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闇色スクールデイズ(1)


「私が今日から貴様等の教官となるジル・バーツだ。いいか! 中にはこの学園に入る事さえ出来れば仕事に困らんとか、友達と青春を謳歌出来るとかそんな下らん事を考えている輩もいるだろう。だが予め明言しておく! そんな青春ゴッコはやる事をやってからだ! 行き成りFAの実機に乗り込めると思うなよ!? まずは貴様等全員、座学とシミュレータ訓練漬けだ!! たっぷりと扱いてやる! 覚悟しろぉっ!!」


「「「 はいっ!! 」」」


 …………お母さん。マキナは本当にこの学校で上手くやっていけるのか、一気に自信がなくなってきました――。

 入学式から三日が経ちました。あれから、校内紹介やレクリエーションなどが続き、漸く今日から本格的に授業が開始される事になりました。わたしは沢山の新入生たちと一緒に蒼い制服に身を包み、きちんと整列しています。フェイス内、訓練用のシミュレーションルームの中、いよいよFA操縦訓練の第一歩が始まろうとしていました。

 実はもう、既にわたしは涙目です。このジル・バーツという先生、とっても美人さんですがものすんごい怖いです……。目つきが獣です。まさに狩人の目です……。なんで常時鞭持ってるんでしょうか。そういうのはやってるんでしょうか……。それ、つかわないですよね? ぶたないですよね? ねっ?

 というのも、入学式後のレクリエーションでようやく気づいたのですが、わたしが入学申請をされていたのは数ある学科の中でも特に過酷といわれるライダー専門のコースであったという事が判明したのです。他にも、後方支援とか、ナビゲーターとか、色々安全というか平和そうなお仕事の学校がいっぱいあったのに、何故か一番過酷なライダー科……。ぐすん。

 いい事があったとすれば、ニアもライダー科だったという事でしょうか。でも他には何もいい事はありません。暗黒です。スクールデイズは灰色どころか暗黒の中に突入しようとしています。立っているだけで泣きそうです。誰か助けて。


「それでは、これより基本的なシミュレータの使い方について説明する。先ほども言ったが、実機に触るなどお前らには早過ぎる。FA一機が如何に高額か、貴様らはその値段すら知らんようなド素人だ。当分はシミュレータによる仮想操縦訓練と座学がメインとなる。だがそれだけでは身体がなまってしょうがないだろう? 体力もみっちり鍛えてやるから安心しろ! では、それぞれシミュレータの前に並べ! 迅速にだ!」


 なんでこの先生はいちいちこうおっかない笑い方をするんでしょうか――。えと、なんでもライダー訓練というのは二人一組で行う物なんだそうです。理由はちょっと良く判りません。でも、とりあえずわたしにはニアというとってもいい友達がいるのでなんとか二人組を作る事は可能でした。以前のわたしだったら、まず二人組を作るところで躓く事うけあいです――。

 ニアと一緒にシミュレータの前に立ちます。なんでも、本物のコックピットを流用して作成されているシミュレーシュン装置だそうで、これだけでもとっても高価だそうです。でも値段の分かなり本物に近い訓練が可能なんだとか。

 コックピットを丸ごと切り抜いたような箱型の装置の中身を見渡すと、そこには座席が二つ。そう、シミュレーション装置ならびに新入りが乗り込むFAは全部複座式なんだそうです。本来FAは一人乗りですが、様々な理由から最初は二人で操縦したほうがいいのだとか。


「貴様等新入りはその青臭い制服が脱げるまでの間はパートナーと一心同体、常に一つであるように考えろ。FAの操縦は素人が多少勉強したところで直ぐに出来るような物ではない。よって、操縦系統を二分した特殊なFA、“カナード”の操縦方法から学んでもらう」


 部屋の中、円形に設置されたシミュレータの中心部にあるコンピュータの前に先生が座り、端末を操作します。それぞれのシミュレータの中、ディスプレイに何かの映像が映りこみました。先生の指示で中に入り、シートに座ります。

