こえちまったよ」
そう。サイ君とニアは対になる存在なのかもしれません。ニアのお姉さん、ネリー・テッペルスとサイ君のお兄さん、カーネスト・ヴァルヴァイゼ……。二人は殺し合い、全く反する目的の為に戦った敵同士でした。そしてその弟である二人はその時と同じ役割、目的を演じようとしています。その結果どんな事になるのか……。悲劇的な結末を想像してしまうのも無理はない事でした。現に今わたしも容易に全く同じ結末が想像できてしまうのですから。
「その俺があいつと一緒にいるのはそもそも不都合なんだよ。お互いにとっても、お互いの境遇にとっても、な」
「………そんな事」
「だがそれが事実だ。お前も見ただろ? あの時のニアの顔……。俺は別に、アナザーもノーマルもどうでもいいって考えてる。どっちも同じ人間だ。上等も下等もないだろ? なのに反アナザー派は俺にアナザー殺しを期待してる。そうでないノーマルは、アナザーを蔑視する人間だと勝手に後ろ指指される始末さ。アナザーは皆、イエローが嫌いだしな。皆勝手に俺にイメージを押し付けやがる。だから黙ってたかったし、知られたくなかった。知られたからにはそういう目で見られるからな。だから、俺はもうあのギルドには居たくないんだよ」
サイ君の言葉は切実で。そして、事実でもあります。イエローの弟だという認識が、彼と今まで過ごしてきた沢山の楽しい時間さえ否定してしまうのかもしれません。
特に、ニアは――。ニアは、サイ君と仲が良かったから。アナザーだからと、いつも人になじめなかったニア。それは当然の事だったのかもしれません。かつてカラーオブイエローに故郷を滅ぼされ、命からがらノーマルから逃げ出して……。だから、ずっと肩身の狭い思いで。ノーマルが怖くて。だから、わたしと初めて出会った時も、怖かったんだと彼女は言っていました。
ニアにとってサイ君は、初めて仲良くなれたノーマルの男の子だったのです。初めての友達がわたしであったように、ニアにとってはきっと大事な人だったのでしょう。それが自分の姉を殺した男の弟だと知り……どんな顔をすればいいのかわからなかっただけなのだと思います。でもきっと、それはサイ君もわかっているのです。わかっているけれど……でも、どうしようもないから。
「闘いは何時もそうだ。敵と味方、二つに全てを分断しちゃうだろ? 俺は別に、どっちにもなりたくないんだ。ただフラフラ自由に生きられればそれでいい。だからライダーになんかなりたくなかったし、兵器を作るジェネシスも御免だった」
「それは、サイ君が悪いわけじゃないよ……。お兄さんが……」
「ネスは別に悪くないんだよ。あれは、その為だけに生み出されたんだからな……」
「えっ?」
「いや、それは――まあいいだろ。兎に角そういうこった。だから旅団に戻る気はねーよ」
「………………。そんなの、ごまかしだよ」
わたしは首を横に振り、サイ君の言葉を否定しました。納得出来るはずがありませんでした。そんなの、だって、誰も悪くなんかないのに――。
「どうしてそうやって諦めちゃうの……? サイ君にだって、何でも出来る可能性はあるんだよ? 将来の事とか、親が決めた事とか、お兄さんがどうとか……そんなの関係ないよ」
「そうだな。でも、周りはそうは思っちゃくれない。人間てのは世界を色眼鏡で見てるもんだからな。勝手に理由を得れば脚色せずには要られないんだ」
「だったらどうしてちゃんと判ってくれって言わないのっ!?」
思わず叫んでしまいました。そう、だって――そんなのは、あんまりにもずるいと思ったから。
みんな悩んだり、苦しんだり、衝突したりしながら……それでも一生懸命毎日生きているんです。わたしもニアもそうでした。ぶつかりあったり、手を取り合ったり、だから絆を強くして、強くなった絆がわたしたちを繋いでくれる……。
サイ君の言う事は事実です。確かに正しいのかもしれません。でもそれがどうしたというのでしょうか。頭のいい理屈だけ並べてそれが正解だからってそれ以外の答えを探そうともしないなんて……。そんなの、絶対に許せなかったのです。
「判ってくれって叫ぼうよ! 判ってくれるまで何度でも話をしようよっ! 一人が嫌なら一緒に居るよ! だから、そんな勝手に諦めたりしないでよ!!」
「…………。あのな、別にお前らは俺のなんでもないだろーに」
「何でも無くなんかないっ!! “仲間”だよッ!!!!」
そう――。事実はいくつもある。でも、望まれない事実なら――。望んだ形にしてしまえばいい。
