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昼下がり、思い思いに学園のなかを行き交う生徒の流れをかきわけながら、クリムゾンは遠くを見つめていた。
「えへへ。みんなとお揃いのジャケット! クリムゾンもよく似合っててかっこいいよ」
「ハハハ。ありがとう、モモカ」
腕にくっついた聖女は彼女の言う通り、学園の制服であるジャケットをドレスの上にまとっている。
デザインが固定とは言え、サイズは個人に合わせてオーダーメイドのはず。聖女が学園に通うと言い出してから二日目にして仕上げてくるとは、針子にどれほど急がせたのか。
「だけど、授業はつまんなかったなあ。先生ってば、ウズちゃんより細かいこといろいろ言ってくるんだもん」
「それは……たいへんだったね」
講義の内容がウズ嬢の教える淑女教育と大差ないことは、学園の話が出た折に伝えていたはず。いや、たしかに言った。
顔が引きつりそうになるのをこらえながらできる限りの速足で、けれど聖女に急いでいると気づかれない程度の速さで目的地を目指す。
すれ違う学園の生徒たちの好機の視線を浴びながら「もっとクリムゾンとかほかのみんなと会える方思ってたのに、放課後しか会えないなんてさー。がっかり」などとくちを尖らせる聖女に適当に、かつ精いっぱいラビアタを意識して返事をする。
へたな鍛錬よりきつい。
「あれ、あの髪色、ローズ家の……?」
「先日、婚約を白紙にしたのにもう次の令嬢とお付き合いしてるのか」
「英雄色を好むと言いますから、きっとさぞお強いのでしょう」
下世話なことばに続いて、笑い声がさざ波のように広がっていく。丸きり嘘でもないささやき声が精神をけずる。
ざわめきにのまれてしまうその声に、聖女が気がついていないことだけが救いだ。
好奇の目にさらされながらも進むことしばし。
ようやく、目的地が見えてきてほっとしたのが、伝わったのだろうか。
「わ! なにあの建物! かわいい〜」
「温室だよ。いつでも花の絶えない美しい場所で、学園の生徒ならば誰でも自由に散策できるんだ」
聖女に引っ張られるままに進めば、ガラス張りの小ぶりな温室が近くなる。待ち合わせの相手はなかにいるはずだが、花に隠れているのか見当たらない。
軽い音を立てて開いた扉の内側に入れば、ぐっと気温が上がったように感じる。
「わ〜! すごーい! 花だらけー!」
「ここは春の温室だから、どれも春の花ばかりだ。ほかに夏、秋、冬それぞれの温室があってーーー」
はじめて訪れるのだから説明を、と話しているにも関わらず、聖女はしがみついていた腕を離して温室の中に駆け出した。
止める間も無く、バラの生垣を曲がった聖女が誰かにぶつかってしまったらしい。
「きゃっ!」
「聖女どの!」
尻もちをついた彼女に駆け寄れば、生垣の向こうには思わぬひとが立っていた。
「王子! 申し訳ございません!」
まさかの王族に体当たりをしてしまったらしい。膝をつき頭を下げるクリムゾンに、王子は表情を変えず手を差し伸べた。
「いや、構わん。大事ないか?」
「はいぃ……」
なぜかぶつかった本人である聖女は、ほほを染めて王子を見上げている。そして伸ばされた手を握りしめて、うれしそうに笑っている。
どうして笑っていられるのかわからない。聖女に手を握られた王子がわずかに口角を下げただけで、血の気が引いてしまうというのに。
「クリムゾン、なぜここに?」
「はっ。聖女さまは本日より一週間、学園にて行儀作法を学ぶこことなりました。そのため、学園内の案内を兼ねて」
「なぜクリムゾンが? 同性の世話係もいる、護衛の者も学園を卒業しているだろう」
話をさえぎり不機嫌そうな様子を見せる王子に、もしや王子は聖女と親密になりたかったのでは⁉︎ と冷や汗が止まらない。
そんな王子に、王が「学園におるならちょうど良い、お前が付きっ切りで世話を焼けばより親密になれるじゃろう」と言ったなど、伝えられない。伝えられるわけがない。
「えへへ。あたしが仲良しのひとといっしょが良いって言ったからかな?」
もうこの聖女は黙っていてくれないだろうか。なぜそうも自分の都合の良いほうに受け止められるのか不可解でならない。
あまりに飾らない物言いに王子も「そうか」と会話を終わらせてしまったではないか!
「……では、御前失礼ーーー」
「あ! せっかくだから王子さまもいっしょに行こうよ!」
微妙な沈黙に耐えかねたところで、聖女がいいことを思いついたと言わんばかりに声を弾ませる。
少しも良くない、王子に手を伸ばすな! 王子もさりげなく聖女の手を避けつつ、なぜ「いっしょに、とは?」と興味を持ってしまわれたのか……‼︎
「えっとね、ウズちゃんとラビアタとみんなでお茶飲むの。なんかあたし、もうすぐ国をぐるっと旅行するんでしょ? それでエラいひとたちと会うから、困らないように練習なんだって!」
聖女が王子に飛びつくのを阻止すべくさりげなく、彼女と王子のあいだに移動を繰り返す。
そして聖女よ、なんか旅行するわけではない。国土を豊かにするため、国のぐるりを訪問するのだと教えられているはずではなかったのか! そして今、目の前にいるのが国で一番エラいひとの息子だ!
どこから訂正すべきか悩んで何も言えないうちに、王子が「そうか」と頷かれた。
そしてなぜかクリムゾンの横に立つ。聖女がいるのとは反対側だ。
「ちょうどいい、私も同席しよう」
なぜ我が手首を掴んで引っ張られるのですか王子よ!
「わーい! みんなでお茶するの、楽しいよねー」
もう一方の手を引っ張るんじゃない聖女!
言えず抵抗できずのまま温室の中央へ向かえば、待ち合わせ場所であるガゼボが見えてきた。
そして、そこに立つラビアタと、女性たちの姿も見えてきた……女性、たち? ひとりはウズ嬢、もうひとりは、ラビアタではない。あいつは筋肉がつきにくいとはいえ、ここまで薄い身体ではなかった。
「おや、あなたはローズ家の」
ウズ嬢とそろって王子に挨拶を済ませた彼女の視線が、こちらを向く。ハスキーな声がクリムゾンの家名をくちにする。
「マっ、じ、ジプソフィリアの姫君⁉︎」
ガゼボの柱の陰から現れたのは、すんなりとした肢体を男装に包んだマリーベール・ジプソフィリアだった。