 いかにもロボットといったかんじのコックピットでした。わけのわからない機械が沢山あって、そして全部少し古臭い感じです。今まで沢山の訓練生が使ってきたのであろう事を考えるとついつい歴史に思いを馳せてしまいます。コックピットは前と後ろとでは構造が大きく異なり、バックシートの周囲には様々な端末が設置され、シートは座る形状を。前のフロントシートは立ったまま操るような不思議な構造で、空中から吊るされた幾つかの操縦桿のような物を操作するようでした。

 当然、前は怖すぎて心が折れそうだったのでわたしは後ろに乗ることに。とりあえず機械には触らないようにしてモニターに視線を向けます。そこには先程説明された“カナード”という機体のデータが表示されていました。


『カナードは訓練生が操縦する為に開発されたフェイス用機体だ。機体操縦はメインパイロットが行い、サブパイロットはダメージコントロール、火器管制、フォゾンドライヴの制御などメインパイロットの手の届かぬ部分を預かる。本来は一人でやるべき事だが、新入りにはまず不可能だ。故に交互に座席を交換し、パートナーと共に一つの機体の訓練を行っていく事になる。まあもっとも、カナードに乗り込むのはまだまだ先だがな』


「つまり、わたしも前に乗らなきゃいけないって事……?」


「あはー。そうなるねぇ」


 後ろに座っているだけだったらまだよかったのに――。うう、へこたれるう〜……。


『中をよく観察しておけ。直ぐに座学の為講堂に移動するぞ。今のお前らが見た所で何一つわからんだろうが、そこにある空気のようなものは味わっておけ。五分後に整列! その後移動を開始する!!』


 スピーカーから聞こえてくる声が静かになり、わたしは一生懸命涙を拭っていました。どうしてこんな事に……。どの機械をみてもぜんっぜんまったく理解出来ません。マキナが馬鹿なんでしょうか。馬鹿なんでしょうか。

 落ち込んでいるわたしに振り返り、ニアは明るく笑いました。そうして手を伸ばし、フロントシートからわたしの頭を撫でます。


「大丈夫だよ、なんとかなるって。一人じゃ出来ないけど、多分二人ならなんとかなる!」


「そうかなあ……? わたし、全然自信ないよ……」


「大丈夫大丈夫! 最初は皆そう思うんだってさ。ボクがパートナーなんだもん。ボクがマキナを守るよ!」


「に、ニア〜!」


 男前過ぎてニアに惚れそうです。お母さん、わたしもニアの為に頑張れるのでしょうか? お母さんは、わたしがこうなることを知っていたんでしょうか?

 フェイスに入学して、それで少しずつ慣れていくのでしょうか? そんな自分の姿を全く想像出来ないのは、わたしが弱虫だからなのでしょうか?

 ぎゅっと目を瞑り、ニアの手を握り締めます。大丈夫、わたしは一人じゃないんだ。ニアが一緒にいる。がんばれるがんばれる、やれるやれる! でも、本当に大丈夫――? 気持ちは不安に包まれたままです。

 マキナ・レンブラント、初授業の日記より――――。




闇色スクールデイズ(1)




「はうぅぅぅぅ……っ」


「マキナ、元気出しなよ? ほら、ご飯食べてさ」


「はうぅぅぅぅ……っ」


 昼休み。フェイス内にあるガーデンエリアにてカフェで昼食をとるマキナとニアの姿があった。しかし先程からマキナは机に顎を乗せたまま、しくしく涙を流しているだけで一向に料理に手を出す気配がない。

 午前中いっぱい、シミュレータの使い方とそれに関する講義を受けたマキナであったが、その半分も理解する事が出来なかった。教材に何度目を通しても何も判らず、ただ今は只管涙を流す事しか出来ない。