今はどうにもならない事も沢山ある。でも、どうにかしてしまえばいい。ただ、それだけ。やろうと思ってやってしまえば奇跡だってただの過去に変わる。誰も越えた事がない山だって、越えてしまえばただの山。やってやれない事なんて何もない。最初から無理だとかどうしようとかそんなことを考えて足踏みしていたらそれこそ本当に何も出来なくなる。
駄目かもしれないとか。どうにもならないとか。しょうがないとか。誰の所為だとか。そんな事を考えておびえているより、それが現実になって後悔してしまうほうがよっぽど怖い。
「何の為にここに居るの! 自分の生き方くらい自分で決めなよっ!! 自分の言葉くらい、自分の声で伝えなよっ!! 男の子でしょ、サイッ!!!!」
「………………」
サイ君は冷や汗を流しながら目を丸くしていました。オルド君も同じです。なんだか一気に叫んでからどっと恥ずかしさが湧き出て来ました。一人で顔を赤くしながら口をぱくぱくさせていると、オルド君がわたしの肩を叩きます。
「ちっと落ち着け、へこたれ」
「あ、う、うん……」
「なあサイ、悔しくねえのか? あのへこたれマキナにこんな事言われてよ」
「…………」
「正しい事だけが全てじゃねえだろ。てめえ、何の為にここに居るんだ? 何でフェイスにいる? どうして旅団に入った?」
「オルド……」
「俺は、護る為にここに居る。あいつを――リンレイを守る為だ。誰にだって理由がある。その理由は時には面倒な事もあるかもしれねえ。でもな、やり通さなきゃ全ては意味を無くすんだよ。夢を語れよサイ。若造だろが、俺たちは」
オルド君はそう語りながらわたしにウィンクします。それがなんだかお茶目で少し笑ってしまいました。二人でサイ君をじっと見つめると、彼は肩をすくめながら盛大に溜息を漏らしました。
「もう説教はかんべんしてくれよ〜……。俺は一日に何回説教されなきゃならないんだよ」
「ほえ?」
「お前らが来るちょっと前にリンレイとヴィレッタ先輩が来たんだよ……。旅団辞めるなって言いに。で、お前らと大体同じこと言って帰ってった」
わたしとオルド君は顔を見合わせ、目をぱちくり、それから焦った様子で首をかしげながら苦笑しました。それ、本当なんでしょうか――。
「どいつもこいつも簡単に言ってくれるよな〜。直ぐそんな風に出来りゃ苦労しないっての。でもまあ――やるだけやってみるかねえ」
「サイ君っ!? それじゃあ!?」
「ニアに説明すりゃいいんだろ? 判ったよもう……。だからそんな、ひっつくな……」
「ありがとうサイ君っ!!」
「というか……マキナ。お前知ってるよな?」
「え? 何が?」
「いや――。サイとニアが付き合ってるって話……」
「うぇええええっ!?」
思わずサイ君を突き飛ばして振り返ってしまいました。サイ君は物凄い勢いでソファから吹っ飛び、背後にあったゲームソフトの山に突っ込んでいきました。雪崩れるソフトの中、サイ君が沈黙します。しかしわたしはそんなことどうでもよかったのです。
「つっ、つつつ……!? 鶴岡八幡宮!?」
「――――。どこだそこ……。すこし、落ち着けよ……。マジで知らなかったのか……?」
「知らないよぉおおおおおおおおっ!? な、なんで皆知ってるのが普通みたいな空気になってるのかな!? わたしだけなんで初耳なのかなっ!?」
「なんでって……。いや、お前ニアと仲いいから流石に知ってるだろうと思ってたんだが……知らずに来たのかここまで……」
「し、しらな……うぇーっ!? なんで!? なんでなんで!? なんでそーなっちゃうのかなあーっ!!!!」
「お前がなんでそうなっちゃうんだよ……。少し落ち着けって」
「は、はうーっ! のけ者にされてる!? これが噂のハブりってヤツなのかな!? なんか昔ずっとそうだった気がするけど……サ、サイ君……? ど、どゆこと……?」
「お前が……どゆこと……? 俺なんか悪い事した……? 俺のゲームソフト……」
「なんでニアとお付き合いしてるのっ!? そんな……そんな……! そんなの許しませーん!!」
「何でだよ!?」
「サイ君なんか! いや、サイなんか!! もう、二度と旅団にくんなあーっ!! ばか! ばかばか! ばかあーっ!!」
「ぬおおおおお!? 俺のゲームソフトがああ!? 平然と投げまくるんじゃねええええっ!?」
「うあああああん! ニアがとられたあああっ!! きーてないよ〜〜〜〜〜〜うぅぅぅうううっ!!!! がるるるるっ!!」
「ギャアーッ!? か、噛むんじゃねええええっ!!!!」
お母さん、天国で見ていてくれますか? わたし、一人ぼっちじゃないですよね? わたしたち、仲間ですよね……?
