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「少しよろしいかしら」
呆然としていると、ウズ嬢がそう言ってクリムゾンを視線で促す。
衝撃に動けないクリムゾンよりはやく、ウズ嬢の意図を察した侍女が「聖女さま、散策されるのでしたらお衣装を変えましょう」と聖女を部屋に連れ戻して扉を閉める。丁寧に閉められる扉のすき間から聖女が「ああん、せっかくイケメンと会えたのに!」などと言っているのが聞こえたが、脳が理解することを拒否しているため頭には残らなかった。
ふたりきりになった廊下で、ウズ嬢はクリムゾンに背を向けて颯爽と歩き始める。振り返りもしないその背中は「話はあとだ」と書いてあるようで黙ってついていくほかない。
すこし行ったところで庭に通じる扉を開けると、彼女はようやく振り向いた。
「いろいろと聞きたいこと、申し上げたいことがせめぎあっておりますけど。まず、ひとつ」
促されるままついてきたクリムゾンは、淑やかながらもか弱くはないウズ嬢の勢いに呑まれる。細い眉をきゅっと上げたウズ嬢は、抑えた声で続ける。
「先ほどの、聖女さまへの振る舞い、あれはどういうことです?」
彼女の声には、明らかに怒気が混じっていた。逆らえないものを感じて、素直に答える。こういうときは、逆らわないのが一番平和的な手段のはずだ。
「一対一の戦いにおいて初手は重要だと思い、咄嗟に……」
「兵法の話をしているのではありませんわよ!」
ぴしゃりと言われ、くちを閉じた。最善策が通じないとなると、あとは相手の出方を見るしかない。後手に回るが、勝機の見えないこの状況では致し方ない。
我知らず直立不動の姿勢を取れば、ウズ嬢が詰め寄ってくる。
「クリムゾンさま、私の記憶が正しければあなたさまには意中の御方がいらしたはずですけれど? その方に婚約を申し出るため、以前よりの婚約者さまと先日、ようやく婚約解消されたのだと、伺ったと思っていたのですけれど?」
「う……そ、相違ない」
しまった、と思っても時すでに遅し。
ウズ嬢は、未だ公にしていない恋の相手を知る数少ない人物である。そんな人物に、聖女に対して軟派な態度をとっていたところを見られるとは。
「その方とあなたさまの仲を取り持つために、私の協力を申し出られたのも、覚えておいでかしら?」
「ああ、もちろんだ」
「では、私が早急にあなた方の対面の場を設けるために、学園でささやかながらお茶会を催す支度をしていたことは?」
「うっ、いや、確かに、招待状を受け取っている」
度重なる質問はまるで尋問のようで、ぎりぎりと首を絞められているような錯覚に襲われる。ウズ嬢は優雅に立っているだけだというのに。
「ですわよねえ? ええ、私も確かに、あなたさまから参加のお返事をいただいていますもの。招待状を出したその日のうちに参加の旨を知らせるだなんて、ずいぶんと乗り気でいらっしゃいますこと、とほほえましく思ったものですもの」
ふふふ、と笑うウズ嬢にいたたまれなくなって視線を逸らす。
意中の相手と近づく機会が得られると思うと、居てもたってもいられなくなってしまったのだ。招待状を持ってきてくれた配達人を待たせてその場で返事を書いたのは、思い返せばあまりにも余裕がなくて恥ずかしい。
「ですのに、どうしてあなたさまは、聖女さまに気のあるような素振りをしていらっしゃるのです? 鍛錬のしすぎで頭がおかしくなってしまわれたのかしら」
底冷えのするウズ嬢の声に、恥ずかしさなど消し飛んだ。
落ち着いて思い返せば相当にひどい物言いをされているのだが、彼女への弁明で頭がいっぱいになっていて、気がつかなかった。
「これには深い事情が! ウズ嬢も聞いただろう、あの聖女は只者ではない。野放しにしてはおけん!」
「……聞きましょう」
冷ややかな視線を引っ込めたウズ嬢に、ようやく先ほどの聖女のことばを思い出して気持ちを引き締める。
「聖女は、国の重要人物たちを意のままに操るつもりなのだ」
意を決してくちにしたことばに、ウズ嬢はひたいを押さえて深く、それはもう深くため息をついた。その姿は、察しの悪い父を前にしたときの母上にそっくりで、わけもなくそわそわする。
「一応、聞いておきますけれど。あなたさまは聖女さまのどの発言を受けて、そのようにお考えかしら」
母のように問答無用で罵倒してくるわけではないウズ嬢に、こっそりと安堵の息を吐いた。そうだ、世の淑やかな女性は屈強な男を頭ごなしに罵りはしない。
「聖女は言っていた。身分ある男を探しに行くと。それはすなわち、国の中枢にある者たちの元に赴き、聖女の力を盾に意のままに操らんということでは……」
「はああああああ……」
ことばの途中で大きな、それはそれは大きくあからさまなため息をつかれて、びくりと肩をすくめた。
顔見知りとはいえあまりにも無礼な態度だが、それよりも彼女のため息に込められた呆れの色の濃さに本能的な恐怖を感じたのだ。
「あなたさまが異性を侍らせるような方でないとはわかっているつもりでしたけど、ここまで色恋沙汰に疎いとなると、あの方の親友として仲を取り持つのが不安になりますわ」
「そ、それは困る!」
本能的な恐怖はウズ嬢の発言で押しのけられた。ようやく手にした好機を棒に振るわけにはいかない。
必死な様子が伝わったのか、ウズ嬢はまたしてもため息をつきながら、ゆるゆると首を横に振る。
「でしたら、伸びしろに期待して教えて差し上げますけれど。聖女さまの発言は十中八九、異性にもてはやされたいという欲求から来てらっしゃいます」
ウズ嬢の言った意味がわからない。いや、わかるが。わかるが、どういうことなのか。
何も答えられずに瞬きをくり返すクリムゾンの考えを読んだのか、あるいは単に胸にわだかまるものを吐き出したかったのか、ウズ嬢が付け足す。
「わかりやすく言いますと、聖女さまは男を漁りに行きたい、とおっしゃっているのです。それも昨日から」
吐き捨てるようなウズ嬢の言いように、あ、これは後者だな、と理解した。そして、こういう場合には落ち着くまで黙ってうなずいていているのが得策だとも、知っていた。