 午後からは初のシミュレータ起動訓練であり、やらねばならない事は山積みである。しかし覚えなければ、頑張らなければと思えば思うほど緊張し頭の中が真っ白になってしまっていた。


「マーキーナー? 大丈夫だって! ほらほら、泣かないで! 溶けたアイスみたいになってるよ?」


「だってぇ……。わたし、ぜんぜんわかんないようぅぅうううっ!! 一杯横文字の単語が出てくるんだもん、覚えられないようううっ」


「んー……。マキナは緊張しすぎ、構えすぎなんだよ。もっとリラックスだよ」


「だってだって、失敗したら連帯責任でパートナーまで一緒に懲罰だって……」


 そうなのである。マキナが最も心配しているのはそこであった。パートナー二人は一心同体。殆どの場合、ルームメイト同士である事が多いという。基本、ルームメイト単位で行動するフェイスの生徒達は学校の規則を破ればルームメイトも同罪。同じように失敗をすればパートナーが減点されるのである。

 マキナは自分の事をおちこぼれだと認識していた。勉強は一生懸命やっても寝てしまうし、覚えようとしても覚えられない。焦れば焦るほど頭の中が真っ白になり、死んだ魚のような目で時が停止してしまうのである。体力は下の下で、少し走るところか階段の上り下りにも一生懸命にならねばならない。特にこれといって取り得も無く、まさに人間的にどうしようもない少女であると言えた。

 そんなどうしようもない自分に優しく話しかけ、友達になってくれたニア。そのニアの足を引っ張ってしまうのではないかと考えただけで悲しくて悲しくて涙が止まらなかった。ニアはもぐもぐとフィッシュサンドを口に頬張り、マキナを眺めた。


「そんなの全然気にしなくていいよ。マキナは友達だからね。懲罰くらい、一緒に受けたげるさ」


「でも……でも〜……っ」


「あはー、問題なしなし! ほら、マキナもご飯食べなよ。おなかがすいてると午後頑張れないぞ!」


「……うん。うう、おいしいよう」


「よしよし! がんばれ、マキナ!」


 フィッシュサンドを齧るマキナの頭を撫で回すニア。しかし、マキナが心配しているのはニアに迷惑をかけてしまうことだけではなかったのだ。

 ニアはマキナに生まれて初めて出来た友達である。とても大事に思っている。この数日間、ニアと一緒の日々はとても楽しかった。めまぐるしく忙しく、しかしそれでもきらきら輝いていた。もし迷惑をかけ、足を引っ張り、それでもニアは友達で居てくれるのだろうか……。そんな自分の不安が理由で唸っているなんて、余りにも自分勝手であるというのはわかっているのだが……。

 大事に思いすぎて、どうしたらいいのかわからなくなる。その事しか考えられないから、視界が狭まってしまう。ただただ不安で何も手につきそうにない。どうすればいいのか、それもわからなかった。何しろ大切な物が出来るという事さえ、マキナにとっては初めてだったのだから。

 昼食後、二人は校内にあるトレーニングルームに向かっていた。専用のジャージに着替え、訓練設備の説明を受ける。ジルが何かを説明する度にマキナは遠い所を眺めながら泣きそうになっていた。そんなマキナの様子を見詰め、ニアは傍らで心配する。


「つまり、トレーニングルームはフェイス在校生ならば二十四時間無料で使用が可能だ。校内の訓練設備は全て生徒手帳に組み込まれているIDカードで利用する事が出来る。訓練設備の中でも使える場所は生徒のランクによって分けられている。貴様等新入生はCランクの傭兵見習いだ。使える設備は精々限られているが……。まあ兎も角習うより慣れろというものだ。午後はトレーンングルームを使った訓練とする!」