マキナ・レンブラント、サイに憂鬱な日の日記より――――。
センチメンタル・ブルー(3)
「――そう、良かったわね。ええ……。忙しいんでしょ? また後にしなさい。別にかけてもいいから。うん。それじゃ」
自室のベッドの上、寝転んでいたアテナは端末の通話機能をオフにして仰向けに寝転がった。部屋の中は暗く、しかし窓からは夜の明かりが差し込んでいる。
マキナの事を、少しだけ羨ましく思った。マキナには一生懸命になれる仲間がいる。大切な友達が居る。だから迷いながらも進んでいくのだ。それは、ある意味奇跡のようなものなのだろう。
一人ぼっちの部屋で眠るのは時々無性に寂しくなる。大き目の枕を抱きながら毛布に包まった。自分も……。旅団に居続けたならば、あんな風に無邪気に笑えたのだろうか。
特異な体質から自らを嫌悪し、それを他人に隠し、隠さねばならないという罪悪感に苛まれ、そしてそれを払拭してくれるはずの母親は幼い頃に居なくなってしまった。
元々、あまりいい母親ではなかった。世間ではザ・スラッシュエッジなどと呼ばれていた彼女は、親としてはあまりろくな人間ではなかったと見える。家に帰ることは殆どなかったし、多くの場合アンセムが変わりにアテナの面倒を見ていた。父親と呼べる人物はいなかった。理由は誰も知らなかった。唯一知るであろうスラッシュエッジは、何も答えることはなかったのだ。
アテナはずっと母親の幻影を求めていた。蒼い髪の、美しい女性だった。母を大嫌いだと口にしながら、恨みながら、それでも忘れられない。会いたかった。母とは違うこの髪色も。目の色も。全て母が自分を否定している気がして辛くて仕方が無かった。
それも一つの個性なのだと、アテナがアテナである証なのだと、アンセムは幼い彼女にそう語った。その日からアテナは一生懸命に自分を肯定出来るように生きてきた。誰かに求められるようにしようと。母親は居なくなっても、アンセムがいたから耐えられた。独りではない――はずだった。
なのに今はどうしても独りに思えてしまう。誰も傍に居ない夜を繰り返す度、永遠にこんな日が続くのではないかと思ってしまう。先の事を考えるのは恐ろしかった。過去の事を考えるのは辛かった。結局、何もしていなかったのかもしれない。足踏みをし続けたままで。
「……マキナ・レンブラント、か」
初めて彼女に出会った時、“似ている”と思った。自分にではない。自分を放っていなくなった母親に、である。
マキナの姿に、その仕草に、母親に似通った部分を見つける度に心がざわつくのを感じた。あろう事か、蒼の座に着くのだといわれ始めた時にはその存在の全てを否定したくて仕方が無かった。殺してしまいたいとまで思ったこともある。だが――。その一方、自分はマキナに母の面影を見ているのかもしれない。そう考えてもいた。
年下の、あんな未熟で小さな女の子に母親を求めるなど余りにも馬鹿げた話だ。だが、似ていると思う度に。否定しようと考える度に。彼女の優しい笑顔が何故母の物ではないのかと、そう考えずには居られなかった。
「マザコンでブラコンか……。馬鹿ね、私。子供みたい……」
眠る為に目を瞑った。忙しければ、全て忘れていられる。考えずに居られる。アンセムが入れてくれた数日の休みの間、どんな風に夜を過ごせばいいのだろうか。一人、枕を抱きしめて目を瞑った。眠りの世界はまだ、遥か彼方にあるようだった――。
『フォゾンドライブ機能開始。擬似エーテルプラント始動。“レーヴァテイン”、起動実験開始』
とあるプレートシティの地下、そこには巨大なFA工場が存在していた。薄暗く、老朽化した施設である。だがその中身は充実しており、一般的には廃墟とされているシティであるものの、それがひそかに活動を続けてきた事は疑いようもない事実である。