 こうして午後の訓練が開始された。尤もそれは訓練というよりはただの簡単な身体能力向上の為の特訓であり、特別な技術は何も必要としない物である。FAの操縦は一朝一夕でどうにかなるものではなく、ジルの方針としてはまず基本を固めてから、という考えであった。実際シミュレータを扱うにも何をするにも、先立つものは体力である。体力づくりまで一から十まで教えてやるつもりはないが、トレーニングの時間くらいは与えておくべきだろう。

 マキナはルームランナーの前に立ち、両手の拳を握り締めて立ち尽くしていた。隣ではニアが凄まじい勢いで走り続けている。一瞬その姿に滑車を回し続けるハムスターの姿を連想したマキナであったが、とにかくやってみようとルームランナーを起動してみることにした。


「わ、わわっ」


 最初はとても緩やかな、歩いているのと大差ないような速度から開始する。これならば大丈夫だろうかと思い、何故かそこで無駄に思い切りのよさを見せて一気に速度を上げてみた。すると案の定突然加速した速度についていけず、マキナは必死に歯を食いしばって走り続けた。


「……おい貴様。気合が入っているのはいいが、そのペースで持つのか? ペース配分を考えるのも立派な戦略だぞ」


「せんせ……っ! とっ!」


「と?」


「止まらないんですううううっ!! わああああんっ!!」


 背後から腕を組み声をかけるジルへ振り返る事も無くマキナが泣き言を叫ぶ。凄まじい勢いで回転し続ける一台のルームランナーに周囲の生徒たちの視線が収束する。マキナは全身汗だくになり、泣きながら必死に走り続けていた。


「……レンブラント! スイッチを切れ! すっ転ぶぞ!!」


「すいっち、すいっち……!」


 必死で手を伸ばすが、それでペースが乱れてしまった。右足が背後に持っていかれ、そのまま倒れこむ。顔面からルームランナーのベルトコンベアに突っ込み、激しい勢いで回転するそれに射出されるようにして背後に立っていたジルの足元にころころと転がって行った。妙な体勢でぐったりしているマキナの襟首を掴み上げ、ジルは強引に立ち上がらせる。


「何を遊んでいるんだ、レンブラント……」


「ふえーん、ごめんなさーい……」


「もういい、お前は別の訓練から始めろ」


「は、はいぃ……っ」


 その後、マキナはあっちこっちへ移動し、様々なトレーニング機器に挑んだ。しかしどれをやっても何故か上手く行かず、“何をどうすればそうなるんだ”とツッコみたくなるほど、何故か最後は吹っ飛ばされてころころ転がってジルの足元に倒れこんだ。それが四回繰り返された時、ジルは恐ろしい笑顔を浮かべながらマキナの頭をヒールで踏みつけた。


「おい、屑……。貴様はボールか? 転がるのが仕事か? え?」


「…………うぅ、ボールじゃないですう」


「なんでただの腕立て伏せしててふっとんで転がってくるんだ。貴様はボールか? ボールなのか?」


「…………はい……。マキナは、ボールだったみたいです……」


「無駄にコロコロ転がりおって……屑が! もういい、貴様は廊下に立っていろ!! 他の生徒の邪魔だ!!」


「はぅぅうう……っ」


 泣きながら項垂れるマキナをジルが蹴っ飛ばすと、再びころりころりと転がって行くマキナ。今度はジルではなくニアの足元に辿り着き、そしてニアは自ら挙手して言った。


「先生、マキナのパートナーはボクです。ボクも一緒に廊下に立ってます」


 そう宣言した。ジルは腕を組んだまま不思議そうに眉を潜める。同時にマキナも驚いて立ち上がった。ニアは二人に笑いかけ、それからマキナの手を握り締めた。


「テッペルス。貴様の身体能力は新入生の中ではズバ抜けて優秀だ。他の分野ではどうだか知らんが、とりあえずこの訓練において貴様に落ち度は無いと私は考えるが?」


「でも、パートナーは連帯責任ですよね?」


「パートナーがどうとか以前の問題の気もするが……まあいいだろう、確かにそれが規則だ。では二人で廊下で立っているがいい。ボールと物好きめ」


 そうして二人は一緒に廊下に追い出され、そこで只管立ち尽くす事になった。マキナは自分が情けなくて仕方が無くてずっと泣いていた。泣いているのがまた情けなく、涙を堪えようと努力するのだが涙は止まらなかった。