プレートシティの中では実験が繰り返されていた。その日は研究者たちが固唾を呑んで見守る中、とある一機にFAの起動実験が行われていたのである。誰もが病んだ目をしていた。皆この廃れた街からもう何年も出ていなかったし、研究室に引きこもって外に出ない日数は数えると気が遠くなりそうな程だ。
しかし、彼らの誰もが外に出たいなどとは考えていなかった。誰もがその研究成果に目をぎらぎらと輝かせていたのである。その機体はモニターされているものの、どこにもその姿はなかった。プレートシティの上にも、その中にもである。
『カナルからのエネルギー供給開始。覚醒段階がレベル2から3に移行します』
『覚醒実験プロセス336までクリア。“レーヴァテイン”、封印状態から覚醒状態へと移行します』
『テストライダー投入。ライダーのコンディションに異常無し。拒絶反応ありません』
『起動実験開始! 半覚醒状態のままレーヴァテインを起動させる! 封印解除プロセス進行!』
そのFAはどこにも存在していなかった。そう、シティには。シティの下を流れるカナル、そこへ通じる通路のようなものがあった。光の渦の中、そこには確かに一機にFAの姿があったのである。
すさまじい光の嵐の中、しかしそこで平然とたゆたう何か――。研究員たちはそれをサルベージし、ずっとここで研究を続けてきた。カナルの外に出すことは許されない、恐ろしい物……。だが、その力を御する事が出来れば――人類の未来は変わるかもしれない。
『レーヴァテイン起動! 動き出します!』
『全て順調――? いえ、待ってください。コックピット内部のエーテル濃度が急上昇しています!』
『ライダーのコンディションが一気にレッドに……!? あ……えっ!? テストライダーの反応消失……。レーヴァテイン覚醒レベルが一気に8まで上がりました!』
『――ッ! 実験中止! エーテル供給停止!!』
『停止してもエネルギーの増幅が止まりません! エーテルプラントから直接エーテルを取り込んでいます!!』
『カナルを吸っているのか……!?』
光の海の中から巨大な手が現れた。それはシティへと掴みかかり、鋭い爪でギリギリと基盤を握りつぶしていく。恐ろしい地鳴りのような何かの声が響き渡り、研究員たちは戦慄していた。
『駄目です、止められません!!』
『そ、そんな馬鹿な……』
次の瞬間、カナルの中から巨大な人型の影が姿を現した。それは体表を光で覆われ、何度も定期的に色を変えている。巨人――化け物と呼ぶのが正しいだろうか。怪物はそっと巨大な手を伸ばし、朽ち果てたプレートシティへと近づいていく。その大きさは通常のFAと比べておよそ五倍の大きさ、100メートル前後である。小さな研究用のプレートシティなど、破壊するに造作も無い。次の瞬間――!
巨大な爆発が巨人を襲った。何が起きたのか誰も理解出来る者はいなかった。なぜならば爆発したのは研究用プレートシティのフォゾンエンジンだったからである。当然、研究者たちは全員即死した。しかしそれは彼らが望んだ事ではない。
研究プレートのあるカナルの真上、そこにあるカナルを進む一機のFAとその傍らを移動する小型艇の姿があった。黒い装甲のFAは停止し、眼下を見下ろす。巨人は大爆発の衝撃を受け、怯んでいる様子だった。カナルの中へと倒れこみ、やがて場が静まり返る。
「……。やはり、一般人では動かせないか」
小型艇の中、一人の男がそう呟いた。男の膝の上には端末が乗っており、自爆装置のスイッチが点滅している。そう、研究所は爆発させられたのである。彼の手によって。
「ファントムの対応も急がねばならんというのに……」
「次はコアを変えましょう」
「それしかあるまい。データは十分だ。あれを目覚めさせるまであと僅か……。付き合ってもらうぞ、アンセム」
暗い小型艇の中、アンセムは眼鏡をはずしてカナルを見下ろしていた。光の中、巨人は姿を消していた。何事も無かったかのように。多くの命と、秘密諸共跡形も無く――。