 ニアは泣いているマキナの傍ら、ずっと微笑んで傍に立っていた。やがて顔を挙げ、マキナはニアに訊ねる。


「……どうして? ニアは全然悪くないのに……」


「パートナーは連帯責任だからだよ」


「…………。ごめん……」


「あはー。ノープロブレム。謝る必要なんてないよ」


「…………本当にごめんね」


 マキナはもう泣いてはいなかった。ニアが自分に笑いかけてくれる。ニアが一緒に廊下に立ってくれる。それはとても嬉しい事で、幸せな事だ。でもそれではいけない――。ニアに迷惑はかけられない。そう強く願った。

 どうして自分はヘマばかりしてしまうのか、それがとても悲しかった。いつも努力しているつもりなのに、空回りして失敗してしまう。周りに迷惑ばかりかけるから、きっと誰も友達になってはくれなかったのだろう……そう考えた。

 このまま駄目な自分のままでは、きっとニアにも愛想を尽かされてしまう。そうなったらもう、本当にこの学園に居る意味はなくなってしまうのではないか――? 居場所が無くなった後の世界。それを考えるのが怖かった。


「でもマキナ、本当にボールみたいにコロコロしてたねえ」


「うぅ……。なんでかよくわかんないけど、すぐふっとぶの……」


「マキナ軽そうだもんね」


「……ニア、ごめんね。ほんと、ごめんね」


「いいよいいよ。次頑張ろうよ、次!」


「うん……」


 そうして廊下で二人は時を過ごし、授業時間が終了してから他の生徒と共に歩き出した。一日の訓練が終了したのは午後三時程の事で、残りは各々自由に訓練時間として与えられる事になった。

 マキナはニアと一緒の午前中全く理解出来なかったシミュレータ関係の復習の為にカフェに立ち寄って一緒にテキストを広げた。紅茶を飲みながら、マキナはニアの教えることに一生懸命耳を傾けた。これ以上ニアに迷惑をかけられない――。今はただ、頑張るしかなかった。

 そうして数時間、復習を続けて日が暮れる頃には少しだけ覚えられたような気がしていた。実際、気持ちはそれどころではなく。勉強を出来たのかといわれるとマキナには自信がなかったが。

 ニアと一緒に校舎を出て、寮へ戻る帰り道の途中。マキナは突然足を止め、それからニアを見詰めた。夕暮れの中、ニアはマキナに微笑みかける。


「どしたの?」


「……ニア、ごめん。アポロと一緒に先に帰っててくれないかな」


 鞄の中に押し込まれていたアポロの耳を掴んで引っ張り出し、ニアに手渡す。そうしてニアの返事も聞かず、そのまま引き返して校舎へと走り去っていくマキナ。その後姿を見送り、ニアは黙って目を細めていた。

 うさぎのアポロが耳をぱたつかせる。ニアはそのアポロの耳を掴み、自らの頭の上に乗せた。そうして二人が夕暮れの空を見上げている頃、マキナは職員室の前に立っていた。意を決し、扉をノックしようとしたその時。扉が開き、彼女が探していた人物が姿を現した。

 アンセム・クラーク――。あの日、アルティールに来た当日から一度も会っていなかった彼女の保護者である。アンセムはマキナの姿を見詰め、それからゆっくりと扉を閉めた。


「何か用か?」


「……あ、あの……」


「無事に通えているようだな」


「は、はい……じゃなくて、あのう……」


「話なら、そっちで聞こう」


 職員室の前、廊下には自動販売機が並び、傍らには幾つかのベンチが備え付けられていた。そこまで移動したアンセムはコーヒーを購入し、マキナに手渡した。砂糖とミルクたっぷりのマキナに渡したものと異なり、自分はブラックでコーヒーを購入する。


「それで? 何か不便でもあったか?」


「……いえ、暮らすのは快適なんですけど……。あの、どうしてわたしをライダー科に入学させたんですか?」


 ずっとそれを質問したかった。そもそも何故、フェイスに入学させるのか……。将来の為? 自立の為? 確かにそれもあるのだろう。だが、それはマキナが望んだ未来ではない。

 最初からライダーになどなりたくはないし、なれるとも思っていない。それでもここに留まったのは他に行く場所がないから。そして、ニアがいたからである。だが――入学三日目にして早くも不安で堪らなくなっていた。自分がこのままここでやっていけるのかどうか。ニアと一緒に居られるのかどうか……。


「正直、わたし……ライダー科、無理だと思うんです。そのう……向いてないっていうか……」


「なら、どこなら向いている?」


「え……?」


 アンセムはそう問いかけ、それから眼鏡を中指で押し上げた。その表情は無色透明であり、怒りも悲しみも喜びもない。ただ淡々と、疑問を投げかける。


「どこならば向いていて、どこならばお前の好みなんだ?」


「それは……」


「その、お前に向いていてお前のやりたいと思う事は、あのコロニーの片田舎にあったのか?」


「…………それ、は……」


 思わず黙り込んでしまう。そう、どっちにせよ自分には何も無いのだ。選べる権利もなく、その自由も無い。母が死に、身寄りを失い、自分に力を貸してくれる大人も、応援してくれる友人もいなかった。自分には選ぶ権利などないのだ。向いているとか、向いて居ないとかそういう事ではない……。

 アンセムは小さく溜息を漏らし、それからマキナに歩み寄り小さな少女を見下ろした。マキナはじっとアンセムの顔を見上げ――やがて視線を反らした。泣き出しそうな表情の少女にアンセムは目を瞑る。


「――――そのうち音を上げるだろうとは確かに思っていたが、余りにも早過ぎるな」


「……うぅ」


「一つだけ聞かせてくれ。君は、今までの人生の中で何かに本気になった事はあるのか?」


「――――え」


 思わず目を見開くマキナ。アンセムは一つ言葉を残してその場を去っていく。マキナはそれを追い掛ける事も否定する事も出来ず、ただその場に黙して立ち尽くしていた。

 “本気になった事”――。もちろん、いつも一生懸命にやっている。そう言い張ろうと思っていた。だが、心の中に何かが引っかかっている。そうではないのだと、認めてしまっている一面がある。胸が苦しくなり、自らの手を胸に強く押し当てた。


「本気に、なった事……」


 俯き、考える。本気も何も、やりたくもない事をやらされている。ライダーは人殺しの仕事だ。人を殺して、金銭を得る仕事……。それで誰かが悲しむなら、そんなのは良くない事で当たり前だと考える。

 でも、それをやらなければニアに迷惑がかかる。アンセムに迷惑がかかる。自分はやりたくない。でもやらなきゃいけないから一生懸命頑張っている……。なのに、そんな言い方をされるなんて心外だ――確かにそう思う。だが……。


「だって、わたし……」


 拳を強く握り締める。いつも独りだった。独りだったから、何もなかった。カラッポだったから、その先もなかった。

 でも今は当たり前のように明日がある。今はやらねばならない事がある。そうしなければ生きていけない今がある。涙は流れなかった。悲しくはない。ならばこの感情の意味は――?

 マキナはゆっくりと顔を挙げ、それから肩を落としたまま歩き始めた。校舎を出たところでニアとアポロが待っていた。マキナは少しだけ早足になり、ニアに近づいていく。そんなマキナの様子をアンセムは遠巻きに眺め、それから車に乗り込んで走り去って行った……。


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